第310話 吹雪の罠
脇目も振らず来た道を戻ってきた俺は、先ほどまであの小魔人と戦っていた階層まで帰ってきた。ここから先は、先行したサニアとテミスの痕跡を追っていく。
だが、スピードは落とさず、なるべく早く彼女たちに追いつきたい。
「厄介なことになってないといいが……」
彼女らの痕跡を追って階段を降りると、そこは60階層。本来であれば、ボスがいる階層のはずだが、ボス部屋だったと思われる扉は溶かされたようにドロリとした液体を流しながら、歪な形になっている。
当然、扉の中のボスと思われる魔物はおらず、守られるはずの階段の入り口が晒されていた。そしてその階段の入り口からは、身も凍るような冷気が流れてきている。
「下は、冷気のエリアってことか……。てか、ボス部屋の扉壊したのアイツか?『神』ってのは、どいつもこいつもこんなに規格外のトチ狂ったやつなのか?」
ぶつぶつと悪態を吐きながら、早くも“環境適応”によって冷気を克服した俺は足早に階段を下っていく。
階段を降りると、そこは一面の銀世界であった。吹雪によって視界は数メートル先を見ることも叶わず、ここまで彼女たちの匂いを辿って来たが、この吹雪の中ではその匂いもかき消されてしまっている。
「マジかよ……。このだだっ広い雪世界から探せってのか……」
火を付けたところでこの吹雪の中ではすぐに消えることは容易に想像がつく。そのくせ、どうやって見極めているのか、魔物は正確に俺の位置を把握して襲ってくる。
『経験値を獲得しました。スキル:簒奪により取得経験値が半減します。スキル:簒奪の効果により、スキル:熱源感知 雪衣 氷精を獲得しました』
と、思っていたら謎が解けた。
「“熱源感知”、ね。なるほどな。ってか、このアナウンス久しぶりに聞いた気がするな。今までなんで鳴りを潜めていたのやら」
このアナウンスが単なるアナウンスではないことはすでに把握している。今のところは害はないが、意識には留めておこう。
「それは置いておくとして、“熱源感知”使ってみるか」
それはそうとして、俺は早速、新しく獲得したスキルを使ってみる。他は雪に身を隠すスキルと、“極氷魔法”の威力を底上げするスキルだ。
どうやら“熱源感知”スキルは、パッシブスキルではなく、アクティブスキルのようで、発動すると、地面の雪や吹雪の中に幾つかの熱源があるのを確認した。
だが、それだけではそこにどんな奴がいるのかまでは分からず、その熱源がある場所に向けて“全鑑定”スキルを向けることで、初めて確認ができた。
「サニアやテミスたちはいない、か」
流石にもうこの61層にはいないらしい。このエリアのもっと奥まで行けばいるかもしれないが、時間的にも先に進んでいる可能性の方が高いだろう。
“熱源感知”スキルは、魔物や人間などの生物であればサーモグラフィーのように検知できるが、熱源を持たない地形などまでは確認が出来なかった。
そのため、このエリアがどの程度の広さなのかいまいち把握ができない。
であれば、広さの分からないエリアで彷徨うより、見つけた目の前の階段をとりあえず降りたほうがいいだろう。
そうして階段を降りるとそこは雪国——。
「くだらないこと考えてないでさっさと進め」
そんな声が聞こえた気がする。
そのまま61層と同様に“熱源感知”スキルを使いながら、魔物をいなしつつ先へ進むことでいつのまにか64層まで進んできていた。
幸いなことに階段はトントン拍子で見つかり、魔物もあの小魔人のようなイかれた奴はいないようだった。
ただ、ここまでサニアやテミスの痕跡が一つも見つからないことが気がかりだ。
この雪の中であれば、“環境適応”スキルを持っていたとしても、視界が悪い中度々襲い来る魔物のせいで、先に進むには時間がかかるはず。彼女たちと別れてからも1時間も経っていない。その中で慎重なタイプのテミスがこんな勢いで進んでいるとは考えづらい。
「どうする、戻るか?でもなぁ……」
先に進むか、後に戻るか。
判断材料が少なすぎて判断に困る。それに何故か“念話”を使っても応答してくれないのだ。それが余計に俺の焦りを生んでいた。
「——?!この匂いはサニアたちか!」
