Amazing Grace Ⅰ
リザーニア王国 首都ホッフェノム 王城
「失地回復運動」の指導者によって建てられた「教化軍国家」であるこの国は、アルフォン1世が宣言した対日戦争、すなわち“聖戦”に参加したイルラ教国家の1つである。
クロスネルヤード帝国から始まり、ロバンス教皇庁によって聖戦と認められていた今回の戦いには、このリザーニア王国を初めとして、リーファント公国、ヒルセア伯国、ジャヌーヤイ伯国といった有力な教化軍国家の殆どが参戦を表明し、日本本土へ侵攻する予定だった「対日本派遣艦隊」に参加する為、同艦隊が組織されていたミケート・ティリスに、艦隊と兵の派遣を行っていた。
しかし肝心の対日本派遣艦隊は、ジェティスの“亡命政権樹立宣言”によってアルフォンの虚言を知った“帝国18地方の長たち”の離反によって、出撃前に解散同然となってしまったのだ。
そんな状況下でも、現皇帝を支持する“長”が統治していた地方の軍勢や、各イルラ教国家、そしてクロスネルヤード属国群の兵たちはミケート・ティリスに残り続けたが、日本側が3ヶ月の長期間に渡って準備を進めていた「ミケート・ティリス揚陸戦」によって、その殆どが壊滅的被害を受けることとなった。
このリザーニア王国もその例に漏れず、教皇や皇帝の歓心を買おうとして、リーファント公国艦隊と共に独断でルシニアの自衛隊基地を攻めた「第2次グレンキア半島沖海戦」にて、海上自衛隊第13護衛隊による壮絶な返り討ちに遭い、兵力と軍艦の殆どが壊滅。わずかな生き残りはミケート・ティリス揚陸戦で全滅していた。
軍の壊滅と日本の連戦連勝は、同国内で被征服民として過酷な扱いを受けていたアラバンヌ系民族の耳にも届き、彼らが暮らす地域の反発と独立運動を招いており、徐々に制圧出来なくなっている。首都内部でも一部の被征服民が暴徒と化し、商店を襲うなどの行為に走る様になっていた。
「西部のイリドス地方(旧アラバンヌ文化圏イリドス王国)にて発生した旧イリドス王国民の独立運動によって、現地の治安部隊が落とされました・・・」
王の執務室を訪れていた文官は、40年程前に征服したアラバンヌ文化圏国家の独立を、事実上、許してしまったことを王に伝える。
「・・・くっ!」
悪化の一途を辿る国内情勢に、国王のボードアン3世は頭を抱えるしかなかった。同様の事態は他の教化軍国家でも見られ、これらの国々が支配していた地域の情勢悪化は、最早止めることは出来ない巨大なうねりとなって、全ての教化軍国家を飲み込もうとしていたのだ。
「聖戦の撤回など・・・、教皇庁は気が触れたのか!? 我々が今まで出した犠牲と損失は一体どうなる!?」
ボードアン3世は“聖戦の撤回”を正式に発表した教皇庁の決断を、未だ完全に信じられないでいた。
撤回の理由については、“簒奪者に聖戦を与えてしまったことを恥じた為”だと教皇庁から発表されていたが、アルフォンによる支配体制を理想としてそれを維持する為、そして自国の地位向上の為に聖戦に参加していた彼らにとっては、前皇帝を殺したのは誰かということなどは、はっきり言ってどうでも良いことだ。
彼らにとって許せなかったのは、“聖戦の撤回”という行為によって、既に国家運営が傾く程の損失と犠牲を出していた自分たちの行動が無意味、無価値になってしまったことだった。それは死んでいった兵士たちの名誉を喪失させる冒涜に他ならない。
「これでは我々は・・・、現皇帝の虚言に踊らされただけの道化ではないか! 我々の立場は、死した兵たちの名誉は・・・一体どうなるというのだ!」
ボードアン3世は、アルフォンと教皇に対する恨み節を吐露する。
虚言と欺瞞によって始められた戦争と日和見主義の教皇国に付き合わされ、国家存亡の危機に瀕した上に、最後の最後に名誉まで奪われた。各教化軍国家の首脳たちの不満と怒りの矛先はアルフォン、そして教皇庁へと向けられることになる。
