動く世界
混乱を避ける為に補足します。今回の話の中の「中央議会」に3つの派閥を登場させています。それぞれの思想を簡潔に説明すると
保守派:教皇>皇帝、正統派:教皇<皇帝、革新派:親ファスタ3世
といった具合です。正統派と革新派の大きな違いは、今の教皇国に不満を抱いているか否かです。
1月13日 クロスネルヤード帝国 皇帝領 首都リチアンドブルク
「一体どういうことだ!?」
平民から成る民衆が宮前広場に集まり、皇宮の正門前に詰め寄っていた。中央洋を隔てた先にある国で、皇太子の存命と彼による正統政府宣言が行われたという事実が報道されたからだ。
彼らの手には「世界魔法逓信社」が刊行した朝刊紙が握られている。といっても、民衆の中でその新聞がちゃんと読めるのは2〜3割といった所だろうか。大概は文字が読める人物からその内容を知った者たちだった。
「皇太子殿下は、今の皇帝が暗殺の黒幕だと述べたと書いてあるぞ!」
「俺たちを騙したのか!」
「反逆者を玉座から引き摺り降ろせ!」
「政府は説明しろ!」
民衆が押しかけた皇宮の正門は、今にも破られそうになっている。平民たちが皇宮の敷地内になだれ込む様な事態を避ける為、民衆を制止しようと、近衛兵たちが正門の前に集結して彼らを押さえつける。
「静まれ! 静まらぬか!」
盾を構えて民衆の進行を止める近衛兵たちの姿は、まるでデモ隊と衝突する機動隊の様であった。しかし、興奮する数十万の民衆に対して1万になるか否かの規模である近衛では限界が見えていた。
・・・
皇宮・御所 皇帝の執務室
近衛隊長であるチーリ=システーナが執務室に入室していた。彼は約2ヶ月前、まだ皇帝の弟に過ぎなかったアルフォンに与して、部下の近衛兵たちと共に「皇族一斉変死事件」を起こした張本人である。
「逓信社の報道を知った市民たちが宮前広場に集結し、暴徒と化しつつあります! 現在、近衛兵を回していますが・・・、何時まで保つか」
チーリは冷や汗を流しながら、切迫した今の状況について報告する。
「皇帝領軍本部に、“勅令”として帝都全体に“戒厳令”を布告すると伝えよ! 帝都守備隊も動員し、民衆を押さえつけ暴動を阻止するのだ!」
「はっ、ではその様に!」
命令を拝聴したチーリは、すぐさま部屋から退出して行った。その直後、彼と入れ違いになる様にして、ヴィルヘン=リンフォイドに代わる新宰相のコラントール=カンザシーが入室して来た。
彼は元々、中央議会における保守派議員の1人だったが、つい数週間前にアルフォン1世の指名によって新たな宰相として就任していた。すなわち彼は、前皇帝のファスタ3世に長期に渡って従事していたヴィルヘンを閣僚職から追い出したのだ。
コラントールは息を切らしながら、アルフォンに報告を入れる。
「中央議会の議員、及び閣僚達が大議事堂に集結し、陛下の出廷を求めております!」
「・・・何?」
この皇帝領における立法府が、ほぼ全会一致で君主たる彼の出廷を請求している。恐らく、この国の立法を司る541人の議員たちが、この度の一件についてアルフォンを問い糾すつもりなのだ。
(・・・っ! 小生意気な!)
たかが議会が、世界最大版図を統べる唯一無二の皇帝たる自分を尋問しようとしている。特に“中央議会”の2割弱しか占めていないマイノリティである“革新派”は、今回の一件について水を得た魚の様に自身を糾弾するだろう。彼らは元々、前皇帝のファスタ3世の思想に同調する者が集まって作られた派閥だからだ。意気揚々とする彼らの顔を思い浮かべるアルフォンに苛立ちが募る。
更には“皇帝の家臣”としての貴族の役割を重んじ、教皇より皇帝への忠義を重視する“正統派”も、簒奪者たる自分に反発するだろう。
(くそ・・・! あれから何も音沙汰が無かったから、何処かで野垂れ死んだものとばかり思っていたが、まさか列強国に逃げ延びていようとは!)
