第一話 の一
東郷白夜。
十七歳なりたての高校二年生。
ちなみに誕生日は四月一日。
家族は病院からの出産連絡を
『またまた〜。騙されませんよん』
と一笑で片付けた。
そんな彼がただいま人生の絶頂期を迎えようとしていた。
家族の出払った自宅にて同級生の女子と二人っきり。
昼間暇つぶしに出かけたウィンドウショッピングで出くわした女子は白夜の駄目元の誘いに二つ返事でついてきた。
別に気があったとか、モーションを掛けていた相手ではないけれど、据え膳食わぬは男のなんとか。
それまで引きも切らなかった話題が途切れ、雰囲気もいい具合に妖しい。
「・・・東郷くん」
タイミングを見計らったように舌ッ足らずな声で名前を呼ばれ雰囲気に泥酔気味の顔が向けられる。
世界は我の手中にありッ!コングラッチュレーション俺ッ!我、幸福の覇王なりッ!
惜しみない賛辞で己を讃えながら、白夜はリップ艶めく唇にロックオン、いざ体を傾きかけ、
「白夜いる―――ぅ?」
最近本命としてモーションを掛けていた少女の乱入に阻まれた。
絶対零度の極寒を味わうのは白夜だけで、室内は少女二人から発せられる殺気で大爆発を予感させる気圧上昇。
「なんなのアンタ。」
「アンタこそ誰よ。」
「・・・・あ、ヤメテ引火する。」
二人の間でビチビチと飛び散る火花に弱弱しく突っ込んでみたものの、見事にスルーされた。
いきなり始まった少女二人の罵りあいの取っ組み合いに、白夜は控えめな悲鳴を上げて戦線離脱。
一目散に家から飛び出した。
「はあ、もうなんでこうなるかな。」
繁華街まで出てきた白夜は歩道沿いのベンチに腰掛け、ひとりごちた。
二重のくっきりした瞳が印象的な端整な顔立ち。
背はそこそこあって、体系はややスリム。
インドア派が高じて肌は白目。
異性に言わせると少女マンガの順主役のような少年、つまり主人公の少女に惚れたり惚れられたりする役どころだ。
多分とは謙虚な物言いで、実際かなりモテル。
然して親しくもない近所のオバちゃんに根拠もなく将来有望ねと太鼓判を押され、物心つく前から駄菓子やら、手紙やら、ドロ団子やらと年齢問わず貢物が集まった。
だが実際、過去を紐解いてみれば初々しくも清い人生。
優柔不断と軽薄さが災いした今回はさて置き、いい感じで付き合っていた彼女がいきなり転校→自然消滅。突然の交通事故で入院を余儀なくされた彼女は、病院で知り合った男とよい仲になり→・・・。デートの最中に偶然出くわした母親の悪意なき暴言に、抉るような右フックの分かりやすい絶縁状を叩きつけて立ち去った彼女、などなど。
早い同級生など脱サクランボ、I、m完熟ドールバナナを声高に公言している中、初体験はおろか女子とまともに手さえ握ったことがないのはどうよ。モテル、モテ捲くっているだろう、というレッテルがあるだけにこれはイタイ。
ここまでくると誠実な男女交際など二の次。
もうどうでも、何でもいいから経験した〜いッ!と思い詰めるのも致し方ないだろう。と思う。
時は休日の宵口。
目の前を行くカップル達は逢瀬の終わりを名残惜しむように吸着し、イチャこいている。・・・ムカツク。
慌てて飛び出してきたため財布も無いし、携帯もない。
つまりどこかの店に寄ることも出来なければ、友達を呼び出すことも出来なくて。
勿論、あの家には後一、二時間は帰れない。
合戦場跡地のごとき部屋を思い描いて重い溜息。母親にも怒られるかもしれない。
「くっらぁーい。さっきから溜息ばかり吐いてるね。」
般若を思い描いて眉を顰めていた白夜は突然掛けられた声に顔を上げた。
多分大学生くらいの、若い女の子が目の前に立っていた。
クルリと丸い目を愉快そうに細めてベンチに座る白夜の顔を覗きこむ。
「なんかヤな事でもあったのぉー?」
「・・・え・・・いや、その」
前屈みになった拍子に薄いキャミソールから胸の谷間といわずブラまでチラリ。
清楚なお嬢様風の装いに倒錯的な艶かしい黒レース。思わず視線が釘付けだ。
「ね、君暇なら今から私と遊ばない?」
「や、でも俺何も持ってなくて・・・・。財布も携帯も自信も経験も――――」
「お金ないのー?・・・んーでも君ならオッケー。奢ってあげるから私の知ってるクラブ行こう。」
「・・・・え、マヂ?」
白夜がきょとんとしている間にも女は強引に腕を取り、ネオン瞬く繁華街を歩き出した。
――――捨てる神あれば拾う神あり
半地下のクラブ。
喧騒の闇に矢のようなスポットライト。
ブラックライトに浮かび上がるのは虚栄の笑みを刻む白い歯、そしてジャンキーの鼓動のような音楽。
「サイクル早ッ!タナカ君捨てたと思ったらもう次ゲットしたのぉ?」
「タナカ誰?ああ、あのやたらキザないけすかねぇ美容師?」
「つか、この子わかぁーいかわいー。」
ユリちゃん(花の大学生・21歳)につれていかれたクラブには彼女の友達が数人いて、白夜は新しいペットとして紹介された。
「若いの。やり捨てされないように気をつけなね。」
「やり捨・・・・っ」
友人の赤裸々な科白に白夜、思わず絶句。
なんて魅惑的なお言葉か。コチラこそ三つ指ついてお願いしたい!!