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3月1日 クロスネルヤード帝国 帝都リチアンドブルク 皇宮
この日、帝都に駐留し続ける「ジュペリア大陸派遣部隊」の下へ、ルシニア基地、及び日本本国から運ばれてきた燃料や弾薬、食糧などの追加物資が届けられた。アルフォンら、計1,400名が逃亡した内陸部へ進む用意がようやく整えられたのだ。
後は彼らが何処へ逃げたのかを割り出すだけだが、無人航空機と人工衛星による捜索を根気強く続けた結果、それについても漸く判明することとなった。その為、情報隊隊長の奥村一尉は、派遣部隊の総指揮官である滝澤陸将補が居る皇帝の執務室へ、次なる目的地について報告しに来ていた。
「陸将補、捜索中だったアルフォン一派の潜伏先ですが、ようやく調べが付きました」
奥村一尉はそう言うと、机の上に地図を広げる。それには赤い丸が付けられている箇所があった。奥村一尉はその場所を指差しながら説明を続ける。
「ここ帝都より西に312km、皇帝領は“ギフト”と呼ばれる地域の山岳地帯にある砦・・・連中は此処に潜んでいる様です。帝都内にわずかに残っていた兵士からも裏付けが取れました」
次に彼は数枚の写真を取り出した。“皇帝の椅子”に座る滝澤は手渡された写真を手に取ると、一枚一枚めくりながら、その内容を確かめる。
「一見すると山林地帯の中にあるただの岩山の様に見えますが、ごらんの様にその周辺を少数の兵士が巡回している様子が捉えられております。どうやら岩山の中を蟻の巣の様に切り抜いて作られた砦の様ですね。さらには付近の村落で、兵士たちが物資の略奪を行っている様子も確認されました」
奥村が述べる報告を、滝澤は頷きながら聞いていた。
「山の中に潜んでいる上に、皇帝の身を確保することが条件となる以上、今までの様に敵を一掃する派手な砲撃は出来ず、普通科隊員による砦の制圧が主になるな。それに全軍での移動は少し厳しいか・・・」
敵の状況を知った滝澤は、地図と写真によって示されている皇帝領・西部の地形の険しさに難色を示す。
「よし・・・全隊の半数ほどはこの地に残して、残り半数でギフトに向かうことにする。隊の編制が済み次第、ギフトへ出発する!」
「了解!」
総指揮官の指示を受けた奥村一尉は敬礼すると、身体を反転させて皇帝の執務室から退出して行った。
その後、約3,000名の隊員からなる「ジュペリア大陸派遣部隊」の中から、ギフトへ向かう部隊が新たに編制されたのだった。
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3月2日午後 クロスネルヤード帝国 皇帝領上空
首都を有する皇帝領の上空を、1機のオスプレイが飛んでいる。2つのメインローターの羽音が響き渡る機内には、亡命政権に名を連ねる3名の皇族の姿があった。
リチアンドブルクの治安が確保されたという報告が、帝都に駐留している派遣部隊より届けられた為、彼らの身柄をミケート・ティリスの「かが」から、帝都皇宮に移すことが決定されたのだ。派遣部隊の司令部は皇宮から撤収済みである。
オスプレイの中には正統な皇太子であるジェティスと、彼の妃であるレヴィッカ、そして末の妹であるテオファ、彼女の侍女であるラヴェンナだけでなく、彼らにずっと付き添ってきた外務事務次官の東鈴稲次を首班とする3名の外務官僚と、テオファの現主治医である郷堂恵一、そして柴田友和の姿もあった。
医師の派遣は、帝都に駐留している衛生隊に加勢することも目的の1つである。この数日の間に、メストーの戦いから逃れていた数多の敗残兵が治療所に収容され、派遣部隊に随伴していた医官では手が回らない状況になっていたからだ。その為、ルシニア基地に勤務している医療スタッフも近々派遣される予定である。