ショーテーリア=サン帝国と日本国の協力を得て、亡命政権の樹立を宣言した元皇太子ジェティス。あの事件の後、彼と彼の妻であるレヴィッカの身を見つけ出すことは出来なかったが、その後、即位式から2ヶ月以上が経った今の今まで何も動きを見せることは無かったことから、アルフォンはその2人について、どこかで夜盗か人攫いにでも遭ったものだとばかり思っていた。
しかし、ジェティスは生きて再びアルフォンの目の前に現れた。全ての真実を明らかにした挙げ句に日本国と結託し、彼を皇帝の地位から引き摺り降ろそうとしている。アルフォンは得も言われぬ焦燥感に駆られていた。
「・・・分かった、出廷には応ずる。その前にチーリを呼んでくれ」
アルフォンはコラントールに、先程部屋から出て行った近衛隊長のチーリを再びここへ呼ぶ様に伝える。
「・・・? 承知致しました」
先程出て行かせたばかりの近衛隊長に何の用事があるのだろうか、そんな疑問を抱きながら、皇帝の命令を拝聴したコラントールは、一礼するとそのまま皇帝の執務室を後にする。
・・・
1時間後 大議事堂 「中央議会」
皇族貴族の特権階級からなる541名の議員によって構成されている「皇帝領中央議会」は、この国で唯一、国家全体に波及する“国法”を制定する事が出来る“立法権の最高機関”である。
今回の議会は扱う議題の多大な重要性から、“18人の長たち”の帝都における代理人まで集まっている。まさにクロスネルヤード帝国国内の全てが、この議会に注目していた。
人々が集まりざわつく議事堂、その喧騒を切り裂く様に、1人の男が議員たちに向けて語り出す。
「皆様もご存じかと申し上げますが、本日、“逓信社”のリチアンドブルク支部から発行された朝刊紙にて、前皇帝陛下のご子息であるジェティス=メイ=アングレム皇太子殿下、並びにレヴィッカ=ホーエルツェレール・アングレム皇太子妃殿下が共にご存命であり、“東方の七龍”ショーテーリア=サン帝国の首都ヨーク=アーデンにて、現皇帝であるアルフォン1世陛下と対立する形で“亡命政権”の樹立を宣言したとの報道が成されました」
議事堂の中央に立ち、口上を述べるのは中央議会議員の1人で“革新派”の一角であるロター=ズッペンウィルグ公爵だ。その後、今回の議会の進行役である彼は語りを続ける。
「更には、2ヶ月前に突如として起こり、ニホン国との戦端を開くこととなった前皇帝一家の暗殺事件について、政府の発表では実行犯は皇宮に出入りし、先帝陛下とその御一家に対して治療・検査を行っていたニホン人医師だということでしたが・・・彼の地のジェティス殿下は、真犯人は他でもないアルフォン1世陛下だと世界に告げた!」
ここまで雄弁したところで息が切れたロターは、一度呼吸を整えると、玉座に座るアルフォン1世の方を向いて再び語り出した。
「陛下にお尋ねしたい! 此度のこの事態、いかがなさるおつもりか!? 最早言い逃れは出来ませぬぞ!」
踏み込んだ物言いを見せるロターの言動に議事堂がざわつく。彼の追及を受けているアルフォンは、特に動揺する様子も無く淡々と答える。
「あれは逓信社の“誤報”だ。元皇太子とその妃の死亡は確認された! ニホン人医術士の罪状も、宮中医ヘアルート=フォリキュラーの検死結果から明らかにされたのだ。疑う余地は無い」
「しかし列強国ショーテーリア=サン帝国を含め、アルティーア、エルムスタシア、極東連合、更にはロクフェル=フォレイメン、カネギス=ヴァスキュラー、フォード=ラングの3人の辺境伯が、ヨーク=アーデンにて樹立された亡命政権を支持すると表明したのです。その言い訳はあり得ない!」
政府発表を繰り返すアルフォンに対して、ロターは現在の状況から、彼の言っていることが成立することに無理があるということを指摘する。
静かな睨み合いが続く両者、わずかな沈黙が2人の間に流れた直後、1人の議員が立ち上がり、発言する。
「そもそも彼の国には、我が国から派遣された駐在大使が居るのです。彼は何と言っているのか、外務庁長官のアミグダラ=ヘルパンギーナに対して証人喚問を行いたい!」
そう言って証人喚問を提案するのは、ロターと同じく公爵家の当主であるフィロース=ホーエルツェレールだ。彼も“革新派”議員の1人である。そして彼の姓から分かる通り、皇太子妃レヴィッカ=ホーエルツェレール・アングレムの血縁者であり、実父である。
フィロースの提案を受けた進行役のロターは、議員席を見渡し、目当ての人物を見つけると、その男に向かって声を張る。
「外務庁長官アミグダラ=ヘルパンギーナ、証人台へ」
「・・・はっ!」
名前を呼ばれ、身体をびくつかせた閣僚は、気を取り直しながら議員席を立ち、証人台へと足を進める。冷や汗を流しながら台への段差を一段二段と登るアミグダラ。自身の一挙動一挙動に議会全ての注目が集まっていることを意識する余り、心臓の鼓動が大きくなり、そして早まるのを感じていたその時、彼は自身に向けられている一際鋭い視線に気付いた。
その視線を感じる方向を見ると、議事堂内に設置してある玉座に座す27代皇帝の両目がこちらを向いている。
「う・・・」
「・・・」
何と言うべきか分かっているだろうな、そう訴えかける皇帝の視線が、アミグダラに無言の圧力を掛けていた。彼もまた、新宰相のコラントールと同じ様にアルフォン1世によって保守派議員の中から選ばれた新たな閣僚の1人である。
数多の目と耳が、彼の口元と言葉に集中している。自分でも訳の分からない内に、今後のこの国の運命を決定づける様な立場に立たされてしまっている今の状況に、アミグダラは辟易としていた。
(最早・・・守る様なものは無し!)
