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尻尾の二・とかげの初恋

 小春日和の昼下がり。

 ひとりの少女が、自室へやにこもって下手くそな絵を描いていた。

 結婚式のシーンのようだ。少女本人とおぼしき花嫁のとなりで、花婿が笑っている。少女は当たり前のような手つきで、迷いもなく花婿の腰に黒い『尻尾』を描き入れた。

 ふいにばたんと扉が開き、少年がひょいと顔を出した。

「またひとり遊びか? ミモザ」

 当然のように部屋に入ってくる少年に、ミモザと呼ばれた少女は上機嫌でうなずいた。

「いらっしゃい、ジェンド。うん、またひとり遊び!」

「まーったく、お年寄りじゃあるまいし、毎日まいにち部屋でまったりしやがって……たまには子供らしくおもてに出て遊べよな、みんなお前のこと待ってるぞ」

「んんー? でもねぇ、あたしはひとりで遊ぶのが好き!」

 元気よく消極的な言葉を吐く幼なじみに、ジェンドは大きく息をついた。

「しょーがねーなー、じゃあ俺だけでも一緒に遊んでやるよ」

「いやいや、ひとりで充分ですよ?」

 おどけて肩をすくめる少女のそばに、少年はひょいとすわりこむ。

「そう言うなよ。『このごろ全然ほかの子と遊ばない』って、お前の母さんめっちゃ心配してんだぜ。で、何してたんミモザ?」

 ジェンドの問いに、ミモザは深い栗色の髪を揺らして笑う。

 自慢げに大きな画用紙を、少年の顔に向かって突きつけた。

「絵を描いてたの。とかげの神様とあたしの絵! 結婚式よ!」

「……また下手な絵を、飽きもせず」

 少年が不機嫌そうに眉をひそめ、木の実のように真っ黒な目を歪ませた。ミモザがむっとした顔をしてジェンドをにらむ。

「何よ、ジェンドだってそんなに上手くないくせに」

「……ごめん」

 意外なほど素直にあやまられてしまい、ミモザの方がうろたえる。

 藍色の目に戸惑いをにじませ、少女がご機嫌をうかがうように小首をかしげた。

「じゃ、じゃあね、今絵を描き終わったから、おわびに絵本読んでくれる?」

 少年は少女の言葉に、黒髪を揺らして顔を上げた。

「また例のアレかよ?」

 うんざりとした口ぶりをものともせずに、ミモザはお気に入りの絵本を棚から取り出した。

「そう! いつもの『とかげの神様』の絵本よ!」

 はじけるような口調で応え、薄い本を手にジェンドのとなりにすわりこむ。

 少年はむすっとしながらも、読み古された絵本に手をかけた。

 ミモザがジェンドの手を軽く押さえて、まずは表紙の絵に見入る。手に触れられた少年がこっそり頬を染めたのにも、まるで気づかない。

 すき紙のちぎり絵で描かれたイラストは、少女がさっき描いていた絵を大人が描き直したような構成だ。綺麗な花嫁と、背の高い花婿。花婿の腰からは、当然のように黒い尻尾が生えていた。

「……なぁ、もう良いか? 読むからな」

 ぱっと手を払ったジェンドが、本の一ページ目をめくってこもった声で読み出した。

「昔むかしとんと昔、カタヤラ村という村の白く大きな神殿に、とかげの神様がんでいました。神様はとかげの化身でしたが、とてもとても魔力が高く、ほかの悪い魔物たちから村をまもってくれていました」

 ミモザがうんうんとうなずいた。絵を見たいがために、少年の肩にくっつくようにすり寄って本をのぞきこむ。

 ジェンドが居心地悪そうに肩を揺らし、頬を染めて先を続けた。

「……ある時とかげの神様は、ひとりの少女に恋をしました。初恋でした。少女も神様に恋をしました。これもまた初恋でした。ふたりの恋は実りましたが、ふたりには一つ、大きな悩みがありました」

「それは何?」

 答えを誰よりも知っているくせに、ミモザが微笑わらって問いかける。

 ジェンドは『黙ってろ』と言いたげなきつい目つきで少女をたしなめ、またことを重ね出した。

「神様と人間とでは、寿命があまりに違うのです。神様の寿命は幾千年いくせんねん、人間の寿命は長くて百年。少女が年老いて死んでしまったら、神様はひとりぼっちになってしまいます」

