桜の精
「ぶえっくしゅっっ!!」
もうすぐ五月とはいえ、東北の夜は寒い。もともと不健康な生活を送っていたわたしは、朝晩の寒暖差についていけず、季節の変わり目にはもれなく風邪をひいていた。
会社では上司に「体調管理がなっていない!」と怒られた。「周りにうつすことなく迅速に治せ。だが、仕事は休むな」との事です。
なんだか熱も上がってきたみたいでフラフラする。コンビニで栄養ドリンクとうどんを買い、アパートの鍵をもたつきながら開けた。
「ただいまー」
返事は返ってこないのだが、習慣というやつだ。実家にいるときは、当然の様に出迎えてくれた母の姿がうかぶ。体と共に心も弱っているのか、余計に母の事が恋しい。
というか正直、家に帰ってすぐにご飯が出来ている状態というのはありがたかった。一人暮らしをしてみて改めて実感する。
とにかく胃に何か入れてから薬を飲もうと、さっき買ってきたうどんをレンジで温める。温めている間にスーツを脱いで部屋着に着替えると、気が緩んだのか一気に体がだるくなった。
──あ、やばいかも……。
ベッドにそのまま倒れこんで、仮眠をとることにした。うどんは伸びてしまうが、仕方がない。今はとにかく休みたい。化粧も落とさず、布団に潜り込む。
──体が熱い……やっぱり先に、薬を飲んでから……、なんてことを考えている内に、いつの間にか眠りに落ちていた。
──娘、私の声が聞こえるか?
……なんだか知らない声がする。ゆっくりと目を開けてみる。あぁ、多分これは夢だ。だって真っ白でなんにもない空間に、部屋着の私が一人で寝てるんだもの。明晰夢ってやつかな? 夢だからか、先ほどまでのだるさはなく、ただ頭がぼーっとしていた。
──娘、聞こえているのか? 聞こえているなら返事をしなさい。
さっきから誰かが娘、娘と呼んでいるが、ここにわたししかいない以上、娘とはわたしの事なのであろう。だがしかし、わたしは娘と呼ばれることになんだか抵抗がある。え、なんとなく娘って若いイメージなんだけど二十二歳ってまだ若い? 大丈夫かな? 返事してお前じゃねえよみたいな感じにならないかな?
──娘、聞こえているならさっさと返事をしなさい。
「あ、はい。聞こえています」
──やっと返事をしたか。私は……
「あの、すみませんが、ちょっとどこ向いて話したらいいかわからないので、姿を見せてもらえませんか?」
謎の声の言葉を遮ってしまったが、こちらの意は酌んでくれたみたいで、真っ白な空間にふわふわと光が集まり始めた。
……花びら?
集まった光は、次第に無数の薄桃色の花びらとなって上から下に舞い落ちる。花吹雪の中から漫画で見たことのあるような、白い平安装束の人物が現れた。
「これで少しは話しやすいか……私は先日其方に助けられた桜の精である」
花びらと同じ色の長い髪をしたその人物は、自分を桜の精だと宣った。かなり背が高く、座り込んでいるわたしを見下ろすようにして立っている。舞い落ちていた無数の花びらは、桜の精が姿を現わすと同時に消え、すっかり薄桃色に染まっていた床も、元の味気ない白に戻っていた。ずっと見下ろされているのも気分が悪いので、身長差を少しでも埋める為、わたしも立ち上がった。
「礼を言おう。其方のおかげで私の美しい枝を守る事ができた。今宵は心優しい其方に話があり、夢を渡って参った」
お、これ笠地蔵的展開? それとも鶴の恩返しならぬ、桜の恩返しですか? イベント発生したんじゃない? たしかに先週の花見でそんなことがあったような……
花見の場所取りで私がカイン君との妄想にふけっているときに、前の晩の花見客であろうウェーイ数人が、枝垂桜の枝を折って持って帰ろうと騒いでいたのだ。時間が早かったためか、私の他に人影はなく、どうしようかと悩んだ結果、上司のカラオケ用に持参していたスピーカーからスマホを使って、パトカーのサイレンと「警察だ! そこでなにをしている!」というイタズラ用音源を大音量で再生したのだ。小心者のわたしにしては、かなり頑張った方だと思う。