証人台に上がったアミグダラは心を決める。直後、彼は極度の緊張を感じながら大きく息を吸い、口を開く。
「げ、現地・・・ヨーク=アーデンに駐在している大使、ジャイレース=ニューキノンからの報告では、彼は彼の国の皇城にて、ジェティス殿下とレヴィッカ殿下とされる2名の男女を直接目の当たりにしておりまして・・・」
緊張のあまり舌が回らなくなったのか、アミグダラは証言をここで一度切ってしまう。重要なところで途切れた証言の先に、議員たちの注目が一斉に集まる。
その後、彼は再び大使からの報告内容について語り始めた。
「・・・ジャイレース曰く、そのお二人・・・亡命政権を樹立したそのお二人は間違い無く・・・“御本人”であったと、そう述べております!」
ザワッ!!
外務庁長官の口から告げられた真実・・・議事堂はこの日最大のざわめきに包まれた。それは玉座に座っている“皇帝”を“簒奪者”だと断定するのと同義であったからだ。
「どういうことだ!?」
「では、あの事件から今までの全てが、アルフォン1世陛下による狂言だったと言うのか!」
議員たちは“保守派”や“革新派”、“正統派”と派閥に関わらず、皆が騒然としている。同時に数多の猜疑の視線が一気に、玉座に座る男へと向けられていた。
「・・・」
最早言い逃れは出来ないことを悟ったアルフォンは、証人台の上に立つ男の顔を、沈黙のままに眺めている。冷徹な視線を向けられているアミグダラは、小刻みに震えていた。自らの子飼いとする為に閣僚に取り立てた男の裏切り、飼い犬に手を噛まれるとは正にこの事だろう。
(どうせ・・・現皇帝に乗っかった所でこの戦には負ける! それに皇太子殿下が帝都に入れば、誰だって御本人であると気付くだろう。一時の恩義に拘って最後まで“賊軍”を貫く義理は無い!)