悶々としながら進んでいると、ようやく彼女たちにつながる匂いを感じた。どうやら匂いは階下に向かっているようで、血の匂いがしないことから怪我はしていないと思われる。
だが、それが無事に直結するわけではない。
「方向が分かっただけでも僥倖!」
俺は見つけた階段を降りていく。
すると、階段を降りた先に奇妙な空間が広がっていた。
「なんだあれは?あそこだけ、吹雪が避けてる?」
ここまでのフロア全てで容赦なく吹き荒れていた吹雪が、まるで生き物のように目の前の空間だけを避けているのだ。その空間は地面に向かって半球状に広がっており、大きさは半径10メートルほどだ。
だが、吹雪の異様な動き方のせいか中の様子までは確認できず、その内側は伺い知れない。
「近づいても特に反応なし。てことは、このドームは敵を寄せ付けないためのものではないのか?そもそもこれは誰の仕業だ?自然物ではなさそうだが…….」
明らかに自然に作られたようなものには見えないが、ダンジョンに常識を求めるのも的外れだ。
そして手を近づけても反応なし。中は密閉でもされているのか音も光も感じられない。意を決して手を触れてみるが、何かを触った感触もなかった。
「罠も感知しねぇ。なんだこれ。——行くしかねぇか!」
彼女たちの安否が関わっているのだ。グズグズしている時間はない。
「ぉお!」
俺はできる限りの防御魔法やスキルを使って、顔の前で腕をクロスにしながら半球状のドームに突っ込む。
ボフンッと、一瞬だけクッションに頭を埋めた時のような感触と共にドームの中で目を開くと、その中には案の定、吹雪はかけらも吹いていなかった。
それどころか、外で見た時よりも圧倒的に広いエリアが広がっており、目の前には草原と花畑、奥には背の高い木がいくつか、そして小川やそれを跨ぐような小さな橋まであった。
まるでおとぎ話の世界へ迷い込んだような気分だ。
「本当になんだ、ここは。魔物では、ないな……」
本当にどこぞの童話に出て来そうな蝶々や蜂などの虫、木の影にはうさぎのような動物まで見える。人影はなく、“熱源感知”を発動しても、林の奥にいくつかの動物の気配があるだけだった。
だが、確かにこの謎の空間に彼女たちの匂いはある。ということは、少なくとも彼女たちはこのエリアを通っているはず。
俺は訝しみつつも林の方へ住んでみると、一軒の小屋が見えて来た。
そこは注意深く見ていないと見落としてしまいそうなほど気配が薄い小屋だった。
決して木に隠れているわけではなく、壁の色も林に隠れるような色ではないのにだ。
真っ黄色の壁に真っ白な屋根の小屋など、そうそう見落とすことはないだろう。
なのにも関わらず、視線を逸らしてしまえば最後、もう二度と見つけられないような気がしてくる小屋だった。
「入るぞ」
俺はノックもせず、小屋の扉を開いて中へ入る。部屋は一つ、中央に木を切り出したような丸いテーブルがあり、その周りに三つの椅子。これも小さな株を切り出したような椅子だ。
左側の壁に窓が一つあり、反対の壁にはまだ湯気の立つシチューが入った鍋が置いてある。鍋の横にはまな板が敷かれており、切りかけのにんじんがまな板の上と床に転がっていた。
そしてキッチンと見られる場所のさらに右奥。扉の横の奥まった位置に、蓋が開かれた地下室の扉を見つけた。ご丁寧に階段まで敷かれており、その奥から彼女たちの匂いがある。
「誘われてんな。あいつらになんかあったらただ殺すだけじゃ済まさねぇ」
俺は刀を抜き、慎重に階段を降りていく。地下室への階段は意外に深く、足元だけを照らす蝋燭のせいで、階段の奥は見えない。
だが、階段の先にわずかな光が漏れていることは確認できる。
俺はそこまで一気に駆け下り、光の漏れる扉へと向かう。
「オラァ!!どこだクソガキぃ!!」
「きゃあああああ!!」
「・・・っっ?!?!」
「?」
勢いをつけて扉を蹴り破り、扉の奥へ意気揚々と突っ込むと想定外の、しかし聞き覚えのある声で悲鳴が聞こえた。
悲鳴の方向を見るとそこにはタオルで自分の裸体を隠したテミスと、驚きのあまり自分の裸体を隠すことすら忘れて突っ立っているサニアがいた。
そして、さらにその2人の後ろには、現代的なメイド服を来た女性が、タライのような大きな桶で2人の服を一生懸命洗いながら、不思議そうな顔でこちらを見ていた。