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2-2

 この国では王家に7大公爵を加えて王族と称し、守護者としての能力は王族の男子に顕れる。能力の大小はあるが、王族男子で能力を持つ者の割合はいつの時代も5~6割は存在している。

 ミズリの婚約者候補はルーファス以外に4人いた。聖女と比較的近い年で聖女の守護者としての能力を持つ王族、実を言えばバージルもその中の一人だった。王族にとって聖女の伴侶に選ばれる事は誉である。聖女の伴侶となる者だけが守護者と呼ばれる。

 数名の候補がいても聖女の伴侶選びは滅多に揉める事はない。聖女と伴侶は精神的、肉体的に惹かれ合うからだ。今回ルーファスが聖女を見つけルーファスの腕の中で聖女に選定された事から二人の婚約は何処からも異論はなくスムーズに決定した。

 基本的にミズリは神殿から出る事は叶わない。王宮と神殿は目と鼻の先であり、ルーファスがミズリを訪ねていた。ルーファスは可能な限りミズリの傍にいた。聖女にとって守護者は必要不可欠な存在であり、それが許されていた。

 出会ってから8年が過ぎ、ミズリは12歳にルーファスは15歳になっていた。




「ミズリ?」

 ルーファスの呼びかけに巨木が答えるように枝を揺らす。神殿の中心であり神殿そのものでもある巨木は神聖樹と呼ばれている。幹は直径10メートル、高さは15メートルで枝を広げた姿は30メートル程あるこの国最古の樹である。重量感のある佇まいは圧巻だがこの樹の凄さは根にこそある。地中深くに張った根はこの国全土に広がり聖女の力を隈なく行き渡らせている。

 ミズリは一日の大半をこの場所で過ごす。ミズリが朝から姿を見せてくれないと困っていた神官はこの禁域に足を踏み入れる事は許されていない。


「ミズリ、いるのだろう?」

 枝の一画だけがサワサワと揺れる。その揺れる枝の下に行って根気強く待っていると小さな靴が落ちて来た。それをルーファスが受け止めた。

 枝が動いて枝と葉で遮られていた視界が広がる。樹の中ほどまで登ったミズリがこちらを見下ろしている。もちろん足は片方裸足だ。

「ルーファス、ごめんね!靴当たってない?」

「靴は無事だよ。落ちて来たのが本体でなくて良かったよ。じゃなきゃ僕が潰されている」

「神聖樹がわたしを落とすわけないよ。ルーファス、こっちの靴もお願い」

 ルーファスに向かってもう片方を落とす。上手く受け取りながらルーファスはやれやれと溜息をつく。

「ミズリ、降りておいで。リーが探していたよ」

「駄目。今、目が離せないの」

「目?」

「そうよ。ルーファスも登って来て」

 ミズリは動きそうにない。この巨木はただの樹ではない。ミズリがこの樹に登っているのを初めて見つけた時の驚愕を思い出す。神聖樹に登る聖女は前代未聞だろう。そうして神聖樹に意志らしきモノがあるらしいと分かったのもミズリのお蔭だ。神聖樹は決してミズリを落とさない。ミズリの意志を汲んでミズリを隠したりもする。ミズリのために小動物にその枝を貸すようにもなった。

 きっと神聖樹も驚いた事だろう。ミズリが7歳の時だった。7歳の子供を落とさぬように必死に枝を伸ばす神聖樹と、受け止めようと必死に届かぬ腕を伸ばすルーファスは同じ気持ちだった筈だ。

『てっぺんがどうなってるか見てみたかったの。』

 こちらの心配も知らず無邪気に答えたミズリ。それから木登りを気に入ったミズリは12歳になっても止める気配はない。ルーファスも度々誘われる。

 何度登っていてもやはり毎度躊躇するものだ。神聖樹という名は伊達ではないし、信仰の対象だ。聖女よりも王族の方が厳しく教えられるのだ。ミズリには通用した試しがないが。

