2人の邂逅
2029年12月28日
グレンキア半島沖海戦から、命からがら逃げ延びた35隻のリザーニア・リーファント連合艦隊残党が、この日ようやく本来の目的地であるクロスネルヤード帝国の港街、ミケート・ティリスに到着した。
同国最大の港街であるここには、聖戦への参加を表名した各国や、同帝国内の各地方の軍艦が集められており、沖まで軍艦で埋め尽くされたその光景は、まさに壮観とも言うべき様相を呈している。
大陸中から集められた兵士たちが、敵国・日本への出航を今か今かと待ちわびており、特にその多くを占めるクロスネル兵にとっては、此度の戦いは前皇帝の仇討ちということも相まって士気も高い。その分、無様な負けを呈した敗者たちに浴びせられる視線は刺々しく、リザーニア軍旗艦「シヴィーユ」に乗る総指揮官ゴドフロウ=コクリアーと生き残った兵士たち、2カ国合わせて約8,800名の敗者たちを歓迎する者は居なかった。
・・・
同日 クロスネルヤード帝国 首都リチアンドブルク 皇宮・御所
皇帝の住まいである御所の1階に位置する執務室に、2人の男が居た。机の椅子に座る現皇帝のアルフォン1世に対して、皇帝領軍総督のアルブレフ=フリーブランデンが、1つの報告を持って来ていた。
「ミケート・ティリスに常駐している皇帝領軍より、先程リザーニア王国とリーファント公国の残党35隻が到着したとの報告が入っております」
「そうか・・・」
アルブレフの報告に、アルフォンは素っ気ない様子で頷く。
「・・・どうされますか? 勝手に敵に対して侵攻した挙げ句、壊滅的な被害を被って敗走してきた彼らについては、最早今後の戦闘参加は不可能ではないかと思われますが・・・」
アルブレフは、すでにイルラ教国家主要2カ国の戦力が、当てに出来なくなってしまった現状について伝える。
「・・・」
アルブレフの報告に、アルフォンは何も答えない。それどころか、机の上の一点を見つめ、心ここに有らずと言った具合だ。
「あの、陛下?」
「!」
上の空な様子の皇帝に対して、アルブレフは声を掛ける。アルフォンは心を呼び戻されたかの様に、はっとした表情を浮かべると、取り繕う様にして答えた。
「あ、ああ・・・、好きにさせておけ。最早戦力にはならないだろうが、どうせ本国へ戻らせても碌な目には合わんだろう」
「はっ、ではその様に」
皇帝の命令を拝聴したアルブレフは、深く一礼すると執務室を退出していった。
(今日はあの“秘書”は居ないのか・・・。一体、何者なんだろう?)
アルブレフは部屋の扉を閉めながら、いつも現皇帝の横に居る男が今日は居ないことを疑問に思っていた。新しい秘書らしいが、その素性は良く分からず、どうも怪しい奴だと言うのが閣僚たちの間での共通認識だった。
教皇イノケンティオが派遣した密偵オリス、彼の正体を知る者は、政府内でも殆ど居ない。
〜〜〜〜〜
2029年の年末、東京港より出航した護衛艦「かが」に乗って、大規模な外交使節団がこの国へ派遣されていた。使節団の中には外務官僚だけでなく、医師や少女の姿もある。
稚内市の緯度を超えるウィレニア大陸の北部海上を進んでいる為、船外は震える程寒く、時折雪まで降って来る。甲板に出ている人影は皆コートを羽織っていた。
「かが」 医務区画
乗組員の安全と怪我の治療を管理する衛生科の城である医務区画には、普段であれば衛生科に属する衛生員や衛生士が居るだけだが、今回の航海では、使節団に属する医師2名の姿もある。
テオファ皇女の現主治医である郷堂恵一医師と、皇女自身の希望によって同伴することとなった柴田友和医師、日赤に所属する2人の余所者の姿がそこにはあった。
「へぇ〜・・・流石海上自衛隊、本当に艦の中で手術出来る体勢が整っているのか・・・」
医務区画の手術室内に鎮座されている手術台を、郷堂は興味深く眺めていた。右へ左へと視線を移す彼の視界にさまざまな機材が飛び込んで来る。
「お〜、人工心肺まであるのか!」
郷堂は、心臓手術に必須な機器である人工心肺装置が艦の中に存在していることに、内科医でありながらも驚いていた。
「これは東亜戦争時に導入されたものですね。あの時は様々な外傷に適応することが強く求められましたから」
かつて、「かが」の同型艦である「いずも」に医官として乗艦した経験を持つ柴田は、興味津々な様子で医務区画を歩いて廻る郷堂に付いて行きながら、その装備品や機材について説明していた。
「・・・」
そんな2人の男に、隠れながら後を付けている人影がある。その人影は彼らが集中治療室に入った所を見計らって、2人の前に姿を現した。
「久しぶりだね、柴田君!」
「・・・!?」
