凱旋 壱
今までの物語を以下の点で追加・修正しました。
アメリカ海兵隊・第1海兵航空団第12海兵航空群の参加、及びそれに伴う「あかぎ」の参戦。結果、参加した艦上戦闘機の数が約2倍に修正。
物理的に不可能な箇所、及び設定が変動している箇所が有った為、作中の日程・距離等の数字を修正。
尚、投稿まで時間が掛かってしまって申し訳ありません。帝都攻略戦はさらっと流すつもりでしたが、一応何があったのかを描写することにしました。
2月15日 皇帝領 帝都リチアンドブルク 皇宮・講堂
「メストーの戦い」の結果がアルフォンの下に知らされてから数十分後、首都と皇宮を守る“近衛兵団”が皇宮・講堂の中に集められていた。
近衛兵はその殆どが、帝都守備隊と共に皇帝領軍の将官であるウィデリック=エッツォの指揮下に下って“メストーの森”へ派遣されており、尚且つそれらは他の軍勢と共にメストーの森でほぼ全滅した為、今や帝都の兵力は治安維持に必要な最低人数しか残っておらず、全員をかき集めても1,500人に達しない。
首都に駐在している兵力がその様な状態である以上、ジェティスによる亡命政権樹立宣言が成された翌日より布告されていた、“帝都戒厳令”を維持し続けることは出来なくなっており、皇帝領政府は簒奪者である現皇帝アルフォン1世に反発する帝都市民を抑えきれなくなっている。
そんな状況下で何故召集されたのかとざわつく兵士たちの前に、舞台袖からアルフォンが姿を現す。講堂の舞台に立つ彼は、自身に注目する兵士たちを見渡すと、音を増幅する魔法具である“声響貝”に顔を近づけて、口を開いた。
『皆に集まって貰ったのは他でもない、単刀直入に言おう。・・・つい先程、“メストーの森”に集結していた12万5千の我が最後の軍が敗走したという知らせが届けられたのだ』
ザワッ!
皇帝の口から発せられた言葉に、兵士たちの間にはどよめきが走る。その後、ざわめきが少し落ち着いた事を確認したアルフォンは、更に続ける。
『そして・・・知っている者もいるだろうが、ほぼ時同じくして、教皇国によって“聖戦”が撤回された。これによってこの戦いは“総本山”の加護を受けるものでは無くなってしまったのだ・・・』
教皇庁による“聖戦の撤回”・・・ジュペリア大陸を駆け巡ったその一報は、当然近衛兵たちの耳にも届いていた。
『私は兄を殺した・・・、お前たちと共に。だがそれは教皇国の為を思ってやったことだ、教皇の意向を受けてやったことだ! それなのに、敵の強さに屈し、我々を裏切った教皇を、私は許せない!』
「!!」
イルラ教の長である 教皇イノケンティオ3世に対して、敬虔なイルラ信徒であるアルフォン1世が反発の言葉を述べたことに、兵士たちのざわめきが再び強くなる。“教皇が異教に屈した”など、普段の彼ならば絶対に口にしないであろう言葉だ。
しかし同時に、彼の言葉の内容は、前皇帝ファスタ3世とその一家の暗殺に加担していた、言わば暗殺の実行犯である近衛兵たちが抱えていた不満そのものだった。自分たちでも中々口に出せないことをきっぱりと口にしたアルフォンの言葉に、兵士たちは一種のカタルシスを抱く。
近衛兵たちの心を掴みつつあったアルフォンは、その後も演説を続ける。
『異教の穢れを良しとする前皇帝の思想を受け継ぐジェティスも、敵の強さを前に主張を簡単に変えてしまう現教皇が支配する総本山も、私は許容する気は無い。そして当然、ニホン軍の軍門に降る気も無い!』
アルフォンは自身の決断を述べる。その力強い言葉に、兵士たちの視線は釘付けになっていた。期待が高まっている聴衆に対して、彼は続ける。
『私は何者の主張に囚われること無く、“経典”の教えのみを厳格に踏襲する“真のイルラ教”を掲げようと思う。我々はそれを後世に伝える伝道師となるのだ。その為にはまず、ニホン軍が迫っているこの帝都から脱出し、新たな地に拠点を築かなければならない。そして“真のイルラ教”を遵守する為に戦い、命を捧げる覚悟のある者は、私と共に来て欲しい・・・!』
