メストーの戦い 参
陸戦は難しいです
2月15日 クロスネルヤード帝国東部 皇帝領 上空
2隻の空母から離陸した66機の艦上戦闘機が空を飛んでいる。その機体には、在日アメリカ軍から供与されたMark77爆弾が積めるだけ積まれていた。
『間も無く目標上空に到達する』
『了解、高度落とします』
早期警戒機ホークアイの報告を受け、各機は雲の下へ高度を落とす。大地にはのどかな平原と木々が広がっていた。
「まさか、本当に俺たちがMark77爆弾を投下することになるとは思わなんだ・・・」
隊長機を操る笹沼豪祐二尉は、今回の任務に対してある種の新鮮さを抱いていた。アメリカ海兵隊はともかく、焼夷弾を所有しない自衛隊が、焼夷弾を落とすのは初めてのことだったからだ。
(この世界での空爆作戦は基本、非装甲目標を相手にすることが多い。クラスター弾の試験的復活に続いて、焼夷弾の製造も視野に入れることになるんだろうな・・・)
笹沼は心の中でつぶやいた。
クラスター弾や焼夷弾など、かつて非人道的であることを理由として国際的な規制が設けられていた各種兵器は、転移によって禁止条約の締結国が消滅した為、縛りを解いた所で海外からは何も言われることはないだろう。
転移して間も無い頃の日本政府は、海外で新たな開拓地を獲得し、自身が有利に立てる貿易圏を構築する為に、“国連海洋法条約”や“GATT”など、元居た世界で締結していた数多くの条約の破棄を宣言せざるを得なくなった。条約の無効化宣言は順次行われ、無効化を宣言した物の中には、こっそりと“クラスター爆弾禁止条約”や“特定通常兵器使用禁止制限条約”までもが含まれていた。
笹沼がそんな事を考えている内に、攻撃目標である小さな森が見えてくる。
『投下地点は主として森の辺縁、そして一部は森の中心部。敵兵が火災から逃れられない様に森を環状に囲む“炎上網”を形成し、森林内からの退路を絶つ。積んでいるモノは初めてだが、訓練通り落ち着いてやれ』
『了解!』
ホークアイの指示を受けたパイロットたちは、自らが振り当てられていたポイントへと接近する。戦闘機の群れが奏でる轟音に驚いた鳥類が、次々と森の中から飛び立っているのが見えた。
「焼夷弾、投下用意・・・今!」
『了解!』
隊長機の号令と共に、各機のパイロンからMark77爆弾がメストーの森に投下された。かつて規制されたナパーム弾の代替品として作られた焼夷弾であるそれらは、ナフサの代わりに灯油をまき散らしながら、森に火災を起こしていく。
灯油をまき散らされた木々や落葉にはたちまち炎が燃え移り、森の中のあちこちで同時多発的に森林火災が引き起こされた。
『着火を確認・・・、たき火は成功した』
「帰投する!」
任務を終えた機から、次々と機首を反転させて東へと帰って行く。彼らが去った後に残されたのは、穏やかな雰囲気とは一転、あちこちで火の手が上がり、潜んでいた兵士たちが叫び声を上げながら逃げ惑う地獄絵図と化した森の姿だった。
〜〜〜〜〜
クロスネルヤード帝国東部 皇帝領 メストーの森・中心部
森に近づいて来ている筈の自衛隊を迎え討つ為、現皇帝軍の兵士たちは木々の後ろ、茂みの中、岩の影といったあらゆる場所に身を潜めている。
階級と所属を区別する為に様々な色形がある軍服も、土汚れにまみれた所為で末端の兵士も佐官も変わらなくなってしまっていた。しかし、服の汚れを気にする者など居ない。皆、緊張を押し殺す様に息を潜めていた。
(これが最後の勝負だ・・・!)
とある隊を率いる1人の士官が、心の中で意気込む。ここで負ければ次が無いことを理解しているのだろう。
しかし、そんな彼らの覚悟を嘲笑う66羽の怪鳥が彼らの頭上に迫っている。その身体には、静かな森を地獄へと変える為の大量の“スパイス”が取り付けられていた。
「・・・うわっ!!」
突如、森の中に轟音が響き渡った。鼓膜が破れるかと思う程の大音量に、兵士たちは堪らず耳を塞ぐ。その直後、森の中のあちこちから爆発に似た音が聞こえて来た。何が起こったのか分からない状況に、兵士たちはパニックを起こしかけていた。
「落ち着け! 落ち着くんだ!」
上官は狼狽える兵士たちを落ち着かせようとする。しかし、そんな彼の顔も恐怖の色を見せていた。なぜなら聞こえて来る轟音が、かつて駐留していたミケート・ティリスで聞いた、敵の“空飛ぶ剣”の音だったからだ。
(まさか・・・、ニホン軍に見つかっていた・・・? 馬鹿な!)
最悪の事態が上官の頭の中を過ぎる。それは兵士たちも同様であった。
「やっぱり敵に見つかったんだ!」
「逃げなきゃ・・・、また爆発の雨が降るぞ!」
「もう駄目だ!」
上陸作戦で行われた空爆によってすり込まれた、敵に対する恐怖が兵士たちの心を支配する。彼らの戦意は既に折れつつあった。その時・・・
バキバキ・・・ ドン!
