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1-1

 聖女はこの国、ファストリアを守護する神聖樹に力を灌ぐ事が出来る唯一無二の存在だ。

 この国、ファストリアの起源は永久凍土の大地に神が一本の木を植えた事から始まる。生命が凍結する大地に神の力を浴びて木は大地に根付き、地中深く潜り広大な範囲に根を張った。

 やがて、木の根が張り廻った大地に植物が芽吹き森になり川を作り動物達が憩う楽園が誕生した。

 神はこの結果に大いに満足した。だが木は神の力を灌がねば枯れてしまう。そこで神に代わり力を灌ぐ乙女を一人選出した。そして乙女とは別にこの国を統べ乙女を守護する者を選び、この国をファストリアとした。

 神聖樹は今も枯れる事無くこの国の中心に存在している。




 ミズリが聖女に選定されたのは4歳の頃だった。それ以降をこの神殿で育ち、この狭い箱庭が彼女の世界だった。

 幼い頃から俗世から切り離され8年もの年月が流れれば、自分が世間一般の常識やら機微に疎いのは何となく理解していた。理解はしていたが納得出来ない事もある。

 昨日まで許されていたのに今日からは駄目だと言われた。駄目な理由もはっきりしないとなれば余計である。


 ミズリは頬を膨らませて拗ねていた。12という年齢の割に幼い仕草である。

 彼女の前にはこの国の王子でありミズリの婚約者でもある金髪に青紫の瞳をした少年、ルーファスが困った顔をしてミズリを見ている。

 3歳年上のルーファスとはミズリが聖女になった時に婚約を交わした。王族は聖女を守護する力を有し、その中で特に強く聖女と惹かれ合い伴侶となる者を守護者と呼ぶ。二人は運命で結び合わされるのだとされている。

 二人は共に育った。家族を持たないミズリにとってルーファスは家族同然である。神官達はミズリを大切にしてくれるが、崇拝の対象である聖女には弁えた態度で接するため、甘えられるのはルーファスだけだった。


「もういい!」

 ミズリは癇癪を起していた。

 ここは神聖樹を奉る禁域、神聖樹が認めた限られた人間しか入る事が出来ず、今は聖女と守護者の二人しかいない。

 ミズリはルーファスから顔を背けると神聖樹によじ登る。慣れているのであっという間だ。神聖樹はこの国一番の巨木だ。とても登り易い。お転婆なミズリは好奇心に運動能力が伴うようになると直ぐに巨木に登り始めた。神聖樹はミズリを落としたりしないので、今ではかなり上まで登れるようになった。

「ミズリ」

 下から弱ったようなルーファスの声が聞こえるが無視をする。腹立たしいというよりも哀しくなる。

「ミズリ、降りて来て。まだ癒しを行ってない。だるいだろ?」

 神聖樹に力を灌ぐ行為を祈りといい、祈りの後は消耗するのだ。守護者は聖女を癒し回復させる。

「………じゃ、抱っこしてくれる?」

「………」

 沈黙が答えだ。これがミズリの癇癪の原因である。

「じゃ、いい。別に癒してくれなくても、時間が立てば回復するもの」

 なんだか泣きそうだ。小さな頃からルーファスに抱きついていた。ルーファスが来たら飛び付くのがミズリの常態だ。受け止めきれずルーファスが倒れるのも多々あって、倒れた際にルーファスの頭が凄い音を立てても怒らなかった。体が大きくなるにつれ飛び付くのは遠慮するようになったが、祈りが終わった後は抱っこしてミズリを癒してくれていた。それを急に拒絶されたのだ。

 酷いと思う。ルーファスが抱き締めてくれないと誰もミズリを抱き締めてくれないのに。

「ミズリ」

 希う声だ。ここで折れたらミズリの負けだと思うのにルーファスの近くまで降りて来てしまった。ルーファスの安堵した顔が癪で木から飛び降りた。

「うわっ」

 慌てて両手を広げ受け止めたルーファスの首に縋りつく。受け止めきれなく倒れそうになるがルーファスは何とか耐えた。

「無茶をするっ」

 引き剥がそうとするから余計に密着すると乱暴に引き離された。ショックだった。

 ルーファスは絶妙に顔を背けて素早くミズリの手を握った。

「こっち」

 手を引かれて神聖樹の根元に二人で座り込む。ミズリは立てた膝に顔を埋めた。

 握り合った手からルーファスの心地の良い力が流れ込んでくる。いつの間にか大きくなったルーファスの手。今やすっぽりとミズリの手を覆ってしまう。少しでも温もりを多く感じたくて指と指を絡める。暫く沈黙が続いた。

