三日月メロディ
「グループ小説 第二十弾」「プロットリレー小説」企画です! タイトルと設定は、叶愛夢さんに考えていただきました。
静かな夜のことでした。
家々の灯りは消えて、街は寝静まっています。深夜の街並みを照らし出すのは、石畳の舗道に立っている外灯の仄かな灯りと、夜空に瞬く星達と細い三日月の光りだけでした。
シンと静まった街に聞こえてくる音と言えば、遠くの海から聞こえてくる船の警笛と、暗い舗道を歩く、猫達の小さな鳴き声だけです。
やがて、時計塔の針が重なり、午前零時を告げる教会の鐘の音が、低く響いてきました。
舗道のゴミ箱をあさっていた黒猫は、ふと動きを止めて夜空を見上げました。前足で二、三度口髭を撫で、微笑むように空の三日月を見つめます。
『夜空の三日月さん、目を覚ましたかい?』
黒猫の問いかけに、細い三日月は、淡い光りを猫の方へと向けました。
『これからお日様の昇る朝までは、人間の知らないおいら達の世界だ。充分、楽しんでくることにするよ』
猫はペロンと赤い舌で口の回りを舐めると、声を立てて笑いました。
『人間達は何も知っちゃいねぇが、深夜の街には色んなものが目覚めているからな』
『黒猫さん、楽しむのも良いけれど、ほどほどにしておきなさい。深夜でも目を覚ましている人間はいるのだから』
三日月は声を強めて、咎めるように言いました。
『分かってら。それにしても、今夜のあんたは迫力がねぇな。そんな細くて今にも消えそうな姿じゃあ、満月の時のような力強さは出せねぇか』
三日月が何か言いたげに、猫に向かって光りを投げた時でした。
ほど近い場所に建っている古びたアパートの一つの窓に、ぼぅっと小さな灯りが灯りました。
『おやおや、こんな夜更けでも、起きてる人間がいたようだ』
黒猫は舌打ちしつつ、高いアパートの窓を見上げました。
『一体、どんな物好きだ? おいらには見えねぇが、高い所にいるあんたなら、中の様子が分かるよな』
すると、三日月の光りが急に柔らかくなりました。
『えぇ、よく見えますよ。あの窓の向こうのことは、ここ最近、ずっと気になっているのです』
三日月は、優しく愛おしむような口調で、そう言いました。
『黒猫さん、今夜は夜明けまで、私の話を聞いてもらえませんか? 見ての通り、私の体はこんなに細くなってしまいました。きっと、明日には消えてしまいます……』
『あんたは消えたって、また元通り満月になれるだろ?』
三日月の声が急に悲しそうになり、黒猫は言いました。
『えぇ、私の体は満たり欠けたりの繰り返しです。一度消えてもまた復活します。けれど、私の魔法の力は、私の体がなくなってしまった時、消えてしまうのです……』
三日月はそう言うと、最後の力を振り絞るかのように、アパートの高い窓に向けて、弱い光りを降りそそぎました。
あれはまだ、三日月が満月で強い光りを放っていた頃のことでした。
月明かりに照らされた明るい石畳の路を、一人の少年が歩いていました。彼の名前はエリオ。夜更けの街をフルートを吹きながら、足取り軽く楽しげに進んでいました。
深夜の街を小さな少年が歩いているのは不思議でしたが、彼はとても楽しげにフルートを吹いて、踊るように歩いていました。
彼がしばらく通りを歩いていると、エリオの前方に大きなゴミ箱が見えてきました。路地に置かれている何の変哲もない、ただのゴミ箱でしたが、その一番上に置かれていたものが、月明かりに照らされてキラリと光ったのです。エリオはフルートを吹くのをやめて、ゴミ箱に近づいて行きました。
「マリオネットだ!」
エリオは思わず声に出して叫びました。ゴミ箱に捨てられていたのは、可愛い少女のマリオネットだったのです。金色の長い巻き毛をした、青い瞳のマリオネット。キラリと光ったのは、彼女が着ている青いドレスについているガラスのボタンでした。
そのマリオネットは、かなり使い古したらしく、青いドレスは薄汚れ、彼女を動かす右手の糸が一本切れていました。昔は真っ白だったであろう彼女の顔も黒くくすんでいます。けれど、その青く澄んだ美しい瞳に、エリオは興味を惹かれました。月明かりに照らされた人形の瞳は、真っ直ぐエリオを見つめているように見えたのです。
エリオは迷わず、ゴミ箱からマリオネットを拾い上げました。そして、青いドレスについた汚れを叩き落とすと、人形に向かってニコリと微笑みかけました。
