君のバッジは偽物か!
水族館の館長は死んでいなかった。
彼はバークがイプピアーラを倒した二日後に戻って来たのである。
幸せそうでほよほよとした好々爺は、ご飯を仕入れていただけだと無邪気に笑い、自分の水族館の有様を見たそこでバタンと倒れて病院送りとなったそうだ。
オーン・ポセイダーはクジラである自分と水族館の皆の為に三か月に一度、期間としてはひと月ほど外洋に魚取りに出かけていたそうなのである。
その隙間を狙って恐怖政治を行ってきたのがイプピアーラとエージだ。
ディゴーもその間は外洋に出て浮気三昧というのだから、本当に腐ったアザラシだったのである。
混乱するのは人間の雇われ飼育員である。
彼らはその期間になるといつもと違う業務に回され、アザラシは別厩舎に入れられてショーも中止となる。
そして、それをおかしいとオコナ―弟は常に思っていただけでなく、水族館に忍び込んで調べもしていたのだそうだ。
全てが片付いたその週の日曜日、私の家にはオコナ―弟のアランとバークが一緒になって尋ねて来ていた。
一人は白いシャツに茶色のズボンの組み合わせにツウィードのジャケット羽織った学者風で、もう一人は当たり前だが保安官の扮装だ。
バークに関しては事件にかこつけてミスティの居所を捜しに来ただけであるので、その制服とバッジは何だという事で、保安官の扮装、だ。
さてアランは、まじまじと彼本体を見てみればなかなかに好ましい青年だ。姉のアメリアと同じ茶色の髪に茶色の瞳という地味な色合いだが、姉と同じように清潔感と理知的をあわせもった美形でもあり、姉には大きいと感じた直角的な鼻筋は姉よりも体の大きなアランにはぴったりであった。
彼らは中庭が見渡せる掃き出し窓のある居間のソファに腰を下ろし、事件に巻き込まれた私は彼等の向かいのソファに座り、彼等から事件のあらましを語り聞かされているのだ。
私以外の三人に関しては親世代が町の事情に詳しいとのことで、親から子供へソフトな説明がなされ、アランは彼女達には謝罪と感謝だけ伝えたそうだ。
けれど私の母リリーは町の事情など全く知らない人間である。
それでの我が家での説明会でもあるが、保護者となるリリーはここにはいない。
彼女はレークスと一緒に台所に行っており、レークスの為のチェリーとルバーブのパイを仲良く一緒に焼いているのだ。
事件のあらましにエージを抜いて語ることは出来ないのだから、リリーを排除するのは当たり前だが、その役目をレークスが喜んでするとは思わなかった。
アランはリリーが出していた紅茶を一口口にすると、小説の一説を読み上げるようにして再び語り始めた。
「最初からバーク保安官に相談していればこんな悲劇は起きなかったと思います。僕はリュリュを愛してしまったばかりに、自分だけで何とかしようと意固地になってしまったのでしょう。」
水族館の暗部を調べているその最中に、アランは水族館内での秘密の風俗営業を知り、そこでセルキーのリュリュと出会い恋に落ちたのだそうだ。
「可哀想に、普段はどこに監禁されているか分からない。そこで、姉の婚約者のジュスラン様に頼んだのです。客としてエージに電話をしてくれないかって。そうしたらあの乱痴気パーティは開催されるから、その時にリュリュを逃がせると僕は思い込んでいたのです。それだけの浅はかな考えでした。」
その当日、秘密パーティーどころかパスクゥムの町には暴動が起きた。
アランは暴動をこれ幸いとして、そこで哀れな少女達と恋人を助け出して自宅に匿ったのである。
ただし、アザラシの赤ん坊と赤ん坊担当飼育員のレイニーがディゴーに殴り殺されるという悲劇も起きた。
ディゴーも調度その日に海から戻ってきたようである。
戻って来て妻の出奔を知ったがために、ディゴーはその代償を格下に見ていた人間であるレイニーに受け持たせたのである。
アランは同僚の死と恋人の不幸とアザラシの赤ん坊の死で頭に血が昇り、持っていたこん棒のようなものでディゴーを殴りつけた。
