地底にぴったりな落ち込んだ男
ドンの五番目の息子のイグニス・パラディンスキは、彼の名前が「火」であるからか火加減こそ命な料理関係の店を手広くやっている。
彼の集大成ともいえる高級レストランがこのモンドソンメルソであるが、店名に「隠れ洞窟」と名付けたかったが既にあるなら「地底」でいいやと決まったという、一番大事な店のはずが意外と適当な名前である。
私はレークスを知らない時は店名の由来など気にもしていなかったが、レークスを知ってから考えるに、デーモンは強いこだわりを持っているが飽きっぽさも持っているのでは無いだろうか。
面倒くさがりなのに面倒なことを考え出してドツボに嵌る、なのかな。
「俺がさ、数十年毎に大学行って司法試験を受けるってことをさ、何度やってきたか知っているか?それだけじゃなくてね、弁護士看板掲げるためだけに俺が俺の甥の振りをして、間抜けな奴の下で二年も修行しなきゃいけない苦労も知っているか?っとに、なんで人間は百年程度しか生きねぇんだろうな。それで精力的に社会活動できる期間が二十代から六十代でたった四十年もねえだろ、短けぇんだよ!」
ミニチュアホースが大好きな男は、私をミニチュアホースに化けさせては癒されると言って愚痴を吐く。
そして彼の愚痴を聞かされながら、不老不死に近いフラーテルが人間と共生するのは大変なんだな、と学んだ。
だから目の前のバークが死んだばかりの溺死体のような顔をしても、私が同情したり慰めようなんて考えてもいけないのだ。
「だ、だいじょうぶ、かしら?」
ああ、私の馬鹿!
でも、だって、バークは全く食べていないのだもの。
「ありがとう。でも、大丈夫ではないかもしれない。俺は大事な人を傷つけて嫌われてしまったようだ。ハハハ、そうだよね。彼女は君を心配していただけで、俺を愛していたわけじゃない。ぜんぶ、俺の思い込みで傷つけてしまった。」
ミスティになって、大丈夫よ、なんて言ってあげられない。
言ったとしてもバークの愛など私は受け止められないのだもの。
彼にキスされた時に感じた恐怖をぞわりと体が思い出し、それを振り払うようにして手元にあったグラスを取った。
大人のようにワインが飲めない子供用に、大人よりも小型のワイングラスにブドウジュースが入っている。
私はそのジュースを一口飲みながら、バークとは違った理由で食事ができないはずのジュスランを見返した。
彼は落ち込む息子を放り投げた母親と談笑しながら、物凄く美味しそうにして料理をバクバクと食べていた。
なぜだ!
私はジュスランの前に置いてある大きな赤ワインの瓶の底の滓を眺め、ワインの滓にしては大き目な何かの影が見えた気がした。
このワインを開けたのはオーナーのイグニス自身だった。
なんだっけ、二人の会話。
考え込んだ私の視線の先で、ハリネズミの精巧な置物が微笑んでいた。
――この席にはハリネズミのお人形がいて可愛いわね。
――この席は兄の永久リザーブ席だそうで、勝手にハリネズミ人形をそこらじゅうに貼り付けたのですよ。あんな兄を破産させられるように本日は沢山飲み食いしていただけると助かります。
ああ違う、これは席に案内された時のディアンヌとイグニスの会話だった。
壁や隣の席との仕切りにハリネズミ人形がいるせいで混乱してしまった。
全く、あの動物王国のデーモンめ。
ええと、イグニスとジュスランの会話は、と、そうだ、席に案内されてすぐにワインカートからイグニスがワインボトルを取り出した時だ。
――こちらの料理があなたのお口に合えば良いのですが。
――君が魔法をかけてくれるのならば、僕は最高に楽しめるだろう!
と、言う事は、ジュスランが美味しそうに口にしている牛の煮込みには人の血が隠し味に入れられているか、肉が人肉かもしれない。
サラダに掛かっているチーズパウダーには、人の骨の粉が混ざっているかもしれない。
ハハハ、バークは何も食べれなくても良いのかもしれない。
「ローズ。お願いがあるんだ。」
「……何かしら?」
「ミスティに会うことがあったら、謝罪させてほしいって伝えてくれ。」
「――もう会いたくないって言ったら?」
バークはハハハハハと全く笑えてない笑い声をあげると、深く深く沈み込んで頭までがっくりと下げた。
「わ、わかりましたわ!伝えますからお顔をお上げになって。どうなさったの。ミスティは自分で自分を守れるから大丈夫ですのよ。」
「違う。いや、わかっている。で、俺は会いたいだけで、ああ。――愛しているんだ。ああ、愛していたって気がついた。ハハハ、愛されないのなら、嫌われているままの方が良いのかな。それならば、俺のことは覚えていてもらえる。」
私はバークの脛を思いっきり蹴っていた。
「しゃんとしなさいな。」
「イエス、マム。」
彼はふざけた物言いで返して来たが、ほんの数秒前よりも立ち直ってはいる顔をしていた。
「情けないな。ありがとう。すこしはしゃんとできたよ。さあ、俺には支払えないせっかくの高級飯だ。喰って帰らねば。」
「よかったわ。少しはあなたらしさを取り戻してくれて。」
次の言葉にはバーク以外の誰にも聞かれないぐらいに声を落とした。
「でも、あなたは気が付いていて?ミスティーはデーモンなのよ。」
何も食べていなかった彼がようやく口に肉を運ぶところなのに、そんな彼に私がした問いかけは酷いものだと思う。
彼の動作は止まり、そしてフォークと肉はゆっくりと皿に戻った。
「そうなんだよね。俺は人間なんだ。」
再び落ち込んだバークはその後も皿に手を付けず、私はそこで紙ナプキンに簡単な書付をするとウェイトレスに手渡した。
「ローズ、何を?」
「ドギーバッグを頼んだだけよ。」
「ああ、君も俺に付き合って殆ど食べていないね。」
「私の事はご心配なく。ただね、あなたが家に帰った後の食事を頼んでおいたから、落ち込んでいるあなたは気兼ねなく食事抜きになさっても良いのよ。」
「いいや。食べるよ。もちろん、君が作ってくれたドギーバッグは絶対に持ち帰るけどね。」
彼はナイフとフォークを手に取って私に笑って見せたので、私はそのままにするべきかとも思ったが、取りあえず彼の耳に囁いておくことにした。
罪悪感で今夜眠れなくなりたくはない。
「吸血鬼は人体の一部が入っているものならば口にできるの。知っていた?」
バークは口を押えると立ち上がり、そのままトイレへと駆けこんでいった。
「あら、彼は何も食べていないのに。」
「僕が彼に腹繋ぎ用のジャーキーをあげた。僕が齧っているから平気って思ったみたいだね。本当に彼は無防備で可愛いよ。」
ジュスランは私が吸血鬼の秘密をバークに囁くまでを想定して、事前に嫌がらせを仕込んでいたらしい。
私は性格の悪い吸血鬼を睨みつけるしか出来なかった。