教皇国、すなわち現イルラ教の総本山に裏切られて途方に暮れていた近衛兵たちに、アルフォンは新たな目標を示す。
自分たちが新たな宗派となるという皇帝の決意は、虚となっていた彼らの心に、感情の高ぶりを生み出していた。
「真のイルラ教の・・・伝道師!? そんな事が可能なのか?」
「我は賛同しますぞ! 教皇は我々を裏切ったのだ!」
「そうだ! 最早、総本山に従属する義理は無い! 俺も付いて行きます!」
1,000人以上の兵士たちの歓声が、講堂内に響き渡る。アルフォンの言葉に賛同の声が多く上がる中、何人かの兵士たちは戸惑いの表情を浮かべていた。
『勿論無理強いはしない。私に見切りを付け、ニホン軍の軍門に降るのも良かろう・・・。彼らは捕虜を無碍に扱うことは無いと聞く・・・。
それでも、私と同じ道を共に歩む決断をした者は、半刻(1時間)後に再びここに集まるが良い。行き先は“ギフトの戦い”跡の山岳地帯にある“隠し砦”だ!』
非賛同者たちへのメッセージを込めて、アルフォンの演説は締めくくりを迎える。同時に、彼の主張に同調する兵士たちの歓声が、一斉に沸き上がった。
その後、身支度を終えて再び講堂に集まった兵士の数は1,200名ほどであり、その他文官や侍女などの非戦闘員からなる同行者を含めると、1,400名程の人数が、アルフォンと彼の唯一の嫡男であるスリガンの下に集まることとなった。
彼らは東の方角から接近している自衛隊から逃げる様に、西の方角へ向かって帝都を脱出することとなる。皇宮から逃げ出し、西に向かう簒奪者の行列を、住民は不安と怪訝の目で見つめるのだった。
〜〜〜〜〜
同日夕方 皇帝領 帝都リチアンドブルク付近
帝都の上空を数機のドローンが飛んでいる。それらが捉えた映像を監視するのは、82式指揮通信車に乗るジュペリア大陸派遣部隊指揮官の滝澤詠仁陸将補と、部隊を構成する隊の1つである通信隊隊長の藤井博巳三等陸佐だ。
彼らにとっては既に皇帝が脱出済みであることなど知る由もない。彼らは短時間に帝都リチアンドブルクを攻略する為に、標的である同都市を上空から監視し、同都市についての情報を出来るだけ集めていた。
「衛兵らしき影が居ませんね。我々が間近に迫っていることを知らないのでしょうか?」
「そんな訳は無い筈だが・・・」
藤井三佐の問いかけに、滝澤陸将補が答える。
彼ら派遣部隊の車列は今、都市の付近7kmの所で停止していた。小高い丘の影に居る為、街からは見えない。
彼らとしては日が完全に落ちる前に、帝都を確保したいのは山々だったが、当然迂闊には近づけないので、ここでも監視用ドローンを飛ばして、帝都内の様子を探っていたのだ。
尚、帝都攻略戦の作戦内容としては、空と陸からの同時攻撃になっている。その為、本隊が帝都リチアンドブルクに正面から突入するのに並行し、皇宮に対してヘリボーンを仕掛ける別働隊として、普通科団第一普通科隊や在日米軍海兵隊員を合わせた220人以上の隊員が、空中消火活動に従事したチヌークやイロコイに乗って、メストーの森の付近で待機していた。
「私たちの接近を知っているのか・・・、民衆が混乱していないか?」
滝澤がつぶやく。彼らが観ているドローンの映像には、数多の首都市民が市中の大通りで何やら混乱している様子が捉えられていた。
城砦都市・帝都リチアンドブルクの人口は120万、アッバース朝のバグダードや唐帝国の長安、ローマ帝国のローマに肩を並べるレベルの大都市である。それほどの人口を抱える都市で、大人数が混乱の最中に居る様は、画面越しに観ても中々の迫力があった。
「少しばかり民衆の動きが異常ですが、やはり目立った伏兵らしき姿は見えませんね・・・。待ち伏せの類は無いのでは? あと1時間とちょっとで日も落ちますが・・・」
