第一話 の十
ルンルンと鼻歌を歌いながら白夜は中庭に出た。
季節は初夏。天気もいいので外で食べようと約束していた。
四時間目の授業が移動教室の桃瀬とは直接中庭で待ち合わせだ。
「ん?」
外に出た白夜は鼻歌を止めてグランドのほうを見た。
渡り廊下の向こうに小さな箱庭があり、その先に欅並木に囲まれるようにしてグラウンドがある。そこを白い綿毛のようなものが風にのって通り過ぎたような気がしたのだ。
綿毛は拳大でタンポポの綿毛にしては些かデカかったような。
ひょっとして天使だろうか、と猫の姿を思い出す。
「ま、どーでもいっか。」
白夜はあまり深く考えず再び歩き出した。
新緑を蓄えた楠木の下、ベルベッドのような芝生にシートを敷いて白夜を待っていた桃瀬が手を振る。
「こっちだよ。白夜君。」
「ゴメン、待たせた。ねぇ、いいっていうから俺何にも持ってきてないけど、購買でパンでも買って来ようか?」
「大丈夫。白夜君のお弁当もちゃんとあるよ。」
はいっといって蓋を開けた箱の中にはおにぎりと共に色とりどりのおかずが詰め込まれている。量としては確かに男女二人で食べても十分足りる。
だが、ランチの約束を取り付けたのは今日のはずだが?
白夜の疑問を読み取ったように、桃瀬が応える。
「あのね・・・あれから冷静になって考えたんだ。あの時はオトモダチの言葉を鵜呑みにして白夜君に酷いこといっちゃったけど白夜君はそんな軽薄な人じゃないって。だから今日こそはちゃんと話しをして仲直りしたいなって・・・。」
伏せ目がちの桃瀬の頬がほんのり赤い。
感無量。
白夜は内心で滂沱の涙を零し感激に打ち震える。
禍福ゲージは+7の高得点。
桃瀬に促されシートに腰を下ろす。差し出されたおにぎりを右手に、ピンに刺した可愛らしいタコさんウィンナーを左手に。
「ご、ごめんね。手作りのお弁当なんておこがましくて。でも、この間酷い事言っちゃったお詫びも兼ねて一生懸命作ったんだ。だからその・・・」
うわっ、なにこのラブラブ新婚さんモード。俺に至福の絶頂で死ねとおっしゃるッ?
あまりの幸福感にうっかり天国に飛び立ってしまいそうな自分を叱咤して白夜はぎこちなく腕を動かす。
「いたっ、いただ、き、ま・・・・・・・・ホゲ?」
ぶっ倒れるのはせめて弁当を食べてから、と口をあーんと開けておにぎりに齧り付こうとしたところでグッと襟首が掴まれた。その強い力に引かれ、白夜は否応なく立ち上がる。
状況が把握出来ないまま首を巡らせさらに思考は混乱した。
そこに立っていたのは真夏の影法師みたいな陰りを纏った黒井音子で。
「来い。」
「嫌」
いきなりの命令に白夜は素で即答した。
途端、鬱陶しい前髪に隠された瞳が不穏な光を放ったような気配に、白夜はビクウッと飛び跳ねる。
「最悪の状況を招きたくなくば今すぐ来い。」
地を這うような声音に抑揚はないが、抗いがたい威圧感がある。
白夜はそれに気圧されつつも未練がましげに桃瀬を振り返った。
が、
「白夜君行ってあげて。黒井さん、何かのっぴきならない事情があるんだよ。ランチは残念だけどいつでも機会はあるから。ね?」
真面目腐った顔で説得されてしまった。
脱力したところを黒井音子に捕捉されズルズルと引き摺られながら、白夜は遠ざかる幸せに暗涙した。
少し離れた躑躅の茂みががさっとなって男子生徒が数名頭を出した。
「どーいうことだ。白夜が黒井音子に連れ去られたぞ。」
「これはもしや・・・・三角関係・・・・?」
男子達は顔を見合わせ、次の瞬間四方に飛び散った。
噂は(特に恋愛沙汰は)電光石火の勢いで校内に広がる。
そんなこととは梅雨知らず、桃瀬は立ち上がると大きく伸びをして、いそいそとシートを仕舞いだした。
教室に行けば誰かしら友達が弁当を広げているはずなので仲間に入れてもらうつもりだ。
フワリと何かが視界の端を横切り怪訝に顔を持ち上げる。
薫風に泳いでいたのは白いタンポポの綿毛のような塊だ。しかしかなりデカイ。
「何の植物の種かしら?」
綿毛はまるで意思を持っているかのように伸ばされた手を掻い潜り、吸い寄せられるようにプリーツスカートに付着した。
摘み上げようと上体を捻り
―――ズキン
腰に焼け付くような激しい衝撃を受けて桃瀬はガクンと膝をついた。