二話 小さな勇気
悲劇が立て続けに起こってから、一か月は経とうとしていた。
俊介と別れてから一週間ほどは、手を繋いで歩いているカップルを見ると悲しくなっていたが、今では何も感じなくなっていた。
職場もただただ日々の仕事をこなすだけ。
「元気ないですね、市川さん。どうしたんです? 前はもっとこうしておいた方がいいよ、とかアドバイスくれたじゃないですか?」
斉藤が声音では心配そうに美空に言った。
「僕が昇進しても、市川さんと変わらない立場なんですから、前のようにしていいんですって」
(別にそれは気にしてないんだけど……)
相変わらず勘違いしている斉藤に、美空は「うん」と愛想笑いを返して、また仕事に集中した。
お昼休憩の際、社員食堂でも斉藤に絡まれないように勇気を出して相席ができそうなひとを探した。
外に食べに行くという選択肢もあるのだが、今後のことを考えると少しでも節約をしたいのだ。
小さく息を吐き、お弁当を持ってキョロキョロしていると、窓際のカウンター席にひとりで座っている女性社員が目に入った。後ろ姿だったが、項当たりで綺麗に切り揃えられている黒髪に見覚えがあった。
(あっ、あのひと、時々朝エレベーターで一緒になるひとだ。挨拶も時々してるし、声かけてみよっかな?)
近くまで近寄って、彼女が本を読んでいることに気付いた。
「あ……」
思わず声が出てしまった美空を彼女が見る。
いつも俯き加減で挨拶を交わしていたから気付かなかったが、彼女はかなりの美人だった。肌は色白で、切れ長の目にすっと通った鼻筋、薄目の唇には落ち着いたオレンジのリップが乗っている。
無地のトップスと膝丈スカートといったいつも代わり映えしない美空の服装とは違い、派手過ぎないチュニックを重ねて、腰辺りでシンプルなベルトをし、細めのパンツ姿と見た目から仕事ができる女性だ。
「どうぞ」
「へっ?」
あまりにもまじまじと見詰めていたせいか、女性にしては低めの声と手で彼女は横を示してくれる。
「あっ、ありがとうございます」
横に座りながら俺を言えば、彼女の方からまた話を振ってくる。
「朝、いつも一緒になる方ですよね?」
そう言った彼女は微笑み切らない表情なのに、美空はどこかホッとした。
「はい。市川って言います」
異動や仕事上のお付き合い以外でこうして名乗るのはいつぶりだろうか。
美空は少しだけ学生の時のようなドキドキ感を味わっていた。
「私は日野麗子よ」
「あっ、わたしの下の名前は、美空って言います」
「美空さんね、良い名前だわ」
「ありがとうございます」