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旭日の西漸 第3部 異界の十字軍篇  作者: 僕突全卯
第5章 甘美なる恩寵
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聖戦の閉幕

3月3日夕方 クロスネルヤード帝国 帝都リチアンドブルク 皇宮・御所


 アルフォンの一派による最期の抵抗が終わった日、帰路に着いた“西方隊”からの結果報告がリチアンドブルクに残っていた部隊へと届けられていた。“首班の死”によって成すべき戦いは全て終結したと言えるだろう。


「叔父上とスリガンは自害なされたそうだ・・・」


 皇宮を訪れていた自衛隊員の口から、戦いの結果について知らされたジェティスは、バルコニーから西の空に沈む夕日を眺めていた妻のレヴィッカに、その内容を伝えた。


「・・・そう」


 レヴィッカは素っ気ない返事をする。彼女はその視線を夕日から反らすことは無かった。


「これで・・・本当に終わったのかしらね」


 この先の行く末を占う様な彼女の一言に、ジェティスは思わず言葉を詰まらせた。

 此度の戦争がジュペリア大陸に及ぼした影響は余りにも大きく、世界最大の国家として位置づけられてきたクロスネルヤード帝国の“敗戦”による“世界の均衡”の崩壊は、今後の“テラルス”の歴史に深く影響を及ぼして行くのだろう。

 その前兆として、“教化軍国家”が支配していた地域ではアラバンヌ系民族による暴動と反乱が、広範囲に且つ同時多発的に発生している。


「・・・先の事より、今は目の前の事を見よう。ニホン政府との講和条約を結ばなければならない・・・。明日から忙しくなるぞ」


 ジェティスは夕日に黄昏れている妻にそう言うと、部屋の中へと戻って行った。1人になったレヴィッカはしばらくの間、西の地平線に沈む夕日を眺め続ける。


・・・


同日・夜 リチアンドブルク郊外 赤十字病院・廃墟


 すでに廃墟となりながら、自衛隊の衛生科によって野戦病院として利用されている“リチアンドブルク赤十字病院”の会議室に、6人の医療人の姿があった。

 彼らは“日本赤十字社”に属する医療スタッフたちである。その内訳は、亡命政権と共にオスプレイ(V-22)で帝都入りした郷堂と柴田の2人、そして「北方AIDS調査班」としてシーンヌート辺境伯領に派遣され、開戦によって長らく逃亡生活を送っていたものの、ついに帝都へ帰還した5人の医療スタッフの内、死亡扱いになっている神崎を除く4人である。


「成る程・・・やはりHIV-2か。しかし本当に良く生き延びたなぁ」


 調査班が逃亡生活の中で作り上げたレポートを眺める郷堂は、頷きながらその内容を読み進めていた。


「はい。シーンヌート市にてお尋ね者となった我々は、梅毒に罹患した娼婦の治療と引き替えに、暗黒街の住民によって長期間匿われていました。

その際、HIVのスクリーニング検査も治療と同時に行っていたのです。結果として陽性が出たのは41人中8人、すべてHIV-2でした」


 郷堂に対して説明を行うのは、調査班の1人だった臨床検査技師の田原時政だ。

 彼らが話しあっていた議題とは当然、この世界で再発見された「ヒト免疫不全(HIV)ウィルス」についてである。5ヶ月前に帝国第四皇女テオファ=レー=アングレムの体内から発見されたHIV、正確にはHIV-2だが、本来ならば北方AIDS調査班は、それが発生したとされるシーンヌート辺境伯領の港街ラルマークに向かう予定だった。


「実際に陽性か否かは、陽性者から採取した血液を本国で調査してみなければ分かりません。尚、スクリーニング検査ではHIV-1感染者の存在を確認出来ませんでした・・・」


 田原は説明を続ける。


「しかし・・・この世界にはHIV-2しか存在しないのでしょうかね? まあ、だからといって楽観視して良いという訳ではありませんが・・・」


 腕組みをしながら、柴田はつぶやく。

 地球では2種類が存在するHIVの内、この世界で存在が確認されたものは一方のみ、それも西アフリカで局地的に流行しているとされるHIV-2だった。ちなみに世界的流行を起こしている一般的なHIVと言えば、これとは異なるもう一方のHIV-1のことを指す。HIV-2はHIV-1と比較して病原性・感染力共に低いと言われており、感染者のAIDS生涯発症率は25%、母子感染率は2%以下というデータが存在する。HIV-1が無治療であればほぼ確実に発症し、母子感染率が約30%と言われているのに比べれば、その数値の低さが一目瞭然だろう。

