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バージルは甘酸っぱい青春劇を特等席で眺めている気分でいた。ルーファスの悩みは思春期の誰しも経験する通過儀礼みたいなもので、そのうち解決されるだろうと高を括っていた。振り返って見れば本人には赤面ものの黒歴史をからかって笑える程度の話だと。ところが、バージルの予想に反して事態は思わぬ方向に転がりだす。
まさかルーファスが恋愛事にここまで不器用で臆病だとは思いもしなかった。自覚のなかった頃にあれだけベタベタしておきながら、口説き文句一つ言えないとは。加えて狂信者にも劣らぬミズリへの幻想。
家族愛などと聞こえのいい無害な言葉で己の欲望を誤魔化そうとするからややこしい事になる。ルーファスはどうも潔癖症のきらいがある。バージルに言わせれば清廉潔白な男などいない。何故バージルの傍で育ちながらこうも青臭いのか。不思議を通り越して奇跡に思えてくる。娼館の一つにも連れて行かなかった事を後悔している。
そうこうしている内に今度はミズリまでもおかしくなった。ルーファスを避け始めたのだ。これがルーファスのように恋を自覚しての変化なら手を叩いて喜んだだろうが、どうにもそんな様子ではない。
ルーファスの狼狽えようはもの凄かった。いい加減好転しない事態に焦れていたバージルはルーファスを締め上げて問いただした。
蒼褪めた顔でようやくルーファスは口を開いた。
「ミズリが寝ている間に口付けをした。それに気が付いて幻滅されたのかもしれない………」
「はあ!?確かに俺は押し倒せとは言ったが、本音をぶちまけてから押し倒せと言ったんだ!!意識のない人間に悪戯をしろとは言ってないぞ!!成人までして何をやってるんだ!」
「い、悪戯じゃない!我慢出来なかった私が悪いけど………まあ、全面的に私が悪い」
ルーファスは深く落ち込んでいる。
バージルは頭痛がする。たかたが口づけ一つ。本来なら聖女と守護者の間では多少の行為は見逃される。これは聖女と守護者の肉体的な結び付きが聖女の力にプラスに働くからだ。流石に成人前の聖女との行き過ぎた行為は非難されるわけだが。
ルーファスのやった事は間違っていたが、男としては同情の余地はある。好きでたまらない相手、ましてや将来自分のものになる相手に我慢は辛いだろう。バージルはその手の我慢をした事はないし、好きでたまらない相手もいた事はないが。
いや、そもそも告白一つまともに出来ない奴に同情の余地はない。
バージルは両腕を組んで威圧的に項垂れるルーファスを見下ろした。
「さっさと告白しろ。それから謝罪するんだ」
「………」
「あのな、お前ら運命だろうが。振られるなんてありえねーぞ」
それを言うなら今の状況だって十分にありえない。こんなに揉めてすれ違った聖女と守護者はいなかっただろう。勝手に惹かれ合って結ばれるものではないのか。バージルは眉を顰めた。
「ミズリが私と会ってくれない。手紙も毎日書いている。でもダメなんだ。会えるのは祈りの後のミズリが眠って癒している時だけで。それもミズリの意識が戻る前に神聖樹に追い出される」
バージルは驚いていた。そんな話は聞いていなかったからだ。しかも神聖樹が守護者を追い出すなんてあり得ない。
「なんでそんな事になっている?」
「わからない。やっぱり、ミズリは私の邪な気持ちに気が付いて嫌悪しているのかも………」
ルーファスの横顔は憂いに満ちている。
「馬鹿、情けない顔をするな。お前への嫌悪なわけないだろ」
幼い頃から二人を見て来たバージルにはわかる。聖女や守護者である事実を置いといても、ミズリがそんな事でルーファスを嫌うわけがない。バージルの予想ではルーファスの自覚がミズリの自覚を促す筈だった。今頃は周囲が呆れるような熱愛振りを発揮していなければおかしい。
何故そうはならなかったのか。ミズリがルーファスの気持ちの変化に気が付いていないからではないか。ルーファスが思い悩んでいる間ミズリの変化に気付かなったように、ミズリも気が付かない程何かに気をとられているならば。
「他に何か原因がある筈だ。何か心当たりはないのか?」
「………最近は自分の気持ちで手一杯で、ミズリをちゃんと見ていなかった」
うなだれるルーファスにバージルは容赦しなかった。
「だからお前はヘタレだと言うんだ。ミズリの動向を調べるぞ。王族特権を使って多少は強引な事もするからな」
閉ざされた中でしか生きていないミズリに隠し事は不可能に近い。聖女の守護者たる王族に隠し事が出来る神官はいない。ミズリの周りにいる神官にもミズリの変化に気が付いている者もやはりいたが、誰もその事情を知らない。
ミズリが熱心に歴代聖女について調べている事。この国の歴史や神についても同様だ。そして祈りの場に籠る事が多くなり口数が減った。
神官長とも話し合って、何度か強引にルーファスとミズリが話し合う場を設けた。ミズリは頑なに口を閉ざし、ついには祈りの後でもルーファスを拒むようになった。
聖女が守護者を拒む。どうすればそんな事が起こるのか。守護者は100%聖女のための存在なのだ。神殿内でも波紋を呼んでいるが、神官長により厳しく緘口令がひかれた。