「ギャアアァ!」
木の枝が折れる音に続いて爆発に似た音が聞こえたかと思うと、突如、火の気が無い筈の場所から巨大な炎が巻き上がり、数十人の兵士たちが炎に包まれた。炎上範囲は一瞬にして広がり、逃げ惑う兵士たちをもたちまち飲み込む。
「そんな・・・一体何なんだこれは!」
幸いにも炎から逃れた兵士の1人が叫ぶ。周りをみれば、突如発生した炎によって地面や木々の枝葉は燃え上がり、火だるまとなった仲間たちは、断末魔を上げて次々と倒れていく。
「退避!」
上官の命令を受け、動ける兵士たちは皆、正に地獄絵図と化していたその場から一目散に逃げ出すのだった。
・・・
同森 司令部
猟師の小屋を接収した司令部でも、事態を把握する為に、音信兵たちが森の中の各部隊と連絡を取り合っていた。机の上に並べられた信念貝が鳴り響き、各部隊からの現状報告が次々と届けられる。
『火災です! 森に火が付きました!』
『火災は一カ所だけでなく各地点、特に森の辺縁部と中心部で集中的に発生しており、多くの死者を出しております!』
『敵の航空部隊は爆弾投下後、東の空へ向かって行きました』
被弾を免れた司令部に常在する音信兵たちが、短距離用信念貝を用いて各地にいる将兵から情報を収集している。判明した状況と被害については、随時テーブルを囲む5人の最高幹部へと口頭で伝えられていた。
各方面から伝達される情報を耳に入れるラスペル、ティツェーロ、ジークリー、モーリッツ、そしてウィデリック、12万5千の兵を率いる5人の船頭は、突然の事態に驚きを隠せない。
「一体どういうことだ! ニホン軍の姿すら見えていないと言うのに!」
皇帝領軍の将官であるウィデリックは、音信兵の言葉が信じられずに声を荒げる。一度自衛隊と対峙した経験を持つ4人は冷静を装いながら、今何が起こっているのか、彼に説明を行う。
「さっき響いた音・・・、あれはニホン軍が持つ“空飛ぶ剣”が発するものだ。ミケート・ティリスでは爆発の雨を降らせて来たが、ここでもそれを行ったということは、恐らく・・・既に我々の潜伏はばれているのだろう・・・!」
ノースケールト軍団長のモーリッツは、冷や汗を流しながら現状について語った。
「そんな馬鹿な! 一体何時どうやって見つかったと言うんだ!」
肩眉を吊り上げながら反論するウィデリック。彼に続いて、ホスダン軍団長のジークリーが頭を抱えながらつぶやく。
「ニホン軍の装備は多彩を極める。我々には知り得ない方法で監視を行っていたのかも知れないな・・・」
「・・・」
悲観に暮れる彼の言葉に、幹部たちは皆黙り込んでしまった。音信兵による情報収集が続く中、この先どうすれば良いのか分からない。
「・・・このまま森の中に居れば、我々を含めて全兵が丸焼けになる。とにかく退避すべきだ。帝都まで撤退しよう」
再び口を開いたのはレターンクン軍団長のティツェーロだった。彼の言葉に他の4人も頷く。
直後、ティツェーロは椅子から立ち上がると、彼らの傍らで、信念貝がずらっと並べられた机の前に座り、森の中に潜む全部隊との連絡を取り合っていた音信兵たちに指示を出す。
「おい! 連絡が付く隊全てに伝えてくれ! 直ちに森から脱出し、リチアンドブルクへ向かえと」
「・・・! あの・・・それが」
ティツェーロの命令を耳にした音信兵の1人が、顔を青ざめながら口を開いた。その様子に、ティツェーロは怪訝な表情を浮かべる。
音信兵は立ち上がると、幹部たちが囲むテーブルの方へ近づき、1枚の地図をテーブルの上に広げて説明を行う。
「これは森の内部各地の隊からの情報を元に作成した火災の分布図なのですが、火災は主に森の中の辺縁部に集中・・・即ち、森の中に潜む多くの兵士たちを囲む様にして発生しているらしく・・・、森の外への退路が絶たれた隊が多く有り、脱出は困難を極めている様なのです。
また多く兵が潜伏していた中心部でも、敵の攻撃により数カ所に火災が発生し、既に万に達する程の犠牲者が出ております・・・! さらには、龍も十数騎が被害を受けたとの事・・・!」
「そんな・・・!」
音信兵の言葉を聞いたラスペルは力なくうなだれていた。絶望が彼らの心を覆い尽くす中、ティツェーロは現状を打破する為に更なる指示を出す。
「たかが放火で森の出口を完璧に無くせる筈が無い! 退路は確実に有る。それを特定したら連絡が付く部隊全てに直ちに伝えるんだ! それと敵の航空戦力が撤退した様なら、竜騎42騎をすぐに離陸させ、火災から遠ざけさせろ!」
「はっ!」
音信兵は敬礼を以て、彼の命令を拝聴した。
その数十分後、各部隊との連絡によって火災範囲の正確な把握に尽力した結果、森の中に取り残された兵が火の手の拡がる森の外へ脱出が出来る退路がいくつか発見されることとなる。それらは連絡が付く隊に直ちに通達されていった。