 ふううと長く息をつき、少年は切なそうな目で先を続ける。

「かと言って、少女を深く愛した神様に『ほかの女の人をめとる』という選択肢はありません」

「そうよ、そうよね、決まってるわ」

「うるさいな、ちょっと黙ってろよ馬鹿」

 少年がいらだたしげに顔を上げ、荒い口ぶりで少女を制する。ミモザは桃色のくちびるを尖らして、つまらなそうに口をつぐんだ。

 ジェンドは改めてページをめくり、本の続きを読み出した。

 黒真珠めいた綺麗な瞳に、やるせない光が宿っている。

「……そこでふたりは、『何度生まれ変わっても、必ず一緒になろう』と誓い合いました。神様は転生の目じるしに、少女の首すじに赤いとかげの形のあざをつけました」

 ミモザがそわそわと、栗色の短い髪をかき上げる。

 露わになったうなじからそっと目をそらし、少年は最後の言葉を読み上げた。

「それから後、赤いとかげのあざの少女は『とかげの姫様』と呼ばれ、大人になったらとかげの神様のお嫁さんになる決まりが出来たのです。おしまい」

 ジェンドが絵本を読み終えて、ひどく疲れた顔をして息を吐く。

 ぽうっと夢見るような目をしたミモザが、誘うように栗色の髪をかき上げた。

「ねぇ、見てジェンド」

 少年がいたたまれない表情で、ついと改めて目をそらす。

 ミモザのうなじに、何があるかは知っている。知っているから、見たくない。

「……いいよ、いらないよ。もう何回も見てるしさ」

「そう言わないで、何があるか教えてよ。自分じゃ見られないの」

 ジェンドは苦しげに黒い目をひそめ、露わになった少女のうなじをのぞきこむ。

 とかげの形の小さなあざが、鮮やかに赤く浮いていた。

「ねぇ、ちゃんとある?」

「はいはい、あるよ、とかげのあざが」

 ジェンドはミモザをななめに見つめ、ふてくされながら返事をした。

 とかげの姫様、ミモザ・ミンク・ミルク。幼なじみの少年、ジェンド=ジェイド=ジェレイドが、いくら想っても叶わぬ相手。

 少女はジェンドの想いに気づいているのかいないのか、甘い声音で疑問を吐いた。

「ねぇ、とかげの神様っていったいどこにいるのかしら?」

「……さあな」

「やっぱりあの白い神殿の中かしら? あそこにはあんまり近づいちゃだめって言われるけれど、どうしてかしら?」

「……知らないよ」

 ジェンドが後ろめたそうな目をして、きゅっとくちびるを噛みしめた。ミモザは桃色の口もとへ指をあて、柔らかな口調で言葉をつむぐ。

「もし神殿にいらっしゃったら、逢いに行ったらどうなるかしら? まだ大人になる前だけど、こんな小っちゃな子どもだけど、あたしに逢ってくれるかな?」

「…………っ」

 少年が黙って視線を泳がせた。

 何か言いかけて口をつぐみ、己のくちびるをふさぐように軽く握った手をあてる。何かひどくためらいながら、少女の左手を指さした。

「……なあ。その左手首の傷痕きずあとさ、どうしたんだ?」

「これ? これはあたしがうんと小っちゃい時に、割れたガラスの花瓶の欠片かけらで、間違って切っちゃったんだって。全然覚えてないんだけど」

 ミモザはあっさりこう答えて、花のように微笑わらってみせる。

 邪気のない笑顔にかえって気圧けおされるような気がして、ジェンドは力なく微笑んだ。

「で? 何で今、その話?」

「いや……」

 少年は黒髪を小さく揺らして黙りこみ、かすかにかぶりを振ってみせた。

「何でもないよ……何でもない」

 おぼろげな口調で言葉を吐かれ、ミモザはふっと小首をかしげてはにかんだ。

 それはとても甘いあまい笑顔だった。優しすぎて、柔らかすぎて、何か一等大事なものが欠けたような笑顔だった。




 第二章・左腕の秘密


 絵本を読んだあの日から、五年あまりの時が過ぎた。

 同い年のミモザとジェンドは、そろって十五になった。ミモザはまだ『大人になって』いなかったけれど、鉄臭い赤い祝福の日を心待ちにしていた。

(早く来ないものかしら、『いちごタルトの日』が)

 カタヤラ村では、少女が大人になった証にいちごのタルトを焼き上げる風習がある。ミモザは毎日のように、焼けたいちごの甘酸っぱい香りを舌に思い描いていた。

(いつか自分の手でいちごタルトを焼き上げたら。本当の大人になったら、とかげの神様とようやく一緒になれるんだわ)

 夢見がちな少女は、そのことを疑問になど思わなかった。

(だってこれは運命だもの。生まれる前から決まっている、神様とあたしがふたりで定めた運命だもの!)

