九話 嫌なこと
翌日の昼休憩。
「あれ? もしかして、昨日僕が言ったこと、気にしてます?」
久しぶりに食堂で美空が一人でお弁当を広げている横に、斉藤はそう小声で尋ねながら座った。
(やっぱり来た……)
美空が内心で大きく溜息を吐いているとも知らず、斉藤は「いやぁ」と苦笑した。
「あれからちょっと反省したんですよ、昨日。言い方があれだったかなぁって」
美空がちらっと斉藤を見れば、彼はまた「やっぱ気にしてます?」と言った。
「エースの日野さんと釣り合わないって言ったこと」
その言葉が、美空の心に再び影を落とす。
でも、気にしていたらなんだというのだろう。
斉藤の態度が百八十度変わるのだろうか。
いや、変わらない。人がすぐに変わることなんてない。
美空は、小さく息を吸い、「別に」と言いかけた。
『美空さんは、美空さんの思うことを言えばいいんですよ。俺に……いえ、誰にも遠慮することないんです』
言いたいことが言えたら、どれだけ。
「別に、……って言いたい、けど」
どれだけ楽になるのだろう。
「思ったことをただ口にしただけかもしれないけど……良い気持ちではなかったよ、斉藤さん」
「え、あ……」
どうせあと一年だ。
嫌な気持ちで過ごしたくない。
相手が相手の気持ちを考えないのならば、自分が相手を考える必要があるのだろうか。
美空は、気付けば真っ直ぐ斉藤を見据えていた。
「じゃあ、あたしは仕事に戻るね」
広げていた弁当を片付けて、美空が立ち上がる。
と、斉藤は何か言いたげに視線を向けてきた。
しかし、それに構っていられるほど、美空は冷静ではなかった。
心臓がバクバクしている。
思えば、誰かの顔色を窺ってばかりで、人に面と向かって、こんなことを言ったのははじめてだった。
(俊介にも、言ったことなかった)
スッキリしたわけではない。
だが、胸の閊えが僅かに取れて、自分の身を守れたような安堵感があった。
斉藤の視線を感じながら、美空は午後の業務に戻った。
午後は穏やかだった。
斜め前で、課長の前野が斉藤を心配していた。
「斉藤、どうしたんだ? 元気がないように見えるが、何か悩んでいることでもあるのか?」
「あ、いえ」
斉藤が美空を見やる。
が、美空は気にしない振りをした。
その後も、斉藤はどこかそわそわとしていたが、この日は結局美空に話しかけてくることはなかった。
美空が帰宅すると、昨夜約束した通り、司生がソファに座っていた。
安心した。
「美空さん、おかえり」
「ただいま、司生さん」
中央に座っていた彼は、美空のために右側を開ける。美空もそこにゆっくり座った。
「司生さん、あたし……今日、自分の言いたいことを言えた気がしたの」
司生は、「うん」と優しく頷いた。
ただそれだけで良かった。
「他の人の言うことを頷いていればいいって思ってた」
「うん」
「でも、今日はちょっと、ほんとにちょっとだけど強くなった気がしたわ」
肩に大きな掌が触れたと思った瞬間、司生の方に体が傾いた。
美空は司生の肩に頭を預ける。
「美空さんはすごいよ」
その言葉に、美空の目から涙が溢れた。
(最近、よく泣いちゃうなぁ)
でも、止めようとは思わなかった。
涙が流れるまま、美空は司生の肩に頭を預けていると、俊介といた頃を思い出す。
いや、どう過ごしていたかは記憶になかった。
こんな風に俊介が自分を褒めてくれることがあっただろうか、と美空は思った。
(いつももっとこうした方がいいとアドバイスは言ってくれてたけど……)
美空がアドバイス通りできなかった時は、どこか諦めたように『まあ、しょうがないよ』と言った。
俊介が言っていた『何かが違う』とは、こういうことだったのだろうか。
ふと、机の上に置いたスマートフォンが鳴った。
画面を見ると、『日野麗子』の文字。
土曜の連絡をすると言っていた。
失くしたものが、穏やかに戻ってきているような気がした。
美空は涙を拭いて、スマートフォンに手を伸ばした。
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