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医師たちの日常 Karte3

10月2日 クロスネルヤード帝国 帝都リチアンドブルク 皇宮・第四皇女の部屋


「・・・亞里砂(アリサ)!?」


「?」


 皇女と町医者の邂逅、その刹那、自分を見て唖然とする柴田の様子に、第四皇女テオファ=レー=アングレムは疑問符を浮かべる。


「どうかしましたか?」


「・・・」


 テオファは首を傾げて尋ねる。しかしその言葉が耳に入っていないのか、柴田は変わらずに沈黙を続けていた。


「おい・・・」


「!」


 隣に立つ相棒の呼びかけで心がようやく戻って来た柴田は、気を引き締めなおすと、先程皇帝に対してした様に目上の者への姿勢をとりながら、皇女の言葉に答える。


「・・・はっ! も、申し訳ありません。お初にお目に掛かります、殿下」


 柴田はどこか取り乱した心を取り繕う様な様子を見せる。そんな彼の姿を横から見ていた神崎は柴田の心中を察していた。


(お前が驚くのも無理は無いな・・・。俺ですら、殿下の姿に彼女(・・)の面影を感じた・・・)


 平常を装う神崎の内面も、柴田と同様に大きく揺れていた。その後、扉の前に立っていた2人は皇女の方へと近づく。ベッドの横に立つと、神崎は持参した鞄の中から器具を取り出し、診察を始めるための準備を行う。その傍らで柴田はテオファに語りかける。


「皇帝陛下のご依頼は殿下の治療・・・。我々は我が国の医術に沿って貴方の治療を行います。触診や採血等を行う場合もございますが、宜しいでしょうか?」


 柴田は診察を開始するにあたっての注意点を述べる。


「はい。どうかお気になさらずに・・・。私の病を治して下さいませ」


 テオファはきっぱりと答えた。彼女は皇太子のジェティスと同様に父である皇帝、そして皇帝が信頼している日本の医術を全面的に信頼している様であった。柴田は程なくして皇女の診察を始める。体温、脈拍数、血圧といったバイタルサインの計測を終えた後、診察は胸部の聴診へと進む。


「では、失礼します・・・」


 そう言って柴田は聴診器を付けると、右手に持ったチェストピースを皇女の胸へと近づけるのだった。


(・・・乾性咳嗽(空咳)に、検温では微熱。若干の呼吸困難も見られるか)


 聴診を終えた柴田は少し驚いた表情を見せると、彼に背中を向けていたテオファに、病についての見立てを述べる。


「判然としませんが肺の臓の具合があまり良くありません。ヘアルート殿の診断通り、恐らくは肺炎でしょう」


「そうですか・・・」


 柴田の宣告にテオファはうつむく。彼が述べた病名は正規の宮中医であるヘアルートが述べたものと同様のものであった。ここでヘアルートは”祈祷”を進言したのだが、テオファの父親である皇帝はそれを善しとせず、柴田を呼び寄せたのである。


「では、診察を続けましょう・・・」


 柴田はそう言うと、こちらを向く様にテオファに指示を出す。彼はテオファの首もとのリンパ節を触診しながら、神崎から渡された舌圧子を手に取る。


「・・・口を開けてください」


「・・・」


 テオファは柴田の指示に従い口を大きく開ける。舌圧子を彼女の口の中に入れようとしたその時、柴田は動きを止めた。


「こ・・・これは・・・!」


「?」


 柴田は驚愕した。皇女の口腔内の随所には、白いカビの様なものが這っていたのだ。


(口腔カンジダ症・・・!)


 「カンジダ症」とは、誰しもが持つ真菌の一種である「カンジダ・アルビカンス」によって起こる感染症のことである。この真菌は常在菌であるため健常者に症状をもたらすことは無いが、ビタミン欠乏や糖尿病などにより免疫力が落ちると、カンジダが増殖して発症することがある。俗に言う「日和見感染症」と呼ばれているものだ。


(何故、この人はカンジダが増殖するほどの免疫力の低下を起こしているんだ・・・?)


 柴田はテオファが免疫低下を起こしている理由を推測していた。皇族である以上、食事には不自由しないはずであり、ビタミンの欠乏は考えにくい。故に、他に免疫力低下の理由として考えられるものには「糖尿病」があるが、15歳という患者の年齢を考えれば生活習慣が原因となる「2型糖尿病」だとは考えられない為、自己免疫疾患である「1型糖尿病」が候補としてあげられる。それかストレスや疲労による単純な免疫力の低下も考えられる。

 ・・・もしくは


「神崎先生・・・あんたはどう思う?」


 柴田は後ろに立っていた神崎に意見を求めた。彼はある病名を思い浮かべていた。


あれ(・・)かも知れないと言いたいんだろう。詳しくは調べんと分からんよ。肺炎もカンジダ同様、免疫力低下に依るものなのか、それとも関係は無いのか・・・。それによって話は大きく変わるな」


