意図せぬ遭遇、虎狼の洗礼
「流石に疲れてきましたし……終わりにしましょうか」
初めてエンカウントした人魂とじゃれ合うこと三時間、ここで私は初めて刀を構えました。
薄く七色に輝く刀身が、人魂の姿を鏡のように映します。
そしてそのまま、最後の力を振り絞って勢いよく突進してくる人魂に対し、引き斬るように刀を振るいました。
三時間の戦闘で弱っていたのか、それとも単にとても弱い魔物だったのか。
人魂は私の一撃をくらい、搔き消えるように消滅してしまいました。
ここまで付き合ってくれた人魂に心の中で合掌しつつ、ステータス欄を開いてみます。
【心】の項目は熱の値が1増えたのみですが、【体】の方は一気に四つのスキルが追加されていました。
例えば最初に獲得した【洞察眼】ですが、これは三時間の戦闘を経て進化を遂げていました。
三十分で弐になり、一時間で参に。そして三時間経って【洞察眼 肆】にまで変化したようです。
ただ、肆まであげても変化するのは魔物の性質を見るまでの観察時間が減るだけ。
なんというか、若干の割りに合わなさを感じますが……まあ短くなって困るものでもないですしね。
とは言え、伍以降でスキルが変化することもなさそうですし、何か別のことを試してみるのもいいかもしれません。
ちなみに【洞察眼 肆】以外に獲得したスキルは【回避の心得 弐】【継続戦闘 肆】【徒手の心得】の三種。
効果は回避の強化、持久力の底上げ、納刀時の全体的なステータスアップという、現状のプレイスタイルにはあってそうな効果を持っています。
「そうなると、攻撃を見切ってカウンターを仕掛ける感じになりますね」
なんだかんだで私が得意とするスタイルに落ち着きそうな予感です。
前作でも割と回避系のアタッカーを使っていましたからね。
この辺りはキャラメイクの時のアンケートが効いてきてるのでしょうか。
さて、それはともかく、一先ず街に戻りま——
「——!!」
不意に背後で響いたザッという音を聞き、私は身体をひねりながら勢いよく前に出ました。
一息で十分な距離を取って振り向くと、そこには下卑た笑いを浮かべる男が一人。
近くにアクティブな魔物はいないというのに刀を抜いています。
先程の音は彼の踏み込みのものでしょう。
それ以前に足音がしなかったのは、当然気配を隠すため。
MMOというジャンルにあまり触れてこなかった自分でもわかります。
……こいつはPKerだ、と。
「刀は人に向けるものじゃありませんよ?」
「まさか避けるとは思わなかったぜ。まあ、まぐれだろうけどな」
「会話が成り立ちませんね……するつもりもないんでしょうけ——」
勢いよく振るわれた刀を一歩引いて避け、二歩、三歩と間合いの外に動きます。
「……まだ話してる途中じゃないですか」
手の動きと重心の移動から何となくどういう攻撃をしてくるかはわかりましたが、それでも回避は間一髪。
ステータスは数値として表示されないだけで、内部データ的にしっかりと存在してるわけですから、その辺りの差でしょう。
前作をやり込んでいた身としては少し悔しくもあります。一刻も早くステータスを上げてしまいたいところですね。
「……んだよ、"未覚醒"の癖に避けんのか」
「未覚醒? 何ですかそれ」
「まあいいや……本気で行ってやる」
本当に会話するつもりないんですねこの人!
まあいいです。こちとら回避にだけは自信がありますから、相手が疲れるまで弄んで差し上げましょう。
逃げ帰ろうにも街は彼の背後に存在していますし、素通りなんかさせてくれないでしょうからね。
「行くぜ、『空蜘蛛』!」
男はそう言ってから二度、三度と刀を大きく振りました。
スキルの宣誓か何かでしょうか。
どこから攻撃が来ても回避できるようにしつつ集中してみますが、しかしそこから何か攻撃が発動する様子はありません。
スキルが不発に終わったというわけでも無いとはおもうのですけど……まあ、分かりそうに無いことを気にしていても仕方ありませんね。バフの類かもしれませんし、記憶の端に留めておきましょう。
「オラァッ!!」
威圧するような声とともに放たれた振り下ろす斬撃を、さっと左に移動して回避。
次いで、地面を抉りながら斬り上げられた刀が削り取られた土や小石とともに迫るのを更に斜め後ろ方向に離れるように回避します。
とりあえず、今のところ回避自体は問題なく行えていますね。プレイヤースキルでどうにかなっているのなら、恐らくそれほどステータス的に差が開いているわけではないのでしょう。
とは言え、あくまでも可能なのは回避のみ。攻撃に転じる余裕は存在せず、ここからどうこちらの攻撃を差し込んで行けばいいのか、飛び道具的な技の無い現状では打開策が思いつきません。
さて、そんなこんなで回避を続けていると、いつのまにか立ち位置が逆転していました。
つまり、私の背後に街がある状態です。
これなら余程走力に差がない限りは逃げ切れるでしょう。
「ククッ、逃げようったってそうは行かねえぞ」
流石に考えはバレていたようです。
とは言え、真っ向からぶつかるよりはまだ生存確率は高いでしょう。
獰猛な笑みを浮かべながらこちらに走ってくる男の顔を目掛け、掬い上げるように土を蹴り上げます。
「!?」
飛来する土に、男は驚いたように顔を背けました。ゲームの中とは言え目を狙うのは有効ですね。どう頑張っても反射的な反応からは逃げられませんから。
そんな一瞬の隙を突き、私は身体を翻して街の方へと駆け出し——
——瞬間、踏み出した左脚から力が失われました。
「んん!?」
VRゲームではレーティングの都合上プレイヤーの身体の欠損を表現することができないため、四肢が切断されるようなダメージは「感覚の喪失」や「痺れ」などで表現されることがほとんど。
この<虎狼 零>においてもそれは同じで、つまり今私は左脚に大ダメージを受けてしまったというわけです。
……いつの間に?
思い返してみても、攻撃を食らう要素なんてなかったはず。
数値が表示されないためHPがどの程度なのかはわかりませんが、視界の端は赤く、少なくともピンチには違いないことがわかります。
とにかく、逃げないと。
そう考えて一歩踏み出しますが、しかし、同時にもう一つの斬撃が私を襲いました。
「っ!」
フッ、と全身から力が抜け、そのまま私の身体は地に引かれて倒れてしまいました。
「手間かけさせやがって……」
吐き捨てるような男の声が遠くで響くなか、視界を覆うエフェクトは赤から黒へと移り、徐々に目蓋が閉じて行きます。
HPの表示が無くとも、流石にこれが死亡演出だというのはすぐにわかりました。
最後の力を振り絞って、私は男の姿を注視します。
初めての対人戦と、敗北。
受けた屈辱は余りにも耐え難く、私はこの男に復讐する為に、現れたウィンドウに赤く表示された『凱亜』という名を記憶に深く刻み込んだのでした。
勝ちに繋がる敗北