 ミモザは、日に日に綺麗になってゆく。

 夢見るような藍色の瞳は、やわい光を帯びてどんどん美しくなってゆく。

 ミモザが綺麗になればなるほど、幼なじみのジェンドの瞳は暗く影を帯びてゆく。薄っすらと消えないくまさえ出来て、少年はすさんだ美しさをたくわえて成長していった。

 そんなある日、ジェンドがふいにミモザの家を訪れた。

 机に向かって鼻歌混じりに書き物をしていた姫様が、ふっと気配に気づいて振り返る。扉の前で腕を組み、幼なじみの少年が黙ったままで立っていた。

「あぁ、ああびっくりした! 何、どうしたのジェンド?」

 どこか現実を見ていないような瞳をして訊ねられ、少年は荒れた視線を床に落とした。

「……キサに、告白された」

「キサ? キサ・キサヌ・キサンティウスのこと?」

 目を丸くして問いかけられ、ジェンドがうなずくようにまばたいた。

 キサ・キサヌ・キサンティウス。ごく幼いころからのふたりの共通の友人だ。

 長い赤毛の髪に、黄緑色の澄んだ瞳。とても優しくて、ちょっと天然なところがある。

 本人は決して認めようとしないが、周囲の人は口をそろえて褒めたたえる、折り紙つきの『可愛い子』だ。

 ミモザはぱっと顔を輝かせ、ジェンドのそばへ駆け寄った。少年の手を強く握り、ぶんぶんと大きく振り回す。

「わぁ、おめでとうジェンド! で、返事は何て? もちろんOKしたわよね?」

 ジェンドは黙ってうつむいた。

 ミモザが心底意外そうに、藍色の目を見はって問いかけた。

「どうして? キサ、あんなに良い子なのに」

「……『どうして』って……」

 少年がやるせなさそうに、ぎゅっとくちびるを噛みしめる。

 何か言いかけては黙りこみ、何度目かにようやく重い口を開いた。

「……ミモザ、お前は俺の気持ちに欠片かけらも気づいていないのか……? 俺は、お前が、」

「止めて」

 穏やかに拒絶する口調でさえぎられ、少年が傷ついた顔をして黙りこむ。ジェンドの骨ばった手に白い手を重ねたミモザが、ゆっくりと顔を上げた。

 ほんのりと夢見がちな瞳には、ひとりのひとしか映っていない。

 とかげの神様そのひとしか、ミモザの中にはいないのだ。

「気づいていたわ、ずっと前から。でもね、あたしはとかげの神様の」

「もういいよ!!」

 いきなり大声で叫ばれて、少女の肩が跳ね上がる。

 ジェンドは闇色の瞳を泣き出しそうに歪ませて、荒い息を吐いていた。少年のくちびるからせきを切ったように、泥じみたことがあふれ出す。

「もういいよ、もうたくさんだ! ミモザ、お前の大好きなとかげの神様はな、もうとっくの昔に死んでるんだよ!!」

 耳が壊れたのかと思った。

 ミモザの藍色の瞳に宿る、夢見がちな光が揺らぐ。少女の指が少年の手をすべり落ち、ふらっと宙に投げ出された。

「嘘……」

 ミモザの口からこぼれたのは、その一言だけだった。少年はめちゃくちゃに首を振り、責め立てる口ぶりでまくしたてる。

「嘘なもんか、神様は幾千年の寿命を使いきって、お前が生まれるとうの昔に死んじまってるんだ! そら、その左腕の傷を見てみろよ、それが何よりの証拠だ!」

 突き立てるように指さされ、ミモザが呆然と己の左手に目を落とす。

 左手首に刻まれた『不注意でついた』傷の痕。

「お前は今よりもっとずっと小さいころ、初めて『とかげの神様が死んだ』って聞いた時、ガラスの花瓶を叩き割って自分で傷をつけたんだ! 後を追って死のうとしてな!!」

 少女が瞳を見開いて、かたかたと小刻みに震え出す。

 言葉が言葉を呼び続け、止まらなくなったジェンドが泣き叫ぶように怒鳴り続ける。

「だからみんな黙ったんだ、『今度同じことを言ったらまた死のうとするだろう』って! 『いつまで隠し通せるか分からないけど、とかげの神様が死んだことはミモザには言わないでおこう』って!」

 見開いた少女の藍色の瞳から、大粒の涙がしたたり落ちる。

(ああ、だから。あたしがとかげの神様の話をする時、みんながいつも困った顔をしてたんだ)

 傷つけているのはミモザなのか、自分なのか。

 ジェンドはくしゃくしゃに顔を歪めて、引っこめ時を失った言葉のナイフを振り回す。

「それっきりお前は事実を忘れて、ずっと忘れたふりをして、今までずっと死んだ神様を想ってきたんだ! だから!! ……」

 破れかぶれにがなった少年が、ふいにがっくりと肩を落とした。体中が痛んだように、苦しげに顔を歪ませて口を開く。

「……だから、お前の大好きなひとは、もうこの世のどこにもいないんだ」

 ジェンドは血を吐くようにつぶやいて、漆黒の目をまたたいた。はたりとひと粒雫が落ちて、赤いじゅうたんへ染みを作った。

 少女は黙ってうつむいた。流れる涙をぐいと拭って、決意したように顔を上げた。

 急に部屋を走り出たミモザに、ジェンドがあわてて声をかける。

「おい、ミモザ! どこに行くんだよ!?」

 少女は何も答えずに、ひた走りに走っていった。白い神殿を目指して。




 神殿に着いたミモザは、ほこりだらけの内部へ足を踏み入れた。

「とかげの神様! いらっしゃいましたらお返事をしてくださいまし! とかげの神様! とかげの神様、ガレト=ガリナ=ガルア様!!」

 返事はない。

 厚くほこりをかぶった神殿の床は、長年誰も足を踏み入れた形跡がない。ただ小さな動物のものらしき足あとが、点々とついているだけだ。

 ミモザは絶望に押し潰されそうになりながら、神殿の奥へと進んでいった。

 意外にこじんまりした居住スペースは、誰かがいた時そのままの面影を残して、ほこりの層に埋まっていた。

 大理石のテーブル。

 紅茶のポットと、ティーセット。

 傷みに傷んだソファに転がる、赤いとかげの模様の編まれた手つきまり……。

(見覚えがある。どれもこれも、みんな)

 ミモザは思わず頭を抱えた。頭の中に、今までの積み重なった前世の記憶が滝のようになだれこむ。

 愛しいとかげの神の面影。

 尻尾のような長い黒髪。

 火のように熱く燃えさかる赤い瞳やきもちを焼きたくなるほど素敵に長いまつ毛血を塗りつけたような赤いくちびるへ口づける時の夏の青草のようなにおい――!!