「いやん。みんな意地悪ぅい。気にしないでねん。みんな白夜が可愛いから嫉妬してるのよ。」
「え、あ、うん。全然気にしてないヨ。」
命一杯期待しています。
白夜はニッコリ王子様スマイルで応えつつ、内心大きくガッツポーズする。
蓄膿気味の子猫は腕に擦り寄り一頻りゴロゴロと喉を鳴らした後、飲み物を取ってくるといってフロアの人ごみに消えた。
残された白夜は友人等と他愛無い会話で盛り上がったが、顔見知りの男友達が二人交じり会話がバラけたのを頃合に、中々帰ってこないユリを探しにフロアへ出た。
スローテンポのナンバーに合わせ人々は深海の海草のように揺らめいている。
魚にでもなった気分で白夜は人ごみをすり抜け、入口付近まで来て破顔した。
入口の扉左に、レストルームへ続く通路があって、そこにユリの姿があった。
ナンバーがアップテンポに変わり、ミラーボールが動き出す。
万華鏡のような色とりどりの光のシャワーを祝福の光のように体一杯に受け止める白夜にユリの視線が移る。
姫を迎えに来た王子様、もしくはご主人様を捜す忠実な子犬に、年上の彼女は余裕ある微笑で応え―――るはずが、なにやら顔を強張らせ、スイッと視線が外された。
胸囲測定のように宙ぶらりんに諸手を挙げたまま白夜は凍りついた。
暗くて最初は気付かなかったが、よく見ればユリを壁に拘束するように男が迫っている。
まさか元彼とか?
条件のイイ男に鞍替えしたとか?
ともかく迫られているユリに困惑の色はない。寧ろ、追ってきた白夜の存在こそが鬱陶しそうだ。
棚ボタ王子、名もなき平民の謀反により一気に不幸王子へと地位没落か!?
―――ってか、エエッ!まさか俺コイツに負けるのッ?
ユリの脇に手をつき身振り手振りでトークする男は、目算160センチ弱のユリより身長が低い。
その上、オメデトウございます妊娠八ヶ月くらいですかぁ〜?と声をかけたくなるような下っ腹で、細身の黒スーツが痛々しい。
極めつけはデカイ頭をより一層デカク見せるアフロヘア。
はちきれんばかりの肉に全てのパーツが埋もれているような顔はア○パ○マンに通じる愛嬌があるのに鼻の下の男爵髭(所謂、ちょび髭)が妙な胡散臭さを演出している。
常に男を磨くことを目標にしている、というか、彼女ゲット(その暁に目くるめく体験を!)のために日夜お洒落を追及し、笑顔の鍛錬を怠らない白夜にとって、これは人生観どころか存在価値をも崩壊させる大打撃だ。
「ね、ねぇ。もう外にでよ。ユリ早く静かな場所で二人っきりになりたいナ。」
待て待て。貴女様のワンコが置き去りですが?
「トモダチはいいのかい?」
前髪を鬱陶しげに払うなアフロのくせにッ!
