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12月20日 日本国 東京
時は年末。連日の降雪の中、人々は忙しそうに街を行き交っている。クリスマスまであと5日となった東京の街は、樅の木やリース、鈴やリボンなどの装飾があちこちに施されていた。
そして2度に渡って行われた「グレンキア半島沖海戦」が、どちらも日本の勝利で終わってから3日経ち、日本では2回の勝利を知らせる報道が世論を沸かせている。何時の時代も、自国の勝利に国民は興奮するものなのだろう。
しかし、そんな東京の街頭ではひっそりと、だが声高々に戦争反対を唱える市民団体の姿がある。
「この世界に覇権を拡げようとする泉川内閣を許すな!」
「軍国主義への逆行に未来は無い!」
10人程だろうか、鉢巻きを着け、幟を持った集団が拡声器を使って演説をしている。本人たちは至って真面目な表情であるが、街行く人々は気にも留めずに通り過ぎるか、写真を撮りながら面白半分に眺めているだけだった。
・・・
同都市 東京赤十字社医療センター
日本国内における赤十字本社の直轄病院であるここには、数多くの患者たちが訪れ、または入院している。勤務するスタッフたちはいつもと変わらない業務をこなしていた。
そんなスタッフたちの中に“彼ら”の姿がある。クロスネルヤード帝国で医療活動を行っていた医師たちのことだ。遠き異国の地で集結し、開戦の日にリチアンドブルクを間一髪で脱出した彼らは、帰国した後はそのまま散り散りとなり、彼の地に派遣される前に勤めていた医院に戻って日本での仕事を再開していた。
この赤十字社医療センターには、帰国した35人中18人のスタッフが働いている。それぞれの部署に就き、診察し、治療し、薬を出す彼らの姿は、かつて命を賭けた脱出劇を共にしたことなど、まるで忘れているかの様だった。
しかし、この病院には1つだけいつもと違う点がある。医療団がジュペリア大陸から連れ帰ったとある“特別患者”が入院しているのだ。
感染症内科 病室
広い個室に1人の儚げな少女が入院している。その名はクロスネルヤード帝国第26代皇帝の第四皇女テオファ=レー=アングレム。クロスネルヤード皇帝領政府の発表によれば、日本人医師の謀略により、前皇帝の一家と共に変死を遂げたことになっている。
新皇帝であるアルフォン1世は、この世界を騒がせた「皇族一斉変死事件」に対して“仇討ち”を宣言、即ち日本国への宣戦布告を敢行した。更に彼は、その直前に行われた「日神会談」について、日本国特使によって教皇への侮辱行為が行われたとも発表し、加えて「神聖ロバンス教皇国」がこの対日宣戦を“聖戦”と認可した為、他の有力なイルラ教国が次々と参戦し、戦争は拡大の一途を辿ることとなった。
勿論、日本政府はこれらの発表を全否定している。が、クロスネルヤードの上流階級や国民の多くは、自分たちの政府の発表を真に受け、日本に対して敵視を向けていた。
しかしながら「皇族一斉変死事件」の当夜、第四皇女テオファは、その夜偶然皇宮を訪れていた日本人医師たちによって、皇宮からの脱出に成功しており、皇太弟の簒奪から逃れていた。
故に彼女は、日本側が唯一身柄を掴んでいるクロスネルヤード皇族であり、現皇帝の欺瞞を覆す為の切り札でもあった。
「・・・では、チクッとしますよ」
この病院における彼女の主治医である感染症内科医の郷堂恵一は、HIV検査の為の採血を行っていた。皇女の白い腕に刺さった針から流れ出る静脈血が、か細い管を通って容器へと注がれる。
初めの内は採血の度に緊張していたテオファだが、今は顔色1つ変えずに応じる様になっている。しかしながら、彼女の侍女として入国を許可されたラヴェンナ=リサッカライドは、変わらず心配そうに採血の様子を眺めていた。
「・・・本日はこれで終わりです」
採血の終了を告げる郷堂の台詞と共に、テオファの左腕から針が抜き取られる。同時にラヴェンナはほっとした表情を浮かべた。
「・・・ありがとう・・ございます」
