火の部族の村
くろねこ亭のみんなと別れ、グクス村にもどったわたし達は、明日商人のラダマンさんが香辛料の買い付けに来るかもしれないという話を市場の人達にしておいた。先ほどの話ではラダマンさんは、胡椒一袋に金貨一枚を出すと言っていた。本当にその金額で買ってくれるのなら、今までの価格の実に百倍だ。市場の人達に「決して安売りをしないように!」と念押しをしておく。みんな、口々に「信じられない」といった風なことを言っていたが、どことなくそわそわしていて興奮が隠しきれてない。わたしも値段がつりあがってしまう前にと思い、胡椒とカレーに使えそうなスパイスを購入しておいた。
村の中を歩いていると、どこからともなくスパイスのいい香りが漂ってきた。間違いない、これはカレーの匂いだ! ザザが早速レシピを広めてくれたのだろうか。中には目が痛くなるほどの刺激的な煙が出ている家もあった。……激辛カレーがお好みなんですね。今この瞬間に、それぞれの家の家庭の味が作りあげられようとしているのだ。その証拠に明かりがついたどの家からも、どことなく違ったカレーの匂いがする。これは案外早くカレーコンテストが開けるかもしれないな。ふんふんと鼻を動かしながら、この家の人はココナッツミルクが好き、この家の人は魚のカレー……と口にするわたしを見てエステラが「……ユーリのそれはもう特技ね。わたしには全然違いがわからないわ……」と呟いた。……そうかな?
マーダチカおばあちゃんの家に戻ると、チコリとおばあちゃんが仲良く食卓を囲んでいた。小さめサイズの家具も、チコリには丁度いいみたい。食べ終わった食器を自ら下げ、洗い物を手伝うなど、魔物とは思えないほど馴染んでいる。おばあちゃんもチコリに対し、特に怖がったりする様子もなく、わたし達と変わらないように接してくれている。
以前ドラ子も言っていたが、結局人間にとって役に立つか立たないかで魔物と魔獣の線引きをしているだけで、魔物とも決して分かり合えないというわけではないのかもしれない。言葉を話せるようになったことで、意思疎通がより明確にできるようになったことも大きい。実際、わたしにだけ従っていたはずのチコリは、今やすっかりマーダチカおばあちゃんに懐いている。……やはり顔が似ていると親近感が……おっと危ない。おばあちゃんがわたしの心を読んだように鋭い目でこちらを睨んできたので、この件についてこれ以上考えるのはやめておこう。わたし達は外のテントで寝るので、おばあちゃんとチコリに就寝の挨拶をしてから四人で眠った。
──翌朝、まだ太陽も昇っていない内からおばあちゃんは動き始めていた。……お年寄りの朝は早いね。どうやら井戸で水を汲もうとしているらしい。物音で目が覚めてしまったわたしは、手伝おうと思い杖を手にしてテントをでる。しかし声を掛ける前に、おばあちゃんはさっさと釣瓶を引き上げていた。え……すごくない? あれ結構重いよ?
「……おはようございます。大丈夫ですか? それ、重くないです?」
「あぁ、おはよう。何、毎日のことだからね。朝食に使う分の水を沸かそうと思って……どっこらしょっ……う……!!」
おばあちゃんは釣瓶の中の水を、桶に移そうと持ち上げたところで固まってしまった。こ、これはもしや……!
「マーダチカさん!? ひょっとして……!」
「……腰を……やっちまったみたいだ……」
やっぱり! ぎっくり腰だ! わたしはすぐさまエステラを起こしに行き、おばあちゃんにヒールをかけてもらう。とりあえず動けるようにはなったみたいだが、今日一日は安静にしておいた方がいいだろう。ルークスに頼んで、おばあちゃんをベッドまで運んでもらった。こんな時でもルークスにお姫様だっこされているおばあちゃんの頬はバラ色に染まり、嬉しそうだった。……意外と元気そうだな。
「はあ……年には勝てないねぇ……水汲みなんてなんでもなかったのに……」
「……いや、その年で水汲みができるって、充分すごいと思いますよ。今日は一日安静にしておいてください。わたし達は出かけますけど、チコリに身の回りのことは頼んでおきますので」
わたしがチコリに目をやると、拳を握りしめ、力強く頷いてくれた。頼りにしてるぞ、チコリ! ルークスに一日分の水を沸かしてもらい、エステラが作り置きの分の食事もまとめて作ってくれた。痛んでしまわないように、カイン君が氷で鍋ごと冷やしてくれる。食べるときはチコリに温めてもらってね。わたしはその間、サラマンダーの祭壇の設計図を紙に描いておいた。フリーハンドなので少々曲がってしまったが、まあ完成のイメージが伝わればいいよね? 同じものを何枚か複製して一人ザザのもとへ向かう。
宿屋に着くと、すっかり元気になった娘さんが店の前で掃き掃除をしていた。朝早くから偉いですねぇ。わたしの姿に気が付くと、にこっと笑って挨拶をしてくれる。わたしがザザに会いに来たことを告げると、走って中に呼びに行ってくれた。しばらくするとザザが出てきたので、わたしは軽く会釈をしてから話しを始めた。
「おはようございます。先日お話しした、祭壇づくりを手伝ってくれる人は見つかりましたか?」
「ああ、今のところ五人程集まったよ。みんな力自慢ばかりだよ。そのくらいで足りるかい?」
「ありがとうございます、充分だと思います。早速明日からお願いしたいのですが、これを皆さんに渡してください」
わたしは祭壇の設計図を五枚、ザザに手渡す。
「こんな感じの祭壇を作りたいのです。もともとあったものに少々アレンジを加えたんですが……」
「ほう! なかなかいいじゃないか! この所々に使ってある赤や黄色の石がいいな! この村の色と一緒だ!」
あぁ、うん。そういうつもりはなかったんだけど、白い石が足りなかったから……、あと茶色の石も使ってるよ?