(思い出したのに。ようやく思い出したのに)

「……どうしてあなたは、ここにいないのっ……っ!!」

 両目がやけどしたように熱くなり、涙が湧くようにあふれ出す。

 ほこりまみれの石の床にひざをつき、せぐり上げるミモザの脳裏に、神との最後の記憶がよぎる。ガレトはかさかさに乾いたくちびるを緩ませて、何かつぶやいていた。

(お願いがある)

 そう、確かガレトはそう言った。でもその次の言葉は、何だっけ……?

 栗色の髪をふり乱し、ミモザは一心に思い出そうとする。けれどどうしても思い出せない。

 何ということだろう。

 神様が微笑わらいながらささやいた、最期のお願いを、とかげの姫様は欠片も覚えていないのだった。

 ミモザは、泣いた。泣いて泣いて泣き疲れて、日の暮れ方にようやく涙も出尽くした。ちぎる前に夫と死に別れた姫様は、山に沈む赤い陽に濡れ、ほこりまみれで立ち上がった。

 白目を真っ赤に染め上げて、それでも藍色の瞳には、今までにない『意志』の光が宿っていた。




 第三章・姫様から神様へ


 翌朝、ジェンドは再びミモザの家を訪れた。

 うなだれて扉を低くノックし、「どうぞ」と応えられ、下を向いたままミモザの部屋の中へ入る。

 気まずそうに視線を床にさ迷わせ、小さな声であやまった。

「ごめん。……あの、昨日はひどいこと言って。……あのさ」

 やっと顔を上げたジェンドは、黒い目を丸く見開いた。

 ミモザが、明らかに男ものだと分かる無骨なリュックに荷造りしている。長旅の放浪者を思わせるほどの大荷物だ。

「……ミモザ……、どっかに出かけるのか?」

「探しに行くの」

 とかげの姫様は決意した口ぶりで短く答え、妙にさっぱりした顔で笑った。

「探しに行くのよ、とかげの神様の生まれ変わりを」

「生まれ変わり……?」

 虚を突かれた顔をしてつぶやき返した少年に、ミモザは大きくうなずいた。

「ええ、そうよ。神様だって何だって、生まれ変わりがないとは限らないでしょう? このあたしが、現に何回も生まれ変わっているんだもの」

 記憶を取り戻した娘は、成長半ばの柔らかな胸に手をあてて、自信ありげに微笑んだ。

「だからあたし探しに行くの。あたしだけのために生まれた、愛しいとかげの神様を」

「…………そうか」

 ジェンドはぽつりとつぶやいて、泣き出しそうな笑顔を見せた。

(ああ、そうか。何したってどうしたって、俺は神様に勝てないのか)

 黒すぐりめいた綺麗な瞳が、ぐずぐずに輪郭りんかくを崩してゆく。

 荷造りを終えたミモザはきっぱりとした動作でリュックを背に立ち上がり、幼なじみの頬に初めて軽くキスをした。

「今までありがとう、ジェンド。じゃあね!」

 さばさばした声で別れを告げて、ミモザは旅に出て行った。

 取り残された少年は、ひとしきり泣いてからミモザの家を出た。帰ろうと歩き出すと、ふっと誰かの気配を感じた。

「……誰だ?」

 ジェンドがにじんだ声で誰何すいかする。

 ミモザの家の後ろから、赤毛の少女が現われた。

「ああ、キサか。どうした?」

「うん、ちょっと気になって……ついさっきここに来たの。ミモザと仲直り出来た?」

「うん……ああ、いや。あいつ『旅に出る』ってさ。もう出てったよ」

 赤毛の少女は淋しそうに微笑んだ。

 何か訊ねようとして小さく口を開きかけ、かすかに首を振り口をつぐんだ。

 少年がキサの頭に遠慮がちに手を触れて、おそるおそる撫で回した。黄緑の目を見張るキサのひたいに、懺悔ざんげのように口づける。

「昨日の返事さ。……もう少し待ってくれないかな。もう少しだけ、時間をくれよ」

 静かに告げるジェンドの黒い瞳から、つっと名残りの雫が落ちる。

 キサは痛々しげに微笑して、かぶりを振るようにうなずいた。




 ミモザは世界中を旅して回った。

 夢見がちだった自分の特性を利用して、吟遊詩人ぎんゆうしじんめいたことをして路銀を稼ぎ、ガレトの生まれ変わりを探した。

 今までの記憶や空想をない交ぜに歌に絡めてつむいでは、たったひとりのひとを探して旅を続けた。

 長く旅を続けるうち、ミモザはあることに気がついた。

(何だかあたしだけ時間が止まっているみたい)

 ガレトは見つからぬまま時は無情に進むのに、なぜか全く年をとらない。村を出て二三年のうちに、どうしてか外見そとみの成長が止まってしまったらしい。

 ミモザの見た目は、いつまでも十七歳そこそこの少女のままだった。

(旅に出てもう何年が経ったろう……?)