よほどびっくりしたのか、彼らは一目散に逃げていった。……この公園、パトカーっていうか車自体入れないのにね。赤色灯の明かりもなかったし、ばれたらどうしようかとドキドキしたが、おそらく相当酔っていたせいもあるのか、思いのほかすんなりいった。ちなみに、ちゃっかりと枝垂桜前の一番良い場所に自分達のシートも移動させてもらった。役得。
「この度私は、樹齢千年を迎え、めでたく神の座に加わることとなった」
え、樹齢千年を超えたら樹って神様になれるの? 初耳なんですけど。まぁでもあの枝垂れ桜の古木は、神様が宿ってるって言われても納得できるくらい綺麗だったな。
一瞬で脳裏に感動がよみがえる。苔むした太い幹から左右に大きく広がった枝ぶりは見事で、初めて見た時は、あまりの大きさに圧倒された。樹の真下に座っていた私は、言葉の通り桜に包み込まれており、手を伸ばせば触れられるほど近い枝には、零れんばかりの花が、美しく咲き誇っていた。まさに神の座というに相応しい、神秘的な美しさがそこにはあった。
わたしが勝手にふんふんと納得している姿を確認すると、桜の精改め神様は話しを続けた。
「そこで其方に神託を下す。私を神として祀るための社を建立し、人々の信仰を集めよ」
はい、なんの地位も貯えもない新卒社会人に無理なお願いきたー! 何様ですか? 神様ですか? ぜんぜん恩返し的な流れじゃないじゃん! お礼言うと見せかけて、逆に難題押し付けられただけじゃん! ちょっと期待して損したよ!
あからさまに嫌そうな顔をした私を見て、桜の神は条件を提示してきた。
「もちろんタダでとはいわぬ。其方の願いをなんでも一つ叶えてやろう」
……えー、なんだか胡散臭いな。はっきり言ってこの神様にそんな力あるのかな? 新人神様らしいし。それに、なんでも願いを叶えられるんなら、社ぐらいちゃちゃっと自分で建てちゃえば良くない? っていうかなんでわたし? 珍しく勇気を出して、人助けならぬ樹助けをしたばっかりに面倒な神様に目をつけられた感じ?
「あのー、ちょっといいですか?」
疑問は早めに解決しなくちゃね。ピッと小さく手を挙げて質問タイムを要求してみた。
「構わぬ。申してみよ」
「ありがとうございます。えーと、まず、なんでわたしなんですか? 確かに迷惑な花見客は追い払いましたけど、それと社を建てるとかなんとかはあんまり関係なさそうな気がするんですけど……」
「ふむ、その辺りの説明も必要か」
桜の神は顎に手を当て、少し考えたそぶりを見せると静かに話し始めた。
「まず神という存在は、人々の信仰によって成り立っている。人々に忘れ去られた神は、存在自体が虚ろとなり、やがては消えてしまう。逆に人に愛され、大切にされた物は長い年月の中で力を蓄え、新たな神となる事もある。信仰とは力、力とは生き物が持つ意思の力、まぁ生命力のようなものだ。力は個人差はあれど、感情が昂ると膨れ上がる。私のもとには春になると毎年たくさんの人々が訪れた。美しく咲く私を愛で、酒を酌み交わす者達はまさに生命力にあふれていた。その者達から少しずつ力を奪い、千年の時をかけて私は神になったのだ」
ん? 力を奪う? なんだか怪しいワードがでてきたぞ?
「だが、私は蓄えた力を思うまま、自らの為に振るうことはできぬ。これは人の世を乱さぬよう遥か昔に大神が定めた理で、私に覆すことはかなわぬ。自身の為に私ができることというのは、存外少ないのだ。蓄えた力は私が神として存在する為、または人々の願いを叶えることにのみ使用できる。よってより多くの力を得るために、社を建て、そこを訪れる人々の願いや欲望を叶え、膨れ上がったその力を喰らい、私は神として永らえたい」
お、おう。欲望を叶える代償に力っていうか生命力を喰らうって、神は神でも邪神っぽくない? こんなのに目をつけられて、大丈夫かわたし?