その他の物資としては、テオファが服用する国産の抗AIDS薬が、当然のことながら多く積み込まれていた。
「・・・ようやく、リチアンドブルクに帰って来られたのか」
オスプレイの窓から地上を眺めるジェティスの目の端に、世界最大の城砦都市の姿が映り込む。彼の右隣に座っていたテオファも、上半身を窓側に向けながら、空から見る地上の様子を興味津々な様子で眺めている。この2人については、初めて乗る回転翼航空機にも臆することは無かった。
しかし、彼の左隣に座るレヴィッカは違った。目をぎゅっとつぶりながら夫であるジェティスの左腕にしがみついており、よく見れば身体が小刻みに震えている。高空を飛ぶ巨大な飛行物体に怯えている様だった。
「・・・大丈夫か?」
ジェティスは震えが止まらない様子の彼女に、具合の善し悪しを尋ねた。
「は、はい・・・問題有りません」
レヴィッカは歪な笑顔を浮かべて答える。とは言っても、彼女の顔からは血の気が完全に引いており、誰がどう見ても大丈夫である様には見えなかった。
やせ我慢をする妻の態度に苦笑いを浮かべたジェティスは、次に自身の右隣で窓の外を見ていたテオファに話しかけた。
「お前には苦労を掛けたね、異国の地で心細かっただろう?」
開戦の日、“リチアンドブルク赤十字医師団”の尽力によって、侍女のラヴェンナと共に帝都を脱出したテオファは、ショーテーリアの地で実兄であるジェティスと再会するまで、亡命とAIDS治療を兼ねて日本国内に滞在していた。ジェティスは異国の地で長期間を過ごしていた彼女の心情を案じていたのだ。
しかし、彼女の口から出た答えは意外なものだった。
「いいえ、兄上様・・・ニホンの医術士の皆様には、とても優しくして頂きました。ケイイチ先生やシズネ先生、それにシロウ先生・・・そしてトモカズ先生にも!」
テオファは笑みを浮かべながら、彼女に関わった医師たちの名を告げる。現主治医である郷堂、リチアンドブルク赤十字病院の院長を務めていた長岡、本国の医療機関との連絡に従事した神崎、そして非常勤の宮中医として、皇宮の彼女の下に足繁く通った柴田・・・。
「・・・そうか、良かったな。お前は強くなったよ」
ジェティスは妹の答えに一瞬目を丸くしながらも、テオファ自身の精神的な成長を反映したその言葉に満足した様子で、彼女の頭を優しく撫でる。
自分の頭を覆う大きな手から、肉親のぬくもりを感じたテオファは、両の頬を赤く染めていた。
そんな彼らの様子を、郷堂と柴田はほっとした表情で眺めている。特に、非常勤の宮中医としてテオファに長く付いていた柴田は、幸福そうな顔をする彼女の様子に、多大な喜びとわずかな物寂しさを感じていた。
(あの様子なら大丈夫そうだ。・・・殿下には、もう俺は必要無い)
多くの肉親を失った悲しみの為、一時期は柴田に対してその幻影を求めるまでになっていたテオファの精神状況は、ショーテーリアにて実兄であるジェティスとの再会を果たした事によって、それ以降は落ち着いた様だった。
まだ完全に悲しみの感情が消えた訳では無いのだろうが、歳を重ねれば、いずれはそれらも消えていくのだろう。
(今度は俺の番だ。俺自身が彼女から離れなくてはならない・・・。何時までも、失ってしまった恋人の幻影を、15歳の少女に見ている訳にはいかないな・・・)
柴田には「東亜戦争」の最中に心無い者によって“精神”を壊され、自らの命を絶ってしまった恋人が居た。
彼女の生き写しであるテオファに出会った当初は、その当時に味あわされた辛苦の記憶が呼び起こされ、胸が締め付けられる思いになった。しかしその後、治療の為に彼女の下を訪れるに連れて、大切なものを失い、長らく空虚になっていた心を満たされる様な感覚を抱く様になっていた。