 しかし、両方とも人の免疫力を落としてしまう恐ろしいウィルスだということに違いは無く、この世界で流行が確認されたのがHIV-2のみだったとしても、楽観して良いものではない。柴田はそのことを述べていた。


「・・・詳細を知るにはやはり、発生源のラルマークに行くしかありません。本当にこの世界にはHIV-1が存在しないのかどうか・・・。今回は断念せざるを得ませんでしたが、本社と厚労省にもう一度“調査班”を派遣する様に進言しましょう」


 調査班の1人に名を連ねていた検査技師の見栄島誉一が、郷堂に更なる調査の実施を提案する。


「道半ばで遠き異国の地に消えた神崎の為にも、か・・・。本社にはそう伝えよう。良し・・・今日はこれで解散だ」


 かつての同僚を偲ぶ言葉を告げながら、郷堂は見栄島の意見に納得する。

 その後、年長者の解散命令によって会議はお開きとなり、6人の医療スタッフは各々の寝床へと戻って行った。

 翌日、郷堂の手によって、調査班が取得したデータと追加調査の嘆願が“本社”へと送られることとなる。


〜〜〜〜〜


3月6日 日本国 首都東京 首相官邸


 最後の戦いが終わって3日経ったこの日、国を動かす閣僚たちが官邸の一室で一同に会していた。各々の閣僚が座る椅子の前に配布された資料、その1頁目には此度の戦争の総括について記されていた。


・・・


<日本=イルラ戦争(日本=クロスネルヤード戦争)>


○戦闘参加艦艇   計31隻

・海上自衛隊/日本海軍 30隻

 護衛艦   19隻

 航空母艦  2隻

 強襲揚陸艦 3隻

 輸送艦   2隻

 補給艦   2隻

・アメリカ海軍第7艦隊 1隻

 ドッグ型揚陸艦 1隻


○戦闘参加人数 計20,010名

・海上自衛隊 約15,410名

・陸上自衛隊 約2,730名

・航空自衛隊 約130名

・アメリカ海軍 約510名

・アメリカ海兵隊 約1,230名


○人的被害

・殉職者 102名(内戦死者 84名)

・負傷者 1,681名

・文民犠牲者 3名


・・・


 閣僚たちは、数字として並べられた戦争についてのデータを、上から順に眺めていた。


「・・・日本人に、非戦闘員犠牲者が出てしまったことが失態ですね」


 そう述べるのは首相の泉川だ。“3”の数字を見つめる彼は、大きなため息をついた。

 ちなみに掲載されている3人の文民犠牲者とは、皇帝領軍による拷問の後に衰弱死した、大使館職員である桃川彰人と大使に任命されていた時田雪路、そしてシーンヌートで行方不明になり、その後死亡扱いとなった神崎志郎医師を含めた3名である。


「これで“終わり”、ですか・・・」


 顔を斜め下に俯ける首相に対して、外務大臣である峰岸が口を開いた。


「制服さんの仕事は終わりでも、我々背広の仕事はここからですよ。今後の外交計画を練りましょう」


 年甲斐も無く張った声を出した峰岸は、声を整える為に咳払いをした後、今後の外交予定について説明を始める。


「リチアンドブルクに滞在中である東鈴稲次外務事務次官には、我々外務省が作成した講和条約の文書を送信しました。

よって、現在ミケート・ティリスへ向かっている“ショーテーリア=サン帝国講和交渉代表団”が帝都に到着し次第、亡命政権・・・否、『クロスネルヤード正統政府』との講和会談を行う様に指示を出してあります」


 4ヶ月に渡る戦争期間を経て、クロスネルヤード帝国との講和条約の締結が現実に行われる段階までようやく達したことに、閣僚たちは達成感と安堵を含んだ表情を浮かべる。


「奴さん、どんな条件出して来ますかね?」


 閣僚メンバーの中で最年長、内閣官房長官である春日が峰岸に尋ねる。彼が懸念を呈していたのは、ショーテーリア=サン帝国がクロスネルヤード帝国に対して出すであろう要求についてだ。


「・・・一応、ショーテーリアの首都ヨーク=アーデンで行われた事前協議の場にて、彼の国が提示する要求については大体把握されています。彼の国を講和交渉のテーブルへ招くことは、亡命政権を彼らの首都に匿い続けて貰った対価として、既に決まっていることですからね。