壁の向こう側からひょっこり出て来て、柴田を笑顔で罵るその男に、郷堂は不快感を抱く。柴田は少々驚いた様子で、その顔見知りの名を呼んだ。
「金崎・・・三佐」
金崎努三等海佐、かつて柴田が横須賀自衛隊病院に勤務していた時の同僚である。普段であれば陸での勤務である彼は、此度の使節団派遣に際して、外科衛生士として「かが」に乗船することになっていた。
にやにやとした笑みを浮かべながら柴田に近づく彼の姿は、180cm超えの長身を誇る柴田の体躯と比較すれば、随分小柄に見える。その様子が、金崎の小悪党な雰囲気をより一層醸し出していた。
「“ヒポクラテスの誓い”を破ったならば、普通なら免許剥奪だよう? しかし君は、南京で犯した医療過誤を有耶無耶にされてしまった。戦場から帰って来た兵士は皆、英雄ってねえ。落とし前として降格は食らったけれど・・・本当、“戦勝国”って良いものだと思わないかい?」
「・・・!」
嫌みたらしい物言いを続ける金崎に対して、郷堂は益々不快感を強める。
「そう言えば随分日本から離れていたらしいけど・・・、日本じゃあ、どんな藪医者でも出来る様な治療で現地民から有り難がられるのは、さぞや心地良かっただろうねえ・・・。それとも罪滅ぼしのつもりだったのかなあ」
変わらず歯に衣着せぬ発言を続ける金崎に対して、とうとう我慢ならなくなった郷堂は、ついに沈黙を破る。
「なあ、あんたそういう言い方は・・・!?」
金崎の発言を諫めようとする郷堂を、柴田は左手を伸ばして制止する。柴田の行動に驚く郷堂は思わず口を紡いだ。
「へぇ〜・・・、分かっているじゃないか」
「・・・」
金崎の発言に対して、柴田は眉1つ動かすこと無く動じない。更には何かを言い返す様子も無かった。
程なくして、満足したかの様な表情を浮かべた金崎は、その場を去って行く。その場に残された2人の男は、その後ろ姿を見つめていた。
「何だ、あいつは。一々感に障る奴だな・・・」
郷堂は、金崎の態度と言動にこの上ない苛つきを覚えていた。そんな彼の感情を宥める様に、柴田は口を開く。
「・・・彼の心臓外科医としての腕は確かです。医師としては信頼できる男ですよ。それに・・・」
「・・・?」
「彼の言葉は事実ですから・・・」
「・・・」
柴田の言葉に、郷堂は眉をひそめた。
かつて日本を77年振りの戦火に巻き込んだ東亜戦争時、戦場病院に収容された捕虜に虐待を加えた医官が居た。そんなスキャンダルが週刊誌を騒がせたことがある。その医官の名前は知れず、当時の防衛大臣も国会答弁において事実と認めなかった為、その真偽も一般人にとっては定かではなかったが、戦後間も無く、理由不明の降格処分を受けた医官が居たことが明らかになった。
疑惑の人物となったその医官は、マスコミによる激しいバッシングを受け、与党への攻撃材料にもされたが、その後は降格以外の裁きを受けることは無く、降格の理由についても「治療中の反乱軍捕虜に、作戦情報をうっかり漏らしてしまった」という何とも間抜けな理由が、後のマスコミの取材に対して発表された為、程なくしてこの一件は人々の記憶から消えて行った。
その真実を知る者は、神崎志郎医師を初めとする、南京の地で彼と職務を同じくした者たちだけだろう。
「・・・そう言えば、君は何故今回の使節に同行することに決めたんだ? 今回の任務を見れば、恐らくは殿下が祖国に帰られるまで同行することになるぞ」
郷堂の問いかけに、柴田は視線を反らして答える。
「リチアンドブルクに、どうしても取り戻さないといけない忘れ物をしたんです。ケジメを付ける為に必要な物なんですよ」
「・・・?」
柴田の答えに郷堂は首を傾げる。その後、医務区画の見学と物色を終えた2人は、自らが振り当てられた居住区へと戻った。
「かが」は次第に南下し、乗員たちの目には巨大な湾への入口が見えてくる。アルティーア帝国のヘムレイ湾と、国境を挟んでほぼ反対側に位置しているその湾は“ジェルナ湾”と呼ばれ、外海の国家がこの国の首都へ向かう場合には、この湾の沿岸にある港街・ヨーク=ジェイスに一度上陸し、その後陸路で首都ヨーク=アーデンに向かうのが最短であり、一般的だ。
日本使節団もその慣例に倣い、同ルートを通って1月5日に首都入りを果たした。
〜〜〜〜〜
ショーテーリア=サン帝国 首都ヨーク=アーデン
人口60万の白色都市が、彼らの目の前に現れる。その荘厳さに、使節団員たちは思わず息を飲んだ。
列強・七龍の一角を担うこの国は、ウィレニア大陸の西半分を統治している。属領・属国に対して所謂“分割統治”を行うことで反乱を回避する、規模の大きな諜報機関が存在する等、こと対外関係においては良く言えば巧みな、悪く言えば狡猾な手腕を有すことで知られている。