皇帝に対する裏切り者となったアミグダラは、アルフォンに負けじと鋭い視線を送り返す。彼にとって、アルフォンに与するメリットは無くなっていた。
程なくして、証言を終えた彼は自らの席へと帰って行く。その様子を目で追っていたロターは、アミグダラが席に着いたことを確認すると、再度皇帝アルフォンの方を向く。
「・・・殿下はニホンと結託して今の皇帝、すなわち陛下を引き摺り降ろすと宣言していますが、どうされるおつもりですか?」
「・・・」
進行役のロターが、アルフォンを問い詰める。しかし、彼は何も答えない。
「何と言うことだ・・・」
「簒奪者を皇帝として扇いでしまったのか、我々は!」
「・・・ニホンとの戦はどうするのだ!?」
アルフォン自身は初めから疑惑があった人物であり、保守派に属する多くの議員たちはそれを覚悟していたはずだ。しかしながら、敬虔な彼の即位を歓迎しつつも、皇帝の座に即く人物が簒奪者かも知れないという現実から目を反らしたいという願望が、彼らの間にあったのは事実だ。故に即位式の日、彼がファスタ3世暗殺の犯人が日本人だと告げた時、議員たちはそれを信じ込むことで、疑惑を忘れようとしていた。
しかし今回の一件で、目の前に居る人物が前皇帝とその皇子たちを暗殺し、ニホンに罪を擦り付けたとんでもない狂言師だという事実が確定してしまった。その現実を前にして、議員たちの心は大きく乱れる。その時・・・
「皆様、どうか落ち着いて下さい!」
議事堂内に若い声が響き渡る。取り乱していた議員たちは、一様にその声がした方へ振り向いた。見れば1人の青年議員が議員席から立ち上がっている。
「いかがなされた? アルレヒド殿」
進行役のロターは突如叫んだ青年の名を呼んだ。彼の名はアルレヒド=ヴェルヒレン、皇帝より教皇に忠義を尽くすことを重視する“保守派”の1人である。
静まり帰る議事堂。発言を許されたアルレヒドはゆっくり持論を語り出した。
「前皇帝とその皇子たちを手に掛け、帝位に即いた・・・確かに言い方に依っては簒奪者となりましょう。しかし、忘れてはならないのではないでしょうか? 前皇帝が、神聖ロバンス教皇国へ働いた数多くの狼藉を!」
「!」
アルレヒドの声に力が入って行く。彼が述べているのは、ファスタ3世が即位時に行っていた外交政策についてだ。教皇国との関係を拗らせる様な言動を繰り返していた前皇帝は、保守派が約6割を占める中央議会と対立関係にあった。
特に、教皇国から派遣される医術士を登用することになっている宮中医の地位に、異教徒且つ経典に反する医術を行う日本人医師を招こうとしたこと、日本政府に対して医院の設立を注文したことには、保守派の議員たちから多くの反発を買い、彼らとファスタ3世の間では激しい舌戦が繰り広げられていた。
「アルフォン陛下が、先帝とその皇子たちを殺害したことが事実だとしても・・・、だとしても! 教皇様に背き、経典を冒涜する皇帝を抱き続けること、対して教皇国との関係を正常に戻す為に行動したこと・・・果たしてどちらが正しいのでしょうか?」
アルレヒドが投げかけた疑問、それは議員たちの間に戸惑いを生んでいた。同時に、それまで大いに混乱していた保守派の議員たちの心に平静が戻る。
「確かに・・・」
「元々先帝陛下の失策が元で、教皇様はニホンに頭を下げることになったのではないか」
保守派議員たちが彼の問題提起に次々と納得していく中、議会の4割を占める正統派と革新派の議員たちは、アルレヒドの言葉に対して怪訝な表情を浮かべていた。
“イルラ信徒”である以前に自分たちは“皇帝の家臣”である。そう考える正統派にとっては、例え皇帝が教皇と反目することになっても、それが簒奪を正当化する理由に成り得るとは考えないし、革新派にとっては、そもそも教皇国との関係自体が疎ましいものであり、それを堅持する簒奪者など邪魔でしかない。
「・・・私からは以上です。ロター殿、続けて下さい」
そう言うと、アルレヒドは自らの席に座る。2〜3秒の沈黙が流れた後、再び進行役のロターが口を開いた。
「・・・ジェティス殿下の言に依れば、暗殺の真犯人はニホン人では無い様で・・・。確かニホン国大使館の職員を拘束し、長期に渡り“尋問”を行っていた筈ですが、彼らについてはどの様に処されるおつもりでしょう?」
アルレヒドの演説によって河岸が変わってしまった雰囲気を感じながら、ロターは更にアルフォンを問い詰める質問をする。彼が述べたのは、対日宣戦が成されたあの日、病院スタッフと皇女テオファを帝都から逃がすため、囮となった5名の日本国大使館職員のことだ。
彼らは皇帝領軍に捕らえられた後に収監され、日本人医師たちに暗殺を命じたという証言を取る為に、拷問に近い尋問を受けていた。
「・・・私の兄を暗殺する様、彼らがニホン人医術師に命じたとばかり思っていたが、そうか・・・彼らは関与していないのか。ならば直ちに解放してやらねばな。その代わり・・・」
「・・・?」
まるで他人事の様な奇妙な物言いを見せるアルフォンに、ロターは不審感を抱く。直後、アルフォンはゆっくりと玉座から立ち上がり、左手をかざしながら、議事堂全体に届く声でとある宣告を告げた。
「・・・ここに居る革新派議員、及び正統派議員全てを“反逆の罪”で捕らえる!」
「な・・・!?」
皇帝・・・否、簒奪者の言葉に、ロターを初めとする541名の議員たちは再び騒然とした。
「そんな馬鹿な!」
「立法府を侵害する気か!?」
「簒奪者は直ちに帝位から降りるべきだ!」
名指しされた2派の議員たちが一斉に立ち上がり、非難と怒りの言葉を簒奪者に浴びせる。保守派の議員たちの方も、皇帝の口から下された極端過ぎる決定に、動揺を隠せないでいた。
「中央議会を弾圧するおつもりか! そんな無法が赦される筈が無い!」
2派の議員たちによる野次と罵詈雑言の援護射撃を受けながら、進行役であるロターはアルフォンを弾劾する様な発言を浴びせる。議事堂はこれ以上無い程の興奮を見せていた。 その時・・・!