それはまるで、麻薬がもたらす多幸感の様な心地の良いものだった。彼はそれに依存していた。その事に気付いたのは日本国内の医療センターで、テオファに終戦後も宮中医として側に居て欲しいと懇願された時だ。
あの日の夜の一件で1つの決心を付けた柴田は、とある目的の為に、彼女自身の要望に応じる形で、ショーテーリア、ミケート・ティリスと付いて来ていた。
本来、外科医である柴田は彼女とっては必要の無い人材だ。これ以上、彼女について回ることは、彼自身の“自己満足”以外の何者でも無くなる。例えテオファ自身にそれを望まれたとしてもだ。
「帝都皇宮が見えて来ました! 間も無く着陸します!」
オスプレイの副操縦士である緒沢二尉が、機内にアナウンスをする。
その後程なくして、オスプレイは皇宮の敷地内にある庭園に降り立つ。ジェティスとレヴィッカ、そしてテオファの3名はオスプレイの中から姿を現し、その足を大地の上に付ける。彼らは約4ヶ月振りに、本来の居住地である帝都皇宮への帰還が叶うこととなった。
皇宮・宮中庭園
「ジェティス皇太子殿下、レヴィッカ皇太子妃殿下! お帰りなさいませ!」
本来の主の帰還を、皇宮に勤める侍女や文官、政府の閣僚、そしてアルフォンに付いて行かずにこの地に残ったわずかな兵士たちは涙を流して迎えていた。
ちなみに“残ったわずかな兵士たち”とは、主に皇宮・第1の城壁「東門」の守備兵たちだ。アルフォンによる“暗殺の日”に、偶然お忍びで外出していたジェティスとレヴィッカ、そしてアルフォンに寝返った近衛兵たちの魔の手からテオファと共に逃走した医師団、彼らが皇宮から脱出する際に通過したのが「東門」だった。この門は歴代の風流な皇帝たちが夜な夜な城下に繰り出す際に使っていたという裏の歴史を持つ門であり、その代の皇帝が特に信頼を置く者が警備に当てられるという“秘密の慣例”が存在していた。
その為、彼らは帝都において、亡命政権樹立宣言の前から3名の皇族の生存を知っていた唯一の存在であり、尚且つファスタ3世の腹心の部下であったのだ。そんな彼らがアルフォンに付いて行く道理が有る筈は無かった。
「お前たちにも苦労を掛けたな」
自分たちの帰還を待っていた家臣たちに対して、ジェティスは労いの言葉をかける。
「いえ・・・殿下もご無事でなによりです! ショーテーリアでの一件が発表されるまでは、帝都脱出後にどうされたのか、気が気でありませんでした」
“皇宮東門守備長”のデイジー=ヘンレループは涙を流しながら、主君の無事を喜んでいた。
感動の再会を果たした彼らの後に続いて、外務省事務次官の東鈴稲次、そして彼の部下である外務官僚の仲嶺聖と大沢仁伍の3名がオスプレイの中から降りてきた。彼ら3人の到着を待っていたジュペリア大陸派遣部隊・通信隊隊長の藤井三佐は、彼らに敬礼して現在の状況について告げる。
「ジュペリア大陸派遣部隊・通信隊隊長の藤井博巳三等陸佐と申します。本日明朝、ジュペリア大陸派遣部隊の約半数からなる“西方隊”が、皇帝領西部の地ギフトに向けて出発しました。
同時に帝都の“後片付け”はほぼ終了しております。また、現皇帝によって収監されていた中央議会の“革新派”と“正統派”の議員197名も、既に解放済みです。
使節団の方々の滞在場所は第2城壁の内部に位置する“中心街”の内務庁舎内に設けておりますので、そちらまでご案内します」
藤井三佐はそう言うと、近くに停めてあった73式小型トラックを指し示した。東鈴はその方向を一瞥する。
73式小型トラックの方へ向かう彼らの後に続いて、最後にオスプレイから降りてきたのは、郷堂と柴田の2人だった。郷堂は東鈴との話を終えた様子の藤井三佐に、自らの素性を述べる。
