第337話 隔絶された村
「そんな不思議なことがあったんべか……。でも、それがなぜ作物の収穫に関わるんだ?そもそもネルシャは治ったのか?」
ララトンの話を聞き終えたランタは当然の疑問を口にする。未だ、実際に見てみないとなんとも信じ難い話だが、良い作物が取れていない、という話には関わってこない。ネルシャが畑を半壊させたとは聞いたが、それは畑をまた耕せばいい話だろう。
しかし、先刻のララトンの様子は、すぐには作物が作れないというよりは、今後、まともな作物が作れないような口ぶりだった。
「あぁ、あぁ。もっともだなぁ。だけどなぁ、ネルシャは未だ体が大きいままじゃ。そして、なにより村を魔物が襲うようになったんじゃ」
ネルシャが倒れてから、1日が経過した。その頃には流石に村民の騒ぎも収まり、今は皆で半壊した畑や家々の復興を行っている。けれど、村一番の強者が謎の病に倒れたことは少なからず衝撃が残っていた。
「あいつが来てからおかしくなったんだ。ネルシャの体もあいつがやったに違いないっ……」
崩れた瓦礫の撤去を行っているとき、不意に誰かがそう呟いた。
「お、おいおい、あいつって誰だよ……。まさかファルムか?なんであいつがそんなことするんだよ」
「狂人の考えることなんか知らねぇよ!」
「こ、根拠もねぇのにそんなこと言ってんのかよ!ファルムは、村の仕事をたくさん手伝ってくれただろうが!」
「お、俺たちに取り入るためかもしれないだろ?!」
「そんなこと言い出したらキリがないだろう?!」
「じゃあアレはどう説明———」
「やめんか!」
「「っ!」」
畑のど真ん中。畑にいる人間だけでなく、家屋の中にいるものからも丸見えの場所。そんな場所で喧嘩を始めれば、否が応でも目立ってしまう。
2人は彼らの前に仁王立ちする、剃りの入った白髪混じりの頭の男に怒鳴られて、ようやく我にかえったようだ。その男、グエルズは、昨日、ララトンを起こしに行った者だ。
「レン。お前はファルムがネルシャの腕をどうにかしたっつう証拠でもあんのか?」
「な、ない、けど…….」
「ならなんで証拠がないことでそんなに声高に叫べる?」
「けど、それ以外考えられねぇだろ?!」
「だからそう思うならそうと言い張るだけの証拠だせっつってんだよ!」
「うっ……」
レンと呼ばれた男が、グエルズの正論に押し黙る。レン自身もただのやつ当たりであることは承知の上なのだろう。
レンが、この村で生を受けてはや30余年。当然ながら流行病や魔物の襲撃などは日常茶飯事とまでは言わずとも珍しいことではない。けれど、純粋に体が大きくなって正気を失う病気は見たことも聞いたこともない。
ましてや、それがこんな辺境の村にふらっと現れた人物が来てからの出来事ならそれと結びつけてしまうのも無理はない、とレンは思っている。
けれど、グエルズの言う通り、あの青年が今回の事の起こりである証拠はない。ただ、直感にも似た確信を抱いているだけだ。なので、証拠がない以上、ここでごねてもどうしようもない。
小耳に挟んだが、どうやらあの青年を探しに行く人も募っているとか。
冗談ではない。せっかく村の悩みの種が一つ消えたのになぜわざわざ拾いに行かねばならないのか。だが、意見を言えるほどでもないため歯痒いところだ。
「「「アオーーー!!アオ、アオーーーンッ!」」」
「っ?!」
「な、なんだよ?!今の遠吠え!?」
瞬間、村に先ほどとは全く異なる緊張が走った。それまではただの傍観に達していた者たちも、聞き覚えのある、けれど、どこかいつもとは違う不安を誘う雄叫びに恐怖し、窓を閉め切っていった。
「この遠吠えは……、グランドウルフ……?」
「グランドウルフっていやぁ、ここいらの魔物の頂点じゃねぇか……。それが——」