「その、実験をしようと思ってね」

 ルーファスが恐る恐る話出すが、ミズリは顔をあげない。

「力の譲渡の効率が接触面積にどの程度影響するかとか、離れても可能かどうか、どの程度離れても大丈夫か、データを取って分析しようかなって」

「………よく、わからない」

「つまり、もうすぐ僕も成人して忙しくなるから、少しでも効率のいい方法を」

「“僕”って言った」

「うっ」 

 顔だけ傾けて上目遣いでルーファスを見た。ルーファスの頬がうっすらと赤く染まる。

 ルーファスは成人を機に一人称を“僕”から“私”に変更すべく悪戦苦闘中なのだ。“僕”と言う度ミズリにルーファスのおやつを一つ差し出すペナルティーを課している。

 じっと見つめているとルーファスは反対を向いてしまった。

「つまり、暫く抱き着くのは禁止!」

「………」

 ルーファスが忙しいのは本当だろう。行く行くは王になる身だ。守護者でもあるため執務の半分を片腕たるバージルが担うとしても。一方、ミズリは王妃だが、こちらは名目上と言う事になるだろう。きっとミズリにはわからない負担があるのだろう。

 握った手に力を籠めるとルーファスはピクリと反応した。ルーファスの力は心地いいが、抱き締めてくれる時のルーファスの体温や匂い、心臓の鼓動が何よりもミズリを癒してくれるのだ。ただの力の譲渡だけでは物足りない、そういう気持ちをルーファスはわかっていない。もどかしく思うがルーファスがそうしたいなら仕方がないのだろう。

 チラチラとルーファスがミズリの方を伺う。

「今日のおやつはプリンだよ。ルーファスの分はわたしがもらうからね」



 抱き着き禁止令が出でからルーファスの態度が変だ。抱き着くのだけを禁止にした筈なのに何故か距離を取りたがる。

 今もルーファスはスケッチブックを抱えて少し離れた処からミズリを観察している。絵を描くのはルーファスの趣味だ。本人の申告通り絵の才能はないが、ミズリを描くのは上手くなった。あまりミズリには見せてくれないけれど。

 ミズリと目が会うとスケッチブックでさっと顔を隠す。なんてあからさまなのか。

 神官に相談してみると「そういう時期なのですよ、温かく見守ってあげましょう」と言われた。何が「そういう時期」なのかわからないが、あまり追及してはいけないかと思い黙っている。

 ミズリなりに原因を考えている。ルーファス側の問題なのかミズリ側の問題なのか。ルーファス側ならミズリにはさっぱりだが、自分に原因があるのなら治したいと思うのだ。

 態度が悪かった?何か傷つけるような事を言った?

 思い出す限りではルーファスは怒ったり悲しんだりはしていない。

 ミズリが気付いていない事、わかっていない事に注意深く意識を向けるようにした。



 それは小さな違和感だった。

 祈りを終えた後外に出た時、日が随分と陰っていた。ミズリの感覚では日はもう少し高い位置にあるものと思っていたのだ。

 祈りの場は神聖樹の内部にある。この場所だけは聖女しか入れない聖域で守護者も例外ではない。内部に入ってしまえば時間感覚は失われてしまう。必要なだけ神聖樹に力を灌ぎこめばいつの間にか外に出ている。

 ミズリの想定よりも長く内部にいたように思う。いつも同じだけの力の量が必要なわけではないが、経験上なんとなくわかるものなのだ。

 ミズリは首を傾げながらも、こういう日もあるのかもしれないとその日は思うだけで終わった。



 ミズリの想定とのずれはその後も続いた。小さな違和感は無視出来ない程膨れ上がり、想定時間と実際の時間を比較してメモをとるようになった。

 おおよそのズレは約1時間。これを誤差範囲ととっていいのかが問題だった。聖女の事は誰に聞いてもわからない。聖女は同じ時代に二人は現れないからだ。楽観視出来なくて半年程メモを取り続けた。それはある傾向をはっきりと示していた。時間が少しずつではあるが伸びているのだ。

 その結果がどういう結論に結びつくのかミズリは考えた。考えて愕然とする。

(力が弱くなっている………?)

 器を神聖樹で水をミズリに例えるなら、10個の器を水で満たすのに1時間ですんでいたのが2時間かかるようになったのならそれは水の勢いが弱まったからだ。

 そんな事があり得るのだろうか?

 聖女の力が不安定になる事はある。でもそれは守護者がいれば解決する。守護者は聖女の力を安定させる事が出来るのだ。守護者はあらゆる意味で聖女をサポートする立場にある。

 ミズリにはルーファスがいる。ルーファスは歴代守護者の中でも強い能力者だ。それともどこか噛み合わない二人の関係が力を不安定にさせているのだろうか?