 ルーファスも靴を脱いでミズリの靴と並べた。

「お邪魔します」

 神聖樹に一言断って慣れた様子でミズリの元へ向かった。


「ルーファス、こっち」

 ミズリが先導するようにさらに上に登り手招きをする。神聖樹の枝は太く頑丈だ。ルーファスとミズリの体重をたわみながらも難なく受けとめる。

 ミズリが腰かけている枝に鳥が巣を作っている。モウナと呼ばれる鳥の小さな巣だった。モウナは青い羽根と黄緑の嘴を持つ小鳥だ。巣の中ではモウナが卵を温めている最中だ。野鳥なので人間には懐かないし警戒心が強いのだが、ルーファスが顔を覗かせても少しだけ首を傾げただけで逃げ出す気配はない。

「もうすぐね、卵が孵りそうな気がするの」

 ミズリがルーファスの耳元に小声で囁く。少し興奮していて若草色の瞳はきらきらと輝いている。近くに来て触れ合った肌が冷えている事にルーファスは気が付いた。

「もしかして、朝からずっとここにいるの?」

「だって、見逃したくないんだもの………」

「リーが探していたよ」

 ミズリはばつが悪そうだ。今日は祈りの無い日だから、勉強があるのだ。リーは神官でありミズリの教育係だ。

 ルーファスは少し怖い顔を作る。

「後でうんと叱られるように」

「………ルーファスも一緒に謝ってくれる?」

「仕方がないなあ」

 ルーファスは上着を脱いでミズリの体を包む。温かさにミズリの頬が緩む。

「ありがとう」

 袖を通すとミズリにはだいぶ大きい。ルーファスは日々成長している。時折それがとてつもなく恥ずかしい気がするのだ。ミズリがあまりかわらないせいかもしれないが。何となく自分の服を着たミズリを見ていられなくてモウナの巣を覗く。

「あれ?この子」

 卵を温めているモウナの黄緑の嘴に茶色の部分がある。それは丁度ハートの形をしていた。

「気が付いた?」

 ミズリが満面の笑みを浮かべる。幼い頃とちっとも変わらない笑顔だ。開けっぴろげで王子相手にこんな風に笑うのはミズリ以外にはいない。王子の知る令嬢は皆恥ずかしそうに真っ赤になって口ごもりうつむいたり、大抵は上品に微笑む。この前はうっとりと熱の籠った瞳で微笑みかけられてかなり怖気づいたのだ。

(ミズリの笑顔がいいな)

 幼くて可愛くて、何よりルーファスへの信頼が溢れている。そういう顔をされるとルーファスは何でもしてあげたい気分になるのだ。

「この子、去年のあの子だと思うの」

 去年ミズリは神聖樹ではない神殿の木の枝に作った巣から落ちたモウナの雛を見つけた。親鳥が戻って来る気配はなく、雛は瀕死だった。ミズリは必死に雛の世話をした。2時間おきに雛に餌をあげて掌の中で雛を温めていた。もちろんルーファスも手伝った。消耗するミズリの体力を回復させていたのだ。掌に雛を抱えたミズリを抱えるルーファス。それを生暖かく見守る神官達。

 あの時は何も思わなかったルーファスだが、後々思い出すと悶えたくなるのだ。別段恥ずかしい行為ではない。祈りを終えて消耗したミズリをいつも抱きしめて回復させてきたのだ。幼い頃からそうしてきたのだから。それなのに周囲の目は二人が成長するにつれて変わって来ているのだ。特にバージルのニヤニヤした顔は気に入らない。

「ルーファス、どうかした?眉間に皺が寄ってるよ?」

 話を戻そう。そうやって世話をした雛は見る見る回復していった。ミズリにとても懐いた。しかし、野生の鳥である。旅立ちの時はあっという間だった。小鳥は翼を広げて自由に空を飛んで行く。あの時のミズリの寂しそうな羨ましそうな様子をルーファスは覚えている。

(きっとあの時、ミズリは自由がどういうものか知ったんだ)

