第235話 不穏の幕開け
「分かった。まずは状況の確認だ。ミキス、我が国の被害はどの程度だ?敵はどの辺りまで進軍している?」
「はい。現在時点では、我が国の被害はありません。ただ、元【憤怒】が治めていた国を越え、数日中には我が国の領土、『テンセル』に差し掛かるでしょう。
敵軍の規模はおおよそ一万。王国軍は、通る村々から掠奪を行い、軍備と士気を維持しているようで、その先頭では強力な人間が先導しているようです」
ミキスがカイニスに言われて、現在の戦況を手早く伝える。それを聞いたカイニスも素早く思考を巡らせてミキスへと指示を出し、伝令のためミキスは部屋を出て行った。
「ふぅ……。どうやらまだ我は休めんようだ。宣戦布告もなく、というのはいささか腹が立つが、あの野蛮な男のことだ。言っても仕方あるまい。カイトくんには追って報告する。一旦、この城で待っていてもらえるか?」
「分かりました」
俺は内心驚いていた。それはカイニスから今回の戦争への参加を要請されると思ったからだ。
カイニスの用件をまだ聞けていないし、さらには先日の【色欲】との戦いに手を貸してもらっているため(頼んだわけではないが)、その借りを返す名目で参加するよう言われると思っていた。
もちろんこの後言われる可能性は十分ある。おそらくは詳しい状況や戦力の確認、【怠惰】側の軍備など、色々やらなければならないことがあるのだろう。
カイニス曰く、厳しい戦いが終わった直後に宿敵からの宣戦布告であるため、気が休まらないだろう。もう今日にでも部下を『テンセル』へと向かわせるそうだ。
この【怠惰】の城から『テンセル』という町まで通常四日はかかる距離。急いで向かっても二日はかかるだろう。さらに攻めてくる王国兵から町の人を避難させるのにも時間を要する。
いくら急いでも急ぎすぎるということはないだろう。
「——っていう状況だ。今は逼迫しているからか何も言われていないけど、俺の予想では王国との戦いに参加してもらうよう言われると思う。みんなはどうしたい?」
俺はメイコを伴って部屋に戻ってきていた。そしてカイニスたちの現在の状況を仲間に説明した。
「正直、続けてとなるので避けたいところではあるんですけど、故郷の国というのもあるので、少しでも手を貸したいという気持ちもあります」
「・・・わたしはどっちでもいい。主さまに従うわ」
「うちは……」
テミスとサニアはすぐに気持ちを示してくれた。だがミユは、そもそもこの国に思い入れがあまりない上、元々自分たちを世話してくれていた王国が敵となっている状況にあまり感情がついて来ていないようだった。
「ミユ、今決めなくてもいいさ。それにまだ参加しろ、と言われたわけでもない。言われるかもしれないというだけだ。ただ、頭の片隅には留めておいてほしい」
「……うん、わかった」
それから俺たちの周りでは、【怠惰】の部下たちが騒々しく動いていた。一応、何か手伝えることはないか尋ねたのだが、立場上は客人のため、部屋で休んでいろと言われたのだ。
しかし、部屋でやることもない。こんな時だから訓練場を借りるわけにもいかない。ということで、大変暇していた。
そんな時だった。
俺たちが部屋で外の喧騒を聞きながらソワソワしていた目の前に、突如視界を白く染める光が現れた。それは数瞬で消えたが、その光の中から総てが白い人間、もとい【白神】レティクル・ヴァイスが立っていた。
「カイト、くん。今すぐ、ここを、離れて」
「おい!どうしたんだ?!これは……傷、なのか?」
光の中から突如現れた【白神】レティクル・ヴァイスはしかして、フラフラとよろめき、俺にもたれかかってきた。その体は至る所がひび割れ、その隙間から白い煙が立ち上っている。
「カイトくん、どうしたの……って、え?!この人確か……」
「カイトさん?あ!この人!」
「・・・主さま?」
ヴァイスが現れたことで部屋の壁にある本がいくつか落ちてきたため、その音を聞いた3人が奥から出てきた。
「テミス!こいつ傷ついてるみたいなんだ。なんとかできないか?」
「やってみます!」
「いや、いいよ。これは、多分君たちじゃ、直せない、から。それより、君たちはすぐに、ここを、出て」
「は?どういうことだよ?」