スガンッ!
突如銃声が鳴り響いたかと思うと、マスケット様の歩兵銃で武装した近衛兵の一団が議事堂内に現れる。中央議会はいつの間にか、近衛兵団によって包囲、制圧されていたのだ。
「全員、その場を動くな!」
警告の言葉、議員席へ向けられる銃口、何時引き金が引かれるか分からない恐怖に、議員たちは萎縮していた。緊張の色を見せる541名の議員たちに向かって、威嚇射撃を行った近衛隊長のチーリ=システーナが口を開く。
「“反逆罪”の罪状が疑われている議員197名に告ぐ。取り調べの為、これより身柄を拘束させて貰う! 抵抗はしないで頂こう・・・!」
チーリの宣告に、2派の議員たちは一様に渋い表情を浮かべる。名指しされてはいない保守派の議員たちも当惑していた。反対派を抑える為に議員を派閥ごと収監するなど、議会への冒涜に他ならないからだ。
(こんなこと・・・歴史への侮辱だ。“中央議会”の歴史が始まって以来の屈辱だ!)
革新派の重鎮であるフィロース=ホーエルツェレールは、立法府である「中央議会」の権威を完全に無視したアルフォンと近衛兵団の行動を嘆いていた。周りを見れば、革新派と正統派の議員たちが一様に頭を抱えている。
程なくして、これら2派に属する197名の議員たちが近衛兵たちによって連行されて行く。後に残ったのは、4割近い議員を失って閑散とした議事堂の姿だった。
「暴君の誕生だな・・・我らの主に伝えよう」
議事堂内に設置されていた特別傍聴席に座る18人の内の1人が、つぶやきながら立ち上がる。オブザーバーである彼らは、各地方を治める18人の長の代理人たちである。最初に立ち上がったジットルト辺境伯代理人のラント=ポイジェガースに続いて、1人また1人と退席していった。
この議会で起こった事態は、彼ら“18人の長の代理人”たちによって各地方に拡散されることとなる。
〜〜〜〜〜
ジャヌーヤイ伯国 首都クリード 伯城
リザーニア王国やリーファント公国、ヒルセア伯国と並ぶ「教化軍国家」の主要国であるこの国は、リザーニア王国とヒルセア伯国に隣接し、海に面した場所に存在する。
この国の国主であるレモンド=タラブルス伯は、文官が持って来た“逓信社”の紙面を見て驚きを隠せないでいた。
(前皇帝の思想を受け継いだ元皇子などに、今更帝位に即かれてたまるか!)
彼ら「教化軍国家」が教皇国の後ろ盾の元、アラバンヌ帝国文化圏で好き勝手出来るのは、教皇国の更に後ろにクロスネルヤード皇帝が居るからだ。
その関係を壊そうとした“異例の皇帝”が現れた時にはどうなることかと思っていたが、問題の皇帝はその皇子たちと共に没し、敬虔な新皇帝が現れた。せっかく訪れたこの好機を失ってなるものか。
「ミケート・ティリスに居る我が艦隊220隻に告げよ。何としてもニホン軍と“亡命政権”の上陸を阻止せよ・・・と!」
「はっ!」
レモンド伯は紙面を持って来た文官に、ミケート・ティリスに滞在中の自軍に対して、徹底抗戦を行う様に伝えた。
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ドラス辺境伯領 主都ドラス・ティリス 辺境伯の屋敷
11ある辺境伯家の1つであるヴェントリクル家によって治められているこの地方は、海に面している地方の1つである。
現領主であるケディス=ヴェントリクルは、聖戦の初戦である「第一次グレンキア半島沖海戦」に派遣されたクロスネルヤード連合艦隊の主力として、ドラス海軍を参加させていた。しかし彼は今、そのことを猛烈に後悔していたのだ。
「・・・全てが狂言だったとはな!」
帝都に駐在している代理人から伝えられた知らせ、それを聞いた彼は、虚偽と欺瞞に満ちた“聖戦”の為に、自らの兵士たちの命を散らしてしまったことに胸を痛めていた。
(あの時・・・ロクフェル殿の話にちゃんと耳を傾けていれば・・・!)
