第一話 の十二
カラ・・・と音がしてドアが開いた。
「・・・・白夜くん」
「桃瀬?」
たっ、と教室に駆け込んできた桃瀬が白夜の胸にしがみ付く。
「白夜君・・・お願い。私と一緒に来て。」
「ちょ、ど、どどどしたの桃瀬。」
来てと言われれば何処にでも行きますがっ!?
フワリと香るシャンプーの甘い匂いと、胸に押し付けられた柔らかな感触に鼻血決壊のカウントダウン。
白夜は眩暈で覚束無い足取りながらも桃瀬に促され傀儡のように歩き出す。
が、
「ソイツはニセモノだ。」
冷ややかな突っ込みに現実世界に連れ戻される。
「いい加減なこと言うなっ。なにがどうニセモノ?」
眼前で繰り広げられるラブシーンに動じる様子もなく作業を続けていた音子は顔も上げぬまま端然と言い放つ。
「その娘の性格からしてこんな行動はとるまいよ。・・・・というのに付け加えて、すこぶるつきに女運の悪いオマエにそんな展開は有り得ない。」
「前半はともかく、その後半余計―っ。つか、憶測で自信ありげに断言すなっ!」
喚く白夜を桃瀬が引っ張る。
「いきましょう白夜君。彼女きっとヤキモチ妬いているんだわ。」
扉に向かって歩き出した二人に音子はやれやれと溜息をつき、立ち上がった。
「では―――、例えば今から私がこんなものを投げつけたとして、その娘はどうなると思うね。」
「ちょ・・・く黒井っ、サン?」
音子が胸の前で構えた拳の指の間にはGペン丸ペン・・・と各種のペンが挟まっている。
白夜が反射的に庇おうとするよりもペンが風を切るほうが早かった。
絶叫を迸らせ、胸にペンを突き刺した桃瀬の姿を顧みるが、白夜の視界に映ったのは無機質な床だけ。
トン―――と頭上で小さな音が鳴った。
「・・・・え?」
高く跳躍した桃瀬が天井を蹴り、黒井音子に向けて一直線に急降下する。
バキッ―――と、礫音を上げて床に皹が入る。
寸で、陽炎のようにスィ・・・と後ろに退いて鉄拳を交わした音子は、僅かに体を屈めて肉薄する桃瀬に囁いた。
「雑魚が。私に楯突こうなど百万光年早い。」
ドウッと音がして手加減無用の蹴りが華奢な体を打つ。
桃瀬はイーゼルを跳ね上げながら部屋の対角線まで吹っ飛んだ。
「・・・なんだコレ・・・」
CGだ。さもなくば夢をみている。
常人であれば起き上がれないほどの衝撃を受けたはずの桃瀬は、恨めしげに音子を睨むだけしてヨタヨタと美術室から出て行った。
その尻の辺りにバニーガールのような白い尻尾が付いているのを白夜は見た。
「あれが娘を操る者の正体だ。」
「はい?正体・・・操るって・・・・。エエッ!じゃあ、今の桃瀬はホンモノって事?」
「肉体はな。分泌物は究極のアッパー系ドラッグ。神経、感覚、肉体とも活性化されるため、生身でもあれしきのダメージで壊れることはあるまいよ。」
「ぶ、分泌物って?」
「今のヤツラは親株に餌を誘いこむために放たれた餌。いわば詐欺師がばらまくダイレクトメールみたいなものだ。餌に付着しそこから毛根を伸ばして幻惑作用のある成分を注入し餌を操る。分泌物の常用性を利用して親玉の下へ導くのと同時に、今のように餌を操りより多くの餌を誘い込む。」
「な・・・・なんだとっ!」
白夜は愕然とした。
「するってぇとあのシロフワの妙な生命体らしき存在は、今桃瀬のあらん所に魔の触手を突き刺しているってことかっ!なんてうらやましい!」
「盛り上がっているところを悪いが腰骨の詳細には脊髄だ。」
音子は冷静に妄想を抑制する。