 ミモザはあいまいに考えながら、遠く異国のオープンカフェで腰を下ろした。

 桜の味の冷たい紅茶をオーダーして、ぼんやりと旅路を振り返る。

「……似たひとは、いくらもいたんだけどな」

 思わず知らず小さな声でつぶやいて、頬杖ほおづえをついて遠くを見やる。

 そう、どこか似たひとはたくさんいた。

 長い黒髪が艶やかで、尻尾みたいにしなやかなひと。

 透き通るような白い肌をしていたひと。

 素敵にまつ毛が長いひと。体つきが女のように華奢きゃしゃなひと。

 外見そとみのパーツが似ているひとならたくさんいたけど、このひとこそ生まれ変わりだと思える相手は、ただのひとりもいなかった。

(生まれ変わりなんて、あたしの思いこみなのかしら)

 絶望と失望の混じり合った長いため息を吐き出すと、それが合図だったみたいにふっと目の前に影がさした。

「失礼。……ここ、空いてます?」

「ええ、どうぞ」

 軽くこたえて目を上げて、ミモザは言葉を失った。

(……ジェンド……?)

 村にいるはずのジェンドそっくりな青年が、にっこり笑って佇んでいた。

 艶やかな黒い髪も、黒すぐりめいた綺麗な瞳も瓜ふたつ。

 青年は軽く手を上げて礼をして、向かい側の席へすわった。オーダーをとりに来たボーイが「ご注文おうかがいします」と青年へ向かい訊ねかける。

「桃の紅茶、冷たいの。あ、あといちごのタルトをお願いします」

 青年はそう注文し、ミモザを見つめて思わせぶりに笑ってみせた。

(いちごのタルト)

 少し取り乱したミモザが、まじまじと青年の顔を見る。

 青年はそんなミモザの様子に、不思議そうに小首をかしげた。

「何か? 僕の顔、何かついてます?」

「あ、いいえ……いいえ。故郷ふるさとにいる幼なじみと、あんまり似ていたものですから……」

 くぐもった声で言い訳しながら、ミモザは横目でじっと相手をうかがった。

(違う。ジェンドじゃない)

 どう少なく見積もっても、本当のジェンドは三十をとうに越えている。目の前の青年は、どこから見ても二十歳はたちそこそこにしか見えない。

 ミモザは黙って首を振り、またうかがうように相手を見つめた。

「……あの、お名前は?」

「ジェダイです」

 短く答えて微笑んで、青年がそっとミモザの手を捕らえ、なめらかな肌に口づけた。

「……ねぇ、ちょっとふたりでお話しません? 僕ら気が合うと思うんですよ」

 ジェダイが柔肉色やわにくいろのくちびるを離し、下から舐め上げるような目線でミモザを見つめて微笑んだ。

 ミモザは少しためらった後、何ごとかあきらめたそぶりでうなずいた。




 ジェダイは絡みつくようにして話しこみ、宿の部屋にまでついて来た。

 ミモザは何度も逃れようとしたのだが、青年は少しの隙も逃さなかった。獲物を捕らえた獣のように目を光らせ、ベットの中にまで入りこみ、無垢な少女を押し倒した。

 ミモザは冷ややかな目で相手を見つめ、斬りつけるように言葉を吐いた。

「――いいかげんにして。女好きの魔物ふぜいが」

 ジェダイは意外そうに目を見張り、余裕ぶって笑ってみせた。

「へぇ、すごいね良く分かったねぇ! たいがいの人間は気づかないもんなんだけどなぁ!」

「なめないで。ジェンドそっくりの見た目からして怪しいわ」

「あぁうん、君の記憶から抜き取ったんだ。本当は『とかげの神様』のガレトってひとになろうとしたんだけど、想いが強すぎてすぐにバレると思ってさ」

 愛しい神様の名を聞いて、ミモザがきゅっと瞳を細める。

 それを自分に怯えたのだと思いこみ、魔物の青年は微笑しながらミモザの胸もとへ手を置いた。

「はは、大丈夫、意外に気持ち良いもんだって! 痛いのはほんのちょっぴり、それもほとんど気づかないうちに魂は天国へ逝ってるよ。君の記憶は折り重なっててややこしいけど、この体では『初めて』なんだろ? 存分に楽しもうよ、ミモザ」

 歌う口ぶりでささやきながら、ジェダイがミモザにのしかかる。やわくくちびるを責める魔物に、ミモザが少しづつ桃色のくちびるを押し開けた。

(もうだめだ、きっとこのまま殺される。でもただではやられない……!!)