「あぁ、聞こえた遠吠えから少なくとも……、10はいる……」
「あ、ああぁ……」
レンと口論していた男、マティマが絶望の声を漏らす。グランドウルフとは、この村から数キル(キロメートル)離れた草原の洞窟を住処としている、全長2メルを超える大型の魔物だ。
群れのボスとして君臨するその魔物は、一頭につき、30頭近くのリーグウルフという下位魔物を従えている。雄叫びは特徴的で、狼の遠吠えに似ているが、遠吠えの周囲にいる群れの身体能力を向上させ、連携を強化する。何らかのスキルの一つなのだろう。
そして何より、その大きさと群れの脅威からグランドウルフ率いる魔物を倒せる者はこの村にはいない。にも関わらず、そのグランドウルフが少なくとも10頭いる。単純計算で、300頭のリーグウルフもいるということになる。
それが何よりの絶望だった。
リーグウルフという魔物どころか、通常の狼でさえ、一般の人間は手も足も出ない。戦闘経験を積んだ者や類まれな『戦闘スキル』という特殊能力を持つ者でなければ、魔物はおろかそこらにいる動物でさえ太刀打ちできないのだ。
そんな存在が、この村に住む人間の3倍の数でこちらに向かってきている。恐怖し絶望するほかなかった。
「い、いや!村の外に狼の魔物が嫌う花が植えてあったはずだろう?!アレは、グランドウルフでさえも寄せ付けない花だ!」
「そ、そうじゃねぇか。焦って損したぜ……」
「……」
「グエルズ、大丈夫、だ、よな?」
村人が口々に話す。不安をかき消すように、自分たちは安全だと言い聞かせるように。
けれど、グエルズは未だ遠くを見つめて黙ったままだ。その様子に周りの者も異変を察した。
ネイシャ率いる青年団の討伐隊の中でも、最年長の狩人であるグエルズの言葉を待っているのだ。今は隊長の座をネイシャに明け渡したとはいえ、それは年齢によるもので実力そのものはネイシャに劣らない。
「——全員、荷物をまとめろ!なるべく軽装で、四半刻で仕上げろ!」
「う、うぁああああああ!!!」
全員がグエルズの言葉の意味を正しく理解した。
そして、迅速に叫び声を上げながらも即座に行動に移した。
——けれど、何もかもが遅かった。
雄叫びが聞こえた時点で逃げるべきだったのだ。遠吠えをするということは、仲間へと伝達をしたということ。つまりそれは、彼らの目標を見つけ、それを仲間へ伝えたということ。
「な、なんで——ぃぎゃあああああああ!!」
「?!」
全員が悲鳴の方向に視線を向ける。その視線の方向は村の入り口。村民が我先にとたむろする場所。そこには、数十匹といるリーグウルフが待ち構えていた。
「な?!」
グエルズが目を見開く。村の入り口にリーグウルフがいることにではない。リーグウルフのみならず、それを統率するであろうグランドウルフにそこまでの知恵があったことに驚いているのだ。
「……は?」
よだれを垂らしながら村の入り口に立つ村民たちを前にするもその爛々とした牙は誰の肉体をも傷つけることなく光っている。
「な、なんだ?どういうことだ?」
「襲って、来ないのか……?」
「グルルルルッ!」
リーグウルフたちは、それに応えるように、反発するように雄叫びで呼応する。しかし、その爪は、その牙は、光るまま使われることはない。
「い、行って、いいのか?」
「——待て!」
しかし静止は間に合わず、村人は自身の荷物を背負ったまま、村の外に飛び出る。そして、外の空気を堪能するように走り出す。
「マティマ!うし——」
「え———」
グチャリ。
水分を含んだナニカが潰れるような、耳障りな音が響き渡る。辺りにはその結果を示すような赤い水溜りが広がっていた。
そうして、この村、『イゼル村』は、魔物の支配下となった。