「ここの空間とはまるで違う空間の存在故、実際には倫理も成分もまるで違うが、養分摂取手段はここの植物に似ている。好物は蛋白質とグリセリン、だが基本的に雑食で、自身に特別なバクテリアのような分解機能を持ち、各種繊維や金属をもジワジワ腐敗させて吸収する。」
「ぐ、グロ・・・・」
「ヤツラの放つ幻覚作用で、餌はあくまでトリッキィーな気分で死ねるらしいがな。」
そこまで話した音子は教室の端へ見えない視線を向ける。
乱闘早々壁際に逃れた腐女子様方は、乱闘が終るや否や「キャッホウ世紀末万歳!」「来たれ正義の勇者!」「悪魔召喚!」などと先ほどとは打って変わったテンションで雄叫びを上げている。
カルチャーショックに壊れているわけではなく素で大惨事を喜んでいる辺りが、ある意味壊れている。
音子はその叫びのナニに感銘を受けたのか、ふむと一度押し黙り、徐に白夜に顔を戻して言った。
「よくぞいらした。この暗黒に支配された不毛の地に光を授ける勇者よ。」
「はあああああ?」
白夜は素っ頓狂な科白に負けじと素っ頓狂な声を上げた。
「この地にはヒトの口伝に代々語り継がれてきた伝説がある。世界を闇で越権する大魔王が降臨し、恐ろしい魔力によって草民を操り人形に変える時、勇者が何処からともなく顕れ世界を混乱から救ってくれるであろう。草民の差し出す本に鼻血を滂沱と垂れ流す者、それが勇者の証。」
「なんだそりゃーっ!」
「というわけで勇者よ。変身だ。」
「なにが、というわけだよ!つか、変身なんて出来るわけないでしょっ!」
「妖精たちよ。勇者の着替えだ。」
「「「イエス賢者様!」」」
ビシッと敬礼をかました腐女子三人衆は容赦なく白夜をふんづかまえる。
「ふんぎゃああああ。」
純潔が穢されるぅ。つか女子。男子の裸には健全に頬くらい赤らめてクダサイ。
冷血無感の女子達に服を剥ぎ取られ、白夜のほうこそ真っ赤になって乙女っぽく涙で瞳を潤ませる。
「変身完了。」
ものの数分で作業を終えた三人はふうと額の汗を拭って出来栄えに胸を張る。
シンプルだが猟奇的なピンクのワンピース。白いタイツにサンダル。極めつけは十字の刺繍が入った帽子。
「ふん。スタイルが良いので中々映えるな。その武器を目立たせるべく、もう少し丈を短くするか。」
「わーい誉められた・・・・って、なんにも嬉しかないわっ!なにをどう血迷って花の男子高校生がナースよっ?」
「ありえない格好で正体を明かさないのが正義の味方のお約束だ。」
「明かさないというか、明かせないだろっコレ!つか、顔諸出しジャン!」
変態だと思われるぅ~、と泣く白夜に、白粉がパタパタ、ルージュがキュキュ、仕上げに眼鏡が装着される。
「まるっと別人。」
「絶対嘘」
床に泣き崩れてしまった白夜を音子は上から不可視の視線で見下ろした。
「では、あの娘・・・桃瀬香里を見殺しにするか?」
ギクリ、と白夜の心臓が不穏な音を上げる。
「あの娘だけではない。オマエが気付いているかは知れないが、最近欠席者が多いと思わないか?このままほっておいたら行方不明者は校内を問わずさらに増え続けることだろうよ。」
ニヤリと音子が嗤う。
白夜は床に突いた掌をぎゅっと握った。
見殺しにする―――その弱さは、悪意を持って人を傷付けることと同等の罪だ。
「行く。」
白夜は立ち上がった。
正義などという強い意志はないけれど、自分の良心にかけて。
着いて来いというように走り出した音子の後に続いて白夜も廊下へ飛び出した。
―――ひょっとしなくても、黒井音子が何とかすればいいだけの話では?と白夜が気付いたのはずっとずっと後になってからだ。