「日本赤十字社所属医師、郷堂恵一と申します。本社より“自衛隊の救護活動に助力せよ”との指示を受けていますが、我々は何処に行けば?」
彼の問いかけに、藤井は東鈴らに示したトラックとは別の車輌を指し示しながら答える。
「部下がご案内します。どうぞこちらへ」
その後、高機動車に乗った2人は帝都の校外に設置されていた野戦病院へと案内された。
・・・
リチアンドブルク郊外 赤十字病院廃墟
前皇帝ファスタ3世から受注され、国交樹立とほぼ同時期に開院した“赤十字病院”は、医師団の脱出によって蛻の殻となり、その後は兵士や付近の農民たちによって荒らされてしまっていた。
しかし元が医療施設である為に、病床数はそれなりの数が用意されていたこの廃墟を、ジュペリア大陸派遣部隊に属する衛生隊は、負傷した敵軍兵士を収容する為の野戦病院として使用していた。
「おい、こっちにガーゼ大量にもってこい!」
「新規患者だ、右腕の損傷が激しい。デブリを頼む」
「12番の患者が痙攣を起こしました!」
派遣部隊に随伴していた医官や衛生科隊員が、負傷者の治療の為に汗を流している。郷堂と柴田もそれに助力する為、持参していた白衣を身に纏う。
「貴方は確か脳外科ですよね!? 慢性硬膜下血腫による意識障害を起こしている患者が居ます。手術をお願い出来ますか!?」
「分かった」
治療室に姿を現した柴田に、1人の衛生科隊員が緊急の手術を依頼する。話を聞いた柴田は2つ返事で承諾する。
その後、彼は立て続けに手術をこなし、日が沈み切った頃には3つの手術を終えるに至っていた。
職員宿舎・廃墟
この日の仕事を終えた柴田は、手術室に立ち続けて棒の様になった膝を引き摺りながら、病院職員宿舎の廃墟へと訪れていた。
“リチアンドブルク赤十字病院”を構成していた3軒の建物(病院、発電室、職員宿舎)の1つであるここも、付近の住民たちによって略奪されており、毛布やカーテンといった物が尽く持ち去られている。
柴田はそんな状態になっていた宿舎の一室にて、かつて自身が使用していたロッカーの中を漁っていた。
「・・・あった!」
柴田の探していた物、それは前皇帝であるファスタ3世から授与された、“名誉貴族の認定書”だった。この国での特権階級の1人であることを証明するものだ。
ちなみに、この国では皇帝の下に7段階の特権階級が存在するが、上位2段階に位置する“騎士団長”と“辺境伯”、一般に“18人の長”と呼ばれる各地方の領主の権威・権力があまりにも圧倒的である為、我々の世界におけるヨーロッパの爵位とは異なり、下位5段階の公爵から男爵までの階級は割と対等に扱われている。
「・・・?」
目当てのものを見つけ、ほっとしていた柴田の下に足音が近づく。万が一に備え、彼は警戒感を露わにするが、扉の向こう側から現れた足音の正体が先輩医師であることを知り、胸を撫で下ろす。
「郷堂先生・・・どうしたんですか?」
急いで来たのか、息を切らす郷堂に柴田は質問を投げかける。郷堂は息を整えると、自衛隊から届けられた知らせを彼に伝える。
「柴田先生、『北方AIDS調査班』が帰って来たらしい!」
「・・・何だって!?」
その一報を聞いた柴田は、一目散に部屋を後にする。シーンヌート辺境伯領に向かったまま、連絡が付かずに行方不明だった彼らが帰って来たという知らせを耳にした彼ら2人は、大きな喜びを胸に抱いて一路、帝都・中心街の内務庁舎へと向かう。
・・・
帝都・中心街 内務庁庁舎 応接間
壁際に装飾品が飾られ、真ん中には1つのテーブルと、それを挟んで向かい合う様に置かれた一対のソファがあるこの部屋に、紺色スーツと群青ネクタイに身を包み、新聞を広げている東鈴稲次の姿があった。
彼の目の前には、湯気を立てるコーヒーカップが置かれている。ほのかなコーヒーの香りが応接間の中に漂う中、東鈴は新聞のぺージをめくる。
“教皇庁、聖戦を撤回!”