その後、全部隊への避難指示を終えた幹部5人は、自らの馬に跨がって森の外へと向かう。しかし、彼らが下した“火災から逃れることを最優先し、各々が森から脱出してリチアンドブルクまで撤退する”という決断は、更なる悲劇を引き起こす切っ掛けになってしまうということに、彼ら5人は気付いていなかった。
・・・
森 南部
竜騎部隊が身を潜めていたその場所には、地面に打たれた杭に係留された“銀龍”の姿がある。その背には兜とゴーグル、飛行衣装に身を包んだ竜騎士たちが居た。
森の中にはここ以外にも、龍を係留していた場所が何カ所かあったが、その中のいくつかは焼夷弾による攻撃を受けており、残る竜騎は30騎ほどとなっていた。
「司令部から連絡! “敵の航空部隊の帰投を確認した。直ちに飛翔し、森の中から避難せよ”!」
竜騎の整備兵が、既に各竜騎の背に跨がっていた竜騎士たちに司令部からの指示を伝える。同時に彼らの手によって、龍を地面に係留していたロープが断ち切られた。
「了解!」
正式に司令部からの飛翔命令を受けた竜騎士たちは、自らが跨がる龍の手綱をしっかりと握って離陸態勢に入る。銀龍の巨大な翼が次々と広げられ、それらが羽ばたきによって大きな風を巻き起こすと、地に足を付けていた龍の群れは一気に上昇して森の上空へと飛び立って行った。
しかし、そんな彼らの行動も自衛隊にとっては予想の範疇に過ぎない。退路が限定された森の中で、未だ立ち往生している多くの兵士たちに対して、新たなる攻撃が加えられようとしていたのだ。
〜〜〜〜〜
メストーの森より東南東へ28km コヨーフ平原
森への攻撃を行うジュペリア大陸派遣部隊の司令部が置かれているのは此処、メストーの森から30km近く離れたコヨーフ平原だ。
司令部兼戦闘指揮所が設置された業務用天幕の中では、派遣部隊を率いる幹部数名が、設置された複数のディスプレイを眺めている。それらには対空レーダーやドローンによって監視されている森の様子や周辺の地図、気象測定装置によって観測されている気象情報等が明示されていた。
「風向は南西、気圧は1015hPa、天候は晴れ・・・。火災は順調に拡大中・・・。ほぼ理想通りにいったな、まるで芸術だ。流石だな」
派遣部隊指揮官の滝澤陸将補は、燃えさかる森の映像を眺めながら、パイロットたちの仕事を褒め称えた。
森の中に潜む敵将兵たちが火災から逃げられない様にする為、焼夷弾はその殆どが森の辺縁部に集中して降り注がれていた。ドローンが映し出している森を上空から捉えた映像を見れば、森から燃え上がる炎は巨大で歪な王冠の様だった。その王冠の内側では、未だ多くが敵兵が右往左往していることだろう。
「特科団高射特科隊より連絡。対空レーダーにて森の中から飛び上がる物体を確認したとのこと」
司令部に常在している通信科隊員の1人が、コヨーフ平原とは別の場所で上空の監視を行っていた高射特科隊から伝えられた内容を指揮官に伝達する。ドローンによって映し出されている映像にも、対空レーダーが捉えたものと思しき竜騎の姿が映り込んでいた。
その後、彼は側に座っていた特科団隊長の新川一佐に対して新たな命令を下す。
「良し・・・特科団による攻撃開始を命じる!」
「はっ!」
指揮官の命令を受けた新川一佐は、通信機を手に取ると、自らが率いる待機中の特科部隊に対して攻撃命令を下した。
「MLRS隊及び榴弾砲隊に告ぐ。目標地帯であるメストーの森に向かって砲撃開始! また高射特科隊は敵航空戦力を撃破せよ!」
『了解!』
指揮官の命令は直ちに、全ての特科部隊へと伝えられて行く。命令伝達から十数秒後、コヨーフ平原に並べられた12輌の多連装ロケットシステムから、M31ロケット弾が森に向かって順次発射された。多連装ロケットシステム指揮装置によって統制されたそれらは、迅速かつ正確、そして効果的に敵を殺傷する為、着弾地点の重複が無い様に飛んで行く。
より森に近い所では、横に長く並べられた各種の榴弾砲から、同様に榴弾が順次発射されていた。火力戦闘指揮統制システムによって統制されたそれらも、ロケット弾と同じくメストーの森に向かって行く。
また更に別の地点では、森林火災から逃げる為に飛び上がった竜を余すことなく仕留める為に、偽装網によってカモフラージュされた5輌の93式近距離地対空誘導弾から、誘導弾が森の上空へと向かって次々と発射されていたのだった。
〜〜〜〜〜
メストーの森 北東方面
「た・・・助けてくれ!」
「お、俺の顔・・・どうなった?」
「み・・・水を!」
焼夷弾によって顔面や手足が焼けただれてしまった重傷者たちの苦痛の声があちこちから聞こえて来る。そんな彼らの傍らを、負傷を免れた兵士たちの一団が通り過ぎていた。
また空からの爆撃が来ないか否かと怯えながら森の端へと向かう彼らには、自らの脚で立てない様な重傷者に目を向けている余裕は最早無い。
(音信兵がやられて・・・“貝”もイカレちまった。司令部との連絡も取れないか・・・!)