「私の下で一人座る其方は、実に生命力に満ちていた」
あぁ、うん。欲望丸出しの妄想中だったからね。感情も昂りまくりで力溢れまくりだったかもね。
「そのあと加わった他の者とのやりとりを見て、更に私は其方がお人好しで従順で御しやすい性格だと踏んだ」
うんうん、上司にへこへこ頭を下げて、お酌して回るわたしはそんな風に見えたかもね。あながち間違ってもないしね。我ながら損な性格だとは思うよ。
「あと少しで神へと至るところまで力を溜めていた私は、格好の獲物を逃がしてなるものかと、蝶に頼んで私の花粉を其方につけさせた」
あーやたらわたしのとこばっかり蝶がとんでくるなーって思ってたけど、そうかー花粉つけられてたんだー。気が付かなかったよー。虫にたかられてるって、上司は爆笑大うけでしたよ。本当にありがとうございます。
「桜の身であった私は、根を張った土地から動くことができぬ。だが、私の体の一部である花粉さえつけてしまえば、其方がどこに居まいと私の力を飛ばすことが出来る。私は花粉から自らの力を流し込み、夢を渡れるよう数日を掛けて其方を私の力で満たした。体調を崩したかもしれぬが、それは其方の命が異物である私を拒んだ為であろう。今ではすっかり力もなじんて来たようで、こうして私を受け入れるにふさわしい器となっている」
こわっ! ここ数日の体調不良、ただの風邪かと思ったらある意味桜に取り憑かれてたんだ!? 怖すぎるよ! てゆうか花見に行ったの結構前だし、それからお風呂何回も入ってるし花粉って取れてないの!? すっごい奥の方まで入っちゃってる感じなの!? もう取れない感じ!? なんかいやだっ!!
青ざめた顔で、固まるわたしを無視して、神様は言葉を続けた。
「幸いにも今年は花見客が多く、目をつけていた其方から大量の力を奪う前にこうして神と成る事はできた。しかし私はまだ満ち足りぬ。もっと多くの力がほしい。これからも効率よく力を集めるために、社の建立は急務なのだ」
一通りの説明が終わったようで、神様は黙ってわたしの発言を待っている。わたしは質問タイムパートⅡを開始した。
「疑問なんですけど、力を勝手に奪うのと、信仰されるのでは違いがあるのですか?」
「うむ、その通りだ。私が直接人から力を奪うことができるのは、私の本体である桜の木を中心とした、限られた範囲だけだ。神となった今でもそれは変わらぬ。しかも無理に吸い上げれば、取りこぼしも多く、人の身への負担も大きい。人にとっても私にとってもあまり良い方法とはいえぬ。桜の精であった頃は他に方法がなかったが、神となったからには私も信仰によって力を増やしたい。信仰は初めから私に捧げられた力なので、より吸収がしやすい。かつ、私の力を登録した鳥居と社があれば、離れた場所からも力を集めることができる。これから先、分社を行えば異国の地であろうと、世界中から力を吸い上げることが出来るのだ」
自分の思い描く未来を、恍惚とした表情で満足げに語る意外とグローバルな神様。今は神様もワールドワイドな時代なんだねえ。信仰っていうか、気持ちのベクトルさえ神様を向いてればいいのかな。
「では、人々の願いを叶えるというのは必要なことなのですか?」
「ふむ、必ずしも必要ではないな。参拝客を途絶えさせぬように、ある程度の望みを叶えてやるのが神としての基本的な仕事ではあるが、客足が途絶えぬのであれば無理に叶える必要はない。ただし願いを叶えてやった者は、お礼参りでより多くの力を捧げてくれるので、私にとっても旨味は多い」
その他にもわたしは疑問に思っていたことを色々と尋ねてみた。新人神様の割にはすらすら答えてくれる。なんでも新しく神になった者は、先輩神様から神界の宴に招かれ、そこで神としての心構えや役割、力の使い方を教えてもらう研修制度があるらしい。どこの世界でも新人研修は大事なんですね。
わたしは教えてもらったことを頭の中でまとめてみる。えーと、人から捧げられり奪ったりした力は、神様が存在するために必要だけど、自分の為に使うことはできなくて、人の願いを叶える為なら使える。でも無理に叶える必要はない。力は無理やり奪うより、本人の意思で捧げてもらった方が効率がよい。鳥居と社とを建てて、神様の神社として登録をすれば、離れた場所の参拝客からも力を集めることが出来る。……だったかな?
話は大体把握した。要は人気者になれるように、神様のマネジメントをすればいいってことですね。ん? プロデュース? どっちでもいいか! うん、なんとかなるかも。そういうゲーム、やったことあるし!
長年想い続けていた願いが叶うかもしれない可能性を見つけて、わたしは思わずニヤリと笑う。
「わかりました。その話、お受けしましょう! いつか必ず、あなたの社を建て、人々の信仰を集めると誓います」
わたしの黒い笑いに、神様も黒い笑いで返し、固く握手をかわした。
神様との初コンタクトです。