 手を顎に添えながら、神崎は皇女を蝕む病について考察する。その様子を見ていた柴田は皇女の方へ向き直すと、次なる診察について説明する。


「採血を行います。左腕を拝借しても宜しいですか?」


「採血・・・? ああ、血を採って病を調べるというニホンの医術のことですね。もちろんですよ・・・」


 テオファはそう言うと、左腕を柴田に向けて差し出した。


「ありがとうございます」


 柴田は礼を述べると、神崎から受け取ったゴム管を皇女の上腕に巻き付け、採血の準備を始める。


「では、お気を楽にして・・・」


「・・・」


 左腕に浮き出た静脈を触りながら、柴田は針を近づける。特に抵抗を示すことなく採血に応じたテオファだが、血管に針を射されて血を採られるという事実を前にやはり緊張しているのか、少し震えていた。


(無理も無いか・・・。現代の日本人ですら大の男でも、採血の際に緊張と恐怖のあまり、血の気が引いて顔面蒼白になって立ちくらみを起こす患者も居るからな・・・)


 皇女の様子を見ていた柴田は、かつて勤務していた日本の自衛隊病院にて、来院していた海上自衛隊員が採血後に立ちくらみを起こして倒れたという話を思い出していた。


「緊張せずとも大丈夫ですよ・・・。すぐに終わりますから。ではいきますよ・・・」


「はぃ・・・」


 テオファの不安を和らげるように、柴田は優しい口調で語りかける。その声かけにテオファは消え入りそうな声で答えた。直後、針が皇女の左腕に刺さる。


「ッ・・・!」


 テオファは顔を歪める。針の穴に入った静脈血が細い管を通って容器へと注がれていく。十数秒後、テオファは針が抜かれた感覚を得ると同時に、採血が終わったことを理解した。


「・・・終わりました。続いて胸部X線写真の撮影に移ります。肺の臓の様子を可視化する為の検査になります。再び仰向けで横になって頂けますか?」


 柴田の指示を受けた皇女は無言で頷き、ベッドの上に横たわった。その後、総合内科医である神崎が持参したポータブル撮影機を用いて、彼女の胸部X線写真の撮影を行う。数分後、撮影された単純X線写真がノートパソコンの画面上に映し出された。2人の医師はその結果を緊張を以て注視する。


(やや不明瞭だが、両側性にすりガラス陰影が見られる・・・。これは・・・!)


 神崎と柴田は、テオファの胸部を撮影した単純X線写真を見て、渋い顔を浮かべる。ノートPCの画面に映し出されているものが何なのか良く分かっていない皇女はただ首を傾げていたが、直後、柴田は彼女を方へ振り返り、画像診断から得られた情報を説明する。


「・・・一重に肺炎と申しましても、原因や病態は様々なものがございます。殿下の肺炎の場合は、喀痰が無いことやこの画像から判断するに、”間質性肺炎”と呼ばれる種類のものである可能性がございます」


「!」


 柴田は現段階での推測を述べる。「肺炎の種類」などロバンスの医術士は一言も言葉に出さなかった。彼のこの言葉にテオファは日本の医術とロバンスの医術の差を感じていた。

 通常の肺炎と言えば、肺胞や気管支の炎症のことを差すが、肺胞や気管支、毛細血管などの肺を構成する器官を取り囲む”間質”に炎症を起こす肺炎のことを「間質性肺炎」と言う。胸部聴診時に「ベルクロ音」という”マジックテープをはがす時の音”とされる音が聞こえる所見が特徴的で、他には「ばち指」と呼ばれる手足の指が太鼓のばちの様に丸みを帯びる症状が現れることもあるのだ。しかしながら、皇女の場合では、これらの特徴的な所見は見られない。更に今までの診察で得られた事実から、2人の頭にはとある1つの病名が浮かんでいた。  


「本日の診察はこれで終了致します」


 柴田の言葉を聞いたテオファはため息をつくと、診察が終わったことに安堵する。そんな彼女に不安を与えない様に平常を保つ柴田だったが、その内心はとても焦っていた。


「・・・1つ、申し上げておくことがあるのですが」


「・・・?」


 ほっとした表情を浮かべている皇女に、柴田は1つの忠告を述べる。


「ここでは行える診察や治療が限られてしまいます。故に近い日時、早ければ明日にも、我々の病院への入院をお願い申し上げることになるかと思われますが、宜しいでしょうか・・・?」 


「・・・分かりました」


 テオファは柴田の言葉に頷くと、部屋の扉の前に立っていた1人の侍女に目配せを飛ばす。皇女の意思を察した様子の侍女は、部屋の中にいた3人に対して頭を下げると部屋を退出して行った。