一団を率いる皇帝領軍下士官のハイン=ラドラスは、焼夷弾にやられた者たちや、その亡骸を一瞥しながら心の中でつぶやいた。煙の臭いが充満する森の中を、彼と彼が率いる隊は進み続ける。
そして数十分後、ついに彼らは森の端に到達しようとしていた。やっと火の手が回る森の中から脱出出来る、皆がそう思った矢先、その期待は瞬く間に潰えた。
「これじゃあ・・・森から出られないじゃないか!」
誰かが叫ぶ。兵士の中には、顔を青ざめて地面に膝を付いてしまう者も居た。目の前に現れた景色に、彼らの心は絶望に包まれる。
焼夷弾によって着火した木々と落葉が燃えさかり、森を脱出しようとする彼らの行く手を阻む。その様はまるで“炎の壁”と言うべきものだった。左を見ても右を見ても、切れ目が無く炎が広がっている様に見える。
炎の勢いは強く、発する熱気が絶望する彼らの顔をじりじりと焼く。いっそ一か八か飛び込んでみようかと考えたが、そんなことをすれば、燃える炎とその熱気によって、たちまち焼かれてしまうだろう。
「必ず出口はある・・・! あの炎の壁に沿って進もう!」
悲観に暮れる部下たちを励ましながら、ハインは左を指差した。肉体的な疲労と精神的な負荷の為に普段の数倍重く感じる足を引き摺りながら、兵士たちは上官が指し示した方向へと進め始める。
ドカアァ・・・ン! ギャアアァ・・・!
その時、突如上空から爆発音と龍の断末魔が聞こえて来た。直後、4つに引き裂かれた銀龍の死体が彼らの目の前に落ちてきたのだ。
「うっ!?」
肉塊と化した銀龍と竜騎士の死体、それを目の当たりにした兵士たちは思わず怯む。
「・・・敵の攻撃だ!」
ハインが叫ぶ。その言葉に兵士たちは震え上がった。墜落してきた竜騎は彼の予測通り、93式近距離地対空誘導弾の餌食となったものだった。更なる敵の攻撃が竜騎を襲ったことを理解し、恐怖と動揺に心を支配された彼らは脚を止めてしまう。地対空誘導弾の餌食となった竜騎は、彼らの前に現れた1匹だけではなく、火災から避難する為に空に飛び上がった竜騎30騎は森を出た側から、ハエの様に次から次へと叩き落とされていた。
そんな兵士たちの頭上に、新たな攻撃が近づきつつあった。白煙を棚引かせながら森に向かうそれは、MLRSから発射されたロケット弾だった。
ドカアァ・・・ン!
「!!」
彼らの頭上で巨大な爆発が起こる。曳火射撃、即ち空中で炸裂したロケット弾の破片が地上にまき散らされ、更に爆発によって吹き飛ばされた木々の木片が、爆風に与えられた勢いそのままに周囲に飛び散る。それらはまるで散弾の様に地上に居る兵士たちを襲った。
「うわあああ!」
「う・・・腕が!」
散弾と化したロケット弾の破片と樹木の木片によって、数多の兵士がなぎ倒される。一瞬で絶命できた者はある意味で幸運だっただろう。しかし、致命傷を負いながらも生き残ってしまった者たちは、破片や木片が身体に突き刺さる痛みに苦しむこととなった。
「くそ・・・! 小癪な真似を!」
兵士たちの無残な様を見て、彼らを率いていたハインは苦渋の表情を浮かべる。彼は自身の左腕に突き刺さっていた木片を右手で抜き取ると、爆発によって木々の枝葉が吹き飛ばされた為に見通しが良くなった空を見上げた。
晴れた天気が広がる空、彼の視界をロケット弾が細長い白煙を棚引かせて通過して行く。目標地点に到達したそれらは次々と爆発し、彼らを襲ったのと同じ様に、各地点に居る兵士たちに破壊の雨を降らせている。
森の中に爆発音が何度も響き渡った。ロケット弾や榴弾による曳火射撃は、森を丸坊主にする勢いで木々の枝葉を吹き飛ばし続けている。
爆発が起こっている多くの場所では、多くの将兵たちが自分たちと同じ目に遭っているのだろう。司令部は無事なんだろうか。部下の多くを失ったハインは、そんな事を考えながら、凶弾の飛び交う空を見上げ続けていた。
・・・
メストーの森 北端
衛星写真から見れば小さく見えるだろうこの森も、地面を歩く人間からすれば十分に広い。そんな森から脱出することを目指して、地面を走り続ける15人程の兵士たちの姿があった。
あちこちに火の手が上がっており、異様なまでの熱気に包まれている。更には敵による砲撃も開始されており、何時それが自分たちの頭上に降りかかるか分からない。
そんな恐怖を抱きつつ、兵士たちは汗だくになりながらも、森の外に向かって走り続けていた。
「こっちも火の手が・・・、くそ! 出口は何処だ!?」
「司令部より指定された場所はもうすぐです!」
兵士たちを率いるホスダン軍尉官のルドフ=ザルテーの問いかけに、司令部とのコンタクトを担当する音信兵が走りながら答える。彼の指差す方向には、焼夷弾によって形成された“炎の壁”の切れ目が存在していた。
この隊は司令部との連絡に必須である信念貝を失わなかった為、司令部からの指示により、自らが行くべき場所を正確に知ることが出来ていた。
「あ・・・火の手が無い! このまま森の外へ出られるぞ!」
ルドフが叫ぶ。ようやく森の端を視界に捉えたことに、兵士たちは心の底から歓喜した。周りを見れば、同じ出口を目指していたと思しき他の隊の兵の姿も見える。
(やっと燃える森からおさらばだ!)