ソファに座る東鈴は次の様な見出しで始まる世界魔法逓信社の夕刊紙を眺めていた。日付はグレゴリオ歴で2030年2月15日、メストーの戦いがあった日に刊行されたものである。
“本日正午、神聖ロバンス教皇国政府である教皇庁は、クロスネルヤード帝国皇帝アルフォン1世に付与していた聖戦を撤回するという宣言を、世界に向けて正式に公表した。理由としては、ショーテーリア=サン帝国の首都ヨーク=アーデンで行われた、ジェティス皇太子による亡命政権樹立宣言によって、現皇帝であるアルフォン1世の虚言が大々的に明らかになった為だと思われる”
内容は教皇庁による聖戦撤回についてだ。自衛隊、すなわち日本軍の強さに恐れを成した教皇イノケンティオ3世の決定によって、正式発表されたものである。
彼はコーヒーを啜りながら、その内容を読み進める。
“尚、ニホン政府が主張していた「ロバンス教皇庁関係者によるニホン国皇帝の居城への侵入と皇族誘拐未遂」については、開戦から長らく教皇庁からの正式なコメントは無かったが、今回発表した聖戦撤回と同時にそれについても遂にコメントを発し、「一部の過激な信徒による独断専行」だと発表、そこに教皇庁の正式な意志は存在しないとした。
また、ニホンへの宣戦が行われた即位式の場で、アルフォン1世が「仇討ち(虚言)」と並んで開戦の根拠としていた「ニホン国使節による教皇への土下座外交要求」については、「会談の実態を曲解、妄想したアルフォン1世の妄言」以外の何者でもないとしている。以下は教皇庁が発表した正式なコメントの抜粋である。
「家族を奪われた悲劇の男を装い、世界を欺いた悪辣非道な簒奪者に騙された我々は、教皇庁の長き歴史に泥を塗る様な誤った判断をしてしまった。この一件を反省し、今後は今まで通り真摯な姿勢で、イルラ教の繁栄が未来永劫続く様に努めていく」”
「・・・!」
東鈴は表情を歪め、中身を飲み干したコーヒーカップを思わず床に叩き付けそうになる程の激情に駆られた。戦争の当事者である彼らからすれば、この記事の内容は、反吐が出る様な詭弁と欺瞞に充ち満ちたものでしかなかった。
(クソッ・・・! また先手を打たれたか)
教皇庁のコメントは、自分たちはアルフォン1世に騙された“被害者”であると主張するものだった。ある意味で「神聖ロバンス教皇国」は、日本やジェティスと“同じ側”に立った訳だ。
「小賢しい・・・コウモリ野郎どもが・・・!」
教皇国に対する嫌悪感と不快感のあまり、東鈴は外務事務次官としておよそ似つかわしくない罵詈を口走る。
(・・・いかんいかん、冷静にならねば)
直後、我を取り戻した彼は、雑言が口を衝いて出てしまったことを自省し、昂ぶった感情を抑える。
(そういえば・・・そろそろ“西方隊”がギフトとか言う場所に付く頃か・・・。次こそ最後の戦いとなれば良いけれど)
新聞記事を読み終えた東鈴は、「ジュペリア大陸派遣部隊・西方隊」のことを考えていた。“リチアンドブルク攻略戦”の直前に帝都から脱出し、兵站が限界に達していたジュペリア大陸派遣部隊から逃げ果せていたアルフォン1世とその一派を追う為に編制された隊である。
移動速度から鑑みれば、彼らは既に目的地の周辺に着いている頃合いだ。教皇への断罪を望む東鈴に残された術は、彼らの成果を祈る他ないのだ。
〜〜〜〜〜
3月3日明朝 皇帝領・西部 ギフト 山岳砦
皇帝領西部のギフトと呼ばれる地、そこには数百年前に築かれた古い砦がある。山林地帯の中にあるいくつかの岩山の内の1つを、蟻の巣の様にくりぬいて作られたその砦は、クロスネルヤード帝国の歴史上、最も重要な遺産の1つである。
ここから少し進めば、500年前にアラバンヌ帝国軍とクロスネル王国軍が最後の激戦を繰り広げた古戦場がある。この砦はその戦いを指揮する為に、当時のクロスネル王であるオルトー1世が陣地を張ったといわれる場所なのだ。
そして、すでに廃棄され、歴史の遺産と化していた筈の砦の周りにうごめいている人影がある。彼らは日本軍による追撃から逃れる為にリチアンドブルクから逃げ出した“敗者”たち、自らを“伝道師”と名乗る現皇帝アルフォン1世に追従する近衛兵たちだった。