まあ、彼らは戦闘行為は何もしていない訳ですし、クロスネルヤード政府に対して余りにも過剰になる要求を出す様でしたら、自制させろという指示は出してあります」


 峰岸は答える。

 およそ3ヶ月に渡ってジェティス皇太子夫妻を匿い、亡命政権樹立宣言をバックアップし、アルフォン1世の虚言を明らかにすることで彼に与する戦力を大きく削る・・・。実際の戦闘には参加していないが、「ショーテーリア=サン帝国」政府のこの戦争における貢献度は、ジェティスと日本、その両者にとって到底無視出来る規模のものでは無かった。

 それ故、現在再編中のジェティス率いる「クロスネルヤード正統政府」は、ショーテーリア=サン帝国に対しても、何らかの返礼を与えることになっている。


「取り敢えず、実際の交渉次第という訳か・・・」


 経済産業大臣の宮島がつぶやいた。


「即位式の日程は?」


 春日に続いて、総務大臣の高岡が質問を提示する。彼が気になっていたのは、ジェティスが何時正式に皇帝の位に即くのかということであった。


「・・・ジェティス皇太子殿下の希望で、講和条約の締結後ということになっております。少なくとも2週間以上は後ですね」


 峰岸が答えた。2週間後とは、ショーテーリアの代表団が中央洋を超えてミケート・ティリス市に到着する日である。

 彼が説明を終えた後、防衛大臣である安中が手を上げた。


「現地で戦闘を行った陸上自衛隊には、条約締結日から1ヶ月以内に撤退する様に指示を与えています。海上自衛隊については、揚陸艦を除く護衛艦は順次こちらへ帰還しています。

尚、皇帝の直轄領である“皇帝領”は、今までの戦いで正規軍がほぼ壊滅状態なので、陸自の撤退後における同地方の治安維持は、隣接する地方である“ミケート騎士団領”のミケート軍に委託することになっています」


 安中はジュペリア大陸へ派遣した自衛隊の撤退状況について説明する。次に財務大臣である浅野が口を開いた。


「此度の戦争でかかった戦費についてですが、お手元の資料の2頁目に示されている通り、概算で5兆6千億円。殉職者遺族や負傷者に対する特別手当などを加味すれば、さらに出費がかさむでしょう・・・。勿論、賠償金で補填は行うんでしょうがね」


 浅野の言葉に、会議に参加していた閣僚たちは皆眉をひそめる。此度の戦争でかかった費用は少なくなく、それどころか国庫にとってはかなり痛い出費となった。


「・・・神聖ロバンス教皇国についてはどうする?」


 閣僚たちが戦費の扱いでどよめく中、官房長官の春日が一石を投じた。


「教皇と内通している可能性(・・・)が高かった皇帝が全て墓場まで持って行ってしまった以上、断罪は難しいでしょうか・・・少し考えがあります。我々に任せて貰えませんか?」


 外務大臣である峰岸が右手を挙げて答えた。外務省は何やら腹案を持っている様である。


「・・・大丈夫なのか?」


「・・・ご期待に添える形になるか分かりませんが、詳しくは後日説明させて頂きたい」


 年長者が示した不安と懸念に対して、峰岸は歯切れの悪い返事を返す。


「・・・まあ取り敢えず、目下成すべき目標はクロスネルヤードとの講和交渉と戦後処理ですね。確かに我々の本格的な仕事はここからです。忙しくなるとは思いますが、気を引き締めていきましょう」


 首相が発した言葉に閣僚たちは頷いた。彼の締めの言葉を以てこの日の閣議は終了し、参加者たちは本来の勤務場所へと戻って行った。


 砦制圧戦の結果を受けた日本では、国全体が興奮の様相を呈している。

 各新聞社の紙面は、そのほとんどが“勝利”の2文字を見出しに加えて日本の戦勝を大々的に報じており、国民は完全な勝利の余韻に酔いしれていた。政権与党である“自由国民党”にとっても、1年半後の2031年8月に行われる予定である“衆参同時選挙”に向けて、票を集める良い知らせとなったことだろう。

 日本国内のマスコミだけでなく、この世界における最大の民間組織である「世界魔法逓信社」も、日本とクロスネルヤードの両政府が報じた簒奪者の一味の死を世界に向けて報じており、両国間で行われた戦いの終結を世界に対して印象付けていた。


 そして3月20日、ショーテーリア=サン帝国代表団がミケート・ティリス市に到着した。彼らは講和交渉の席に参加する為、日本側が用意したオスプレイ(V-22)に乗り込み、帝都リチアンドブルク入りを果たすこととなる。