彼は2ヶ月半前、即位式の直後に行われた“緊急一九長会議”での出来事を思い返していた。
ロクフェルを初めとする5人の長は、日本人医師が皇帝暗殺の犯人だとする発表自体を疑問視し、対日戦争への参加を拒否、または保留していた。その時のケディスは、彼らが列強国との戦いに対して怖じ気づいたものとばかり思っていた。日本人がファスタ3世とその一家を暗殺したという皇帝領政府の発表と、それによる日本人への怒りの為に、頭の中から冷静な判断力と考察力が排除されてしまっていたからだ。異教徒である日本人に対する侮蔑の感情も少なからずあったかも知れない。
後悔に苦しむケディスは心を落ち着かせると、知らせを持って来た部下に命令を出す。
「ミケート・ティリスに滞在中の我が軍に伝えろ! 直ちに帰還せよと!」
「承知しました!」
命令を受けた部下の男は、部屋を後にする。
このドラス辺境伯領の様に、“正統派”、及び“無所属派”の長が治める各地方では、ジェティスによる真実の公開と亡命政権樹立宣言を受け、聖戦からの離脱が続々と決定されていた。
〜〜〜〜〜
同日 日本国 首都東京 首相官邸
内閣を構成する閣僚たちが一室に集まっている。その理由は、今回の戦争の行く末を討議する為だ。
“ジェティス皇子の存命 現皇帝の嫌疑深まる”
「・・・」
首相である泉川耕次郎は、この日の朝に世界魔法逓信社・東京支部によって刊行された朝刊紙(日本語版)を眺めていた。
「クロスネルヤード帝国の領土はあまりにも広大故、下手に揚陸は出来ずに様子見が続いていましたが、宣戦布告以降、我が国に派遣する大艦隊を組織する為に、現皇帝は諸外国も含めた彼の帝国の戦力を、一地点に集中させつつありました」
防衛大臣である安中は、プロジェクターに映し出された地図を元に説明を行っていた。彼が右手に持つレーザーポインターはとある都市を指し示している。
「それがここ、同国最大の港街ミケート・ティリス市です。宣戦布告より現在まで、約2ヶ月半の時間をかけて、同国の常備兵力の約50%がこの一地方に集結していました」
彼が述べているのは、現皇帝であるアルフォン1世が対日宣戦を行った直後、聖戦への参加を表明した“長”やイルラ教国家の軍を、一地方に集結させることで組織していた「対日派遣艦隊」のことである。完成さえすれば、軍艦は5000隻、竜騎は2500騎に達し、人員は150万を超えるだろうと予測されていた大艦隊だ。
と言っても、その予測は今や無意味なものと化している。安中は説明を続ける。
「しかし、それも今や過去の話です。現地の2地方からの報告に依れば、現皇帝が簒奪者であることを知った各地方の長の多くは反旗を翻し、ミケート・ティリスに駐留している自軍に帰還命令を出している様です。よって彼の地で組織されつつあった“対日派遣艦隊”は、主力を失い、戦闘どころか出航することも無く、解散することになるでしょう・・・」
彼は急激に変化した今の状況について語る。ジェティスによる亡命政権樹立宣言が、如何に絶大な効力を発揮したかが分かる。
「単純というか、何というか・・・」
敵の単純さにやや呆れながら、官房長官の春日善雄はため息をついた。安中は更に説明を続ける。
「残る敵対勢力としましては、各地方の長の中でも保守派を標榜する地域、今の体制を理想とするイルラ教国家群、そして基本的に皇帝領政府の言いなりになっているクロスネルヤード帝国属国群の軍勢となります」
当然のことではあるが、現皇帝であるアルフォンを支持し、従属する勢力は未だ存在している。ジェティスが現れたことによって、敵の戦力は大きく削がれたことに違いは無いが、帝都への進出を阻む障害は、まだまだ少なくは無いのだ。
「戦争の終結後・・・、賠償についてはどのようになっていますか?」
首相の泉川は次なる議題を提示する。彼の疑問に、外務大臣である峰岸が答える。
「それについては、亡命政権樹立宣言の3日前に行われたジェティス殿下との対談の場において、暫定的な決定という形である程度決まっております」