(どうしよう、どうすればいいの?)

 最近のルーファスは本当に忙しそうだった。こんな事をみだりに相談してもいいものだろうか。間違いかもしれないのだ。

(そうよ、間違いかもしれないもの。まずは自分で調べなくては)




 ミズリはあらゆる文献を調べた。聖女に関係する本や聖女の手記、神に関する文献や国の成り立ちや歴史、一見関係のなさそうな本も全て。その傍ら記録を取り続けるのも忘れない。

 何度見ても月日の経過と共に時間は伸びていく。止まらないのだ。確実にミズリの力は弱まっている。

 どの文献を探しても守護者を得て力が強まる者はいても弱まる聖女はいない。

 日々弱まっていく力にミズリは戦慄した。


 このまま力を失えばどうなるのだろうと眠れない頭で考える。力を失えばミズリは聖女ではなくなる。聖女は死ぬまで聖女であり続けるのに、この国始まって以来の力を失くした聖女になるのだ。

 聖女でなくなれば、ルーファスはどうなるのだろう。守護者ではなくなるのだろうか。守護者でなくなれば彼はただの王子だ。ルーファスは将来この国の王になる者でミズリはただの平民だ。

(結婚なんてあり得ない………)

 物心つく頃には既に聖女だった。聖女以外の生き方を知らない。そして、ルーファスが全てだった。

 怖くてたまらない。聖女でなくなればミズリの価値はなくなる。


 ルーファスと会うのが怖かった。ミズリは意識的にルーファスを避けるようになった。相変わらず祈りの時間は伸びている。日々不自然でない程度に伸びているので周りの者は案外気が付かない。一層気が付いてくれれば告白も出来たのだろうが勇気が出なかった。

 ミズリの体も変調を来すようになった。消耗が激しく祈りの後は崩れるように倒れ込む回数が増えるようになった。

 ミズリが力を失ったら次の聖女が現れる。ミズリはそう思っていたが、聖女の選定は前聖女が亡くなった後に行われる。

 ミズリは混乱した。力を失っても自分は生きているのか。生きていた場合聖女の選定は正しくされるのか。選定は神の御業で人間には到底及ばぬ範疇である。

 最悪のパターンが頭を過る。ミズリが生きている限り選定がなされない場合だ。

 聖女が力を神聖樹に灌ぐ事で国全土に張り廻った神聖樹の根が力で満たされて結界の役割を果たす。聖女が亡くなり選定が行われるまでに長くて3年。この間は王族が失われていく力を根に留めるように補修を行う。それはいつまで有効なのだろう。聖女を失って3年目ともなると多少気候が狂うようになると文献には書いてあった。この国は結界を無くせば不毛の大地に飲み込まれてしまう。

 国の滅亡、それは一人の小娘が背負うには重過ぎる。


 ミズリの尋常でない様子に周囲は心配したが、誰にも、ルーファスにさえ打ち明けられなかった。ルーファスの疑念を知りながら、恐れ故にとても話せるものではなかった。

 ミズリは聖女の力が戻る方法を必死に探した。探しても探しても見つからない。絶望だけが積み上がって行く。

 そうしてとうとう意図的に考えないようにしていた解決策に目を向けざるを得なくなった。確実に国の滅亡を阻止するなら―――ミズリの生存が選定に影響を与えないように聖女の力の喪失と共にミズリを殺せばいい。

 事が露見すれば、いずれ誰もが考えるだろう。そして、ミズリの周囲にこんな事を冷静に実行出来る者はいない。ならミズリが出来る事は一つ。

 ―――自分を自分で殺す。

 体が震え出す。自決も国の滅亡と同様に恐ろしかった。恐ろしくてもそれが最後に出来る聖女の勤めなのだろう。それでもミズリが死んでも次代の聖女がちゃんと現れるのかは不安が残る。


 この頃になるとルーファスに嫌われても構わないと、嫌ってくれたらいいと思うようになっていた。ミズリの思いを感じて神聖樹はルーファスを拒絶するようになり、一日の大半を神聖樹の元で過ごすミズリとは会わなくなった。

 ミズリは毎日気が狂う程に神に願った。ミズリの力は何をしても戻らない、それを思い知った今、神に縋るしか方法がない。

(光が欲しい。この国を滅亡させない強い光が)

 命を投げ出してもいい。何を犠牲にしても何を奪われてもかまわない。この願いを叶えてくれるなら。


 願って願って願って、神が願いを叶えてくれたのはミズリが成人する少し前の事だった。


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