「こんばんは、マリオネットさん。僕はエリオ、一緒に帰ろうよ」
エリオに声をかけられたマリオネットは、嬉しそうに笑っているようでした。
マリオネットの名前は、セレナと言いました。
ついこの前まで、人形劇団の仲間達と楽しく踊ったり、芝居をしたりしていました。踊る時も芝居をする時も、セレナは人間達の意のままに操られ、自分の意志で動くことは出来ませんでした。
セレナはマリオネット。動かされる糸の命令に従うまま、体を動かすだけです。それでも、セレナは劇団が好きでした。観客達の前で踊り、拍手歓声を浴びることに生き甲斐を感じていました。ずっとずっと、永遠に、この生活が続くと信じていたのです。
けれど、そんな生活の終止符は、突然打たれました。セレナの右手の糸が切れたことをきっかけに、幸せな生活は終わってしまったのです。セレナは綺麗な少女の人形でしたが、もう何十年も操られてきたせいで、すっかり古くなっていました。新しい綺麗な少女の人形なら他にたくさんいます。
優しかった人間達は、ゴミ屑を捨てるようにセレナをゴミ箱に投げ捨てると、知らん顔して去っていったのです。
セレナは夜通し泣き続けていました。やがて、ゴミ箱の屑や生ゴミと一緒に、燃やされるのかと思うと、涙が止まりませんでした。一人ぼっちのセレナをずっと見守っていてくれたのは、空のお月様だけです。けれど、お月様も優しい光りをセレナに浴びせかける意外、何も出来ませんでした。
そんな時、あのエリオが現れたのです。
セレナに微笑みかけ、埃まみれのセレナを拾ってくれました。セレナは言葉では言えないくらい喜びました。地獄から一気に天国に行けたくらい嬉しかったのです。
悲しみの涙は喜びの涙に変わり、セレナは心からエリオに感謝しました。
エリオの瞳は澄んだ緑色をしていました。セレナは、その美しい瞳に一瞬にして惹かれ、その時からマリオネットの少女の恋は始まったのです。
二人の出会いは、空に浮かぶ月だけが知っていました。
古いアパートにセレナを連れ帰ったエリオは、窓辺の棚にそっと彼女を置きました。窓からは、満月の灯りが降りそそぎ、見守るようにそっとセレナを照らしています。微笑みを浮かべてセレナを見つめながら、エリオはフルートを吹き始めます。軽やかに流れる優しいメロディ。セレナはうっとりとした表情で、フルートの演奏に聴き入ります。踊り出したくなるような旋律。劇団で踊っていた頃を思い出し、セレナは幸せな気持ちに浸ります。
『踊りたい、もう一度。彼のフルートに合わせて……』
セレナは心からそう願いました。
それから毎晩、エリオはセレナの元に来て、フルートを聴かせてくれるようになりました。ちょうど、教会の鐘の音が、午前零時を告げる頃、薄暗い室内にぼうっとロウソクの灯りが灯されます。エリオが燭台とフルートを持って、セレナの側に来てくれるのです。ロウソクの仄かな灯りと、窓から零れるお月様の淡い光りが、殺風景な室内を照らし、セレナのいる棚の上は、まるで舞台の上のようです。
『踊りたい』
エリオを慕う気持ちと同じくらい、セレナの踊りたいと思う気持ちは募るばかりです。けれど、それは叶わぬ願い。フルートの演奏に夢中なエリオは、セレナを持ち上げて糸を操ってはくれません。そして、東の空が白んでくる頃、部屋を出ていってしまうのです。
『可愛いマリオネットさん、あなたはそんなに踊りたいのですか?』
ある晩のこと、セレナの耳に穏やかな声が聞こえてきました。
『あなたは誰?』
『私は空に浮かぶ月です。毎晩、この窓から光りを注ぎ、あなたのことを見守っていました』
お空のお月様には、セレナの気持ちが痛いほどよく分かっていました。
『ええ、とても。エリオのフルートに合わせて踊りたいんです』
セレナはそう言った後、青い瞳を曇らせました。
『けれど私は、糸の切れた古いマリオネット……踊ることは出来ません。もし、願いが叶うのなら、エリオと同じ人間になって踊りたい。誰かに操られるのではなくて、自分の意志で踊りたい』
夢見るように語りながら、セレナは頬をバラ色に染めました。
『あなたが望むのなら』
お月様はしばらく考えた後、セレナに言いました。
『私があなたに魔法をかけてあげましょう。あなたを人間にして、踊れるようにしてあげます』
『本当ですか!』
セレナの顔に、パッと喜びの色が浮かびました。
