寝顔観察とスープづくり
わたしは音を立てないように、カイン君が眠る部屋の扉を開けてみる。カイン君はまだ起きてはいないみたいだ。つま先歩きで近づいて寝顔を観察してみると、昨日より顔色が良くなっている。……良かった。汗で張り付いてしまっている前髪を、起こしてしまわないようにそうっとはがした。
こうしてゆっくり寝顔を見るのは、この世界に来た日以来かな……。まだあどけなさが残る寝顔は、とてもサラマンダーを一人で倒すような豪傑には見えない。……かわいい。カイン君は、どうしてそんなにまつ毛が長いの? どうしてそんなに肌が綺麗なの? どうしてそんなに唇の形が……
わたしがカイン君の整った唇をガン見していると、パチッと瞼が開かれ、バッチリ目が合ってしまった。
うわああああああああっ! わたしは驚きのあまり、勢い良く尻餅をついた。その体勢のまま、腕と足を使ってカサカサと部屋の端まで高速で移動する。その間、カイン君との目は合ったままだ。
やばい! どうしよう! カイン君に黙って寝顔を見てる変態だと思われた! さっき同じことをマーダチカおばあちゃんにされたわたしが言うんだから間違いないっ!!
「ち、違うんです!」
「え? 何が?」
いや、やってることは変態そのものかもしれないけど、下心は! 下心は無かったと神に誓え……誓え……ます? うわあああああああああっ!! 馬鹿ッ! 馬鹿ッ! わたしのばかーーーー!!
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「……ユーリ、大丈夫?」
大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら、大丈夫じゃない。わたしは部屋の壁にガンガンと頭を打ち付ける。煩悩消え去れ! 記憶よ消えろ! 危うく妄想の中でカイン君を穢してしまうところだった……!
「すごい音がするけど何やって…………ユーリ、本当に何やってるの?」
お玉を持ったエステラが、部屋をのぞいてドン引きしていた。わたしはエステラの顔を見てふと我に返り「何でもないです」と取り繕った。額からはつうっと血が流れたが、次の瞬間にはもう治っていた。
「もう、まだカインの体調も良くなってないんだから、あまり騒いじゃだめよ?」
「……はい、すみません」
わたしはエステラに怒られながら、朝食の準備を手伝っている。カイン君は部屋で体をふいている最中だ。水瓶の水を桶に張って、そこに先ほど沸かしたお湯を入れてぬるま湯を作ったし、新しい着替えも置いてきたし、喉が渇いた時用に白湯も置いてきた。先ほどの失態を誤魔化す為に、わたしなりにきびきび動いたし、カイン君も何も言ってこなかった! うん、無かったことにしよう!
「野菜はなるべく小さく刻んでね。その方が火の通りも早いし、消化にもいいと思うから」
「……はい!」
料理をするのは久しぶりだが、わたしだって包丁ぐらい扱える。左手はねこの手にして……よし! いざ!
ダンッ! ダンッ! ガッ……ダン!
「……ユーリ、野菜を刻むのはわたしがやるから、鍋を見ていてもらえる?」
「……はい」
どうやらわたしの包丁さばきは、エステラ的に不合格だったらしい。わたしはエステラの手つきを観察する。うん、包丁の持ち方は一緒だ……左手もねこの手だし、どこが問題だったんだ?
トトトトトトトトトトトトッ……
ワーオ……わたしとは音が違う。普段からやり慣れている人との差だなぁ……。自炊、がんばろ。
エステラが刻み終わった野菜も投入して、わたしは浮かんできたスープの灰汁を真剣にとった。こういう作業なら得意だよ! エステラが味付けも任せてくれたので、塩をひとつまみパラパラと入れる。味見をしてみると少々薄い気がしたので、もうひとつまみ、もうひとつまみ……このくらいかな?
「……少し塩が多かったかもしれないわね」
「……すみません」
味見をしたときはそうでもないと思ったのだが、塩を入れすぎてしまったらしい。……どうしよう、水を足そうかな? でもせっかくの野菜の出汁が薄くなっちゃう……うぅ……
「だ、大丈夫よユーリ! 確かここに……ほら! 卵があるから、これを溶いて入れましょう! 後で食材を買い出しに行くから、その時に忘れずに買って戻しましょうね」
エステラがちゃちゃっと玉子スープにしてくれた。もう一度味見をしてみると、今度は丁度いい塩加減だ。おいしい! ふわふわの玉子がスープの塩味を吸収してくれたのかな? 野菜のうまみもしっかりでてる。これならカイン君も喜んでくれるかも!