「うん。ぜぇんぜんへーき。」
いやいや、全然平気じゃないんですけど・・・俺。
「フッ、せっかちな子猫ちゃんめ。」
・・・(殺意)
早くぅと甘えた声で腕を揺するユリのデコを芋虫みたいな指がちょんと突いて、二人は扉へ歩き出す。
擦れ違い座間、男が人ごみに立ち尽くす白夜を一瞥して―――ニヤリ。
勝者にトドメを刺された白夜は足元からガラガラと崩壊しフロアの藻屑となった。
「ううう・・・なんでこうなるの」
フロアに泣き崩れた白夜は、何度かうっかりと通行人に踏みつけられて場所をトイレに移し心ゆくまで暗涙した。
鼻歌混じりにトイレの扉を開け放った人達は、トイレの片隅に蹲って泣く白夜に一瞬驚き、ある者は奇異の視線を向け、ある者は同情的な慈悲深い視線を向け、一様に腫れ物に触るような扱いでトイレを去っていった。
一頻りドツボに嵌った白夜は気を取り直し帰宅することにした。
会計が先払いだったことを不幸中の幸いと前向きに考える。
イイトコロで女に去られるのはいつものことなので悲しいほど割り切りは良い。
今回に限っては対戦相手に食らったダメージが少々大きかったが・・・。
近道なので地下街を通り抜ける。
終電間近の駅近郊は通行人がチラホラと残っていたが概ね閑散としていた。
さぁ、落ち込んでなどいられない家に帰ったら部屋の復興だッ!
なんとも悲しい鼓舞で顔を上げ、白夜はゲッと呻いた。
デパ地下のシャッターが降りたウィンドウの前に男が立っていた。
物憂げな表情で壁に凭れスラックスのポケットに片手を入れる姿はやる者がやれば絵的に決まるが、いかんせんチビデブアフロの男がやるには無理がある。
笑いを誘う、を通り越し少々イタイ。
いわずもがな先ほど白夜から女を奪い奈落に突き落とした張本人だ。
白夜に気付いた男は口に咥えていた白い棒を取り、ゆっくりと体を持ち上げた。
格好をつけてというよりハァどっこいしょ、とかけ声が聞こえてきそうな仕草だ。
男を見詰めていた白夜はお節介と思いつつ進言する。
「あの・・・ロリポップキャンディーは普通に端を抓んだほうがいいと思うんだけど。」
口元を挟んだら指の股がベトベトになります。
「仕方ないやんけぇ地下街は全面禁煙なんやから。てか、気遣いおおきに。若いのに感心なやっちゃなぁ〜。」
「うう、コテコテの関西弁。どこまで色物キャラだ。そのくせ妙に常識を兼ね備えたいい人っぽい・・・」
「あったりまえや。こう見えてもワシ天使やからのぅ!」
範疇外の科白に白夜の思考が一瞬フリーズする。
「で・・・電波系?」
「あ〜今のは冗談、イッツジョークッ!確かにコッチじゃ天使や言われとるけど、単なる管理者やし?一度言ってみたかっただけやん。そんな突っ込まんといてな照れるやんけ。」
照れ隠しにバタバタ手を振り身を捩る様は猟奇的な人形のようだ。
子供が見たら喜ぶどころかまず泣く。
「っていうか、何気に天使は否定しないんだ。」
「せや。コッチでいう天使ちゅうんはアレやろ?頭にワッカ乗せて背中に白い羽生やした。そんならワシ持っとるで。」
「持ってるって・・・え、ちょっと産まれるのッ!?」
得意げに言ってクルリと背を向けた男がムンと力みだし、白夜は慌てた。
「うわ〜俺ダンナでもないのに感動シーンに立ち会っちゃっ・・・」
男の肩甲骨の辺りのスーツが小さく裂け白いものがニョキリ、頭角を現す。
そして
ぽん
マヌケな音を響かせて広がった。
白い羽は大人の掌サイズ。亜熱帯植物の双葉とか、相撲取りの手形とか?