『ただし、これは魔法です。ずっと人間でいられる訳ではありません。あなたの耳に私が送るメロディが聴こえる間だけ、願いは叶えられます』
『構いません! 人間になってエリオに会えるなら。エリオのフルートで踊ることが出来るなら!』
セレナは声を弾ませます。
『分かりました。魔法の効き目は、空に私の姿が浮かぶ深夜の間だけです』
お月様は優しくセレナに言いました。
『もうすぐ、エリオがやってきます。エリオがロウソクを灯した瞬間、あなたの姿は人間の少女になっていることでしょう』
教会の鐘が時を告げて間もなく、部屋に仄かなロウソクの灯りが灯り、静かにエリオが現れました。エリオはいつものように、燭台にのったロウソクを、棚の上のセレナの隣りに置こうと歩いてきます。
フルートの演奏をする前は、必ずセレナに挨拶して、その小さなほっぺにキスをするのです。しかし、その夜、棚の上に人形はいませんでした。
「マリオネットさん?」
不思議に思ったエリオが、棚を照らしていた燭台を動かした時でした。後ろ向きに佇んでいる少女の金色の巻き毛が、ロウソクの炎に映し出されました。
驚いているエリオを前に、少女はゆっくりと振り向きました。
「君は!?」
豊かな金色の髪も、青い瞳も、金色の髪も、マリオネットの少女と同じ。彼女はほんのりと頬を染めて、微笑みました。
「エリオ、私の名前はセレナ。お月様にお願いして、人間にしてもらったの」
「セレナ。人間の姿の君も、とっても可愛いね」
ビックリしていたエリオも、ニッコリと笑みを浮かべ、いつものようにセレナにキスをしました。
エリオに会うまで、ドキドキしていたセレナも、今は喜びでいっぱいです。エリオと同じ目線で話しが出来て、糸がなくても動くことが出来るのです。
「私は、踊るのが得意なの。毎晩エリオのフルートを聴いて、踊りたくて仕方なかった。あなたのフルートに合わせて、踊りたいわ」
「僕も君の踊りが見たいな。夜明けまでずっと踊り続けようよ」
燭台を棚に置いたエリオは、セレナを見つめながら、軽やかにフルートを吹き始めました。セレナの耳に、優しいエリオのメロディが流れてきます。
『この曲だったのね』
耳に流れる旋律は、お月様のメロディと同じでした。セレナが人間になった瞬間から、セレナの耳に流れ始めたオルゴールのメロディが、エリオのフルートと重なります。
セレナは、ゆっくりと手足を動かし、メロディに会わせて踊り始めます。糸無しで、自分の意志で踊れるのは、なんて楽しいんでしょう。軽やかなメロディに会わせて、セレナは軽やかにステップを踏んで踊り続けます。
『ずっと、ずっと踊っていたい。お月様のメロディがずっと続いてくれたらいいのに……』
空の上のお月様は、じっとその様子を見ていました。明るい光りを窓辺から降りそそいで、フルートを吹く少年と、踊り続ける少女の姿を優しく見守っていました。
それからの日々は、エリオとセレナにとって、この上なく幸せな毎日でした。毎晩、セレナは時を忘れて踊り続け、エリオはフルートを吹き続けます。アパートの部屋は、月明かりの照明に照らし出される二人だけの舞台。観客の歓声や拍手はないけれど、二人は喜びに満たされていました。この幸せな日々がずっと続くことを、セレナは願っていました。ですが、時は容赦なく流れ続けていきます。
窓から降りそそぐお月様の明かりは、次第に弱くなっていきました。それと同時に、セレナの耳に流れ続けるオルゴールの音色も、日に日に小さくなってきます。
『どうか、鳴りやまないで』
頭の中で鳴り続けるメロディが終わらないよう、セレナは願い続けました。
そんなセレナの不安に気付いたのか、ある晩のエリオの演奏は、ぎこちなくて何度も間違えていました。その度にセレナも踊りを中断します。
「満月だったお月様も、もうあんなに細い三日月になってしまったね」
フルートを吹くのをやめて、窓の外を見上げたエリオが、ポツリと言いました。
「……」
黙ったまま、悲しい目をしてセレナも三日月に目をやりました。窓から降りそそぐ月の光は、とても弱く今にも消えてしまいそうです。セレナの頭の中で鳴り続けていたオルゴールも、途切れ途切れにしか聞こえません。人間でいられる時間は、あと僅かのようです。
「エリオ、フルートを続けて」
セレナはエリオを見つめて言いました。最後の最後まで、エリオの演奏に合わせて踊りたいのです。何か言いたげにセレナを見つめ返したエリオは、静かに頷きました。