スープができたところでおばあちゃんが戻ってきた。ルークスの薪割も終わったみたいなので、朝食にしよう。エステラがみんなの分をよそってくれているので、わたしはカイン君のいる部屋の扉をノックした。
すぐに返事が返ってきたので「失礼します」と声を掛けてから扉を開ける。
カイン君は体をふいて、服を着替えて、すっきりとした顔でベッドに座っていた。わたしは先ほどの失態は無かったことにして、カイン君の調子を尋ねる。
「具合はどうですか?」
「もう大丈夫だと思うよ。熱も……多分下がってる」
わたしは失礼してカイン君の額に手を当てる。……うん、まだちょっと熱い気もするけど微熱程度だろう。
「食欲は戻りましたか? 玉子と野菜のスープがあるんですけど……」
「食べる! お腹すいたなーって思ってた」
了解です! わたしはすぐさまカイン君の分のスープをよそってもらい、部屋へと運ぶ。ベッドの上での食事になるが、テーブル代わりの薄い板の上にスープを置いて、簡易テーブルを作った。
「いただきます」
カイン君がスプーンでスープを口に運ぶ。わたしはどきどきしながら、その様子を見守った。
「ど、どうですか?」
「…………おいしい。なんかあったかくなる」
よ、よかったー! 一度は失敗したかと思ったスープだったが、エステラのおかげで見事リカバリーすることができた。カイン君はゆっくりとだがスープを完食してくれた。食欲も戻ったみたいなので、もう心配いらないかな。あー良かった! でも今日ぐらいはゆっくり寝ていてもらわないとね! わたしはカイン君をベッドに寝かせると、脱いだ服と食器を回収してから部屋を出た。
「先に食べてるよ、あの子の調子はどうだい?」
マーダチカおばあちゃんが、スープを飲みながら声を掛けてきた。ルークスも、スープをもの凄い勢いで飲んでいる。……作りすぎたかと思ったけどそうでもなかったみたい。
「熱は大分下がったみたいですね。スープも飲めたので、食欲は戻ってきてると思います」
「そうかい、良かったね。あとで薬を持って行っておやり」
「はい、ありがとうございます」
わたしはカイン君の食器を下げて、洗濯物をカゴに入れ、一旦家の外に出して、手洗いうがいをしてから食卓についた。
「……今のは何だい?」
「え、手洗いうがいですけど……しませんか? 外から戻った時とか、ご飯を食べる前にはした方がいいですよ」
どうやらここに手洗いうがい文化はないようだ。おばあちゃんにとっては、汚れてもいない手を洗うのが不思議で仕方ないらしい。わたしは「見えないけど、細菌やウィルスがついてるんですよ」と説明した。生水を飲まないことと併せて徹底すれば、かなり予防効果があると思うんだけどな。まあ、何食べても問題のないわたしに、手洗いうがいの効果あるのかどうかは疑問だか……。しかし水道がないのは不便だな。さっきあれだけ沸かしたはずの水は、わたしが手洗い用に使った分でなくなってしまった。……まずは水汲みを楽にする方法から考えた方がいいかもしれない。
「……そうだ、さっきあんたが言ってた水の件だけどね、村人にはなるべく広めておいたよ。……その手洗いうがいってやつも一緒に伝えておけば良かったね。この村の井戸は東にある森の地下水脈からずっと流れてきているんだが、その地下水脈の流れと感染が広がった地域が一致する。……これも魔王の影響かねえ」
うーん、どうなんだろ? 魔王の事は憎いけど、熱病まで魔王が原因かって言われると違うような気もするし……わかんないね。わたしはスープの飲みながら、おばあちゃんとあれこれ話をした。あとでエステラと使ってしまった分の食材も補充もかねて買い物に行くので、お勧めのお店も教えてもらう。ルークスはおばあちゃんの家の仕事を手伝うそうなので、アイテムバッグだけ借りることにした。お水もまた沸かしておいてもらわなきゃね。
わたしはカイン君に薬を持って行って洗い物を済ませた後、ルークスに手伝ってもらいながら水汲みをし、カイン君の服を洗濯した。カイン君の服が洗濯できるとか幸せすぎる……。いつもは自分で洗っちゃうんだよね。樹に結び付けたロープに服を通したら完璧だ! うん、わたし洗濯は洗濯機がなくてもできるよ!
さあ、一通りの仕事は終わった! 次は買い物だ! わたしはルークスから借りたアイテムバッグを腰に装着する。なくさないように、ベルトもしっかりと締めた! 準備完了! わたしはマーダチカおばあちゃんに「いってきます」の挨拶をして、エステラと村の市場に向かった。
前回更新分でマーダチカおばあちゃんの名前間違えてました……。見た目はおばあちゃんだけど、心は女の子って感じでつけた名前です。乙女心搭載型おばあちゃん。