「今日の内に、侍女たちに入院の用意をさせます。その方が早くて良いでしょう」


「・・・そうして貰えますと、我々としてもありがたい。皇帝陛下には我々の方から今回の診察結果の報告も含め、入院についてご説明致します」


 微笑みを浮かべるテオファに柴田は礼を述べると、医療用鞄を手に取って立ち上がる。そして帰り支度を終えた神崎と柴田の2人は、病床の皇女に一礼する。


「では、本日はこれにて失礼致します」


 柴田は深々と頭を下げる。神崎もそれに倣って頭を垂れる。


「ご足労頂き感謝します。今後も宜しくお願いしますね・・・」


 テオファは町医者2人に労いの言葉をかける。2人は彼女の部屋を退出すると、皇帝の執務室に立ち寄って今回の診断結果と入院について説明する。その後、2人は再び侍女の案内を受けながら、皇宮を後にした。


・・・


同日夜 帝都郊外 リチンドブルク赤十字病院


 診察時間を終え、閉院した病院の待合室に神崎と柴田の姿があった。


「・・・お前、大丈夫か?」


 そう尋ねるのは神崎だ。缶コーヒーをすする彼の視線の先には、同じく缶コーヒーを飲みながら、待合席に座っている柴田の姿があった。


「・・・何が?」


 ややぶっきらぼうな声で、柴田は質問を返す。


「今日の患者・・・テオファ皇女殿下のことだよ。だって彼女のあの顔は・・・」


 神崎がそこまで言いかけたところで、柴田は彼の言葉を遮る。


「大丈夫も何も、俺は医者だよ。患者が“昔の知り合い”に多少似てようが、そんなことは関係無い。ただ治すだけさ!」


 柴田はやや声を荒げる。直後、彼は缶の中に残っているコーヒーを一気に飲み干すと、空になった缶をゴミ箱に放り込んだ。


(”昔の知り合い”ね・・・。俺には無理してるようにしか見えないがな・・・)


 神崎は心の中でつぶやく。直後、彼も缶を一気にあおった。そして神崎がコーヒーを飲み干したちょうどその時、静寂の院内にアナウンスの音が響き渡る。


『検査結果が出ました。院長先生と副院長先生、そして柴田先生は検査室までいらしてください』


「「!」」


 呼び出しを受けた2人は、すぐさま検査室へと向かう。




検査室


 3人の医師の姿がある。その内訳は神崎と柴田、そして呼吸器外科医の長岡だ。皇女殿下より採取した血液の検査結果が出たとの知らせを受けて、ここを訪れていた。


「言われた通りの項目について検査を終了しました。これがその結果となります」


 検査室を我が城とする臨床検査技師の田原が各人に差し出した1枚の紙には、血液検査の結果が書かれていた。それには様々な数値が記されているが、彼らが特に重要視しているのが”白血球数(WBC)”、そして”血糖値”と”β‐D‐グルカン”の項目だ。


「血糖値は正常か。糖尿病では無い・・・」


 血糖値の項目を見ていた柴田がつぶやく。その後も3人は各検査項目に目を通す。彼らの目がとある項目に差し掛かった時、3人は驚愕した。


「・・・何だこれは! 白血球数(WBC)が全然足りないぞ!」


 神崎は驚きの声を上げる。彼らが見ている項目の白血球数(WBC)は、本来ならば基準値が3,500〜9,200/μlであるはずだ。しかし、テオファの血液には、それが875/μlしか無かったのだ。


「正確にはリンパ球の数が異常に足りません。フローサイトメトリーによるCD4陽性T細胞数が211/μlでした。重度の免疫不全です。さらにはご覧の通り、β‐D‐グルカンの高値も認められます」


 田原は補足を述べる。彼が説明している項目の他にも、テオファの血液には低酸素血症やLDH高値が生じていることが、手元の検査結果から見て取れた。


「気管支鏡による肺胞洗浄液の検査を行わなければ、まだ断定は出来ませんが、今の状況から、患者が発症している間質性肺炎の原因として、我々が知り得るものの中で最も可能性が高いと思われるのは、ニューモシスチス・ジロ(ニューモシスチス肺炎)ベッチィです!」


「!」


 3人の医師たちの顔色は益々深刻なものになっていく。「ニューモシスチス肺炎」とは、真菌の一種である「ニューモシスチス・ジロベッチィ」によって起こる間質性肺炎であり、カンジダ症と同じく人の免疫が低下した時に発症する日和見感染症の一種であるからだ。


「つまり・・・これは・・・!」


 震えた声を出す柴田の顔は真っ青になっていた。


「ここが地球であればそうだな・・・。至急、抗体検査を!」


 長岡は田原に新たな指示を出す。しかし、田原は首を横に振って答える。


「いえ、すでに完了しています。スクリーニング検査も陽性でした・・・。実際にはPCRでも行わなければ確定診断は下せませんが、ほぼ間違いないかと思われます」


「!」


 田原の言葉に3人は再び驚愕する。


「やはり・・・か。皇女殿下の病の正体は・・・」


「HIV感染・・・、後天性免疫不全症候群(AIDS)だ!」


 神崎に続いて、柴田が声を荒げる。現代の世界で最も恐れられた感染症の1つである後天性免疫不全(AIDS)症候群。その存在がこの世界において、日本以外で始めて確認されたことに、3人は戦慄を覚えるのだった。

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