兵士たちは森の向こう側に見える光を目指し、炎の隙間をくぐり抜けて走り続ける。数分後、森を抜けた彼らは、ついに日の光の下にその身体を晒した。
「良かった、助かった・・・!」
ルドフがつぶやく。他の兵士たちも安堵の表情を浮かべていた。
脱出を終えた彼らは、つい先程まで自分たちが潜伏していたメストーの森の様子を見つめる。穏やかな森林地帯は一変して、あちこちから火の手が上がる地獄と化していた。更には見えない場所から発射された敵の砲撃が、森の中で何度も炸裂している。
(ジークリー軍団長はご無事だろうか・・・?)
焼夷弾による火災とロケット弾、榴弾による爆発、そして悲鳴が渦巻くメストーの森を振り返りながら、ホスダン騎士団領軍に所属するルドフは、自分たちの総指揮官であるホスダン軍軍団長のジークリー=アスカニンの身を案じていた。
自分たちが出て来た森の出口を見れば、後から後から他の隊の将兵たちが森の中から出て来ている。数十分後には、合わせて3千人以上の将兵が森の北端からの脱出を果たしていた。しかし同時に火の手が更に拡がっており、最早森の中に戻ることは不可能となっていた。
多くの兵士たちが火災から逃れられた事に安堵し、笑みを浮かべている者さえ居る。しかし森から離れ、帝都に向かって走り続ける最中、何かが壊れた様な破裂音が上空から聞こえてきた。
「何だ・・・?」
ルドフを含め、多くの将兵たちが走りながら空を見上げる。
彼らが視線を向けた先では、細長い巨大な物体が空中分解を起こしていた。その中から、数多の黒い物体が現れ、3千人以上の将兵が集まって居る大地へ雨の様に降り注いでくる。
1個1個は小さな金属の塊の様に見えたが、そんな物体が数百を超える数になって降ってくれば当然ただでは済まない。危機を察知したルドフは、咄嗟に部下たちに向かって指示を出す。
「退避!」
襲いかかってくる異形の雨から逃れる為、兵士たちは両腕で頭を守りながら蜘蛛の子を散らす様にしてその場から逃げ出した。
しかし、空中にまき散らされた物体の拡散範囲は広く、到底逃げ切れるものではなかった。“雨粒”は次々と地面に落下し、地上の兵士たちを容赦無く襲う。
「ぎゃああアぁァ!」
直後、数多の花火が破裂する様な音が響き渡る。降ってきた無数の物体は単なる金属の塊ではなく、その1個1個が小型の爆弾だったのだ。地上で発生した数百を超える爆発によって、森を脱出した兵士たちは瞬く間に息絶えていった。
この攻撃が展開されたのはここだけではない。異なる場所から森の外に脱出していた兵士たちも、同様の攻撃によって次々と殲滅されたのだった。
〜〜〜〜〜
皇帝領 コヨーフ平原
メストーの森から30km近く離れたこの地に設置されている業務用天幕(司令部)に、数機の監視用ドローンによって捉えられた映像が届いている。森とその周辺を空から捉えた映像を映し出すディスプレイを、数名の自衛官が椅子に座りながら眺めていた。
「不具合は無いな」
「はい、ちゃんと上空で弾頭が破裂し、子弾を拡散させています」
全軍を指揮する滝澤陸将補の問いかけに、特科団隊長の新川一佐が答えた。
彼らが話しているのは、森を脱出した兵士たちに向けて発射された、今回の戦いが初の実射試験である“試作兵器”のことだ。と言っても、それはかつて自衛隊が保有していたものなので、“復刻兵器”と言った方が正しいかもしれない。
12輌のMLRSが森への攻撃を続ける中、1輌だけ沈黙を保っていた13輌目のMLRSから発射されたそれらには、他のMLRSに積まれているM31ロケット弾とは異なる弾種のロケット弾が搭載されていた。
そのロケット弾は、200ポンド榴弾単弾を弾頭に積むM31ロケット弾とは違い、とある特殊な弾頭が搭載されていた。それは日本政府がオスロ条約に加盟した為に所持が禁止された兵器、即ち「クラスター爆弾」である。
1つのケースに600個を超える小さな爆弾を内封し、それを空中で拡散させることで小規模な爆発を多数発生させるクラスター爆弾は、広大な面に広がる非装甲目標を制圧する為に開発された。かつて日本国内でも陸空の自衛隊に配備されていたが、人道上の懸念を憂慮した各国によって禁止条約が定められ、日本政府もそれを批准した為に、保有していた全弾を2015年に1度廃棄していた。