帝国臣民、特に都市の市民たちは、分割統治における最下層の扱いを受けている属領や属国から搾取する富によって成り立つ、厚い社会保障制度の下に守られており、飢えとは無縁だと言って良い。市民に限れば、日本を凌ぐ社会保障を受けられる国と言えるだろう。
そんな五賢帝時代の古代ローマを彷彿とさせるこの国の首都は、大理石と思しき白色の石材を用いた建築物やモニュメント、銅像、噴水など整然且つ美的な形態を誇っており、世界最高の芸術の都と評されるロバンス=デライトにも引けを取らない程であった。
同都市 外務庁舎
首都の中心街にある立派な建築物に、その正面に停車した数台の車から、艦の中で年を越した使節団計10名が降りて来る。その内訳は外務事務次官の東鈴以下3名の外務官僚と、護衛として同伴している制服姿の自衛官4名、そして医師1名と侍女に手を引かれた少女1名だ。
この国の外交を司る“外務卿”と対面するため、外務官僚3名と自衛官2名が応接間へと案内される。その他、今回の使節団の主役である第四皇女テオファ=レー=アングレムとその侍女であるラヴェンナ、そしてAIDSを患う皇女の主治医である郷堂は、2名の自衛官と共に別室で待機することになった。
応接間
応接間に通された5名は、今回の対談相手である“外務卿”の入室を待つ。3名の外務官僚たちは装飾が施された長椅子に座り、2名の自衛官は彼らの後ろに立っていた。
程なくして扉を開ける音がする。使節団員たちは立ち上がって、入室して来る人影を迎え入れる。そこには1人の中年男性の姿があった。
「ヨーク=アーデンへようこそ。外務卿のハドリス=ムーコウスと申します」
日本における外務大臣を名乗る男が、使節団5名に歓迎の意を示す。その後、軽く挨拶を終えた東鈴は、今回、日本国政府が使節団を組んでまでこの国との直接接触を行った理由へと踏み込む。
「ハドリス殿、早速で申し訳ありませんが・・・」
「分かっています、すでに扉の向こうにいらっしゃいます・・・」
「!」
余計な言葉の交わし合いを抜きにして、談合は本題へと入る。直後、ハドリスが応接間の扉を全開にするとそこには、派手ではないが高貴な印象を抱く衣装に身を包んだ、端正な顔立ちの2人の男女の姿があった。
「ヒガシスズ殿、もうご存じかと思われますが、こちらはクロスネルヤード帝国皇太子のジェティス=メイ=アングレム殿下と、皇太子妃のレヴィッカ殿下でございます」
ハドリスの紹介に与る2人の男女、その正体は、公式には死亡したと発表されたクロスネルヤード前皇帝の長男である皇太子とその妃であった。
「お初にお目にかかります・・・。私は日本国使節団代表の東鈴稲次と申します」
皇太子夫妻に対して、東鈴はお辞儀をしながら自らの身の上を述べる。2人は微笑みを浮かべながら、彼の自己紹介を受け入れた。
「お待ちしていました。貴国には、妹がお世話になったと聞いています・・・、早速ですが・・・」
皇太子ジェティスが口を開く。腹違いの妹を気に掛ける彼の気持ちを察した東鈴は、壁の向こうを指し示しながら説明する。
「皇女殿下は、今我々の護衛と共に隣の部屋に居らっしゃいます」
「!」
東鈴の言葉を聞いたジェティスは、その刹那、早足で隣の部屋へと向かう。取っ手を握って扉を開けると、そこには、もう2度と会えることは無いと思っていた兄妹の姿があった。テオファの方も、衝撃の余り両手で口を覆う。
「・・・殿下!」
皇女の侍女であるラヴェンナの声も、今の2人の耳には届かない。目頭が熱くなり、言葉が中々出ない両者。その刹那の沈黙を破り、先に口を開いたのはテオファであった。
「逝ってしまわれたかと思っていました・・・!」
「!」
家族が皆一夜の内に殺されてしまった、そんな悲しみを背負って今までを生きてきた彼女の言葉が、ジェティスの胸に突き刺さる。病と悲しみを抱えながら、遠き異国の地で暮らしていた妹の気持ちを思うと、彼の目から自然と涙が溢れ出した。
「そんな訳無いだろう、ずっと待ってたんだ。お前をね」
「!」
兄の言葉を聞いたテオファも、その両目から涙をこぼした。慕う家族に再び出会えたこの上ない幸福感が、彼女の心を包み込み、1人の少女の静かな泣き声が部屋に響き渡る。そんな彼女の存在を確かめる様にして、ジェティスはテオファの身を抱きしめた。
ここ、ヨーク=アーデンの地で果たされることとなった、陰謀に引き裂かれた兄妹の再会、その瞬間を間近に見ていた東鈴や郷堂も、心の中に喜びを抱いていた。
正統なクロスネルヤード皇太子と日本国の接触、この一件は終わりが見えないと思われた戦争に、大きな一石を投じることとなる。




