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2-3

 婚約者というのは将来結婚して夫婦になると言う事だ。頭では理解しているつもりだった。つもり、というのは本当に理解していない時に使われる。

 ミズリが成人する16歳で婚姻を結ぶ予定だから、後4年もない。それが嫌なわけではないのだ。むしろルーファスは自分を幸せ者だと思う。

 しかし、今は駄目だ。今は平常心ではいられない。


「お前、何してんの?」

 王子相手にこんなもの言いが出来るのはバージルだ。ルーファスの片腕。聖女の守護者となるルーファスにとってなくてはならない存在だ。臣下ではなく共に国を支えて行く同士だった。

 バージルはルーファスの手元を覗き込んでいる。ここは王宮の執務室、もうすぐ成人を迎えるルーファスは何かと忙しい。今も書類と格闘中なのだが、肝心の書類は上下逆さまだ。心ここにあらず、最近のルーファスの腑抜け振りは目に余る。バージルは書類を取り上げた。

 肝心のルーファスは書類を取り上げられて目を瞬くだけだ。バージルは書類でルーファスの頭を軽く叩く。

「ミズリと何かあったんだろう?話せよ、聞いてやる」

「………」

 ルーファスは奪われた書類を取り返しながらじっとりとバージルを観察した。

 バージルは今23歳だ。端正な顔に鋭い目つき、見た目クールで少し悪ぶった態度が女性達に受けている。公爵の弟にあたるわけだが特に爵位を持たず元平民の気軽さか、適当に遊んでいて経験も豊富。そのくせ特定の恋人の話は聞いた事がない。

 方やルーファスは品行方正を地で行く王子様だ。女性と遊ぶなど考えたことはないし、それ以前にミズリ以外に身内ではない親しい年頃の異性と接触は皆無、興味もなかった。

 バージルが同じ年頃だった時でもルーファスのような悩みとは無縁だったと断言出来る。これはバージルを確実に面白がらせる案件だとルーファスの勘が告げている。

「バージルに話しても」

 この話は打ち切りとばかりに書類を広げた。その上にバージルが手を乗せて邪魔をして来る。

「今更ミズリとの結婚を意識して慌てだしてるんだろ」

「っ!!」

「俺としてはようやくって感じだがな。家族ごっこを卒業した祝杯でもあげたい気分だね」

 ルーファスはあまりの事に真っ赤だ。バージルは口角を上げていやらしく笑う。

「夫婦になるんだぞ?女として意識して当然だろう」

 女とかバージルの口から聞くと大変不愉快だった。

「やめろ!ミズリが穢れる!」

 思わず叫んで我に返る。慌てて口を覆ったが今更だ。バージルが腹を抱えて爆笑している。

「穢れるって!お前はどこの乙女だ!!」

 ゲラゲラと品のない笑いは高位貴族には見えない。ルーファスはこれ以上赤くはなれない程赤くなって、手元にあったペンをバージルに向かって投げつけたが、難なく受け止められた。

「お前ね、閨の授業は受けたんだろう?ミズリとやる事はわかってるのか?」

「ミズリで想像するなっ!!」

 自分以外の人間がミズリを性の話題に出すだけで殺気が湧く。頭に血が昇り過ぎてルーファスは破れかぶれだった。バージルは悪い顔をして腕を伸ばしてルーファスと肩を組む。

「あのな、こういうのは最初が肝心なんだ。処女と童貞だとキツイぞ。いい娼館を紹介してやろうか?閨は実践あるのみだぞ」

 我慢の限界を超えてルーファスが力でバージルを弾いた。弾かれたバージルは腕が痺れている。調子に乗ってからかい過ぎたようだ。

「僕は、ミズリ以外とする気はない!!」

 怒りのあまりルーファスは部屋を飛び出した。背後からバージルの笑い声が響いていた。




 バージルにも腹が立つが馬鹿な事を口走った自分にも腹が立つ。こんなにも感情的になったのはいつ振りだろう。冷静になれという声は怒りのせいでかき消える。

 ミズリが大事だ。それは出会った頃から変わらない。ミズリの家族になろうと本気で思っていたのだ。あの日誓ったように、兄のように、父親やそれこそ母親のようにだってミズリを愛してきたつもりなのだ。


 乱暴な足取りで突き進む王子に王宮に努める臣下達が目を丸くしながら道を譲る。道行く者の視線を集めている王子が唐突に立ち止まる。そしてしゃがみ込んだので周りは驚いている。

(何だよ、さっきから、つもりつもりって………)

 ミズリを愛してる。それは本当だ。問題はそれを家族愛だと思っていたのだ。

 バージルの言うように夫婦になるのだ。それが何の問題かと言われればルーファスの心の問題だ。

 ミズリに対してどうやって接したらいいかわからなくなった。以前のように気軽に触れたりまして抱き締めたりなど出来ない。ここ最近の自分の酷い態度を思い返す。ミズリと目も合わせられなかった。


「ルーファス殿下?ご気分がお悪いのでしょうか?」

 廊下の真ん中で蹲っているのだから、声を掛けられて当然だ。声を掛けて来たのは同年代のご令嬢だ。何度か会話をした覚えがある。月に一度臣下の妻と娘達の交流会を王妃主催で開かれているのを思い出した。

