保安官と写真立て
ジュスランとバークの執務室に入って見れば、秘密も何も見当たらない普通の仕事用の部屋でしかなかった。
机には書類や事件フォルダーが乗っていて、だが、整頓されているので単に覗いただけでは事件概要も何も探れない。
まあ、パスクゥムで最近起きたばかりの女教師強盗殺人事件は、その犯人がジュスランだろうという特に知りたくも無い事なのでどうでも良い。
「隠し武器庫も無いし、フラーテルへの大量殺戮計画書も無いわね。」
「なんちゃって家族写真はあるけどね。」
私はジュスランが置き直した写真立てを取り上げて、そこに映る女性をまじまじと見つめた。
「ちょっと古い写真?でも綺麗な人ね。」
大学を出たてのような若い女性のいる場所は桟橋なのか、彼女の後ろでは青い海が煌いている。
金色に輝く薄茶色の髪は顎のラインで切り揃えられており、写真を撮る相手に微笑む目元は綺麗な緑色だ。
小さな形の良い鼻は先がちょこっと上を向いている妖精風で、アメリカ男性が大好きな鼻の形でもある。
私はブタさんみたいで好きじゃ無いが。
まあ、男性と女性の美意識どころか人種が違えばかなり違うものだから、きっとこの鼻の形はアメリカ男性にはとっても素晴らしいものなのだろう。
「鼻の頭が痒いの?」
「違います。」
「君の鼻の方がぴょこっと上を向いていて可愛いよ。」
「私の方がブタ鼻だと言うの!」
「ハハハ。ブタ鼻!女の子は人の美醜には手厳しいね!で、その子がそんなに気になるわけは何だい?それはトラップでしょう。犯罪捜査をする人間が本物のプライベート写真など誰でも覗ける机の上に置きはしない。」
「そうかしら。これは普通にプライベート写真に見えるわ。」
別人と思っていても彼はヴィクトールとよく似過ぎている。
顔や姿が似ているだけなら思い切れたのだろうが、ヴィクトールそのものの彼の臭いは前世の幸せだったあの日を想起させるのである。
私は私に笑顔を向ける写真立ての女性が、鎖骨の見えるブイネックのベビーピンクの柔らかそうなニットにジーンズという気取らない格好をしている所が、あの野性味のあるバークにはとてもお似合いに見えて胸がズキンと痛んだのだ。
――十年前には婚約者などいない。
ヴィクトールに言われたようで、私はあの時死にたいと思った程だ。
「その子、バークと関係無しでも調べて狩ってみようか?健康そうで美味しそうだ。いいよ。」
私は写真立てから目をそらしてジュスランを見つめ返した。
「この子は死んでいる筈よ。見て、日付は三年前の春、今の季節ね。三年前に婚約者がデーモンに殺されたってバークは言ってた。」
ジュスランは青い目を蛍光カラーに煌かせた。
「そうか、これはやっぱりトラップだ。これを見た人外が、バークがデーモンに復讐をしようとしている、と人外社会に広めるだろう。すると、お犬族が人外を裏切っているわけではなく、バークとお犬族が共闘してデーモンを倒そうとしているのだと思われる。では、人外とデーモンはどう動くのかな?」
「人外の大多数はデーモンの富をこの機会に盗みたいと考えるかもね。嫌われ者のデーモンだもの。デーモンが狩られる事になる。あら、でも、それで動けばデーモンにこそ自分が狙われる。じゃあ、その他大勢はバークの動向をデーモンに密告することも無ければ、デーモンの動向に対して何の助力もしないわね。動いた者こそどちらかに狩られる。」
「うん。僕が奴にやった事と同じことを彼はこの写真一枚で為したんだ。楽しいね。狩りは相手が手ごわい程楽しい。」
「本当に嬉しそうね。それであなた、あなたはどうしてフラーテルって絶対に口にしないの?」
「ふふ、そんなの。君は自分がドブネズミと兄弟だなんて考えたい?」
吸血鬼は人外の王とも言ってよい程の高位の魔物だった。
大多数の人外においては、吸血鬼はピラミッドの頂点どころか、ナスカの地上絵の上をふらふら飛んでいる宇宙船ぐらい上の存在だろう。
「――身の程を教えてくれてありがとう。ドブネズミからハツカネズミぐらいには出世できるように頑張るわ。」
「ふふふ。君は可愛いモルモットだよ。ドブネズミなんかじゃない。」
「まあ、うれしい。でも、テンジクネズミは食用鼠でもあるわね。」
「君は美味しそうだもの。昨日の不味そうなデーモンの生気なんか翌日の僕を外に出せない状態にしちゃったからね。もうびんびんでね、恥ずかしくってお外に出られなくなっちゃったの。朝から何人下僕とやってしまったんだろう。ああ、君を丸ごと食べたらどうなるんだろうってわくわくしているよ。約束の君の血は絶対に後で貰うからね。ああ、すっごく楽しみ。ああ、お注射じゃなくて君の肌にしゃぶりついて直飲みしたい!」
私はデーモンとしてバークに狩られる可能性よりも、ジュスランに狩られた場合の未来の方が怖い、と目の前で狂乱している人外を見て思った。