唖然とする白夜を一顧だにせず男はいそいそとポケットを漁り金の輪を取り出し頭上に翳す。
輪は手から離れ、ユラユラと心許なく微震するものの落ちる様子はない。
まるで超伝導で浮いた磁石だ。
「・・・・マジシャン?」
男は白夜に向き直り偉そうに胸を張った。
「ワシは三千世界を管理する絶対神の管理職者や。ちなみに所属はジェネラリィーエンジェル。羽と輪は一般天使になると上から与えられるいわば正装やな。主なる仕事は個人的な守護で、現在この界隈三町くらいを請けもっとる。勿論、お前も管理対象やで。」
「ハア・・・」
白夜は溜息のような相槌を打つ。
「時にお前さん世界が破滅する聞いたらどない思う?それがお前さんの存在如何で救われるちゅうたらどない?」
「宗教の勧誘なら興味ないんで」
白夜は視線を外し、踵を返した。
「待て待て。これは冗談でも宗教の勧誘でもないで。破滅は言いすぎかもしれんが、お前の存在はかなりヤバイっちゅーねん。お前さん核兵器どない思う?」
突飛なところにとんだ話に白夜は思わず足を止めた。
「確かに最強の武器には違いないが、同時に脅威やん。ま、お前がどう思っとるかはさておき、周りはどう思うやろな。世界平和を名目に核兵器の廃止を声高に叫ぶやろ。そのうち実力行使に乗り出すかもしれへんな。」
「・・・それが俺とどーいう関係?」
「だから、お前はこの三千世界の中の核兵器的存在のうちの一つや言うことや。使い道がないわけやないけど管理が面倒やから無くしちまおうか、て思う・・・いやいや、思われとんのや。」
「え?な、ナニ無くすってッ!俺を亡き者にしようとか言ってンの?」
白夜はいきなり慌てた。
天使だとか三千世界だとか鵜呑みにしたわけではないけれど、生命の危機に晒されているらしいことを聞かされてはうかうかしていられない。
動揺する白夜に自称天使の胡散臭い男はキラリと白い歯を見せ、力強く親指を突きたてた。
「安心せい。ワシはそんな憐れなニンゲンをほっておけない慈悲深〜い性質なんや。決してお前のようなボーナスゲッターを上手く管理できた暁にはワシの査定が上がって昇給・昇進するからとか、そんなん考えてないで。」
「なんかあからさまに白々しいし。大人社会のダークサイドを目の当たりにした気分。」
「ま、ともかくや、目立つと上から抹殺命令が下るからなるべく平常心を心がけることやな。」
「抹さ・・・・へ、平常心てどーいう事ッ?」
生々しい危機感に顔色を失った白夜はワラにも縋る思いで男に取りすがる。
男はどーでもよさそうな顔で耳をかっぽじり、爪の間の垢をふいっと一吹き、
「破滅へのキーパーソンはニンゲンの禍福度。平たく言っちまうと感情とか気分っちゅーやつや。お前さんは何がなくとも前向き(アッパー)系やから禍福ゲージをプラマイ0に保つためにワシは常々不幸を与えてんのやけどなー。」
「パードゥン?かふくげーじナニ?ってか不幸て・・・」
思い当たらないでもない節に白夜は眉を顰める。
「なーひょっとしてさっき女掻っ攫ったのも故意?どころか人生通して女運悪いのもみんなオマエのせいかーッ!」
「人聞き悪いっちゅーねん。『全て』ではないで。『ぼちぼち』や。」
「くわっ!思いがけないクロスカウンターを浴びてノックアウトな気分。ソレ、何割かは俺に敗因ありって言ってますかッ?」
「そない自虐的になりなさんな。」
「否定しないし!妙に視線が同情的だしっ!」
うわーん、と地下通路に木霊する泣き声に、ぴろりろり〜♪と携帯の着信音が重なる。
「もちもち〜君の可愛いエンジェルちゃんでちゅよ〜。野暮用?ああ、終わり終わり。ああ〜ん。直ぐ行くから待っててな子猫ちゃん。」
「俺が核兵器なら今すぐ世界を放射能で汚染してやりたい心境だ。」
心底忌々しげに呟く白夜に、電話を切った男はお座成りに肩を竦めてみせた。
というか首を消したようにしか見えなかったが。
「とりあえず最近ボーナスポイントが増したから気ぃつけてな。ま、ワシが守護しちょるからイカダに乗った気で安心しとれ、と伝えに来た。ほな、ロンリーな子猫ちゃんがウェイトしてるでワシ行くでぇ。」
「イカダ微妙ッ!ってかボーナスポイントって何―ッ?」
白夜は叫んで男に飛びかかった。
しかし自称天使のメタボは身軽だった。
掴みかかる白夜の腕を一流ボクサーのように掻い潜り、と殺場から逃げた豚のように一目散に地下道を駆けて消えうせた。これぞ遁走。
「・・・っていうか何気に喋りがルー大柴なのは何故?」
関西弁かと思っていた方言も甚だ怪しい・・・。