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2-8

 弔いの鐘が全土で鳴り響いた。国中が哀しみに包まれ、献花に訪れる人の波は途切れず神殿は白い花に埋もれた。

 死者の魂は3日間この世に留まるとされ、その3日間親族が交代で遺体の傍に侍るのが常識だが、ルーファスは食事もせず眠らず片時もアリサの傍を離れなかった。アリサを見守り続け、4日目の朝、火葬を終えると部屋に閉じ籠り姿を見せなくなった。

 皆、ルーファスを思い遣り何も言えなかった。


 運命をこんなに早く無くす守護者はいなかった。今までの聖女は天寿を全うし亡くなる。守護者は聖女の後を追う様にそれ程時を置かずにやはり老衰で亡くなるのが常だった。

 ルーファスはバージルに向かって馬鹿な真似はしないと言った。その言葉を信じていいのかバージルは迷う。


 ルーファスが姿を見せなくなって10日が経った。ルーファスの私室の前には娘のマリアが立っていた。

「お父様、マリアです。どうか扉を開けて下さいませ。一目でいいのです。お姿を見せて下さい。お父様」

 ルーファスの返事はない。マリアの手がノブに伸びるが、鍵がかかっているためガチャガチャと虚しい音だけが響く。マリアは扉に両手を付けた。

「お父様………、せめてお食事だけは召し上がって下さいませ。どうか、お願いです。お父様はお一人でない事を忘れないで下さい」

 項垂れるマリアにバージルはそっと声をかけた。

「マリア」

「バージル様」

 マリアはアリサによく似ている。涙に塗れ悲嘆にくれた様子はまるでアリサがそうしているような気分にさせられる。

「ルーファスは、もう少しそっとしておいてやれ。時間が必要なんだ」

 今、マリアを目にするのは辛いだろう。マリアはルーファスの慰めになるかもしれないが、逆に失くしたものの大きさを思い知る事になるかもしれない。

「わかっています。でもわたくし心配で………お父様までいなくなってしまったらと」

「大丈夫だ。ルーファスはそんな弱い男じゃない。きっと立ち直る。今はお前達がルーファスを黙って見守ってやってくれ。ルーファスが手を差し出した時は躊躇わず握ってやればいい」

「そうですね。それがいいのでしょうね」

 マリアが少しだけ顔を明るくして立ち去るのを見送って、バージルはマリアには見せなかった厳しい視線を開かない扉に向けた。




 アリサを亡くしてルーファスは人前に姿を見せなくなったが、結界の補強に神聖樹の元に通っているのをバージルは知っていた。

 バージルは神殿を訪れた。聖女の居なくなった神聖樹は決して王族を拒まない。バージルは神聖樹を見上げて佇む後ろ姿を見つけた。

 ルーファスだ。その後ろ姿はルーファスである筈だが、キラキラと光を反射して輝いていた金髪が、色素が抜け殆ど白く変化していた。

 喉に声が詰まった。ここは聖域だ。なのに、空気が纏わりつくように重く、一歩踏み出すのですら気力がいる。

 ルーファスの少し後ろで立ち止まった。ルーファスは振り返らない。無言の後ろ姿にバージルの胸がざわつく。額から一筋の汗が流れた。

 ルーファスは熱心に神聖樹を見上げている。何かを探しているようだ。その姿には見覚えがあった。


 もうずっと忘れかけていた術の存在を思い出す。結局一度もバージルがかけ直す機会は訪れなかった。ルーファスが補強し続けていた。ルーファスはバージルよりも強い力を持っている。あれは補強しなければいつまで持つのだろう。このルーファスを相手に。


「アリサが死んだ」

 温かみが抜け落ちた、凍えるような冷然とした声だった。アリサの名を呼んだとは思えなかった。ルーファスは宝物のようにアリサの名を呼ぶのに。

「神子は死んだ。だから王族である(運命である)私も死んでいいだろう?」

 振り返ったルーファスはバージルの知るルーファスではなかった。ミズリに嫌われたくないと臆病で不器用な情けないルーファスでも、アリサに積極的に愛を囁いた慈愛に満ちたルーファスでもない。

