幕間〜新たな出会いを交わすメイド〜
「……ん、ぅぐ。……ここは?」
「アラ、気づいたわね!!ダリタリ!食事を持って来なさい!あ、ちゃんと消化に良いものよ?お肉とか持って来たらあんたの体引き裂いて豚の餌にするからね!」
視界に光を感じて恐る恐る目を開ける。お腹の痛みに思わず声が出てしまったが、目にうつるのは真っ白な壁、いやあれは天井か。それからよくよく自分の体の状況を見てみると、どうやら私はベッドの上に寝かされているらしい。
側では野太い声で女性のような話し方をする人が誰かに向けて指示を出していた。ただ、私自身体がほとんど動かせないので、側にどんな人がいるのか見えない。代わりに体を押しつぶされそうな声圧が私の体に響く。
「あっ……っ?!」
「ごめんなさいねぇ、役立たずばっかりで。どう?体は痛む?潰した薬草くらいなら飲めるかしら?」
声を出そうとして嫌な記憶が蘇り、反射的に口を閉ざしてしまう。しかし、隣のジンブツは何食わぬ顔で私の顔を覗き込んだ。私は視界の端からのそっと現れた顔に驚き体が跳ねる。
「あ、あぅ……」
私の前に、いや上に現れたのはもっさりと顔中に剛毛を生やし、これでもかと主張する筋肉を備えたゴリラがいた。私の顔とは結構離れてくれているはずなのに、顔が大きいのとその圧で押し潰されてしまいそうだ。
私はこれまでとは別の意味で、言葉を発せなかった。
「ミキス様、おやめ下さい。お嬢さんが怖がってるじゃないですか。そのままだとその顔の圧だけでそのお嬢さん、死んじゃいますよ」
「ぬぁんですってぇ?!……それはまずいわね。分かったわ、ワタシ、ハナレル。けど、ダリタリ。あんたは後で死ぬほうがマシと思えるほどの訓練を施してあげるわ、喜びなさい」
「はいはい。それは置いといて、薬膳スープ持って来ましたよ。ヤコブ草をすり潰してミーク(ミルク)で煮込んだやつです。これなら飲めるでしょう」
「ありがと。ほらお嬢さん、これ飲めるかしら?」
姿は見えないが、声からするにまた別の男の人が持ってきたと思われる食事を私の側に座るゴリラは、大きな手を器用に使って私の口元までスプーンに入ったスープを持ってきてくれた。
「ん?!んぐっ、んむ……」
といっても、半ば強制的に口の中にスプーンを突っ込まれ、それなりに熱いスープを喉に流し込まれた私は文句を言う暇なくスープを飲み込んだ。
するとスープだからなのか、入っている薬草のおかげなのかお腹の中がじんわりと熱を持つ。それは嫌な熱ではなく、心地よい熱だった。ちなみに味は分からなかった。まずくはない。
「どう?お嬢さん、喋れる?」
「あ、あの……」
「いいわよ、ゆっくりで」
しどろもどろになりながら口を開こうとする私を見て、ゴリラは優しい顔で促してくれた。
それから私はゆっくりとこれまでの経緯を説明した。
今まで親からも誰からも相手にされて来なかったこと、気づいたら森の中にいたこと、大きな怪物に襲われたことを話した。その中で、おそらく私が別の世界から来ている、ということだけは話さずにおいた。
直感だが、これは話してはいけないような気がしたのだ。それに私自身確証がなかったから、というのもある。まぁ元の世界に喋るゴリラが居たか、と言われればNOだから、十中八九別の世界なのだろうけど。
「ゔ、ゔぅ!なんて辛い思いをしてきたの!こんな可愛くていたいけな子なのに!……よし!ダリタリ!今からその親殺しに行くわよ、そしてその近くの人間全て、全身の骨を抜いて全身の神経を目から通して腕と足を逆に付けて口と鼻を入れ替えて腹を真っ二つに引き裂いてやるわ!」
「やめてください。お嬢さん、名前は言えるかい?」
「わ、わたしは芽衣子と言います」
「メイコくんか。分かった。もし君さえ良ければ、ここで働いてくれないかい?もちろん、その傷が治り次第でいい。失礼だけど、君は今行く当てが無いと思うんだ。だから、君さえ良ければ、ぜひここに居てほしいんだけど」
「は、はい。ぜひお願いします」
「よかった。今ここも大きくなってきて人手が足りなくてね。料理や掃除などはできるかい?」
「は、はい!できます!やらせてください!」
「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいよ」
それからダリタリ、と名乗る人物は私と二、三言葉を交わし部屋を出て行った。そしてその後を追うようにゴリラ、いやミキスと呼ばれた人物も出て行ってしまった。
「また何かあれば呼びなさい!そこの紐を握ったらワタシかダリタリのどちらかがここに来るわ。ゆっくりおやすみ、メイコ」
「は、はい」
それから私は1週間、こちらの暦と日本の暦は異なるため正確ではないが、大体それくらいで体を動かせるようにまで回復した。ミキス様が言うにはダリタリ様の持って来たヤコブ草がいい働きをしてくれたのだという。