その後転移が起こり、締結国の一斉消失による各種国際条約の無効化を宣言した日本政府は、この世界での戦いに必要な装備として、クラスター爆弾の再開発に着手し、試作段階のものを数発、今回の戦いに投入するに至ったのだ。
「焼夷弾を森の辺縁に集中して投下することで形成した、歪な“炎上網”の切れ目が敵の脱出口・・・。どこから逃げ出すかは大体分かる。そしてわざわざ身を隠していた森から出て来てくれれば、良い的にしかならないな」
敵兵が一掃された大地の様子を眺めながら滝澤はつぶやいた。凄惨な死体が多数映り込む映像を前に、滝澤は全く動じない。他の隊員たちも誰1人、気にする素振りは見せなかった。
「この場合、どうすることが正しいのだろうね・・・?」
滝澤がつぶやく。彼は敵であるアルフォン軍が現在の状況下で取るべきだった最善の行動を部下たちに尋ねているのだ。
まるで“将棋の感想戦”の様な台詞を口に出す指揮官に対して、幹部の1人である通信科団隊長の藤井三佐が口を開いた。
「砲撃を避ける為には、恐らくそのまま森の中に居た方が良い・・・。しかし焼夷弾による炎上範囲はこの短時間でかなり広がっていますし、砲撃から身を守る為に森の中に居れば火達磨になってしまう・・・。でも火災を避ける為に森を脱出したら、それは良い的になってしまう・・・うーむ」
八方塞がりの状況に陥っている敵軍の状況を簡潔に説明した藤井三佐は、右手を顎に付けながら悩んでいた。
「火が延焼してこない洞穴でもあれば、その中に身を隠すのが恐らくベストかと。とは言っても10万を超える人数を収容出来る洞穴なんてそうそう無いでしょうけど。あ、でも・・・それだと炎から逃れられても、酸欠で死亡する可能性がありますね・・・。
まあ我々としても、約8平方kmの範囲に散らばる10万超えの軍勢を、文字通り全滅させることは不可能に近いですし、火事から逃れつつ砲撃の直撃を受けなければ良い訳で・・・、確かに森という名の自然の盾を捨てることは、的になりやすいリスクがありますが、彼らが今行っている様に、運に任せて一か八か森から脱出するのが最善じゃないでしょうか。森は燃えてしまうんですからね」
そんな彼の様子を観ていた新川一佐が横から答える。3人はその後も、同一の議題について2,3言、会話を交わした。
自らが行った放火と砲撃によって生じた惨状を、まるでフィクションや他人事の様に語らう幹部たちの姿を見れば、一般人ならば一種の不気味さを感じ、人によっては不謹慎だと憤ることだろう。
しかし、今回の派遣部隊に参加している隊員たちの殆どは、今の数倍は緊迫した状況に身を置いた実体験、すなわち「異世界転移」から3年前の2022年に勃発した「東亜戦争」において、集団的自衛権に基づいた中国・朝鮮半島への派兵を経験し、肉体的にも精神的にも無事に帰って来た者たちから構成されている。
彼らは戦場において、精神的なショックを生み出さない心の持ち方を、本能から、または経験から知り、無意識的か意識的かそれを行っているのだ。彼らの今の態度は、その応用なのだろう。
その後も特科によって大量の弾薬が森に向かって投入されていく。爆心地の周辺では、数多くの兵士の死体が生み出されていた。加えて火災は更なる拡大を見せ、“炎上網”の為に逃げ遅れた者たちを、次々と飲み込む。
火災と砲撃の二重奏によって、“メストーの森”と呼ばれていた場所が地上から消えて行く。後に残るのは黒こげになった木の幹と、見るも無残な状態となった死体だけだ。
それからしばらく後、ついに森の9割以上が消失した。映像に捉えられた死体の数は優に8万を超えており、その殆どは火事から逃げられずに焼け死んだ者たちである。残りは運良く逃げたか、わずかに残った森の中に隠れ続けているかのどちらかだろう。
指揮官の滝澤は通信機を手に取り、全部隊に向かって指示を出す。
「・・・森は殆どが消え去った。目立った敵影は無く、敵集団は壊滅したと判断する。これにて、本戦闘を終了する!
