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一話 すべてを失う時2

 恋人と友人を同時に失った次の日だ。

 職場の三年下の後輩である斉藤満が、美空の作成した資料で上司に褒められていた。

 それは、一週間前に美空が斉藤に提出をお願いしていたものだった。



『斉藤君は、本当にこの課の救世主だよ。なあ、市川さんもそう思うだろう?』

『えっ? は、はい』



 斉藤は一瞬申し訳なさそうな顔を作った。



『市川さんの指導が良いからですよ』



 それが本心なのか、美空には分からなかった。

 恰幅の良い上司は、上機嫌に『市川さんは面倒見だけはいいからな』と快活に笑った。

 お昼休憩の時、社員食堂でひとり昼食をとっていた美空に、斉藤がそそりと近寄ってきた。



『おっ、今日もお手製のお弁当ですか? 美味そうっすね』



 斉藤という男は、飄々としながらも常に人の顔色を窺っていた。それは決して相手のためではなく、自分の立場を危うくしないための手段なのだということに、美空はずっと前から気付いていたのだった。

 でも、それがどういった結果を招くかまでは、予想できていなかった。



『市川さん、怒ってます?』



 こっそりと訊いてくる斉藤に、美空はすぐに顔を向けられなかった。

 何をどう怒ればいいというか。

 前日に恋人と友人を失い、感情が上手く出せなかった。

 美空は、頬を少しだけ上げた。



『いや、別に……』

『あぁ! 良かった!』



 斉藤は大げさにホッとしてみせた。



『いやね、ちゃんと市川さんが作ったって言おうとしたんですよ? 僕は! でも、前野課長が早とちりしちゃって、言う機会を逃しちゃって……あっ、でもちょっとは俺が修正はしたんです』

『そう、なんだ。それが良かったのかもね。ありがとう』



 美空は、自分のプライドがそこで失われたことに薄々気付いていた。

 職場での立場は、彼の方が上になる、と。

 その予感だけは的中した。



『それと! 僕、次の異動で主任になるって課長に言われたんです。市川さんと同じですね』



 勝手に美空の横に座り、きつね蕎麦を啜り出した斉藤からの宣言は、美空の鼓膜を大きく震わせたのだが、何も感情を生ませることはなかった。

 数日間の記憶を強制終了させるために、美空は瞬きをした。

 涙がぽろっとまた頬を伝った。


(何がいけなかったの?)


 誰も答えてくれることのない疑問が、ようやく美空の絶望を呼び起こしてくれた。

 俊介とは付き合い始めた当初から大きな喧嘩をすることはなかった。休日はあのファミレスで朝食をとって、仕事であったことや彼の趣味である車の話を聞く時間が好きだった。彼の仕事が忙しい時は信じて待っていた。きっとその時間に月子と会っていたのだろう。

 そんな月子とは、会えば俊介との関係は良好かと訊かれて、問題ないことを伝えれば喜んでくれていると思っていた。婚約した時も、笑顔で祝福してくれていた。信じていた。


(なんだったんだろう? あの時間……)


 悲しいのか、辛いのか、悔しいのか、寂しいのか。

 ぐちゃぐちゃになった心から流れる涙は、ものすごく塩辛かった。


(仕事も、休めばよかった……)


 職場でも、自分の居場所がなくなった気がした。

 同じ役職に就くという斉藤。恐らく、同等の立場といっても主導権は彼になるだろう。

 これからも斉藤は、課のムードメーカーでもありつつ、出世のために利用できる人間を虎視眈々と狙っているのだから、与えられた仕事をただこなしている美空に敵うわけもない。

 分かっている。分かっているけれど。


「惨めだなぁ、あたし」


 呟いたその言葉は、美空をさらに惨めにした。

 美空は掛布団をぐっと引き寄せ、丸くなった。

 まだ暖房の季節ではないと思っていたが、じわじわと冷えていく体に、もう自身の誕生日の一か月前である十一月に入っていることに気付く。


(二十代最後は独りぼっちのお誕生日になっちゃうんだ)


 良好な人間関係のため、気を使っていたつもりだった。仕事に対して、不真面目なことは決してしていないつもりだった。


 自分に対しても――幸せになりたい、と思っているつもりだった。


 でも、市川美空は、気付けば大切にしているつもりだったものを失っていたのだった。

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