「あの【怠惰】は敵だ。君を利用しようと、している。それに奴は、アル——グァァァ?!」
「おい?!」
何かを話そうとした瞬間、ヴァイスの体から噴き出る煙が勢いを増す。それと同時にヴァイスは体を押さえてもがき苦しみだした。
「カイトさん!魔法が、“神聖魔法”が通じません!」
「単なる傷じゃないのか!なら——」
「……とに、かく。奴から離れろ。いいね?」
「あ、あぁ!それよりも……」
「うん、それでいい。それと、君にはこれを」
そう言うとヴァイスは俺の頭に手のひらを乗せる。すると俺の体を白く温かい光が包んだ。
「これで、少しは、マシになった、かな。……グゥゥッ。もう少し、君たちを見て、いたかったけれど、時間みたい、だ」
廊下の奥からドタドタという音と共に俺たちの部屋へ誰かが向かってくる音が聞こえる。
「それじゃ、ね」
「あ、おい!まだ、何にも——」
俺が言い切る前にヴァイスは光に包まれてその姿を消した。彼が立っていた場所には一つの光の破片が落ちていた。大きさは手のひらにちょうど収まる程度。そしてほんのりと熱を持っている。
「……」
それを拾って懐に入れたところで勢いよく俺たちのいる部屋の扉が開かれた。
「カイトくん!みんなも!!ちょうどよかった、みんなここに居たのね……あれ?誰かここにいた?」
「いや、俺たち以外にはいないが、どうかしたのか?」
「そう……。ま、いいわ。我が主からあなたたちに伝えたいことがあるそうなの。こんな時にごめんなさいね。我が主の私室まで来てもらえるかしら?」
「あぁ、分かった。今からか?」
「えぇ、もし都合が悪ければ変えてもらうけれど、できれば今来てほしいそうよ」
「分かった。全員連れて行っても問題ないか?」
「えぇ、むしろ全員来てほしいわ」
「あぁ。それなら案内してくれ」
「はぁーい!」
開かれた扉から飛び込んできたその巨体のゴリラ、ミキスは俺の答えに訝しげにしながらも彼が本来伝えるべき伝言を伝えてきた。
俺はその要請に、ついに来たか、と気持ちを入れ直す。内容次第によっては受け入れることはできない。おそらくこれまでのことを考えても一方的に不利になるような提案はしてこないだろうが、裏に何を考えているかまでは不明だ。
それに今回は謁見の間ではなく、【怠惰】がいる私室に直接来い、とのこと。対等な同盟である以上、話合いなどは基本的に謁見の間でするものだ。
どちらかがどちらかを部屋に招くのは、それだけで互いの位置関係を上下に作ってしまう。しかし、今は状況が状況だ。そのため、俺も【怠惰】の私室に行くことを了承した。
「ここが我が主の私室よ。——我が主!カイトくんを連れてきました」
「そうか、入ってくれ」
中から【怠惰】の声がする。部屋に入ると、これぞ書斎、というような部屋だった。左右の棚には所狭しと本が並べてあり、その中心、窓際に彼の作業机がある。
部屋の色合いは質素な茶色。その作業机の前に座っている【怠惰】は視線をこちらに向けず、机の上の資料に目を通していた。
「すまない。そこにかけてくれ」
【怠惰】は視線を資料に向けたまま、俺たちをイスに誘導する。流石に魔王の私室でもソファはなかった。だが、ふわふわした毛皮が敷かれたイスはあった。
(これならソファを造れるんじゃないか?)
そんなことを考えながらイスに座り、しばらく待つとようやくひと段落ついたのか【怠惰】が俺たちの前に座った。
「呼び出しに応じてくれた上に、待たせてしまってすまなかった。事態が急変してしまってね」
「急変、ですか」
「あぁ。しかもこれは君たちにも関係がありそうなんだ。一刻も早く伝えたほうが良さそうだったのでね。呼び出させてもらった」
「早速その内容を聞いてもいいですか?」
「あぁ」
俺は【怠惰】に『急変した事態』について尋ねた。内容はどうやら敵軍の侵攻速度が異常に早く、すでにテンセルは敵の手に落ちてしまったとのこと。そしてそこを占拠している者から人族が使う軍用の伝書鳩、軍鳥が【怠惰】の元に来たという。
その内容は、言ってしまえばありきたりな降伏勧告。テンセルの町の住人を人質に取っているため、交換条件に諸々の物資を寄越せ、というもの。
だが、彼ら敵軍を率いている者たちが厄介だった。
「どうやら人族を率いているのは『勇者』だそうだ」