「賃金は工事に入ってもらう前に半分、完成してから残りの半分をお支払します。……一人につき金貨二枚でどうでしょう」
「金貨二枚!?」
「……少ないですか? じゃあ、金貨四枚で……」
「金貨四枚!?」
「流石にそれ以上は……まだ材料費もかかるかもしれませんし、五人分ともなると……」
「……いや! 多すぎるよ! この辺じゃ一日働いたって精々銀貨三枚が良いところだ!」
「……あ、そうなんですか? でも一度口にしてしまいましたし、一人金貨四枚でお願いします。じゃあ明日の朝八時に。集合場所はここで良いですか?」
その後もザザと色々話を詰めていく。ザザは「はぁ……俺が働きたいぐらいだよ」と何度も言っていた。側で聞いていた娘さんに「お父さんは宿の仕事があるんだから、そんなことできないでしょ?」と叱られている。娘さんに叱られてザザもたじたじだ。「冗談だ! 本気にしないでくれ!」と必死で弁明していた。その表情はどことなく嬉しそうで、娘さんを本当にかわいがっているのが見て取れる。……元気になって良かったね。
さあ! 今日は火の部族に村に向かうぞ! 土砂崩れの様子も確認したいし、サラマンダーのことを火の族長に少々尋ねてみたい。わたしはみんなと合流して、ドラ子に乗って火の部族の村へと向かった。
火の部族の村は、村人全員が赤と茶色の衣装を身にまとっている。村の入り口に立っている手に槍を持った戦士らしき風貌の男性は、村のテーマカラーである赤と茶色の布を体に巻き付け、首から獣の牙でできた首飾りを下げていた。……村の門番かな?
男性は村に近づくわたし達を獣のような鋭い眼光で睨んだかと思うと、途端に表情を崩し、親し気にルークスに話しかけてきた。どうやら顔なじみらしい。そういえば、ルークスがこの村を訪れるのは二回目だ。熱病の薬のおかげで、この村の患者も助かったと嬉しそうに報告してくれた。生水を口にしないように気を付けたことで、新たな患者も出ていないとのことだった。見た目怖そうだからびくびくしてたが、フレンドリーな門番さんだな。
「わー、家の形が他の村と違うね」
「カインはこの村に来るの初めてなの?」
火の部族の村の家は、モンゴルのゲルのような持ち運びができるタイプだ。放牧と狩猟を行う火の部族は、定期的に村の位置を変えている。街道沿いにあるのは間違いないのだが、去年までの位置に村があるとは限らない。今回はドラ子に乗って空から探したのですぐに見つかったけどね。カイン君は中央から出たことがなかったらしく、初めて触れる異文化にはしゃいでいるようだ。かわいい。
村では子どものジャイアントブラックシープが飼われていた。子どもとはいえ、でかい。そしてもっふもふだ!……是が非でも、もふりたい! わたしは側にいた飼い主さんにお願いして、ふわふわの毛を触らせてもらった。そっと手を触れると、手がどこまでも沈んでいく。……毛の層、厚い! しかもふっわふわ! これだけふわふわの毛を着こんでいて暑くないのかな……? 飼い主さんは「ジャイアントブラックシープは暑さにも寒さにも強いから大丈夫。もうすぐ毛刈りもするよ」と答えてくれた。「良かったら背中に乗ってみる?」と言われたので、よじ登って背中にものせてもらう。すごい! 高い! もふもふ! きゃー! 嬉しい!
「……ユーリ、はしゃいでるわね」
「そうだね、嬉しそうだね」
「おーい、ユーリ! そろそろ行こう!」
しまった。あまりのかわいさに、つい夢中になってしまった。わたしは飼い主さんにお礼を言って、小走りでみんなの後をついて行った。