2DKで水を求めて
────ピピピピピピピ
目覚ましの音がする。わたしはカッと目を見開いて飛び起きた。そのまま叩くようにして目覚ましを止めると、ゆっくり深呼吸をして、先ほど神と握手を交わしていた右手を見つめる。会話の内容まではっきりと思い出せる。
夢だと思ってたからかな? 思い切ってかっこいいこと言っちゃったなー。
ベッドから起き上がり、カーテンを開けて朝日を浴びる。昨日までの不調が嘘のように体が軽い。風邪は完全に治ったようだ。……もっとも夢の話では風邪ではなく、神様に憑りつかれたことによる体調不良ということだったが。
レンジの中のうどんは汁を完璧に吸い上げ、極太麺になっていた。三十分程度の仮眠のつもりだったが、朝まで寝てしまった以上、さすがにこれは食べられない。ごめんなさいをして、朝食用のパンをトースターに放り込み、コーヒーをいれる。
マグカップに揺らぐ湯気を見ながら、ぼんやりと自称桜の神のことを思った。
夢……だよねー? なんか妙にリアルだったな。……最近読んだ漫画の影響かなぁ。
改めて考えると、桜の神様は実に美しい顔立ちをしていた。さらりと流れる薄桃色の髪は背中でゆるく一つに纏められ、萌黄色の瞳は、人ならざる者の妖しさを感じさせつつも、目を逸らすことのできぬ魅力にあふれていた。白磁のような白い肌に白い装束は映えないが、全体的に薄い色彩は桜の儚さを連想させ、わたしの中での桜の精のイメージがそのまま具現化した様な姿だった。
簡単な朝食を済ませると、シャワーを浴びに浴室へ向かう。脱衣所で鏡をのぞき込むと、頬にニキビ……もとい、吹き出物がひとつできていた。昨夜、化粧を落とさずに寝た代償だ。幸い今日は仕事が休みなので、肌を労わるためにも、一日化粧はお休みしよう。そうしよう。ついでに一日中ゴロゴロしよう。そうしよう。
基本めんどくさがりで出不精なわたしは、休日は言葉の通り休むスタイルだ。未プレイのゲームもたまっていることだし、いっぱい遊ぶぞー! 昨日は流石に食べる気がしなかったが、激辛カップラーメンのストックはまだある。引き籠る準備は万端だ!
ふんふん~と鼻歌を唄いながら浴室のドアを開けると、そこには先客がいた。
「ぎゃーーーーーっ!!」
早朝からひびく私の悲鳴に、隣人は壁ドンをしただけだった。
────信じられない。信じられない。信じられない!
わたしの前には左頬を赤く腫らした神様が座っている。
信じられないその一、夢かと思った神様が朝起きてもそこにいた。
信じられないその二、その神様は服を着たまま人の家の風呂に勝手に入っていた。
信じられないその三、人の裸をガン見して悪びれた様子もなく夢の話の続きをはじめた!
「信じられない! なんで勝手に人の家のお風呂に入ってるんですか!? っていうか、なんでいるんですか!? っていうかその前に裸見たこと謝ってください!!」
涙目になりながらわたしが捲し立てると、神様は至極めんどくさそうに口を開いた。
「待ちなさい。まず其方は、神に対して不敬が過ぎるのではないか? ……この私に平手打ちなど…………だいたい、私に人のような男女の区別はない。見た目こそ人の男性を模しているが、其方の裸を見たところで、なん……」
パンッ!
──わたしの前には右頬を赤く腫らした神様が座っている。
「……私は水を飲んでいただけだ」
「キッチンはそこですけど?」
指差された方向を一瞥し、神様はかぶりを振った。
「そこは少し位置が高い。足が上がらぬではないか」
──神様の説明によると、人の姿を模してはいても、本質的に樹であることに変わりはなく、顔についている口はいわば飾りのようなもので、水は根の部分、……つまり足元から吸収したいらしい。2DKバストイレ別のわたしの部屋から水場を探し出し、試行錯誤の末、蛇口から水を出し、栓をして、浴槽に水を溜めることに成功した神様は、嬉々として服を着たまま飛び込んだ。そのうち水を吸った服が重くなり、立つのもつらくなってきたので、膝を抱えてしゃがみこんでいたところにわたしが入ってきたんだそうな。
ちなみにびしょ濡れだった平安装束は脱いでもらい、今は大きめのタオルでぐるぐる巻き状態だ。
……この服、洗濯機で洗っても大丈夫かな。材質なんだろう? 洗濯タグがないからわかんないよ。手触りも良いし、もしかして絹? クリーニングとかは勘弁だな……。
わたしが眉間にしわをよせ、洗濯カゴに入った神様の服を手に取って考えていると、後ろの方から言い訳のように、「近頃はまとまった雨がふっていなかったから……」と、つぶやく聞こえた。
そんな風に、叱られた子犬の様な顔をされても逆に困る。まぁ事情が分かればそれでいい。喉が渇いているのなら水を飲みたいのは当然のことだ。ただ神様はもともと「樹」だから、人間の常識は通じない。それだけのこと。気を取り直してわたしは神様に向かい合った。