藤井三佐は指揮官に対して、作戦開始の命令を発することを遠回しに求める。しかし、滝澤は彼の言葉が耳に入っていないのか、相変わらず無人偵察機が送って来る映像を眺めていた。
(確かに敵の数は殲滅に近い勢いで減らしたから、最早我々に抵抗出来るだけの兵力は帝都には無いはずだけど・・・、伏兵が居る可能性は否定出来ないし、市街地戦は出来るだけ避けたい。それに・・・何分、異世界だからなあ・・・)
滝澤は心の中でつぶやく。
この世界で日本が脅威として恐れているもの、それは“魔法”と“魔獣”である。この世界で独自の進化形態を遂げたそれらは、この世界では圧倒的な科学技術を有する日本にとっても、厄介この上無い代物であった。
最も、多彩な攻撃魔法を使える魔術師は少なく、更には魔法の攻撃範囲は銃器と比べてかなり狭いので、仮に魔術師と対峙する様な状況になったとしても、一定距離内に近づかなければ良いらしいが、万が一射程範囲に入ってしまったらと思うと気が気でない。
より脅威なのは“魔獣”だ。特に海の魔獣、すなわち海獣は今まで遭遇した全てのものが潜水艦や護衛艦の速度を上回っており、伝説の怪物“リヴァイアサン”を討伐する際には、まだ実験段階の兵器である“レールガン”を動員する程の騒ぎとなった。それ以前には、アルティーア戦役のイロア海戦にて敵の潜水戦力と化したシーサーペントが「ふゆづき」の船底に激突するという事態も起きている。
この一件以降、海自は海獣に対して敏感になっており、海戦を始める前には敵艦隊が展開する水面下に海獣らしき影が居ないかどうか必ず確かめる様にしていた。
陸の魔獣にリヴァイアサンと同格なものがあるかどうかは知らないが、そんなものが、もし帝都の内部に最終兵器として隠されているという“お約束展開”的な罠があったら、派遣部隊約3,000名は全滅必至だろう。
(・・・まあ、そんなものを都市の内部に抱えていれば、我々以前に首都が壊滅しているとは思うが・・・。戦場は臆病じゃないと生き残れないからな、注意しすぎるくらいがちょうど良いんだ・・・)
まだ一等陸佐だった頃に東亜戦争へ派遣された経験を持つ滝澤は、支那大陸での後方支援や戦闘を経て、「兎の様に臆病」をモットーとして持つ様になっていた。およそ軍人には相応しくないそのモットーが、自分ひいては部下の命を守る最善の心構えだと悟ったからである。
しかし、今回の場合はその慎重さが毒と成りつつある。メストーの森の戦いの結果については十中八九、現皇帝に知らされている筈であり、逃走される可能性も高く、余りぐずぐずしていられる状況ではないからだ。怪物や伏兵の存在を一々考えていては、何時まで経っても帝都には突入出来はしない。
「陸将補!」
「!」
頭の中の世界にて、思案を巡らせ続けていた指揮官の意識を現実へと引き戻す一喝が、彼の鼓膜を刺激した。声のした方を見れば、通信隊隊長の鋭い眼光がこちらを見ていた。
藤井三佐の一喝で覚悟を決めた滝澤は、不安をはらんだ感情を払拭すると、全隊に向けて指示を下す。
「良し・・・“皇宮”及びその他の政府機構を制圧する。全隊、帝都に向かって進軍開始! また第一普通科隊はただちに離陸し、皇宮へ向かえ。リチアンドブルクを攻略する!」
「了解!」
指揮官の命令が全隊に伝達された。その直後、停止していた車輌の群れが、大地を揺るがせて一気に動き出す。16式機動戦闘車や89式装甲戦闘車、水陸両用強襲輸送車7型、10式戦車、20式水陸両用車、73式大型トラック等々、普通科隊員やアメリカ海兵隊員を乗せた各種車輌が、都市に向かって急速に接近する。
それと同時に、“元”メストーの森の付近で待機していた4機のチヌークが、イロコイやオメガを引き連れて飛び上がっていた。彼らの目的は、本隊の帝都突入に並行し、皇宮に奇襲をかけて同施設を占拠、第一目標である現皇帝アルフォン1世の身柄を確保することである。