全隊、用具を撤収し、移動準備を開始。施設隊、及び第一普通科隊は先にメストーの森に移動し、地上消火作業に入れ。スミナ湖湖畔で待機しているヘリ部隊も同じく、空中消火作業に以降せよ」
『了解』
司令部からの指示を受けた各隊の隊員たちは、ほっとした表情を浮かべる。彼らは程なくして、次なる目的地である帝都リチアンドブルクに向かう為の準備を開始した。ここ“コヨーフ平原”から“メストーの森”までは28km、そして森を超えれば“帝都”までは10kmも無い。
アルフォンの軍勢は今回の戦いでその殆どが壊滅し、最終ゴールであるリチアンドブルクには、少数の守備兵や近衛兵を残すのみとなっている。最早帝都は、彼ら「ジュペリア大陸派遣部隊」の手中に落ちたも同然だろう。
(ようやくここまで来たな・・・。さて、敵さんはどう動くのか)
ほぼ全ての兵力を失った現皇帝に対し、滝澤は心の中で問いかけた。
派遣部隊を構成する施設隊と普通科団の第一普通科隊に属する隊員たちは、89式小銃と個人携帯型の放水装備であるジェットシューターを背負って、73式大型トラックや水陸両用強襲輸送車7型、89式装甲戦闘車に乗り込む。彼らの任務は第一に“地上消火”、第二に投降した生存者の保護、及び抵抗する意志を持つ残存兵の駆逐である。
ついでに、森の中を通過していた街道上に、クラスター爆弾の子弾の不発弾が転がっていないかどうかを確認する為、金属探知機も持参していた。
「普通科団第一普通科隊、出発します」
「同じく施設隊、出発します!」
消火作業に向かう隊員たちを乗せた車輌の群れが、一足先に森へ向かって行った。
〜〜〜〜〜
数十分後、消火作業及び不発弾処置に当たる隊員たちが、目的地であるメストーの森の入口にたどり着く。
車輌を次々と降りる隊員たちに向かって、施設隊隊長の水乃宮三佐が指示を出す。
「これより地上消火作業を開始する。また少数は金属探知機を用いて、街道上にクラスター弾の子弾の不発が無いかどうかを確認せよ」
「了解!」
上官の指示を受けた隊員たちは、その場から散開し、森を越えて草原にまで燃え広がる炎に向かって、ジェットシューターに蓄えられた水の散布を開始した。
彼らの他、森の中を流れ出る小さな河川の近くで待機していた化学防護隊が、液体散布車を用いて森への放水を開始している。
また、ここから12km程離れたスミナ湖の湖畔で待機していたイロコイやチヌークからなるヘリ部隊も、湖の水を満載したバンビバケットをつり下げて、未だ火の勢いが残るメストーの森の上空に現れ、全機合わせて30tを超える量の水を一度に散水していた。散水を終えると再び湖に戻り、その後も湖と森との往復を繰り返す。
目的は完璧な鎮火では無く、あくまで部隊が森を通過するのに支障を来さない程度に炎を弱めることだったので、目立った火が消された1時間半後には消火作業は終了した。作業に従事していた全ての隊員と車輌はその後、森まで接近していた本隊と合流を果たした。
同時に、司令部が設置されていたコヨーフ平原とは別地点に待機していた高射特科隊と榴弾砲隊も撤収作業を完了し、森の手前で本隊に合流する。
全ての隊が再合流を果たした“ジュペリア大陸派遣部隊”は、施設科によって不発弾が転がっていないことを確認された“元”森の中を抜ける街道の上を、再び一列の長大な隊列となって走り抜けるのだった。
「まずいな・・・完全に日が傾いている。この先はもう川も森も無い。速度を上げよう!」
隊列の先頭を行く82式指揮通信車のハッチから、上半身を車外に晒す滝澤陸将補は、西の地平線に近づいている太陽を眺め、焦った顔でつぶやいた。
(焼夷弾の灯油の匂いか・・・。まあナパームじゃないし、もう夕方だけれど、これは“勝利の匂い”になるのかねぇ・・・)
灯油と硝煙と木が燃える香りが、彼の嗅覚を刺激する。森林火災と砲撃によって黒こげになった大地が、隊列の両脇に広がっていた。
時折、消し炭の様になった兵士の死体や、八つ裂きになった竜騎の遺骸が視界に入るが、誰も特にそれらを気に留めることは無く、部隊は進み続けるのだった。
〜〜〜〜〜
皇帝領 帝都リチアンドブルク 皇宮・御所 皇帝の執務室
教皇に見限られたことを知り、呆然とするアルフォンの部屋に、近衛隊長であるチーリ=システーナが駆け込んできた。
彼が勢いよく扉を開けると、そこには生気を無くした様な佇まいで椅子に座るアルフォン1世の姿があった。チーリは一度大きな深呼吸をして息を整えると、震えた声を出しながら口を開いた。
「メストーの森にて潜伏していた12万5千の四地方連合軍ですが・・・、先程、ニホン軍の攻撃によって壊滅したとの知らせが・・・、現地より届きました!」
チーリは、敬礼のポーズを取りながら、メストーの森から届けられた報告の内容を伝える。その額には、大量の冷や汗が流れていた。
どの様な怒りが飛んでくるかと、彼はアルフォンの第一声に戦々恐々としていた。しかし、残存の主力戦力の壊滅という報告を耳にしたアルフォンが発した最初の言葉は、チーリの予想を大きく裏切るものだった。
「なあ・・・、やはり私が間違っていたのだろうか?」
「え? いや、それは・・・!」
意外な第一声を発するアルフォンの様子に、チーリは動揺を隠せなかった。目を丸くする彼に対して、アルフォンは続ける。
「・・・私は、会談の場で教皇様に頭を下げさせたという“ニホン国”が許せなかった。その国と親密な関係を築き、総本山と手を切ろうとしていた“兄”のことも・・・。
そんな時、教皇様の使いが目の前に現れた。彼の言葉通り実兄とその家族を殺した・・・。その後も教皇様のお言葉通り、罪をニホンに転嫁して彼の国との戦を世界に宣した・・・。戦いは“聖戦”と認可され、他の多くの国々まで対ニホン戦に参戦してきた。
私は全てを教皇の御心通りに行って来た・・・。兄殺しも世界に対する虚言も、イルラ教の繁栄が未来永劫続く為、何より教皇の為だと思って・・・!