〜〜〜〜〜


3月22日 帝都リチアンドブルク中心街 外務庁庁舎


 帝都の中心街に、国の外交を統括する行政機関が設置された庁舎がある。その一室に、東鈴稲次を首班とする“日本国代表団”、そしてジェティス=メイ=アングレム、及び失踪した外務庁長官の代理としてこの場に呼ばれたリスタ=レンテン副長官を主とする“クロスネルヤード正統政府代表”、最後に昨日帝都入りした、外務副卿エディンガー=ウェストファルスを首班とする“ショーテーリア=サン帝国代表団”が一同に会していた。

 彼らが集まった目的は勿論、3カ国間で講和条約を結ぶことだ。2対1の構図で長机を挟んで座る彼らの前には、日本側が配布した資料とペットボトルのお茶が並んでいた。


「では、皆様お集まり頂けた様なので、会議の方を始めさせて頂きましょうか・・・」


 最初に口を開いたのは日本国代表である東鈴だった。彼は手元にあった資料を手に取ると、その表紙をめくって説明を始める。

 尚、ショーテーリア代表のエディンガーは、日本代表団の隣で黙っているだけだった。


「昨日、我が国とショーテーリア=サン帝国との間で行われた事前協議の結果として、貴国には次の様な条件を要求するという結論に至りました。では1頁目をご覧下さい・・・」


 ジェティスを筆頭とするクロスネルヤードの代表者たちは、緊張の面持ちで手元に置かれた資料をめくる。そこには次の様に記されていた。


・・・


<講和条約 条項案>


・クロスネルヤード帝国(以下ク帝国)は日本国に対して、賠償金1867万ユロウ(約5兆6千億円)を6年間分割で支払う。年利は無し。

・ク帝国は日本人によるク帝国内での商売の自由と旅行の自由を保障する。

・ク帝国は日本国に対して、ミケート・ティリス、ドラス・ティリス、ベギンテリアの3港に日本海軍の軍艦を派遣、駐留させる権利を認める。

・ク帝国は日本国に対して、上記3都市への租界の設置を認める。尚、租界内は日本国による行政下に置かれ、租界内における日本軍の滞在は自由とする。

・日本人がク帝国内(租界外)で犯罪を犯した場合、現地の治安機関が容疑者の逮捕権を持ち、同国政府と協議の上に日本国の官憲が共同捜査に参画する。容疑者の裁判権は日本国側に優先する。

・ク帝国は日本国に対して、同国政府によってク帝国内に設置された各在外公館を高度に自衛する権利を認める。

・ク帝国はショーテーリア=サン帝国民によるク帝国内での商売の自由を保障する(10年間)。

・ク帝国はショーテーリア=サン帝国に対する謝礼金10万ユロウ(300億円)を3年間分割で支払う。年利は無し。

・日本国は講和条約の締結日から1ヶ月以内に、ク帝国内から日本軍を引き揚げる。


・・・


 資料の内容を目で読み上げるクロスネルヤードの代表者たちは、一様に眉間にしわを寄せた。


「・・・1867万ユロウ、ですか。我が国における年間国家予算の3分の1を超える額ですよ・・・」


 財務庁長官のゲオック=ヴァンシュヴァイクは、日本側から提示された賠償金額に頭を抱える。

 尚、この請求額はアルティーア帝国に対して請求した時の様に、貨幣を“金品”として捉えて、それに含まれる金量を日本国内の金相場に当てはめて算出したものではなく(・・・・)、貿易を行う中で定まった両国間の貨幣のレートに従って計算したものだ。両国間で貿易関係が成り立つ様に設定されていたものであり、貴金属の含有量は関係無い。

 アルティーア帝国に請求した賠償額も、その後に両国間の為替レートが定まった事により、結局は減額措置が取られている。


「我が国が供出した戦費だけでこれだけなのです。もちろん、支払い期間延長などの措置はしましょう」


 東鈴は救済措置を検討する余地があることを示す。6年間の返済期間というのはあくまで案であり、これで決定という訳では無い。

 それにこの世界では、敗戦国となれば国家運営が傾く程の賠償金を容赦無く突きつけられることが当然であることを考えれば、日本側が出した条件は十二分に温情が図られていると言える。日本側も、かつて清国に対して行った様に、革命の切っ掛けに繋がる程の負担をクロスネルヤード帝国に与える気などさらさら無かった。


(ニホンとショーテーリア両国からの輸入品に対する関税自主権の喪失に加え、ニホン国に対しては事実上の領事裁判権の認可と、それに租界の設置か・・・)


 ジェティスは日本側の要求を読み進め、その内容を精査する。条項案に記された各項目は、戦勝国が敗戦国に対して要求するものとして、何らおかしいものはない。尚、彼は亡命政権としてヨーク=アーデンに滞在していた時、講和条約に関する示し合わせを東鈴と何度か行っていた。