「でも、流石に傷までは治らなかったか」
私は自らのお腹を眺める。そこには周りの肌色に似合わない肉の色をした傷跡が残っていた。それでも、怪物の足は背骨を傷つけていなかったことで今まで通り活動が可能だったことは僥倖だった。
「さて、メイコ!今日からあなたはこの城初のメイドとなるわ!まぁ給仕係のようなものは今まで何人かいたのだけど、どれも根性がなくてねぇ。それに今残ってる者もどこか要領が悪いのよ。そんな中に現れたのがあなた!!昨日見させてもらったけど、メイコは筋がいいどころじゃないわ!!ワタシは『メイド』ってのがなんなのかよく知らないから、詳しいことはあなたに任せるわ。人手が足りなかったら言いなさい。いくらでも連れてくることはできるから。部下を育成してこの城を清潔に保つことが、まずワタシからあなたへ下す最初の命令よ」
「分かりました。ご期待に添えるかは分かりませんが、精一杯頑張ります!」
「うん!よろしい!」
私の答えに満足そうにうなづくミキス様。どうやらこの国では、私の思っている以上に私の知識と乖離していることがあるようだ。外に見える風景は日本の田舎ならどこでもありそうな風景だが、この国に生きている人は全員人間では無い。
ダリタリ様のように限りなく人間に近い人はいるのだが、そのほとんどが私の知っている人間から離れていた。中にはミキス様のように動物がモチーフになっている者や植物の体をしているのに普通に動いて喋ってる人のように何がどうなっているのか全くわからない人もいた。
「で、では、これから研修を始めたいと思います。わたくしはメイドのメイコと申します。よろしくお願いします」
「「「は、はい!!よろしくお願いします!!」」」
「っ?!」
予想以上の大声に一瞬体がビクつく。私はもっと罵りの声が聞こえてくるものだと思っていた。しかし、その予想に反してこれから私にメイドの教えを請おうとしている彼ら三名はしっかり背筋を伸ばして私の話を聞いてくれた。
……いや、よく見たら全員、大量の冷や汗をかいていた。誰の差金かはあまり考えないようにしよう。
そうしてメイドとしての日々が始まってから早一年が経過していた。人手もずいぶん増えて、今では私を除くメイドと執事でサッカーチームをそれぞれ作れるほどにまで人が増えていた。
それに合わせてなのか、この城も何度か増築をしており、管理する幅も増えていた。
「はい、お呼びでしょうか。ミキス様」
そんなある日、私はミキス様の私室に招かれていた。私はいつの間にやらメイドではなくメイド長として指示を出す側となり、私自身はミキス様の側付きにまで昇進していた。
「あなたもここに慣れた頃合いでしょう?ワタシに付いてもらうのも今日で一ヶ月経ったことだし、新しい仕事を覚えてもらおうと思ってね」
「はぁ……」
私は思わず首を傾げる。この城で出来ることはほぼ全て覚えた。まぁ城の外には出ていないため、『魔物』と呼ばれる怪物と戦ったことはないが、それは命令しないとミキス様に言われていたはずなのだ。
「ま、まさか、『魔物』と戦うのですか?」
「いいえ、違うわ。今もまだあなたを襲った魔物は見つかっていないのだけれど、だからこそ尚更、あなたを魔物狩りに付き合わせる気はないわ。ただねぇ、あなたのそのホウチョウ?捌きを見ていると、こちらの適性もあるのかしら、と思ってね」
そう言うと、ミキス様は私を呼んだ理由を説明してくれた。あれこれと遠回しに説明してくれていたが、要約すると人を殺せ、という命令らしい。
「どうかしら?」
「……少し考えさせて下さい」
「えぇ、いいわよ。無理にとは言わないから。ただ、少し急ぎの内容でもあるからできれば早めに教えて欲しいわ」
「……かしこまりました」
私はそれだけ伝えて部屋を出る。
——人を殺す。
この世界に来て一年。流石に色々なことを知った。まず、ここは地球のどこかですらないこと。そして見たこともない動物の他に『魔物』と呼ばれる我々に害をなす生物が繁殖していること。
それから『魔法』と呼ばれるものを使ってその魔物と戦って日々を生きていると言うこと。
もちろん魔法だけでなく武器なども多数あるが、普段私たちが捌いてミキス様やこの国の王様であるカイニス様にお出ししている食材がこの『魔物』から取られていることをとても驚いた。
あとは、私は最初からできていたため気付かなかったが、どうやら言語も異なるようだ。私が聞こうとした分には聞き取れるのだが、意識していないときに流れてくる会話は私の知っている言語のどれでもなかった。(といっても元中学生の私が知っている言語などたかが知れているけど)
最初の話に戻ろう。
要するにミキス様から依頼されたのは、この国の王であり、ミキス様の主であるカイニス様が他国の者に狙われているのだとか。