峰岸の説明に、閣僚たちは耳を傾ける。その後、彼が説明したのは以下の通りだ。
まず、ジェティス率いる亡命政権が首都入りし、彼が皇帝の座に即いた暁には、彼らは日本国に対して、此度の戦争に掛かった全費用を補償する義務を負うことになっており、またショーテーリア=サン帝国に対しても何らかの返礼をしなければならない。これにより日本政府は金銭的な損失を取り戻すことが出来る。
更に神聖ロバンス教皇国に対しても再び接触を図り、此度の聖戦に参加した全イルラ教国の代表として賠償金を請求する予定になっている。しかし、その為には此度の戦火を勃発させたアルフォンのマッチポンプに、彼らが関与しているという証拠を捉えなければならない。
峰岸が説明を終えた後、語り手が再び安中に移る。
「開戦直後にルシニア基地へ派遣した第1護衛隊群8隻、第1遊撃隊の『あまぎ』1隻、補給艦2隻、強襲揚陸艦2隻、輸送艦2隻の15隻、並びに“グレンキア半島沖海戦”後に派遣した第4護衛隊群8隻、補給艦1隻、強襲揚陸艦1隻の10隻、計25隻については、指示を与え次第、『ミケート・ティリス上陸作戦』を敢行出来る用意を、すでに終えてあるとのことです。また第42航空群のF−35C16機、及びアメリカ海兵隊の第12海兵航空群F/A−18D17機を載せ、先日屋和半島から出航した『あかぎ』も、6日後にはルシニアに到着致します。さらには上陸作戦後、追加の弾薬と車輌を載せた『グリーン・ベイ』が直接、ミケート・ティリスへ派遣される予定となっております。
現在、第一に成すべきことは現皇帝であるアルフォン1世の確保! 当事者から証言を引き出せば、かの教団の悪事を暴くことが出来るでしょう!」
言葉に力が入る安中。会議に参加している閣僚たちは皆、一様に納得した表情を浮かべている。
「・・・準備は上々ですね、そのまま計画通り進めましょう。ルシニアからの出航日は『あかぎ』が到着した後、・・・1週間後とします。その頃には現皇帝・・・否、簒奪者に反旗を翻した地方の軍勢は目的地から大分捌けているでしょうから」
「分かりました。ではその様に・・・」
安中は首相である泉川の指示を拝聴する。その後、会議は解散し、閣僚たちは各々の通常業務へと戻っていった。
〜〜〜〜〜
同日 神聖ロバンス教皇国 総本山ロバンス=デライト 教皇庁 会議室
この日も、神に仕える聖職者たちが円卓を取り囲んでいた。議題は勿論、ショーテーリア=サン帝国で起こったあの一件についてだ。
「いやはや・・・ニホン人では無く、現皇帝が前皇帝とその一家を暗殺したのではという疑惑は耳にしていましたが、まさか・・・本当だったとは」
そう述べるのは国防部長のボニファスだ。彼は何とも言えない様な、微妙な表情を浮かべていた。
「いや・・・まだ本人と決まった訳では無い! ニホンの陽動かも知れませぬぞ!」
教皇庁長官のグレゴリオは、興奮した声でボニファスの発言に異を唱える。しかし、内務部長のヴェネディクはグレゴリオの持論を静かに否定する。
「しかし世界の各国、それどころか当のクロスネルヤード帝国内の3辺境伯領が、元皇太子による亡命政権を支持・認可してしまっているのです。状況証拠としてはかなり有力だ。現皇帝の虚言を知った各地方の長の多くは、アルフォン1世から離反してしまうでしょう」
「ぐっ・・・!」
ヴェネディクの冷静な推察に、グレゴリオは一瞬言葉を詰まらせるが、その直後、彼は声のトーンを落としながらヴェネディクの言葉に反論する。
「・・・では、ニホンとの戦はどうなる?」
彼が心配しているのは、日本との戦争の継続が不可能になってしまうことであった。
現皇帝アルフォンの簒奪から逃れた元皇太子のジェティスが、日本と手を組み、帝位を取り戻そうとしている。これが成就されれば当然の事ながら、クロスネルヤード帝国は日本と講和するだろう。それはイルラ教側にとって、日本に抗う術が無くなってしまうのも同義である。
「それに・・・元皇太子が本物で、彼の言葉が事実であれば、我々は世界を欺いた簒奪者へ“聖戦”を付与してしまったということになるのですよ。面子が丸つぶれだ!」