 少女が捨てばちな勇気をふるい起こし、口内に入りこんだ温い舌に嫌というほど噛みついた。

「ぎゃっ、ぎゃぁああぁあああっっ!!」

 魔物はまるで感電したように飛び上がり、もんどりうって悶え苦しむ。ミモザが呆然と見ている前で、なめくじが塩を浴びたように空気に溶けて消えてしまった。

 少女は信じられない思いで、己の口もとへおそるおそる手をあてた。

「……これは……何? どういうこと……?」

(神様)

 ふいにその二文字が胸に浮かぶ。ミモザはくちびるを噛みしめて、藍色の瞳を歪ませた。

 脳裏をよぎった、一つの仮説。

 とうてい信じられないけれど、どうしてもそれしか考えられない。

 年をとらない体。

 魔物を倒せる能力ちから

 そのどちらの変化も、ただの人間にはありえない。そうしてそのどちらもを有するひとを、ミモザはひとりだけ知っている。

(ガレト。とかげの『神様』――……)

 そうだ。きっと神様を求めて旅しているうち、狂おしいほどの想いのあまり、あたしの体はだんだん変わっていったんだ。

 強い痛い想いのあまり、いつの間にかあたしが『神様』になっちゃったんだ……。

 ミモザは急に、どうしようもなく淋しくなった。死にたいくらい淋しくて、でももうきっとこの体では、なまじなことでは死ねやしない。

「違う……ちがうの……っ!」

 ぽたぽたと大粒の涙をこぼし、喪に服した姫君は白いシーツを固く握った。

(神様になりたいんじゃない。神様に逢いたいの)

「……あなたに、逢いたいのよぉ……っ! ガレトぉおおぉ……っ!!」

 狂おしく神に恋焦がれ、その想いで神そのものと化した少女。

 年をとることも忘れ去り。

 ただ愛しいひとの面影を想い続け。

 一途いちずな少女は、遠く異国の地でひとり涙し続けた。




 第四章・とかげの輪廻りんね


 ミモザは、その後も孤独な旅を続けた。

 世界中を回り、何十年も何百年もついやして出た結論は、

「彼はいない」

ということだった。

(ガレトはいない。この世界中、もうどこにもいないんだ)

 その結論が出るまでに、正確には何年無駄にしたのだろう。

 残酷な現実に打ちのめされ、故郷ふるさとの村に帰りついた時にはもう、村はほとんど滅びていた。魔物に荒らされてしまったのだ。

(ああ、そうか。この村にはもうずっと、神様はいなかったんだ)

 ミモザの知っている顔はもう、村にはひとりもいなかった。

 ミモザが旅人として村に留まっているうちに、村の者は彼女の『特性』に気がついた。

「神様だ」

「女の子の神様だ」

「神様、お願いだ。どうかこのカタヤラ村をまもってはくださらねえか」

 村人の心からのお願いに、ミモザはうなずいた。

 もうガレトのことはほとんどあきらめきっていたし、何よりこう思ったのだ。

(もしかしたら。もしかしたら、ガレトは最期にこのことが言いたかったんじゃないかしら)

 そう、生まれ変わりを探してなんて言っていない。

 彼はきっと『僕の代わりに、これからは君がこの村を護ってよ』と言い残して死んだんだ。

 きっと自分は、生き変わり死に変わり何度も神様のそばにいたことで、その魔力を浴び続けて、少しずつ『神様に近い魂』になっていったんだ。

 そうして、ガレトの最期のお願いを生まれ変わっても覚えていたら、その想いの強さで自然と神様になるはずだった。けれどあたしはよりにもよってそのお願いを忘れてしまい、今までこんな回り道をしてしまったんだ。

 そう考えたミモザは、壊れかけた神殿にひとり腰を落ちつけた。

 栗色の長い髪を背に、神殿の奥に死んだように横たわり、身のほど知らずの魔物が村を襲えば完膚かんぷなきまで叩きのめした。

(あたしはきっと、この神殿で朽ちてゆく。ガレトの面影を忍んで、たったひとりで、気の狂うような永いながい時を過ごして……)

 それでも良い。

 それでもかまわないと思えるほどに、ミモザの精神はもうすっかり干からびていた。

 そんなある日、村人のひとりがふいにミモザを訪ねて来た。

「ミモザ様、ちょっと困ったことが持ち上がりまして……そのぅ、ぜひ女神様のお力を貸してもらえねぇかなあ、と……」

「魔物ですか?」

「いやそれがねぇ、魔物なんだかそうじゃないんだか、どうもはっきりしねぇんで……」

「?」

 ミモザは珍しく、少女らしいしぐさで小首をかしげた。

 相談しにきた壮年の男性は、いつもは実に歯切れが良いのに、今回はえらく勢いがない。

「どうもはっきりしませんね。何なのですか?」

「いや、いやまぁ、いっぺんご覧になっていただいた方がええかもしれません。どうぞ」

 歯切れの悪いままの男性にうながされ、ミモザが久々に神殿を後にする。

 案内されてたどり着いたのは、村の若者ジェムドの家だった。

「ここは……」

「? 何か?」

「……いえ」

 ミモザが短く答えて首を振る。

 この家は、ジェンドとキサの子孫の家だ。

 あの後ふたりは一緒に家庭を築いたらしい。ふたりの柔らかな幸せの名残りが、この家だという訳だ。

 村に帰ってしばらくして、村の役所に残された家系図を調べてここに行きついた時、ものすごくほっとしたことを覚えている。

(でも、何だろう。この家に何か面倒ごとが?)