ルーファスは打ちのめされている。バージルが慰めを思いつかないくらいだ。ミズリが何をそんなに頑なになっているのか皆目見当もつかず、お手上げだった。それでも探る事は止めなかったが、ルーファスはどこか諦めている。無為に時が過ぎてもミズリが16歳になって婚姻する事だけに希望を見出していたのだ。
希望とは打ち砕かれるためにあるのかもしれない。
王宮の一室、実務のみを考慮した会議室には机と椅子しか用意されていない。円卓を囲むのは王と王妃、国の中枢である大臣数名と神官長にルーファスとバージルだ。
神官長が語る驚愕の事実を息を飲んで聞いていた。
異世界からの女性の出現。膨大な力を有する神の愛し子。ミズリの聖女の力の喪失とそれに伴いルーファスとの婚約解消を願うミズリの嘆願。
バージルでさえ受け止めきれない。ルーファスは呆然としていた。
「………前例のない事だ」
張り詰めた緊張の中を全て聞き終えて王が重々しく口を開いた。大臣達も王に賛同するように頷く。彼らはいずれも王より年配であり臆する事無く意見を述べる。
「神子の出現は慶事ですが、聖女の力の喪失は凶事。どのように考えればいいのか」
「このような大事を今まで黙っていたのはどういう了見か。神殿の責任は免れぬ」
「しかし、神子とはどのような存在か?」
「何よりもまず確認すべきは国の結界だ。聖女の力が万全でないのなら綻びがないか急ぎ調査が必要と思われる」
前代未聞の出来事に議会は混乱し白熱した。
王妃がルーファスを気にしてルーファスを伺っている。ルーファスの様子からミズリから何一つ知らされていなかった事は一目瞭然だった。息子を慰めに行ってやりたいが、この場では王妃の立場を優先しなければならない。それはルーファスとて同じ事である。叫び出したいはずなのに王太子としての分別がルーファスを留めている。
ルーファスの心を置き去りに、長時間の話し合いの中でいくつかの事が決められて行く。
聖女の原因不明の力の喪失は秘匿される。国防に関わる事であり、不用意に国民の不安を煽る可能性があるからだ。
次に聖女の力の喪失は神子を召喚した事による代償とし、神子の召喚は神の啓示による奇跡と発表される。
神子への対応はしばらく聖女に一任し、神子が落ち着き次第王族と面会させ、守護者を探し出す。
そして、聖女に対する処分は保留とし、ルーファスとの婚約は解消の方向で検討する。
「待って下さい!ミズリと話し合いをさせて下さい。私はミズリの守護者だ。まずは私と二人で話し合うのが筋です」
声を荒げるルーファスを誰もが痛ましいものを見る様な目でみる。大臣達はお互いを見合い一番の年長者がルーファスと向き合った。
「話し合う必要がありましょうか?聖女は意志を明白に表明いたしております」
もう一人の大臣が続く。
「守護者と仰いますが、今となっては本当に殿下が守護者であったのでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
「そのように睨みますな。殿下らしくもない。ただ我々は不思議でならない。守護者を得て力を増す聖女はいても、力を失う聖女は聞いた事がないのです。これは異常な事態ですぞ。異常な事態が起きたと考えるより、そもそも殿下は守護者ではなかったと思う方が自然なのですよ」
「そうです。それにこの度の聖女殿の振る舞いは将来の王妃としては失格です。神子が召喚されて万難を排したとはいえ、自身の保身に走り国を危険に晒したと見ようによっては考えられるのです」
「それはミズリの責ではない!私が不甲斐なかったからだ!」
ミズリが頼れるのはルーファスしかいなかった。ミズリが国を背負って苦しんでいたその時にルーファスは己の欲を持て余し右往左往していたのだ。これ程の愚者が居るだろうか。過去の自分を殺してやりたいくらいだった。
悔やんでも悔やみきれないルーファスに大臣達は容赦がなかった。彼らとて決して厳しいばかりではないが、王太子である以上甘えが許されない時がある。
「聖女の力を失い、殿下の運命でもない。王妃の資質もないただの女性を王妃として迎えるのは臣下として認められません」
固く握られたルーファスの拳から火花が散る。感情を抑えられないのだ。能力が暴走を起こそうとしている。バージルが咄嗟にルーファスの拳を握る。
ルーファスは前を見据えている。
「そのように守護者としての力を見せつけられても我々の意志は変わりませんぞ。貴方は守護者である前に王となる者だ。それをよくお考え下さい」
悔しいが正論だ。バージルでさえ返す言葉がない。膠着を破るように王が机を叩いた。
「もうよい。この話は一旦置いておく」
大臣達は不満げだ。ルーファスを気の毒に思うが、彼らには婚約解消は覆りようがないからだ。
「優先順位を考えよ。婚約解消は今でなくても良い」
王は自分の息子を見やった。心配げに息子を見つめている王妃の手を机の下でそっと握る。
「ルーファス、少し頭を冷やせ。ミズリと話し合うのもいいだろう。だが、ミズリを追い詰めてはいけない。婚約解消を申し出たミズリの気持ちを考えるように」
次々と会議室を退室していく中ルーファスは一点を見据えたまま微動だにしなかった。そのあまりに苛烈な目を前にバージルは言うべき言葉を失う。
どのくらいそうしていたのか。ルーファスがほとんど聞き取れない掠れた声で呟いた。
「………それでも、ミズリは私の運命だ。ミズリ以外にはいない………」
哀願にも似た頼りない声。聞いた者の心をかき乱すような。
バージルはただ罵りの言葉を胸中で喚くしかなかった。