『こちら西方見張り、敵影無し』
『こちら南方見張り、同じく異常無し』
『こちら司令部、了解。引き続き警戒と監視を続けよ』
砦の周囲を警戒し、短距離用信念貝で連絡を取り合う彼らの目に敵の影、すなわち自衛隊の姿は映っていない。尚、皇帝領軍の竜騎はすでに全滅している為、上空からの監視は不可能である。
砦の内部は大きく分けて5つの階層(地上3階〜地下2階)からなり、各階層には、見張りの為に外に出ている兵たち以外の近衛兵と、此度の逃走劇に従属している文官や侍女たちの姿がある。総勢は1,400名ほどだ。彼らを率いているのが、第27代皇帝であるアルフォン1世と、彼の唯一の息子であるスリガン=ヴィー=アングレム。簒奪者の名を冠された者たちである。
現在その2人が居るのは、砦の第2層(地上2階)に有る“玉座の間”を転用した“司令室”である。その部屋の中には、砦の周辺を巡回している小隊や各監視所との音信を行う音信兵たちの姿があり、その様相はさながら小さな通信指令室の様であった。
「敵の影は周辺には確認出来ません。また次の拠点候補ですが、『サフ騎士団領』のケト村に向かうのが良いかと」
「成る程な・・・」
司令室の椅子に座るアルフォンの下に、1人の文官が意見を述べに来ていた。彼の言葉に、アルフォンは素っ気なく返事をする。
彼らがここへたどり着いたのはほんの4日前のことである。しかし、放浪の逃避行を続ける彼らは、1つの地点に長居し続ける訳にはいかない。周辺の村落からの補給を終えたら、次の拠点へと移らなければならない。
「良し・・・、明日の正午にここを経つ。皆に準備をする様に伝えろ」
「はっ!」
皇帝の命令を拝聴した文官は、深く一礼すると部屋を後にする。父であるアルフォンの側に立っていたスリガンは、扉から出て行く彼の後ろ姿を何気なしに見つめていた。
・・・
ギフト 森の中
何も居ない様に見える森の中に何かがきらりと光る。それは茂みの中から突き出た2つのレンズだった。
「目標は既に確認されています。・・・了解、では手筈通りに」
そう言って男は通信機を切る。彼が右手に持つ2つのレンズ、すなわち双眼鏡の先には、アルフォンらが潜む山岳砦の姿があった。
「作戦開始ですか、紫藤一尉?」
「ああ、直ちに山岳砦の制圧に向かう。総員戦闘準備」
背後に居た部下から通信の内容を尋ねられた紫藤沢徳一等陸尉は、その質問に2つ返事で返すと、自らが率いる“第二普通科隊”の隊員全員に向かって指示を出した。
作戦開始命令を受けた2人は茂みの中から立ち上がると、目標となる砦を注視する。その手には89式小銃の姿があった。茂みの中に身を潜めていたのは彼ら2人だけでは無い。1人、また1人・・・草むらやしげみの中から、緑色のまだら模様の服に身を包んだ自衛隊員たちが次々と姿を現したのだ。
パタパタパタ・・・!
そんな彼らの上空を、森の中に隠してあったコブラの編隊が飛ぶ。操縦士たちは狙いを定めて、ロケット弾の発射スイッチへ指を置いた。
『発射!』
ランチャーポッドから放たれたロケット弾が、地上に向かって襲いかかる。各爆心地には、砦の周囲を巡回している近衛兵たちが周辺監視の拠点としていた小屋があった。
ドン ドン ドン!
コブラの攻撃に続き、山林の中に隠されていた99式自走155mmりゅう弾砲と96式自走120mm迫撃砲から、各砲弾が砦のある山林地帯へと放たれる。隠し砦の周辺を囲む山林を覆う草木が吹き飛ばされ、その山肌が次々と露わとなる。
爆発の跡地には、アルフォンの兵たちによって設置されていた監視所や大砲の砲列が、残骸となって残っていた。
「さあ・・・始めようか!」
特科と対戦車ヘリコプター隊による敵の警戒設備への砲撃、すなわち“突入開始”の合図を耳にした紫藤一尉は、舌なめずりと共に不敵な笑みを浮かべた。彼に率いられた普通科団・第二普通科隊の隊員たちは一路、砦への接近を開始する。
隠し砦急襲作戦・・・正式名「急撃作戦」。砦に居を構える兵士たちにとって、悪夢の様な1日が始まろうとしていた。