『各機、皇宮内の指定されたポイントに着陸し、標的施設を迅速に制圧せよ!』
ヘリボーンに参加している隊員を率いる、第一普通科隊隊長の安田雅司二等陸佐/中佐によるアナウンスが、各ヘリコプターに通達される。地上では装甲車と輸送車の群れが土煙を上げながら、帝都へ一直線に向かっていた。
空と陸に分かれた彼らが接近中の「城砦都市・リチアンドブルク」は、2つの城壁から構成される。
まず都市の中心から少しずれた場所に、直系の皇族が暮らす“皇宮”があり、それは“第1の城壁”によって囲まれている。その周辺を傍系の皇族と貴族、即ち特権階級が暮らす居住域が取り囲んでいる。このエリアを囲うのが“第2の城壁”だ。
そして第2の城壁の外は平民階級の一般市民が暮らすエリアであり、さらにその外側は農民たちが暮らす農耕地帯が広がっている。尚、第2の城壁の門については、戒厳令下である為に閉じられていたが、普段は開放されており、その内外の往来は階級に関わらず基本的に自由である。
ちなみに、赤十字病院が建てられたのは農村部と市街地の境目であり、その跡地には兵士たちによって荒らされた“現代的な廃墟”がぽつんと立っていた。
10機のヘリボーン部隊が後方から飛来し、地上を行く本隊を追い抜いて、一足先に帝都の上空へと達した。先頭を飛ぶのは偵察機オメガとイロコイである。
これらのヘリに乗った自衛隊員は、機体に取り付けられたスピーカーを通して、帝都に住む市民に警告を告げる。
『我々は日本軍です! 只今より帝都リチアンドブルクの占領を行います。一般市民の皆さんは建物の内部に避難して下さい! 屋外に居る方については、命の保障は出来ません! 繰り返し申し上げます、我々は・・・』
最大音量に設定されたスピーカーから、非戦闘員に対して避難指示が伝えられる。“帝都占領”という宣告内容の強烈さに相対する警告文の丁寧さがギャップを生み出し、何ともシュールな印象を受ける避難勧告となっていた。
・・・
帝都リチアンドブルク 平民居住区域・東
けたたましい羽音を立てる飛行物の群れから聞こえて来る警告文の内容に、皇帝の脱走を知って混乱していた帝都の市民たちは驚愕する。
3日前にミケート・ティリスへ上陸した軍隊が、既に自分たちが住む帝都まで迫っている。彼らの常識からは考えられない日本軍の移動スピードに、誰もが恐れおののいていた。
「おい・・・聞いたか?」
「ああ・・・」
「ニホン軍がすぐ側まで来ている!」
「ど、ど・・・どうすりゃ良いんだ!?」
「取り敢えず急いで避難するんだ! 女子供は目の届かないところに隠せ!」
突然の事態に動揺が走る中、何度も繰り返される警告文を耳にした市民たちは、急いで行動を開始する。異国の軍に占領された都市の市民など、水や食糧を略奪・搾取され、女性は姦されるのが世の常だ。彼らの顔には恐怖の感情が浮かび上がっていた。
クロスネル王国がアラバンヌ帝国との覇権争いに勝利し、そしてその後継であるクロスネルヤード帝国がジュペリア大陸での覇権国家としての地位を確定付けてから約400年。その間、首都であるリチアンドブルクに他国の軍勢が迫ることなど一度も無かった。市民たちは、まさに数世紀振りの事態に遭遇してしまったのである。
・・・
同都市 皇宮 庭園
「日本の皇居」に匹敵する広さを誇る「帝国皇宮」と、その正面にある宮前広場の上空で4機のチヌークが飛んでいた。彼らの目的は皇宮や中央議会、中央官庁などの中枢機関の制圧である。
各機はそれぞれが事前に振り分けられた地点に着陸する。その中の1機、第一普通科隊隊長の安田二佐が乗るチヌークは、皇宮・御所の正面にある庭園に着陸しようとしていた。その場所は、かつてアルフォン1世の即位式が行われた場所である。
『敵影無し! このまま着陸します!』
隊員の1人がバブルウィンドウから着陸地点の様子を確認するも、そこには兵士と思しき人影の姿は無かった。
(・・・どういうことだ?)
