四話 誕生日の運命
会社から出た時には、時計の針は九時近くになっていた。
残業なんて、日常茶飯事だから普段は気にしない。
が、コートの襟首を抑えて、冷たさの増すビル風を耐えながら、さすがに今日は切り上げればよかったと美空は少しだけ後悔していた。
「誕生日の時まで残業だなんて……まっ、帰っても誰もいないからいいけど」
会社からアパートのある最寄り駅までは電車で三十分。
その間は、美海にお礼のメールを返していた。
〈返信が遅くなってごめんね。誕生日のお祝い、ありがとう!〉
するとすぐに美海から返信が返ってくる。今日は休みなのだろう。
〈お姉ちゃん、大丈夫? 無理してない?〉
文面から美海の心配そうな表情が浮かんだ。
〈うん、ありがとう。まだ完全に大丈夫とは言えないけど、無理はしてないよ〉
〈ならよかった。最近連絡もないから、お母さんも心配してる。少しでいいから、時間があれば実家に顔を出してね。それに馬鹿介野郎のこともそろそろ……〉
美海のメールの文面に、美空は思わず笑ってしまった。
馬鹿介野郎は、俊介のことだ。
(前は馬鹿俊だった気がするけど、なんか進化してる……進化?)
美海に俊介との別れのこと話してから、彼女は姉以上に俊介に怒り、彼を毛嫌いした。
妹はそもそも男性があまり好きではない。
父が母や姉妹を捨てて、別の女性のところへ行ってしまったからだ。
〈うん。次に帰ったら伝えようと思ってる〉
美空はそう美海に返信したが、実際はどう切り出していいのか悩んでいた。
結婚を前提としたお付き合いをしているひとだと俊介を紹介した時の母の顔が思い出される。普段はそれほど感情を表に出すことのない母が、泣きそうな顔で笑っていた。
母は、美空が高校一年、美海が中学一年の時に離婚し、女手一つで姉妹を育て上げた。とても真面目な性格で、いろいろな仕事を掛け持ちしながら、美空を大学へ進学させてくれて、美海も福祉の専門学校へ行かせたのだった。
美空は就職後に家を出て自活し、美海も実家にはいるが近くの老人ホームで働いている。
母にはこれ以上苦労も心配もかけたくない。でも、言わない期間が長ければその分傷付けてしまうことになる。
(隠し通せないよなぁ……でも、ほんとなんて切り出そう?)
当たり前のことをぼんやりと思いながら歩いていると、何やら低い嗚咽が聞こえてきた。
(えっ⁉ 何……?)
怖くなって辺りを見回す。
人通りが少ない路地ではあるが、家々の灯りや街灯があり、今までは恐怖を感じたことはなかった。
しかし、嗚咽は徐々に大きくなっていく。
(べっ、別の道から帰ろ!)
踵を返したその時。
不意に、大きな黒い塊が目に入った。