 ちなみに“商売の自由”は、日本を含む海外からの輸入品を独占的に仲買する現地商人ギルドを目障りに思っていた、日本国内の経済界からの要望だった。


(“在外公館を高度に自衛する権利”・・・か。アルフォン1世陛下がニホン国大使に対して行ったことを考えれば、まあ妥当な要求だろうな・・・)


 外務副長官のリスタは頷いていた。彼が読んでいた条項は、“いざとなれば自衛隊員を駐在させてクロスネルヤード国内の在外公館を守らせろ”という内容を求めるものである。自国内に他国の軍を駐留させることを片務的に認めるものであり、独立国としてはあまり芳しくない。

 しかし、両国が開戦した日、今は亡きアルフォン1世の命令を受けた皇帝領軍が、日本国大使館に勤めていた大使を含む職員5名を捕らえ、拷問に近い尋問を加えたことがあった。そんな前例を残してしまった以上、日本側がクロスネルヤード国内に駐在させる大使や公使を、自衛したいと申し出るのは当然の帰結ではあるだろう。

 日本とショーテーリア、2カ国からの要求を良く理解したジェティスは、その視線を資料の文字から東鈴の顔へと移し、口を開いた。


「賠償金についてを除けば・・・まあ、異存はありません。しかし、条約締結後の批准については、“皇帝領中央議会”での決議を行った後に、国内19地方の長が集う“一九長会議”で決議を取らなければならないので、批准書の交換を行うまでの時間は少しかかると思われます」


 ジェティスは自国の政治事情を絡めて説明する。

 世界最大版図を誇るクロスネルヤード帝国は、皇帝直轄地である「皇帝領」と7つの「騎士団領」、そして11の「辺境伯領」から成る計19の地方によって構成されており、それぞれの地方が高度な自治権を有する“連邦国家”の体を成している。その中で、皇帝領を除く18地方を治めている7人の騎士団長と11人の辺境伯は、総称して「18人の長たち」と呼ばれ、地方によっては皇帝領を超える軍事力を有している。

 そんな彼らと“皇帝”、即ち国を束ねる19人が一同に会して行われる会議が「一九長会議」であり、同国における事実上の最高意志決定機関なのである。国家全体に及ぶ議題に関しては、この会議で過半数の同意を取らなければならなかった。


「日本国としては構いません。我が国も批准まで半年ほどはかかります・・・が、念のため批准までの期間は決めておくのが吉かと・・・」


 東鈴が答える。その後、彼は部下である仲嶺の左隣に座っていたエディンガーに視線を振った。


「・・・エディンガー殿も宜しいですか?」


 同意を求められたショーテーリア代表団団長のエディンガーは、今回の協議で初めて口を開く。


「我々としては、我が国に関するこの2項目を“謝礼”として飲んで頂けさえすれば、何も異論はありません」


 エディンガーは淡々と答えた。反発意見が特に無いことを確認した東鈴は、視線をクロスネルヤード代表の方へ戻す。


「では条約内容については賠償金を除き、これで仮決定ということに致します。では次に賠償金について、そして他項目の詳細について議論していきましょう・・・」


 日本とショーテーリア、そしてクロスネルヤードの3カ国間で行われる講和交渉は、東鈴の進行に従い、条項案に示された各項目の調整という段階に移る。仮決定した条項に対する各国の意見が次々と出され、特にクロスネルヤード帝国内における日本人の法的扱いに関する規定、そして両国の商人に対して認可する“商売の自由”の具体的内容についてが熟議されることとなった。


 そして遂に、9日間に渡って行われた協議と晩餐会を経て、3カ国は「リチアンドブルク講和条約」を締結するに至る。クロスネルヤードが懸念を示した賠償金については最終的に日本側が譲歩し、減額が無い代わりに6年間の返済期間が8年間に延長されることとなった。


・・・


4月1日夜 帝都・中心街 内務庁庁舎 宿泊室


 条約の調印式にて日本政府全権代表として署名を行った東鈴は、内務庁庁舎の内部に設けられていた日本代表団の宿泊所に戻り、疲れ切ってしまった身体をソファの上に投げ出した。


「フゥー・・・」


 背もたれに身体を預けて顔を天井に向けると、疲労をはき出す様な深いため息をつく。


(こっちは取り敢えず一段落付いた。ロバンスに行ったあいつらは、上手くやっているかなあ・・・)


 東鈴は、講和条約の締結という大きな仕事を達成したことに安堵する一方で、神聖ロバンス教皇国へ向かったという同僚の身を案じていたのだった。

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