上空からの侵入者に対して、対処する姿勢を全く見せない皇宮の様子に、安田二佐は不安感を抱く。その間にもチヌークは、2つの巨大な回転翼による強風を棚引かせながら、敵の姿が見えない庭園に向かって距離を詰め続けた。
『着陸!』
大きな衝撃と共に、チヌークは着陸を完了する。直後、機体後部のランプドアが開き、その中から50人の陸上自衛隊員が姿を現した。
「これより御所内部に突入し、目標を確保する!」
「了解!」
皇宮制圧の指揮を執る安田二佐の命令を受けた隊員たちは、一気に御所の中へと流れ込んだ。彼らの手中には、柴田や神崎を初めとした御所内部に入ったことがある日赤の医師たちの記憶を基にして作られた大まかな見取り図があるのだ。
皇宮・御所 内部
「キャアア!」
自衛隊による突然の襲撃を前にして、御所に勤める侍女や文官といった非戦闘員が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
反撃の姿勢も示すことも出来ず、蜘蛛の子を散らす様に隊員たちの前を走り回る非戦闘員のパニックの中を、隊員たちは走り抜ける。
「反撃どころか兵隊の1人も居やしない! 一体どうなっているんだ!」
武器を携えて皇宮内部に突入したにも関わらず、自分たちを排除しようという敵の兵士が1人も出てこない異常事態を前に、安田二佐は堪らず叫んだ。
隊員たちの進撃を遮るものは無く、彼らは敵地のど真ん中である皇宮・御所の中をどんどん進んで行く。
『御所1階クリア! “執務室”には第一目標の姿は無し!』
『“虹の間(皇太子の居住区域)”クリア! 第二目標の姿無し!』
「・・・」
皇宮の敷地内にある各建物に向かった隊員たちから、制圧完了と目標の不在が皇宮制圧の指揮官である安田二佐の下に届けられる。嫌な予感が彼の全身を覆う。
数分後、安田が率いる小隊は、目的地である御所2階の“玉座の間”へとたどり着いた。敵兵の待ち伏せを警戒し、小銃を構える隊員たち、2人の隊員が玉座の間の扉を開け、一気にその中へ突入する。
『御所2階・・・クリア。玉座の間には誰も居ない』
安田を初めとする隊員たちが見たもの、それは誰も居ない、何も無い、まさに“がらんどう”という言葉が相応しい玉座の間の姿だった。
『皇宮、オールクリア。目標の姿は確認出来ず・・・』
今までの異常な状況から、安田は最悪の予想が当たっていた事を悟る。
彼は携行型通信機を用いて皇宮制圧完了の報告を入れると、呆然としている隊員たちに向かって指示を出した。
「誰か適当な奴をとっ捕まえて話を聞け! 皇帝や現皇子が何処に逃げたのか聞き出すんだ!」
「り、了解!」
上官の指示を受けた隊員たちは、急いで玉座の間から退出した。
その後、とある侍女の証言から、皇帝や皇子、その他多くの近衛兵たちは、帝都攻略戦が開始される2時間以上前にはリチアンドブルクを脱出していたことが初めて明らかにされたのだ。
・・・
帝都・平民居住区域 第2の城壁 東門付近
地上から帝都内部の平民居住区域に侵入した装甲車輌やトラックの群れは、避難勧告により平民たちが居なくなった大通りを走り抜け、特権階級が暮らすエリアを取り囲んでいる“第2の城壁”の“東門”まで一気にたどり着いていた。
閉じられていた城壁の門を無反動砲2発で吹き飛ばすと、隊員たちは車輌から降りて、吹き飛ばされた東門から城壁の中へ突入する。彼らの目的は中枢機関の占拠である。
その間に何時現れるかも知れない敵兵力が、制圧任務を妨げることが無い様に、数十名の自衛隊員が東門を見張っている。そんな彼らの前に、布を纏った3人の人物が民家の影から現れたのだ。
「・・・! そこのフード、止まれ!」
隊員の中の1人である佐藤明弘二等陸曹/伍長は、自分たちに近づくその人影に気づき、89式小銃の銃口を向けて立ち止まる様に指示をする。その3人は言われた通りに立ち止まると、警戒する隊員たちに向かって話しかけた。
「貴方たち・・・自衛隊の方ですね」
「何故・・・その名を!?」
不審人物が発した単語に佐藤、そして他の隊員たちは驚く。何故なら憲法9条改正以降、“自衛隊”という単語は国内向けの呼称と位置づけられており、国外や海外組織に対しては“日本軍”と名乗るのが規則となっていたからだ。
よって自衛隊の呼び名を知っている者が、この世界にそうそう居る筈が無い。3人の正体を詮索しようと、佐藤が彼らに近づこうとした時、彼らは顔を覆っていたフードを取り除いた。