 内心で冷や汗をかきながら家に入ると、予想とは全く違う光景が目に入った。

 赤ん坊だ。

 生まれたての赤ん坊が、すやすやと気持ち良さそうに寝入っている。女神は肩すかしを食らった気分で、ここまで案内した男をちろりと横目でにらんでみせた。

「さあ、説明してもらいましょうか。この可愛らしい赤ん坊の、いったいどこが問題だと?」

 男が絵に描いたようにあわてて両手を振り回し、必死の声音で釈明する。

「いやいや、違いますって! 悪戯いたずらじゃないんですよ本当に! 今は目ぇつぶってるから分かりませんがね、目を開いてみりゃ分かりますって!!」

「……目?」

 つぶやいたミモザが、見守る人々の中を赤子のそばへ進み出る。白い指をさし伸ばし、赤ん坊のぽちゃっとした頬を優しくぜた。

 赤ん坊が目を覚まし、にっこりあどけない笑顔を見せる。ミモザは思わず小さく声を上げ、藍色の瞳を見開いた。

 赤子の瞳は、赤かった。

 燃えさかる晩秋ばんしゅうの山の紅葉もみじにも似た、赤いあかい瞳。それは紛うことない、夢にまで見た愛しいガレトの瞳だった。

「あぁ、あーっ」

 赤ん坊は極上の笑顔であどけない声を上げ、ミモザの指をぷくぷくの手で握りしめた。

「……ガレト……ここにいたのね?」

(ずっとずっと、あたしを待たせて。こんなところで待ってたなんて)

 女神の見開いた藍の瞳から、何百年ぶりかの雫が落ちる。

 ざわついた村人たちに涙を拭って微笑わらいかけ、ミモザはこう告げた。

「案ずることはありません。この子は、ガレトの……先代のとかげの神の生まれ変わりです」

 いったん収まりかけたざわめきが、より一段と大きくなる。

「う、生まれ変わり?」

「とかげの神様? 先代の?」

 白い手を伸ばしてざわめきを抑えた女神が、確信を持ってうなずいた。

「ええ、この燃えるような深く赤い瞳、ガレトに間違いありません」

 村人たちが黙りこむ。『抑えても抑えられない』といった風に、その口もとにじわじわと笑みが浮かんでくる。

 その中で誰よりも嬉しげな顔をして、ミモザが桃色のくちびるを開いて告げた。

「お願いです、この子が大人に……十八になったら、あたしの婿へくださいませんか」

「神様のお婿さんに?」

 赤ん坊の親のジェムドとその妻が、互いの手を握り合って涙ながらに喜んだ。

「それから……きっとこれからこの村には、時をおいて幾度いくども赤目の男子おのこが生まれるでしょう。その子らに『とかげの王子』と名をつけて、その子たちが十八になるたび、あたしの婿にくださいませんか?」

 村人たちは一も二もなくうなずいた。

 カタヤラ村を魔物から護ってくれる神様は、とても頼りになるけれど、どこかもろく危うく放っておけない、村人たちの娘のような存在なのだ。

 ミモザは初恋に胸を騒がす少女のように、笑い顔でぽろぽろと涙をこぼし続ける。今までの何百年かに溜まった涙を、泣き尽くしてしまいそうな勢いだ。

 そんな女神をなぐさめるように、赤ん坊が握ったミモザの指を引き寄せ、桃色のくちびるで口づけた。

 その刹那せつな、欠けていたパズルのピースがはまったように、ミモザの中に失った『最期の記憶』が蘇った。

(ああ、そうだ。亡くなるまぎわに、ガレトはこう言ったんだ)

『待っていて』。

 とかげの神様は、最後にこう告げたのだった。

『待っていて。何年でも何百年でも、何度だって生まれ変わってずっとこの村で待っていて。僕は必ず、君のところへ戻って来るから』

 何のことはない、ミモザはこの言葉を受け入れたくなかったのだ。

 何年も何百年も、ただ黙って待っているなんて耐えられない。

 だからわざと遺言を忘れて、わざと忘れたふりをして、幾年いくねんも異国をさ迷って回り道をしていたのだ。

(ああ。……馬鹿だな、あたし)

 ミモザはまた新たな涙をこぼしながら、赤ん坊の黒く艶やかな髪を撫ぜた。

「……おかえり、ガレト」

 赤ん坊は、今までの何もかもを知っているような顔をして、にこにこ女神に笑いかける。きゅっと握った指の力は、いっそちょっぴり痛いくらいだ。

(離さないよ)

 あどけない声が、ふいに耳に届いた気がして。とかげの女神が、こらえきれずに声を上げて泣き出した。

 溜めこんだ涙を吐き出す声には、赤ん坊よりまっさらな純情おもいがあふれていて。

 その場にいた人々も、女神につられて泣き出しながら笑い出した。

 そんなひとたちを『おかしいね!』と言いたげに、赤ん坊は一等余裕で笑っている――ように思えた。




 エピローグ・ねえ、覚えてる?