 何度思い出してもルーファスの胸は疼く。ミズリが小鳥だったらいつまでもルーファスの手の中に居て欲しい。

 人間の存在を無視して、小鳥は目を閉じて卵を温める事に集中する事にしたようだ。

「嘴のハートの柄、滅多にないだろうね。それに僕達がいるのに逃げないし」

「そうなの。間違いないよね。帰って来たんだよ、きっと」

 旅を終えてまたここに。ミズリは嬉しそうだ。ルーファスだって2度と会えないと思っていたのだ。

「じゃ、おかえりって言うべきかな」

「そっかあ、そうだよね!」

 とびきり素敵な提案を聞いたとばかりにミズリは力強く頷いた。モウナは首を傾けてミズリを見ている。

「おかえり。またあなたに会えて嬉しいよ」




「ルーファスは今日時間があるの?」

 リーから受け取ってきた課題をミズリに渡す。リーには苦情をしっかり聞かされた。ミズリの我儘はそんなに多くないので大目に見て欲しいと頼み込んできた。リーには呆れた顔をされたが、今日の分の講義をルーファスが受け持つ事で納得して貰えた。もちろん、後でミズリはたっぷりとお説教されるだろうが。

「うん。夕方まで時間がある。取りあえずここまで目を通して。それからわからない所は解説するから」

「折角時間があるのにお勉強をするの?」

「そうだね、僕はミズリの今日の講義は終わっていると思っていたんだけどね?」

 ミズリは黙ってしまった。

 二人はまだ木の上だ。ミズリが降りたがらないので仕方がない。ミズリが大人しく本を読むのを確認してからルーファスはスケッチブックを手に取った。


 ミズリはルーファスの趣味が絵を描く事だと思っている。時間がある時はこうやってミズリの絵を描くからだ。否定はした事はないが、別段ルーファスの趣味ではない。絵を描くことはそれ程好きではないし、才能もない。それでも一年に一冊スケッチブックにミズリを描く事にしている。下手なりに何年もただ一つをモチーフにして書き続ければ何とかなるものだった。色をつけるまでは出来ないが、ミズリを描くのはかなり上手くなった。最初の頃の酷さは目を覆うものがあるだろう。ルーファスの手元には残らないから確認は出来ないのだが。

 ミズリは真面目な顔で本に目を通している。ルーファスはミズリが座っている枝の少し下の枝にいるからその顔が良く見えた。

 見慣れた顔だ。出会った頃よりも成長したけれど基本的には変わっていない。柔らかそうな丸い頬、大きな瞳に小さな唇。鼻の上に散った雀斑。くるくる跳ねる柔らかな栗色の髪は相変わらず短い。この国で髪が短い女性は子供か神官くらいだから、ルーファスと結婚したら髪を伸ばして貴婦人のように結うのだろう。ルーファスとしては結わずに背を自由に流れるミズリの髪を見てみたい。それはとても美しいだろうと思うのだ。

 ルーファスが想像しているとミズリと目が合った。ミズリが舌を出しておどける。ルーファスが笑うと満足そうな顔をする。


 スケッチブックに線を走らせる。いつも出来るだけ丁寧にミズリを描く。ミズリの成長をそうやって書き留める。喜んでくれる人のために。

 幼い頃の記憶をミズリはあまり覚えていない。歴代の聖女も幼い頃に引き取られるから同じようなものだ。聖女に家族はいない。そのかわり国中から敬愛されて育つ。

 ただのミズリの幸せを願っている優しい人のために、ミズリに代わってルーファスが出来る事をする。出来る事が嬉しかった。




 夢中になって絵を描いていた筈がいつの間にか眠っていた。日が少し陰りかけていて肌寒さに目を覚ました。

 ミズリも眠っている。こちらは神聖樹の枝が揺り籠のようにミズリの体を支えている。枝から落ちたのだ。ミズリは寝ていても活発だから。

 ミズリの片足が揺り籠からこぼれている。ミズリが履いているのはゆったりとした足首まであるズボンだ。靴を履いていないので踝と裸足の足がルーファスの目の前にぶら下がっている。

 小さな足だった。ルーファスの足とは比べるまでもない。ルーファスの小指よりも小さい足指に桜色の爪が乗っている。その爪が光を受けて煌めいていた。

 何故そんな事をしたのかルーファスにもわからない。唐突に沸き上がった衝動は強烈でルーファスの思考を止めた。

 気が付いたら、その愛らしい桜色の爪に口づけていた。




 その夜、ルーファスは人には言えない夢を見た。とても罪深い夢を。





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