「あ・・・!」
隊員たちは目を見開いた。同時に、自分たちに近づいて来た3人の正体を知る。頬はこけ落ち、髪と髭は伸び放題で、素の面影は希薄だったが、その顔立ちは間違い無く日本人のものだった。驚きの余り、口を開けたままの隊員たちに対して、3人の内の1人が自らの素性を述べる。
「駐クロスネルヤード大使館職員、池尻和夫と言います。良く此処まで来て下さいました・・・!」
待ちに待った自衛隊の面々を前にして気が緩んだのか、衰弱している為か、池尻は掠れた声で自らの名前を告げる。その両目からはうっすらと涙が流れていた。
「池尻さん・・・! 後ろのお二人も大使館の方ですね!?」
佐藤二曹の問いかけに、池尻の後ろに立っていた2人が頷いた。彼らも池尻と同様、頬がこけ落ちている。過剰なストレスの為か、髪の毛まで無造作に抜け落ちていた。
「何故此処に!? いや、それより他の方は、確か開戦前の大使館職員の数は大使も含めて5名の筈でしたが・・・」
佐藤は池尻に対して、他の大使館職員の所在について尋ねる。何より駐クロスネルヤード大使である時田雪路の姿が無い。
「・・・」
彼の質問を受けた池尻の両目から涙が消える。視線を地面に伏せながら答えた。
「1ヶ月ほど前、皇太子殿下の存命が明らかになった日に、我々5名は突然解放されました・・・。そして大使である時田雪路を含む他の2名は・・・解放された後、ちょうど2週間程前に・・・衰弱の為に、息を引き取りました・・・」
「・・・!」
池尻の口から発せられた、あまりにも残酷な事実を耳にした隊員たちは、思わず言葉を失った。既に日本人の文民に死者が出てしまっていた事に、彼らは自責の念に囚われる。
「・・・もう少し、早く来るべきでした・・・! 申し訳有りません!」
池尻から、2人の職員の結末を聞いた佐藤、そして彼を含む自衛隊員たちは、池尻ら生き残った3人に向かって深く頭を下げる。
池尻は首を横に振ると、悲痛な表情で頭を下げ続ける佐藤の右手を掴む。佐藤の手を覆う彼の両手は、まるで高齢の老人の様に痩せこけて骨と血管が浮き出ていた。それだけでは無い、池尻を含む彼らの両腕と両脚には無数の痣が残っており、更にはほぼ全ての爪が内出血の為に黒ずんでいた。
痛々しい数多の古傷と異常な痩せ方から、この3ヶ月間、彼らがどれだけ過酷で悲惨な状況に身を置いていたか容易に想像出来る。彼らの姿を1番間近で見ていたことで、その事実を悟った佐藤は涙さえ流していた。
「頭を上げて下さい。もう、戻らない事です・・・。悔いても仕方有りませんよ」
「・・・」
池尻のその言葉が、佐藤たちの心をより一層締め付けるのだった。
斯くして、2029年11月5日の“開戦の日”に皇帝領軍によって捕縛され、その後、3ヶ月に渡って安否が不明だった駐クロスネルヤード大使館職員5名の内、生存者である3名が自衛隊によって保護されることとなり、その報告は直ちに指揮官の下へと届けられた。
そして同時に、ヘリボーン部隊による「皇宮」の制圧完了に続き、「中央議会大議事堂」や「外務庁舎」「内務庁舎」などの中枢機関の制圧も順次滞りなく完了し、最早都市を守る者がほぼ居ない「帝都リチアンドブルク」の占領は、まさに赤子の手を捻る様に、自衛隊側も予想だにしていなかった短時間で完了することとなった。
しかし同時に、皇帝を含む多くの残存兵を取り逃がしてしまった事実を知ることになり、結果的に最終目標を果たせなかった帝都攻略戦は“失敗”と評せざるを得ないだろう。
すぐにでも追跡したいのは山々だったのだが、戦闘終了時にはほぼ日が落ちていたこと、「ジュペリア大陸派遣部隊」の兵站・補給は帝都より先に進むことを想定していなかったこと、1日の間に“メストーの戦い”と“帝都攻略戦”の2つの戦いをこなした隊員たちの疲労がピークに達していたこと、そして、帝都のさらに西側は険しい地形がさらに増える為、ある程度地形についての情報を集めなければならないこと、これらの要因が重なり、その日の内の追跡は断念されることとなった。
しかし、既に放棄されていた為とは言えども、世界最大の帝国の首都が異国の軍によって瞬く間に制圧されてしまったこの一大事件は、その後、衝撃と共に世界を駆け巡ることとなる。
日本国の存在は、日本列島が存在する“東方・極東世界”には無関心だった“西方世界”の国々にとっても、無視出来ないものとなっていくのだった。