財務部長のクラメントは、諸外国が総本山に向けている“信用度”の問題を憂慮していた。
皇太弟の煽動はイノケンティオ個人が、密偵を使って独断で行っていたことであり、教皇庁の幹部の殆どは、彼がアルフォンを唆して前皇帝ファスタとその一家を暗殺させた事など知らなかった。知っているのは密偵を手配したヴェネディクくらいのものだ。
多くの国々を欺いた現皇帝アルフォンが始めた戦争に、“聖戦”を認めたままにして良いものだろうか。そんな不安が、会議に参加している幹部たちの心に立ち籠めていたその時、普段は冷静沈着なヴェネディクが声を荒げて訴えた。
「前皇帝ファスタ3世が、我らと神に刃向かっていたことには変わりは無い! どちらにせよ“報い”を受けたのです。それが“清浄な意思を持つ弟”か“自らが招き入れた罪人”のどちらに依るものだったかの違いなど、大した問題ではないでしょう!」
「た、確かに・・・」
ヴェネディクは弱気になっている幹部たちを鼓舞する。彼の主張に、クラメントは納得した様子であった。
会議は漠然とした動揺を呈していた。そんな幹部たちの討議を、教皇イノケンティオ3世はいつも通り、沈黙のままに眺めている。
(くそっ! ショーテーリアめ・・・此度の戦には何の関係も無いくせに余計な真似をしよって!)
心の中で独白するイノケンティオ。外面では平常を保つ彼の心は、大きく乱れていた。
彼自身は密偵から、皇太子夫妻を取り逃がしたことについてはすでに聞いていた。故に彼にとって予想外だったのは、2人が存命だったことではなく、彼らが第3国であるショーテーリア=サン帝国の政府に難無く接触出来たことである。
尚、イノケンティオは知る由もないが、両者の間にはミケート領を治める騎士団長であるハリマンス=インテグメントの仲介があった。彼の計らいと機転があったからこそ、皇太子夫妻は秘密裏に、外海の列強国であるショーテーリアに助力を求めることが出来たのだ。
(しかし、好機は今・・・アルフォンが帝位に即いている今しか無い! 帝位が皇太子の手に渡れば、クロスネルヤードは確実に総本山の手中から離れる・・・。この両手に溢れる富を、その源泉を、みすみす逃してなるものか!)
イノケンティオは腹を決める。その直後、彼は議長席から突如立ち上がった。
「・・・!」
討議を続けていた幹部たちの声が止み、その視線がこの国の長へと注がれる。
「“聖戦”は・・・撤回せずに様子を見る。どちらにせよ、この地の清浄の為に“血の穢れを好く罪人”はジュペリア大陸から完全に排除しなければならないのだ。今がその好機なら、これを逃す訳にはいかない!」
教皇から下された決断、それは罪人の排除を最優先にする為に“聖戦”の付与を継続することだった。
・・・
教皇庁 執務室
会議終了後、イノケンティオは自室に戻っていた。彼は左手で頭を抱えながら、聖戦の行く末について思考を巡らせている。
(海戦では勝ち目が無くとも、地の利と数の利がある陸戦なら・・・!)
少なくとも、日本軍がジュペリア大陸へ送り込んで来るであろう兵力が、アルフォン擁する兵力を上回るということは無いだろう。それならば兵力差で押し返せば、日本軍を再び海へ追い返せる。彼はそう考えていた。
今の彼が第一に回避しなければならないこと、それは「ジェティスの即位」である。それを避ける為には、何としても日本軍のリチアンドブルク占領を阻止しなければならない。ヴェネディクが提案していたゲリラ戦法もやむを得まい。
あらゆる状況を考慮し、落ち着かない様子の彼に、執務室内に居たもう1人の男が語りかける。
「ニホン軍に勝てる様に、“神”にでも祈ってはどうですか?」
「!」
アルフォンの元へ秘密裏に派遣していた密偵オリスの仲間である彼の言葉に、イノケンティオはたちまち落ち着きを取り戻す。彼は鼻先で笑う様にして答えた。
「フフ・・・“神”を信じていればの話だがな」
シニカルな表情を浮かべる教皇イノケンティオ3世、本名ロドリーゴォ=アヴェンチェリス。彼の真の心を知る者など、この世界には数える程しか居ないだろう。