相手は目立って行動しているわけではないが、組織として動いているらしい。その者たちが今度、無礼にもカイニス様の国で密会をする、という情報を掴んだという。
そのためミキス様はその無礼者どもを私に始末してこい、と言っているのだ。
(ミキス様の期待には応えたいけれど……)
ふと自分の腕を見ると震えているのが分かる。当然だ。地球にいた頃はおろか、こちらの世界に来てからも魔物と戦ったことすらないのだ。そんな私がいきなり人を殺せ、など言われても出来るはずがない。
一応、今回のターゲットとなる者は人ではなく『魔族』、それもミキス様ほど人の形を成していない、四足歩行に少し毛が生えた程度の動物系魔族らしい。
(そんなこと言われても……)
そう、たとえ相手の見た目が人で無かろうと言葉を話せる相手を殺す、というのはなかなか踏ん切りがつかなかった。けれど、本来であればすぐさま断るような命令を迷っているのは、ひとえにミキス様に助けてもらった恩からだった。
その日、私は眠ることが出来なかった。
「答えは出たかしら?」
「ミキス様……」
私はミキス様の前に立つ。震える右手を左手で抱えながら、俯いた顔を懸命に上げる。
「やり、ます」
「……ありがとう、嬉しいわ。あなたならきっと出来る。だって——そんなに素晴らしいスキルを持っているんだもの」
「?……ありがとうございます」
何かミキス様から不穏な気配を感じたが、それだけ私に期待を寄せてくれているということだろうか。そう思うと、不思議と勇気が湧いてくるような気がする。
「作戦は後で伝えるわね。もちろん、あなただけで向かうわけじゃないわ、むしろあなたはサポートする側よ。メインはダリタリがやるから、あなたは彼を支援してくれればいいわ。でも、これを機に色々彼から技術を覚えてくれると嬉しいわね」
「分かりました」
それから、遅れてミキス様の部屋にやってきたダリタリ様とその部下数名で『作戦会議』という名の命令が下された。
「ダリタリ、あんたはここにいなさい。レブンが合図を出したらあなたが最初に突入する。マートルドは絶対にメイコから離れちゃダメよ。それからブフドは——」
ミキス様は一方的に私たちへ『作戦』という名の命令を下すと、疲れたのか側に置いていた紅茶に手をかける。しかし、気付かぬうちに飲み干してしまっていたのか、カップの中身は空だった。
「あ、ミキス様。わたくしが入れ直します」
「そう?ありがと、メイコ」
私は紅茶を入れ直すため部屋を離れる。ミキス様の好きな茶葉が置いてあるのはミキス様の私室から少し離れたところだ。給仕室にもない貴重な茶葉は日に当たらない部屋に保管されているため数分では戻ってこられない。私は急いで茶葉を取りに行った。
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「ダリタリ」
「離れました。彼女はまだ自身のスキルを自覚していないので、よっぽどのことをしない限り気付かれることはないでしょう」
「そう。それじゃ、ここからは本当の作戦を伝えるわ。その名も——」
——『メイコ暗殺者育成計画』よ。
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「あ、あった。なんでこんなところに……」
私は専用の茶葉が置かれている部屋の端っこから茶葉の入った箱を引っ張り出す。いつもは棚の上の方に置いてあるはずなのに、今回は棚の下のさらに奥の方にしまわれていた。
「誰がこんな場所に……。見かけたらきちんと教えてあげないと」
私は必要分の茶葉を出して箱を元の場所に戻す。そして、パックに入れた茶葉を沸かしてあったお湯の中に入れて火を止める。そしてある程度粗熱が取れたので、台車に乗せてミキス様の部屋へと戻った。
「ミキス様。お待たせいたしました」
「あら、ありがとうメイコ。あなたにしては時間かかったわね?」
「すみません、いつもと違う場所にあって探すのに手間取ってしまいました」
「大丈夫よ、怒ってるわけじゃないから。さて!それじゃ会議は終わりよ!みんな、頑張りましょ!」
「え?あ、あの、私はどうすれば……」
「大丈夫、あなたはマートルドと一緒に行動してくれればいいわ。彼女があなたの先輩ってことになるから」
「よろしくお願いしますね、メイコさん」
「は、はい。よろしくお願いします」
マートルドと呼ばれた女性は、私に向かって私が教えたお辞儀をする。そして我先にと部屋を出て行ったダリタリについて部屋を出て行ってしまった。
ミキス様は私の入れた紅茶の香りを楽しみながら窓の外に浮かぶ満月を見て恍惚の笑みを浮かべている。
私はその横顔に言い知れない不安が過ぎった。