「それでは一番大事なお話です。なんで、ここに、いるんですか? 昨日のあれは夢じゃなかったんですか?」
「昨晩は夢路を通って其方に語り掛けていた。だが話の途中でそなたの眠りが深くなった為、私の声は届かなくなった。仕方がないので、本体から更に力を飛ばし、意識体を具現化させ、其方が起きるのを待っていたのだ」
「じゃあ、昨日のあれは夢であって夢じゃなくて、約束はもちろん有効ってことですね……」
神様は眉間に皺をよせて口を開いた。
「……其方、まさか夢の話だと有耶無耶にするつもりだったのではあるまいな。神に誓いを立てておきながら反故にするなど……末代まで呪われても文句は言えぬぞ」
タオルぐるぐる巻きがお決まりの文句で脅してきたが、格好が格好だけにあまり怖くはない。というか、多分わたしで末代です。結婚できそうにないので。……と余計なことを思ったが、また怒られそうなので口にするのはやめておいた。
わたしはにこりと笑って答える。
「もちろん、約束は守ります。……ただし! 願いを叶えるのは先払いでお願いします」
「む、なぜだ? 私は一刻も早く力がほしい。そなたの願いにもよるが、それを叶えるためにもある程度の力は必要だ」
「それでしたら、簡易的ではありますが……」
わたしはカイン君の祭壇からグッズを片付け始めた。ごめんね、ちょっとの間我慢してね。これもカイン君のためなんだよ。その間、神様はおとなしく待っていた。
粗方片付いたところで、わたしは腰に手を当てて咳ばらいをする。
「丁度良く、私の部屋にはすでに祭壇があるのです。ほら、手作りではありますがここに社も!」
心の中でじゃじゃ~ん! という効果音をつけ、両手で祭壇の中央を示した。
そこには私がホームセンターで買った材料で作ったミニ神社がある。ご神体は神絵師さんによるカイン君イラストだったが、今はテーブルの上に移動してもらっている。
「そして信仰の方は……」
わたしはスマホを手に取り、SNSでアカウントを作ると、花見の時に撮っていた枝垂れ桜の画像をアップした。#花見#枝垂桜#樹齢千年など、いくつかハッシュタグをつけるとみるみる内にコメントが付いた。うんうん、日本人の桜への愛は半端ないね。でもちょっと伸びが悪いかなー。……そうだ。良いことを思いついた。
「時に神様は写真に写ることができますか? あ、写真ってわかりますよね?」
「二度も私の頬をはっておいて何を言う。今の私は実体があるので写真にも写る。……当然写真も知っている。普段からよく撮られているからな」
うんうん、地元有数のお花見スポットだもんね。そりゃ撮影されまくりだわ。写真にも写るとなると、あとは衣装かな。
「あのカゴの中のびしょ濡れの服以外に服ってだせますか? それか、あれを乾かしてもらったんでもいいですけど。なんか不思議な力でパパパーっと。できませんかね??」
「其方がそれを望むなら容易いことだ」
神様が洗濯カゴを指さすと、ふわりと装束が舞い、ひと回転した後、見事に「水」が球体となって抜き出されていた。その「水」はシャボン玉の様にふよふよと空気中を漂っている。
うわ! 魔法だ! すごい!
目の前で起きた不思議現象にわたしは目を輝かせた。神様ってば、神様っぽいことできるじゃん! ダメダメ神とか思っててごめんなさい!
「すごい! え、他には? 他にもなにかできるんですか?」
「うむ、そうだな。例えば……」
すっと神様の手が伸びて、わたしの頬に触れる。突然詰められた距離に、心臓が跳ね上がった。今までの人生で男性に頬を触られたことなどないわたしは、自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じた。
え、なんで!? 今そういう流れじゃなかったよね!?
「ちょちょちょちょちょ……まままままっ」
「すぐに済む」
何が!? ねえ何が!? え!? 待って、顔めっちゃ近いんですけど!!
吐息がかかるほどの距離に、堪らずぎゅっと目を瞑ると、頬にわずかな熱を感じた。
「終わったぞ」
触れられていた手がすっと離れていく。目を瞑っていたせいで、何が起こったのかはわからない。
だがしかし! ここは確認しておかなければ!
「ああああああああの、あのっ、あのっ! 一体な、何をしていただいたのでしょうか?」
「其方の頬にできていた、吹き出物を治してやったのだが?」
怪訝そうな神様の顔をみて、一気に冷静になった。
──うん、わかってた。わたしにそんなイベントが起きるはずないことぐらい。
心の奥がモヤッっとした気がするが、必死でごまかす。
ん? モヤッと?? ……あれ? わたし今ちょっとがっかりしてる?? ……おかしいな。
空中でふよふよしていた水の玉は、もったいないのでベランダの観葉植物にやりました。