 深みを増した紫の双眸は昏く淀んでいる。

 バージルは息を詰めて背筋を凍らせた。


「何をそんなに驚いている?化け物を見たように」

 その昏く淀んだ闇を知っている。殺し続けたルーファスの心だ。

 バージルは愕然とした。今更と、呟くのをなんとか留めるかわりにうめき声が漏れる。


 ルーファスのミズリへの執着をどうして忘れていたのか。ルーファスのアリサに向ける愛が物語のようにあまりに優しく美しかったから、それが全てだと思いたかったのだ。

 20年だ。充分な時間が流れた筈だ。ミズリを完全に忘れても、アリサだけを愛してもいいだけの時間が流れたのだ。


 聞かずにはいられなかった。

「もう、アリサを愛してないのか?アリサへの思いは残っていないのか?」

「愚かな事を聞く。私がアリサを愛さなかった事があったか?」

 ルーファスの言う通りだった。ルーファスは全身全霊をかけてアリサを愛していた。愛する以外を選べなかったのだ。その本当の悲哀をバージルは一つも理解していなかった。


「神子は死んだ。だから王族である私も死んでいいんだ」

 そう言って仄暗く笑う。

 バージルは自分の犯した罪の深さに指先が冷たくなる。

 悲鳴をあげ続けて歪んだ心がそこにはあった。


「………憎んでいるのか」

 呆然と呟けばルーファスが冷笑した。

「アリサ以外の全てを」

「!」

 殴られたような衝撃だ。長い年月の中で出来たバージルの勝手な思い込みが粉砕される。

 いつしかバージルはこれが正しいのだと思うようになっていた。運命なのだから、ルーファスの本当の幸せはアリサと結ばれてこそであり、バージルがした事は正しいのだと、傲慢にも思っていたのだ。

 バージルは侮っていたのだ。ルーファスのミズリへ向ける思いが運命程強いわけがないと。


 言葉を失うバージルをルーファスは可笑しそうに見つめる。

「運命を、聖女で在り続けたミズリを、運命に抗う術のない自分を、何一つ思い通りならない現状を。………だが、それももう、どうでもいいんだ。運命は死んだんだよ、バージル。私は自由になる」

 昏い喜悦に満ちていながら、ルーファスは気が触れたわけではない。バージルにはそれが恐ろしい。

 身震いしながらバージルはひしひしと感じていた。ルーファスはミズリ一人のために全てを切り捨てる気なのだ。切り捨てるには、20年は長過ぎる。その間に築き上げたものに、本当にルーファスには未練がないのだろうか。アリサと築き上げたものに対しての。


「子供達はどうする?」

 この際他の事はどうでも良かった。子供達を切り捨てる事は出来ないないだろう。

 バージルの思いと裏腹にルーファスは動揺一つ見せなかった。

「私は死んだと言えばいい。成人を過ぎて親を恋しがる年でもないだろう」

 冷淡だと罵られても仕方がないもの言いだった。

「母親を失くした後だぞ、酷な事を簡単に言うな」

「アリサの子だ。心配はいらない」

 それはあまりに身勝手な仕打ちだ。ルーファスがすべてを憎んでいたとしても子供達には罪はない。ルーファスは子供達に対してだけは親としての責任があるはずだ。

「話し合えばいい。家族だろうが」

「あの子達は私が何を語ろうと受け入れないし許さないだろう」

 子供達は母親に傾倒していた。特にマリアは崇拝と言っていいかもしれない。ルーファスはさぞ恨まれるだろう。

「恨まれても、向き合うべきだ。何も知らないまま見捨てられるよりずっといいだろ」

「恨まれるのは問題じゃない。私が危惧しているのはあの子達が私を阻む事だ」

 マリアとケントがルーファスの出奔を許すだろうか。怒り狂って、マリアなら母親の名誉のためにルーファスを幽閉しかねない。

「私は時間が惜しい。もう一秒だって我慢出来ないし、したくない。私の邪魔をする者は許さない。子供達だろうと傷付けるだろう」

 そんな事が出来る筈がないとは思えなかった。それは最も最悪な未来だ。子供達が被る傷は計り知れない。

「子供達は私を憎むだろう。悲しむかもしれない。だが、あの子達の唯一は私ではない。子供達の伴侶がついている。やがて私の存在はあの子達の中から薄まっていく」

「そんな事、わからないだろう………」

 往生際悪く言いつのれば、ルーファスは首を横に振りはっきりと宣言した。

「私は、ミズリを選ぶ」

 ミズリを選ぶためには全てを捨てて行かねばならない。ルーファスには迷いはない。もう決めてしまっているのだ。


「………ミズリには他に相手がいるかもしれないぞ。地方の神官は還俗して結婚する者が多くいる」

 当初ミズリの還俗には条件がついていたが、ミズリが還俗を望まない時点でミズリの願いをなるべく叶える方向で事態が動くようになっている。そして、ある程度の年月が経てば無条件でミズリが還俗出来る暗黙の了解があったのだ。