「夜が明けるまで続けよう」
そう言うと、エリオは心を込めてフルートを吹き始めました。
『お月様、ありがとう。私は幸せでした』
セレナはエリオのフルートに合わせ、踊り始めます。
空が次第に白み始め、長い夜が終わろうとしてきました。
お空の三日月は、今にも消えてしまいそうなほど、薄く細くなってしまいました。
『あぁ、黒猫さん、もうすぐ終わりの時が来ます』
三日月は、アパートの窓を見下ろしながら、嘆くように黒猫に言いました。
『私の魔法の効き目はあと僅かです』
『三日月さん、そんなに嘆くこたねぇよ。あんたは、その人形に幸せを与えてやったんだ。きっと満足しているさ』
『けれど、もう二度と人間にはなれないのです。私の魔法が永遠だったのなら、どんなに良いでしょう』
『仕方ねぇや。あんたはずっとお月さんで、おいらはずっと薄汚い猫。人形はずっと人形のままなんだよ』
黒猫はゴロゴロとのどを鳴らしました。東の空に、お日様の光りが差し始めてきました。猫も普通の猫に戻る時間です。
『あんたの話、良かったよ。今夜は退屈しねぇでいられた』
『黒猫さん、最後にお願いがあります。どうか、あのアパートに行って二人を──』
三日月の声は、そこで途切れました。東の空がパァッと明るくなり、力強い太陽の光が差してきました。
黒猫はニャァと鳴いて、空を見上げましたが、既に空には三日月の姿はありませんでした。
やがて人々が目を覚まし、街は活気づいてきました。
空に瞬いていた星達の姿も、もうありません。空は雲一つない真っ青な青空へと移り変わりました。
黒猫は石畳の路を小走りで駆け抜け、三日月が見下ろしていた古いアパートに辿り着きました。明るい太陽の下で目にするアパートは、薄汚れてかなり傷んでいました。廃墟と化したアパートに、人の気配はありません。
黒猫は、がれきの山を飛び越えて、薄暗い階段を上って行きました。ロウソクの灯っていた部屋は、アパートの三階あたりでした。埃だらけの廊下を走り、前足でそっとドアを押し、黒猫はアパートの一室に入ります。
静まりかえった室内。何にもない殺風景な部屋の中央に、壊れかけの肘掛け椅子が一つだけ置かれてありました。その椅子の上に、何か置かれているようです。黒猫は足音を忍ばせつつ、そっと近寄ってみました。
その物を見た時、黒猫は低い声で鳴きました。椅子の上に置かれていたのは、フルートを吹いている少年の人形だったのです。人形は、微笑みをたたえ、楽しげにフルートを吹いています。
しばらく人形を見つめていた猫は、それを口にくわえると、もう一つの部屋まで歩いて行きました。その部屋は、お月様が見下ろしていた窓のある部屋です。
窓辺には小さな棚があって、棚の上には、燭台とマリオネットの少女が置かれていました。糸の切れたマリオネットも、フルート吹きの少年のように穏やかな笑みを浮かべているようです。
黒猫は、狙いを定めると、ひょいと棚の上に飛び乗りました。そして、マリオネットの横に、そっとフルート吹きの少年を下ろしました。
お月様は、マリオネットに魔法をかける数日前、フルート吹きの人形にも魔法をかけたのです。フルート吹きの人形も、マリオネットのようにゴミ箱に捨てられていたのです。お月様は、少年の願いを聞いて、人間にしてあげました。深夜の間だけ人間になれた少年は、この古びたアパートを見つけ、住むようになったのです。
黒猫は二つの人形を見つめ、満足気に小さく鳴くと、窓から見える空を見上げました。お月様が今度空に現れた時、このことを話すつもりです。青い空の向こうで、お月様も喜んでいるような気がしました。 了
叶さんの言うような、『楽しいオモチャ箱の世界』には、ちょっと出来なかったかもしれません…^^;。月のイメージは神秘的でもの悲しいような印象があります。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、微妙です。
でも、書きたいことは書けました。久しぶりにメルヘンを書いて、楽しかったです! 月とマリオネット以外にも、たくさん登場人物を加えました。月、マリオネット、とくると、イメージが大きく膨らみますね〜! 叶愛夢さん、素敵な設定をありがとうございました!
次回、私の設定で藤野朔夜さんが執筆予定です。