何故、私が裏切られる道理が有ろうか!」
徐々に口調が強くなっていき、最後の一言と共にアルフォンは感情を爆発させた。彼の両の目からは大粒の涙が流れている。
近衛隊長であるチーリも、教皇がアルフォンを裏切ったことを知っている。元より、チーリを始めとする近衛兵団は、“教皇の使い”の言葉の下にアルフォンに与して前皇帝とその一家6名を暗殺した実行犯であり、教皇に裏切られたと感じていたのは彼らも同様であった。
クロスネルヤード帝国の劣勢が確定した途端、主張を180度変えてしまった総本山の“日和見主義的な姿勢”に、アルフォンに与していた近衛兵たちの士気は大きく下がっていたのだ。
「あの即位式の日、私は神に選ばれた救世主の様な気持ちになっていた・・・。自惚れていたと思うなら笑ってくれ、チーリ・・・」
「・・・!?」
皇帝という立場にありながら、自らを笑えと述べるアルフォンに、チーリは再び大きく動揺する。
皇帝が悲観に暮れていたその時、もう1人の人物が扉を開けて執務室の中に入って来た。その人物はつかつかと靴音を立てながら、アルフォンが座る机の前に近づき、項垂れている彼に話しかける。
「父上・・・! 気を病んでいる場合ではありませんよ! ニホン軍がメストーの森を超えてこちらに向かいつつある・・・。何か行動を起こさねば!」
そう呼びかける彼の名は、スリガン=ヴィー=アングレム。アルフォンの唯一の嫡男、すなわち現“皇太子”だ。本来ならば“皇帝の弟の息子”という立場でしか無かった彼に、帝位が回ってくることは無かった筈だったが、実父であるアルフォンのクーデタによって、帝位継承順位第一位である皇太子という立場にまで昇格していた。父親同様、彼も敬虔なイルラ信徒である。
スリガンは声を張り上げた。しかし、実の息子の檄を前にしても、アルフォンの心は中々動かない。
「実兄を殺し、兵を失い・・・そして総本山から見限られた私に何が出来ようか・・・」
「座して死を待つというのですか!?」
情けない声を出すアルフォンに、スリガンは再び声を荒げた。その後、わずかな沈黙が場の空気を支配する。
「・・・結局は異教徒に怖じ気づき、父上を平気で裏切った現教皇を、私は許せない! そして、経典に違う術を良しとするジェティスにも、この国の信仰を任せることは出来ない!」
先に沈黙を破ったのは、スリガンの方であった。彼は自分たちを裏切った教皇に対して、憤慨の感情を抱いていた。
しかし同時に、彼の言葉は、宗教の改訂を目指した“ファスタ3世の思想”と、現行の経典を重んじる“敬虔な者たちの思想”は、決して相容れないということを端的に示していた。両者共に現教皇による被害を受けながらも・・・である。
「総本山も駄目、ジェティスも駄目だ・・・! ならば我らは、異教徒の武力に屈したり、異教の教えが交わることのない“正しきイルラの教え”を後世に残す伝道師となりましょう。その為には生き延びなければならない・・・、父上!」
スリガンは続ける。
彼が主張したこと、それはファスタ3世が掲げた“宗教改革”も、現教皇が支配する総本山の様な情勢で立場を変える“日和見主義的なイルラ教”も認めず、経典のみを忠実に守り、それに書かれたことを堅持する“真のイルラ教”、こちらの世界で言う“原理主義”に近しい物であった。
(・・・伝道師? 私たちだけで正しい教えを広める? そんなことが可能なのか? ・・・いや、そんな事は考えたことが無かった・・・!)
実子の言葉によって、新たな目的を示されたアルフォンの心に生気が戻り始める。彼は顔を上げると、机の前に立っていた2人に対して、その覚悟を問い糾す様に尋ねた。
「・・・一度、帝都を脱出する。付いて来てくれるか?」
皇帝の新たな言葉に、チーリとスリガンは大きく頷いた。
「勿論です!」
「我々も陛下に付いて行く覚悟です!」
迷わず自分に追従する道を選んだ2人の返答に、アルフォンは微笑みを浮かべる。その表情には、一度“暴君”と化したと思わせる様な面影は無かった。
その後、彼は引き出しの中から一枚の地図を取り出す。彼は帝都から更に西に存在するとある場所を指差しながら、2人に指示を出した。
「皇帝領の西に位置する古戦場“ギフト”、その山岳地帯にある砦に向かう! 集められるだけ兵を召集し、直ちに出発するぞ!」
「はっ! 仰せのままに」
皇帝の命令を、2人は敬礼を以て拝聴した。
斯くして、アルフォン側の最後の主力が“メストーの戦い”に破れた同日、現皇帝アルフォン1世は、わずかに帝都に残った兵とその他の文官や侍女、合計して約1,400名と共に、帝都リチアンドブルクからの脱出を果たしたのだった。