動かなくなったディゴーにアランは混乱し、べっとりと血の付いたこん棒を投げ捨てて自宅に逃げ帰ってしまった。
「ハハハ、姉が中学生時代の自由研究で作った青銅メイスの模造品、木製バットにコンクリートを絡めて装飾しただけのものがあんな役に立つとはね。姉には思い出の品をと、とっても叱られましたよ。」
「そ、そう。」
私はとっても凶悪だったこん棒の威力を思い出し、あれを中学生の時に製作した歴史おたくのオコナ―には今後気を付けるべきだと頭の隅にメモをした。
「それで、僕はバーク保安官に連絡をしたのです。人殺しの自首をするために。ただ、刑務所に入る前に姉にリュリュ達の事も頼まなければと電話をして、ええ、すぐにジュスラン様が水族館に駆け付けて下さって、ええ、死んでいないと。怪我の処置もしたとおっしゃって下さって。あんな名医なのにどうしてお医者をされないのか、もったいない。」
ジュスランは医術ではなく呪術でアザラシゾンビを作り上げただけです、とは言えないのでにっこりと微笑み返すだけにした。
「まあ、あいつが大丈夫と言うならば、大丈夫なんだろうさ。」
「ええ。本当に!バーク保安官もありがとうございました。あなたが大丈夫だと請け負ってくださり、とにかくリュリュ達の保護を頼むと指示を頂けましたから、僕とリュリュ達はどんなに心強かったか!」
アランはそこで言葉を切ると、バークに向けていた顔を再び私に戻し、ごめんなさいと頭を下げた。
「ジュスラン様が大丈夫と請け合おうと、保安官の指示だろうと、僕は君達を巻き添えにしてはいけなかった。本当に怖かったでしょう。」
私は出来る限り優美に紅茶を啜ると、アランに笑顔を作って見せた。
「気になさることは無くてよ。皆様が幸せに収まってほっとしておりますの。どうしてもお礼がしたいというお気持ちなら、私はあのサラマンダー様をすぐに引き取って頂けると嬉しいのですけどね。」
エージのいない家には中庭があっても、それは南欧風のパティオというものである。
鯉が泳げる池とシャーロット達が主張していた通りに、中庭には小型の鯉を離した池風のものはある。
小型の噴水の水が零れた先にその水を受ける四角い水盆があり、そこに蓮と泳ぐ鯉が見えるというおしゃれなものだ。
ベビーピンクな巨大ウーパールーパーがいて良い空間ではない。
アランとバークは私の言葉を受けて掃き出し窓からパティオを一望したが、温泉に浸かる親父のようにして寛ぐウーパールーパーの表情に、彼らはにへらっと笑っただけで済ました。
いや、もっと始末が悪い。
「あんな幸せそうなサラマンダーを見るのは初めてです。」
アランは完全に私にサラマンダーを押し付けるつもりだ。
「エージのおしゃれな空間にあれって、凄い嫌がらせだよな。」
バークの感想はレークスと一緒だった。
彼らはデーモンと魔物ハンターという敵同士のはずが、エージを殺した日からまるで兄弟の盃を交わしたように仲が良い。
今のこの台詞を聞くに、彼等は似た者同士なのであろうか。
「ああ、あの子もあんなウーパールーパーは好きそうだな。お揃いのピンクだ。」
バークはぼそっと呟いた。
「あの子って、保安官が言っていた美女の事ですか?でも、彼女に再会するために子供を危険に遭わせるのは、あの、もうおやめになった方が……。」
「こら!アラン!しぃ!」
メールに対してバークの反応がとってもとっても早かった意味が分かった。
「あなたは私を守るとおっしゃった癖に。」
バークは私に振り返って微笑んだ。
彫りの深い目元は笑い皺で甘く魅力的なものと変わり、日の光で瞳の色が優しい緑に煌いている。
「守るよ。君を守ろうとするミスティと守られる君。俺は君達二人一緒に抱えて守りたい。」
「ま、まあ!」
バークはろくでもない男だ。
でも、シャーロットが言う通り、ろくでもない男ほど魅力的って本当だ。