 この日ばかりはルーファスは王宮を無闇に闊歩するのを控えていた。何故ならこうやって捕まると非常に面倒だからだ。

 頬を染めて目を潤ませながらルーファスを見ている。その恥ずかしそうな様子に余程鈍くなければルーファスのへの好意が見て取れる。

「誰が人をお呼び致しましょうか?」

「いや、お見苦しいところをお見せして失礼いたしました」

 ルーファスは素早く立ち上がった。失態に失態を重ねている。これ以上はバージルが笑死してしまう。

「あの、お体は………」

「大丈夫です。体調が悪いわけではありませんから。ご心配ありがとうございます」

「お疲れなのでは?あの、宜しければあちらのベンチでご休憩をわたくしとご一緒になさいませんか?」

 ご令嬢はうっとりとルーファスを見上げて来る。親切心を装った下心が丸見えだ。

 引きつりそうな頬をなんとか動かして微笑む。

「いや、政務がありますので、失礼します」

 引き留められそうな雰囲気にルーファスはさっと身を翻した。


 令嬢が追ってこない事にほっとして溜息が出た。ああいうのは苦手だ。大体、ルーファスにはミズリという婚約者がいるのに、秋波を送ってくる令嬢の気持ちがわからない。

 年頃の娘にとって王子や守護者が憧れの対象だということをルーファスはわかっていない。しかも聖女と守護者が惹かれ合う運命だと知らされているのは王族でも一握りだけだ。もう直ぐ成人するルーファスと違って、婚約者である聖女は未だ12歳の子供。あわよくば、と思う娘もいるのだ。

 男女間の色恋沙汰はミズリだけではなくルーファス自身も大変疎い。第一にミズリ以外の人間にうっとりと見つめられても嬉しくともなんともない。それ以前にミズリにだってうっとりと見つめられた事はない。

(もしもミズリがあの令嬢のように、頬を薔薇色に染めてあの若草色の瞳を恋情で潤ませてくれたなら――――)

 想像するだけでルーファスの胸は躍り出し体が熱くなる。無意識に零した吐息は甘く切なく、憂いに満ちたその姿を目撃した者達はやはり驚いた顔でルーファスを見ていた。




 自然な態度と思えば思う程不自然になっていくのは何故だろう。バージルには散々ヘタレだと言われた。人に言われるまでもない、ルーファス自身が一番知っている。

 器用だと思っていた自分はミズリに対してだけとことん不器用だった。ルーファスの態度は改善されず、始めの頃は訝しく思っていたミズリもいつの間にか追及をしてこなくなり、歯車が一つ外れたように噛み合わない関係に焦燥を募らせる毎日だ。

 それでもルーファスは守護者だ。ミズリの傍はルーファスのもので、ミズリを癒すのはルーファスの役目だ。


 ミズリはルーファスの隣で眠っている。祈りの後で体力を消耗したのだ。以前は抱きしめて癒しを施していたが、今はそんな事は出来ない。ミズリの手を慎重に握るだけ。

 最近はまともにミズリの顔を見る事が出来なかった。目を開けて欲しいような欲しくないような複雑な心境を持て余している。

 ミズリの傍は心地良い。聖女と守護者は惹かれ合うから当然だ。ミズリも同じように感じている筈だ。その証拠にミズリの口元が微笑んでいる。

 ぬるま湯につかるように心地よいだけならば良かった。ルーファスには後ろめたさが付き纏う。


 小さくて柔らかで温かいミズリの手。肌の感触は滑らかで酷く気持ちがいい。舐めてみたらその肌はきっと甘いことだろう。

 うっかり想像しかけて慌てて我に返る。いつの間にか熱心に見ていたミズリから視線を反らす。少しでも油断をすると直に劣情に飲み込まれそうになる。自分の理性の危うさをルーファスは呪いたくなる。


 以前バージルにミズリが穢れると言ったが、一番ミズリを穢しているのはルーファスだった。そしてそれを止められない。こんな事ミズリには絶対に知られたくない。

 バージルなら馬鹿な事を言うなと言うだろう。夫婦になるのだ、穢す穢されるもあるものかと。

 もしもルーファスの相手がミズリ以外なら迷わなかったかもしれない。不器用なりに思いをぶつけてそれなりに付き合えたかもしれない。

 ルーファスは己の葛藤を知らず無邪気に眠るミズリを恨めし気に見る。

 ミズリは清らかだ。ルーファスが知る中で一番無垢な存在。そんな存在がルーファスに全幅の信頼を寄せている。

 今はまだミズリがルーファスに求めているのは無条件に与えられる家族の情愛だ。自分に向けられているのが醜い欲を含んだ恋慕だと気付いたらどう思うだろう。あの笑顔を裏切るのが怖いのだ。

 いずれルーファスの腕の中に落ちて来る果実だと知っている。ミズリの気持ちがルーファスに追いつくまではこんな気持ちを知られたくない。失望されたくないのだ。

(それで、ミズリを傷つけているからバージルに馬鹿にされるんだ)

 要は自分に自信がないのだ。完璧に気持ちを隠してミズリの家族を演じる自信も、夢のように振る舞わない自信も全くないのだ。

(今だってこんなに苦しい。ミズリに触れたくてたまらない。同じ気持ちをミズリからも返して欲しい。でも、嫌悪されたら………嫌われたら、怖い)

 ルーファスの欲には上限がない。

 眠るミズリは清らかそのもので、まだ子供のままだ。ルーファスは世界で一番醜い獣だ。その獣からミズリを守るのに手一杯で、ルーファスはミズリの変化を見逃す事になるのだ。





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