 20年以上も経ったのだ。バージルはそれを密かに願ってもいた。ルーファスとアリサの幸せを見る度にミズリにも同じ幸せが訪れるのを願った。

 ルーファスは薄ら凄絶に微笑む。瞳は剣呑そのものだ。

「殺されたいのか。私を不愉快にさせるな」

 さわさわと神聖樹の枝が大きく揺れる。ルーファスの殺気に反応しているのだ。

 バージルは負けずに睨み返した。これはあり得る現実だ。その現実を前にルーファスの反応が知りたい。

「………ミズリはお前を忘れているかもしれない」

「あり得ない」

 即答だ。ミズリに対して自信がないルーファスが。

「ミズリはアリサの相手がお前で良かったと言ったんだぞ」

「そうだな。その後私を一番信頼しているとも言っていた」

「聞いていたのか!」

 あの場はバージルとミズリしかいないと思っていたのだ。

 ルーファスは神聖樹を見上げた。ただもう一度だけミズリに会わせて欲しいと願った。アリサに意識を奪われない、まともな自分でただもう一度一目だけ、ルーファスのミズリに会いたいと。

「ミズリの強がりにお前でも気付いたんだ。私が気付かないわけがないだろう?」

 そうだ。ミズリはとても綺麗に笑った。とても完璧な作り笑いをした。あれは愛の告白だと思った。バージルはミズリの幸せを願ったが、それが叶わない事を同時に悟ったのだ。


 不意にもういいのではないかと思った。

 ルーファスは自分の役割を全うしたのだ。アリサがいないのにそれをこれ以上続ける意味がどこにある。ルーファスは王だ。だが一生王で在り続けるわけではない。退位の時期の問題なだけだ。


 アリサがこんなに早く逝かなければルーファスは一生気持ちを殺し続けたのだ。それを思えば、躊躇いはない。バージルは二人の味方になろうと決めた。ルーファスに対する償いでもある。


「………ミズリがどうしているのか俺は知らないぞ。聖女じゃない女を探すのに俺達の能力は無力だ」

 この国は広い。大小様々な神殿が各地にあるし、中央神殿が把握しきれていない末端の神殿も多いと聞く。おまけに神殿は王族がミズリに関わる事を厭い、ミズリの行方を王族に洩らさない。ミズリが神殿に所属しているかどうかすら分からないのだ。

「神聖樹の根は国全土に広がっているんだ。それを辿って行けばいい。それに、私はミズリを探すのが得意だ。知らなかったか?」

「いや、ミズリはもう聖女でないから無理だろ」

 いくらルーファスの力が突出していようとも。

「バージル、もしかしたらミズリも勘違いしている。私は聖女だからミズリを探せるわけじゃない。最初にミズリと出会った時、ミズリは聖女ではなかっただろう」

 確かにあの時はまだミズリは聖女に選ばれていなかった。ルーファスはただ胸騒ぎに誘われて森に入って行った。

「ミズリが聖女だからじゃない。ミズリがたまたま聖女になっただけだ。私にとっていつでもミズリはミズリでしかない」

 ルーファスが見つけたのだ。あの小さくて可愛らしい、愛さずにはいられない魂を。

 ルーファスにとって、守護者も聖女も神子もどうでもいいのだ。ただミズリだけが欲しい。何者にも邪魔はさせない。それが他ならないミズリであっても。


「邪魔をするなら、バージルでも容赦しないが」

 バージルに冷たい目を向けた。

 バージルはむっと眉間に皺を寄せた。今のルーファスならどんな強引な事もやってのける気がして、ミズリが心配になる。

「ミズリに無理強いはするな。傷つけるな」

「ミズリを傷つけていいのは私だけだ」

「ルーファス!!」

「冗談だ。ミズリが私の手を取れば問題ない」

「なにが冗談だ!目が本気なんだよ!問題だらけだ!!」

 怒鳴って、空を仰ぐ。歪んだ愛だと思った。重く醜く歪で救いがたい。

(こんなのをミズリに押し付けていいものか………)

 困ったことに、ミズリがルーファス以外の者の手を取る想像が一つも思い浮かばない。同様にルーファスを拒めるミズリも思い浮かばない。


 バージルは空に向かって長い息を吐き出すとルーファスに視線を戻した。ルーファスの目の前に指を3本突き出した。

「………3か月だ。3か月だけ時間が欲しい」

 全てを整える時間だ。これくらいの猶予は妥協してもらわねば。

 ルーファスは焦れた顔をしたが結局頷いた。


 本当は、ミズリの傍に一刻も早く行きたくてたまらない。失望が胸に広がるがその奥には希望が隠されている。

 ルーファスはいつもするように神聖樹の幹に額を当てた。思いを封じられてもミズリの無事を祈り神聖樹に力を流し続けていた。きっとどこかでミズリと繋がっている。ルーファスの力がミズリを守るだろう。

 そのままそっと目を閉じた。




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