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2-6

 神子はルーファスとの出会いにより心身共に落ち着き、強過ぎる力も安定するようになった。最初失敗をした神聖樹への力の譲渡もルーファス達に伴われ、恙無く完遂した。


 神子の力は圧倒的だった。

 祈りの場には神子とミズリが入り、ルーファスとバージルが神聖樹の傍に立っていた。神子が力を灌いだ瞬間なのだろう、神聖樹から一瞬光が溢れ、力の奔流に鳥肌がたった。

 その直ぐ後に神子とミズリが立っていた。神子はルーファスを見つけるとその胸に飛び込んだ。

「私、ちゃんと出来たかな?」

 興奮で輝く黒曜石の瞳をルーファスが優しく覗き込み、乱れた前髪を梳く。

「充分だよ。君を誇りに思う。ありがとう、アリサ。疲れてはいない?癒しを行わないと」

「ううん、平気だよ。まだ何回か出来そうな気がする」


 バージルはミズリから二人が見えない位置に立った。ミズリの体が傾いたのでミズリの腕を掴む。咄嗟に癒しの力を灌いだ。抱き上げようとした時、ミズリの手がバージルの手を掴んでそっと外した。

「大丈夫です。アリサ様の力にあてられただけです」

 ミズリは自分の足でしっかりと立ち神聖樹を見上げた。バージルもミズリに倣う。神聖樹の葉の一枚一枚がいつもよりも艶が良くキラキラと光を発しているように見える。

「凄まじいものだな」

「ええ。流石です。………これで私もお役御免ですね」

 ミズリの横顔はどこまでも澄んでいた。




 神子の出現は熱狂的に国民に受け入れられた。

 王宮は王子の婚姻を前に慌ただしさを増している。大規模な祝賀となるためどこも仕事に忙殺されている。ルーファスは王宮と神殿を行ったり来たりしており、ルーファスの窓口となるのがバージルだった。神殿に行けるだけルーファスの方が仕事は少ないかもしれない。

 バージルの日課はまず回って来た仕事をルーファスに回す案件とバージルで処理出来る案件を仕分ける事から始まる。そうしてルーファスの仕事は優先順位をつけて分ける。緊急のものがある場合はルーファスを探して持って行く事になる。


 バージルはルーファスを探して書斎に使用している部屋を訪ねた。

 ルーファスの完全なプライベートな書斎はそれ程広くはない。片側の壁には書棚があり、窓辺に人が一人横になれる長さのソファがあり、ソファの隣に小さな丸い机が置かれている。扉から入れば部屋の全てが視界に入る広さしかない。正面の窓にはカーテンがひかれ薄暗かった。

 扉を開けてバージルはどきりとした。床に紙が散乱していたからだ。厚手の紙はどれも破かれ、何も描かれていない。白い無地のままのものもあれば、幾重もの線で黒く塗り潰されたものもある。どれも細かく破かれ1日2日で出来た事には見えない。

 紙が床に散乱する以外はどこにも乱れはない。バージルは屈んで紙を拾い上げた。それはスケッチブックと同じ紙だ。ルーファスがミズリと会えなくなってからルーファスがスケッチブックを持っているのを見た覚えがない。

 バージルは何か空寒さを感じながら侍女に片づけを命じた。

 この日以降少しずつルーファスの奇行が目立ちはじめるようになった。


 普段のルーファスは正気に見える。政務をきちんとこなし、アリサとは仲睦ましい。二人の距離がどんどん近づいているのがわかる。若い神官は二人の様子をよく噂している。頻繁に口付けに耽っていればそうなるだろう。まさかバージルがルーファスに慎みのなんたるかを語る事になるとはと呆れていれば、背筋の寒くなるような事をやらかす。


 ある日、ルーファスが倒れた。聞けば寝不足が続いたところに制止を聞かず過度な訓練を行って気を失ったようだ。訓練に付き合った騎士には気の毒な事をした。

 ある日、割れたコップを手に持って握り締めていた。滴る血が床を穢す。侍女が悲鳴をあげて、バージルが慌ててコップを捨てさせた。

 ある日、ルーファスの私室の鏡が粉々に割れていた。ルーファスの手は血まみれで、散乱した鏡の破片の上を裸足で平気で歩いていた。

 やる事に反してルーファスは泰然としている。その異様さをルーファスは理解していないようだ。今はまだ人の口にのぼっていない。こんな事が続けば時間の問題だろう。バージルの焦りは日に日に募っていった。


 バージルが執務をしている時だった。ペーパーナイフをルーファスが借りに来た。貸した後で嫌な予感に襲われ、ルーファスの部屋に飛び込めば手首にペーパーナイフを宛がう姿があった。

 呼吸をするのも忘れてルーファスに飛び掛かりナイフを取り上げた。ルーファスは無表情にバージルと取り上げられたナイフを見つめた。

 バージルは肩で息をした。背筋が凍る感覚はなかなか去らない。


 ルーファスは割り切れているものと思っていた。苦しみをバージルに見せなかったから。ミズリを話題に出さなくなったから。アリサを大事にしていたから。心の整理をつけたんだと思っていた。いや、そう願っていたんだ。

 ルーファスが壊れていくとは思いたくなかった。自分を壊したい程苦しんでいたのに。


 運命とは祝福ではなかったのか。王族は守護者に強い憧れを抱いて育つ。運命という唯一無二の存在を与えられ、重い枷を背負うかわりに至福の中で人生を歩むのが聖女と守護者なのだ。