 そうして六年の月日が流れた。

 赤い目をした赤ん坊は、ジェムという名をつけられた。そうして重い病にかかることもなく、すくすく元気に育っていった。

 ジェムはいつかのミモザのように、当たり前のように『とかげの神様』のお伽話とぎばなしを信じている。

(ぼくは神様の生まれ変わり。生まれる前から、ミモザの運命のひとなんだ)

 頭からそう信じきっているジェムのことが、ミモザはとても愛おしい。

 愛おしいけれど、何だか少しじれったい。気にかかるのは前世のことだ。

(あなたは覚えているのかしら? あたしとあなたの、昔の記憶を)

 その一点がとても気になる。気にかかりすぎて、本人に確かめるのをためらうくらい。

 いや、正直を言えば、気になるのはそこではない。

「どうしたの? ミモザ」

 年端もゆかぬ少年が、当たり前のように女神様の名を呼び捨てる。

 そんな子どもに、ミモザはいっそあどけない少女のようにまっすぐな声で問いかけた。

「ねえ、ジェム。あなた、あたしを本当に好きなの?」

「好きだよ。当たり前じゃない」

「そうじゃなくて! 決まりとかそういうの関係なく、本当に好きかって訊いてるの!」

「うん、好きだよ。だから好きだってば、本当に」

 こともなげに答えるジェムのことが、もどかしい。

 ミモザは今にも泣き出しそうな目をして、少年のとなりでひざを抱えて黙りこむ。

『好き』?

 その好きは「馬車が好き」とか「ケーキが好き」とか「ママが好き」と、いったい何の違いがあるの? あなたがあたしを好きなのは、『掟だから』じゃないのかしら?

(馬鹿みたい。やっとこうして巡り逢えたのに、そんなことばかり気にするなんて)

 自分でじぶんをたしなめかけて、ミモザは心中で首を振る。

 いや、やっと巡り逢えたからこそ、そんなことが気にかかるのだ。ずっと焦がれていたからこそ、本当の想いがほしいのだ。

 もしジェムが前世の記憶を持っていれば、それが実感できたなら、こんな不安は雪のように溶けて消え去ってしまうのに。

 ミモザはふいっと顔をそむけ、草はらの上に横たわって目を閉じた。

 いつわりの寝息をこぼす許婚いいなずけをのぞきこみ、ジェムが大人びた笑顔を見せた。

「全くもう。本当に心配性だなぁ」

 六歳になったばかりの少年が、いやに落ちついた口ぶりでつぶやいた。

 たぬき寝入りの女神の耳もとへ口を寄せ、甘い声音でささやきかける。

「……覚えてるよ、全部。たとえばカラナの時のことも、ヒィナの時のことだって。だから、安心して」

 ジェムがゆったりと微笑んで、ミモザの頬へ口づける。

 長いまつ毛に隠された女神の両目から、透ける雫がこぼれ落ちた。

(ジェムの人生が、終わったら)

 女神は内心でひとりごちる。

(ジェムが生ききって死んでしまえば、あたしはまたひとりになる。それから次の『とかげの王子』が生まれてくるまで、あたしはどれだけひとりで時を刻むんだろう……?)

 そう考えた瞬間に、ミモザは『とかげの神様』の孤独が、初めて本当に分かった気がした。自分の命を長らえるため、腕を食わせた気持ちまでもが、理解できる気さえした。

(でも、あたしはそんなことしない。食べる側の気持ちだって、痛いほど分かっているんだもの)

 ……ああ、あたしたちもこうして、少しずつ変わってゆくんだ。

 ミモザは心中でつぶやいて、濡れた瞳を寝たふりのままそっとこすった。

 ふたりは切れぎれの時を重ねて、少しずつその魂のありようを変えてゆく。

 けれど、対となる魂の組み合わせは何があっても変わらない。

 永いながい輪廻りんねの恋。それは時の流れに少し歪んで、少し崩れているかもしれない。

(けれど、今さら手放すことなんて出来ないわ。あたしたちはもうふたりでひとり、ふたつでひとつの魂だもの)

「……離さないよ。何べん死んでも生まれ変わって、絶対君と一緒になるから」

 耳もとで響く、ぞくっとするほど真摯しんしな声音。

 幼いながらもまっすぐな声で告白し、ジェムが今度はミモザの口もとへ口づけた。

 ミモザがふっと藍の目を開いて手を伸ばし、六歳になる許婚いいなずけに息詰まるようなキスを捧げた。

 穏やかな春の甘い陽射しが、そんなふたりをやわく優しく照らしていた。




 数え切れない生を歩んで、ふたりの恋は育っているのか、それともそのたび壊れているのか。

 それは狂おしく悩ましい、神様たちの恋物語こいがたり

 繰り返しくりかえし繰り返す、赤い輪廻の物語。

                                      (了)

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