 ルーファスは何故これ程苦しむ?何故、ミズリを忘れてくれないのだ。運命とやらの圧倒的な力でルーファスをねじ伏せて従わせくれれば良かったのだ。


「バージル、どうかした?ペーパーナイフを返して」

 何もなかったようにバージルに手を差し出す。手首には極浅く皮膚が裂けた箇所がある。


 どうしたらいい。どうしたらルーファスを止められるだろう。ミズリと逃げろというのか。そんな事は許されない。ルーファスもバージルもミズリだってそれだけは絶対に出来ない。


 ルーファスがペーパーナイフを取り返そうとしてバージルと揉み合いになった。ルーファスは自分が傷つくのを全く恐れない。ルーファスの手がナイフの刃を握った。ルーファスの手が赤く染まる。バージルがナイフを持った手を力任せに握ってもルーファスは刃を離さない。

 表情を変えないルーファスと違って、バージルは全身から汗が噴き出す。あの日綺麗に笑ったミズリが頭を過った。

(ミズリ、すまんっ)


「ミズリを忘れてくれ!」

 夢中で叫んだ。それが唯一の方法だと思った。それがどれ程残酷であってもルーファスがミズリを忘れさえすれば全てが上手く行く。

 無表情だったルーファスの眉間に皺が寄った。ペーパーナイフが手から滑り落ちて床に転がる。

「ミズリを忘れる?」

「そうだ。俺には特殊能力がある。この能力のせいで爺は俺に目をつけたんだが。いいか、俺は人の思いを忘れさせる、正確には封じる事が出来る」

 例えばトラウマになるような恐怖や悲しみ等といった負の感情を人は忘れたいと願うものだ。貧民街で暮らしていたバージルはその思いを封じる事で金銭を得ていた。かける側とかけられる側の意思疎通が不可欠なので洗脳とは違う能力だった。

「お前の中のミズリの記憶を消す事は出来ない。だが、思いを封じる事は出来る」

「思い………」

「そうだ。お前がミズリに感じた事、思った事を封じる。ミズリとの記憶、思い出は残る」

 ルーファスは一歩バージルから距離をとった。

「これ以上は、ダメだ」

「ルーファス」

 バージルが近づけばルーファスがまた下がる。バージルが恐怖そのものであるかのようにバージルから逃げる。

「ミズリを、僕から奪っておきながらっ、何故思いまで取り上げる!?嫌だ!奪わないでくれ!!」

「ルーファス!」

 ルーファスは壁際まで追い詰められた。壁に背をつけてズルズルと座り込む。頑是ない子供のように頭を振る。

「嫌だ………いやだ…ミズリ………とりあげないで、いやだ…ミズリ、ミズリミズリ」

 ルーファスは何が最善かをわかっている。わかっていても抵抗せずにはいられないのだ。バージルが非情にならなければいけないように。

「このままじゃお前が壊れる。誰も幸せになれない!」

「………幸せになれない………?」

 ルーファスの虚ろな目がバージルを見上げる。何かを思い出したかのように視線が宙を彷徨う。無防備なあどけない仕草だった。

「僕は、アリサを幸せにしなくちゃいけないんだ………」

「そうだ、アリサは絶対に幸せにならないといけない」

 突然世界から切り離されたアリサ。この国の都合で無理を強いた女性だ。これ以上自分達の事情に巻き込むわけにはいかない。アリサだけは誰よりも幸せに。ミズリの最後の願いだ。

「アリサのためにミズリを忘れてくれ」

「アリサのために………」

 ルーファスの瞳が揺れている。苦しい苦しいと訴えている。その悲痛な訴えをバージルは断腸の思いで無視した。

「そうだ。アリサのためだ」

「アリサ………でも、ミズリが…………ミズリ……」

 ルーファスは固く、震える程固く片方の拳を握り込み、もう片方の手で包み込む。大事な思いがその中にあるように胸に引き寄せた。傷ついた掌から鮮血が滴り落ちる。それはまるで血を流すルーファスの心そのものだ。

 バージルは無意識に唾を飲み込んだ。


 ―――ミズリのために。

 どうか伝わって欲しい。

 ルーファスの体から徐々に力が抜けて行く。震えは収まり、固く握りしめていた拳を開く。何も握り締めていない掌を呆然と眺めてそのまま両手で顔を覆った。


 静かな慟哭を見守り続けた。何度も思わずにはいられない。ミズリの目覚めがバージルの腕の中だったなら、もしくはアリサの運命がバージルだったなら、この不幸はなかった。

 替われるものならば替わってやりたいが、この碌でもない運命はバージルを選ばなかった。バージルはいつも傍観者の立場でしかない。その中で無様にあがくしかない。


 ルーファスが身じろいだ。壁に手を付いて立ち上がる。顔は血で汚れ狂気じみていたが瞳の揺らぎは消え光が戻っている。固唾を飲むバージルに苦笑する。

「みっともない真似をした」

「ルーファス………俺を恨んでもいいんだぞ」

「恨む?そんな資格が私の何処にあるんだ?」

 ルーファスは自嘲した。ミズリがルーファス以外の人間に笑いかけても癒しを行わせても、ルーファスの前から居なくなっても、ミズリ以外の女性と幸せを願われても、それがどれ程嫌だと思っても。


「バージル。私は―――ミズリを忘れる」





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