自らの主治医に対して、皇女は会釈をしながら礼を述べた。患者の採血など、普段なら看護師や研修医にやらせる様な仕事であるが、相手の身分が身分であり、政府からの圧力もかかる事例である為、何か不慮の事態が起こった時にいち早く対応すべく、郷堂医師は事実上、半ば彼女専属といった様な状態になっていた。
「いえ、我々の成すべき仕事ですからお気になさらず。以前の検査結果は本日の午後にお伝え致しますね・・・では」
最強の列強の皇女と言う立場でありながら、特に高慢な様子も無く、感謝の言葉を欠かさないテオファの言動に、郷堂は意外な印象を抱いていた。
彼女の会釈に対して、郷堂は綺麗な会釈を返すと、部屋を後にしようと扉の取っ手に手を伸ばす。
「あ、あの!」
「・・・?」
部屋を去ろうとする医師を、呼び止める声がする。郷堂が振り返れば、病床の皇女が手を伸ばしていた。
「・・・ト・・・トモカズ先生は?」
「!」
皇女が呼んだのは、かつて故郷の地で自身の治療に当たっていた医師の名だ。ジュペリア大陸ではAIDSを専門的に扱える医師が居なかった為、柴田と神崎、そして長岡の3人が知恵を出し合い、資料を漁り、本国と連絡を取りながら彼女の治療に当たっていた。その中で主治医だったのが柴田であった。
その後、彼らは日本へと逃げ帰り、共に連れて来られたテオファは国によって保護されることとなった。そしてHIVを専門に扱える感染症内科の医師が彼女に付いた以上、本来の職域が脳神経外科である柴田の出る幕があるはずも無く、彼が皇女の前に顔を出すことはなくなっていた。
「彼なら別病棟で勤務しています。暇がある様ならここに呼びましょうか?」
「・・・!」
郷堂の申し出に、テオファは明るい顔を見せる。笑みを浮かべ、頬を淡く染めているその様子からは、いつもの超然とした雰囲気ではなく、1人の少女としての純情さが強く感じられた。
「・・・」
皇女の様子を端から見ていたラヴェンナは、自らが使える皇女の様子に不穏な感覚を抱いていた。その後、テオファの依頼を受けた郷堂は、彼女に再び一礼すると病室を退出し、柴田の勤務部署である脳神経外科へと向かう。
給湯室
休憩所も兼ねた給湯室に2人の男が居た。外来診察の時間が終わって休憩を取る1人の医師と、同じく一時的な休息を取る看護師の姿があった。
何か飲み物が無いかと冷蔵庫を漁っていた医師が、その中から奇妙な物品を見つける。
「なんだこりゃ? 小波・・・何で寒天培地がこの冷蔵庫に入ってるんだ?」
「・・・!?」
柴田から飛び出したとんでもない質問に、湯飲みを啜っていた小波と呼ばれた看護師は、堪らず茶を吹き出した。
「いや・・・知らないですよ・・・!」
小波は動揺しながら答える。小首を傾げる柴田の右手には未使用の寒天培地があった。
「何処のかなぁ・・・後で検査部にでも持って行くか・・・」
そう言うと柴田は、冷蔵庫から取り出した培地をテーブルの上に置く。柴田と小波、かつてリチアンドブルク赤十字病院に勤めていた彼らは、皇太弟アルフォンが敢行したクーデタの現場に居合わせた日本人である。皇宮からの逃走劇を共にした2人は、業務の合間や終了後にこうして会うことが多くなっていた。
その後、柴田はインスタントコーヒーを煎れようと、戸棚の中から1つのコップを取り出す。その時、ドアを叩く音がした。音のした方を見れば、1人の医師がドアに寄りかかっていた。
「何の用ですか? わざわざ脳神経外科まで・・・」
給湯室を尋ねて来たのは、所属部署を異とする感染症内科医の郷堂だった。柴田は彼に給湯室に現れた理由を問う。
「柴田先生・・・、特別患者がお呼びだよ」
「!」
郷堂医師の言葉に小波は驚く。今この病院内に居る“特別患者”と言えば1人だけだからだ。
「・・・何故、内科の患者に俺が会わなければならないんですか?」
「・・・ッ〜! そう言うと思った」
予想通りの言葉を返して来た後輩に、郷堂は苦笑いを浮かべる。その後、彼は事の詳細を柴田に伝えた。皇女に名指しで連れて来る様に頼まれたこと、そしてその時の彼女の頬が、心なしか紅く染まっていたこと・・・。
それらを聞いていた小波は、好奇心に満ちた顔でにやつき、一方の柴田は、怪訝な表情を浮かべていた。
「そもそも・・・AIDSの様な感染症は、俺の専門分野ではない。脳リンパ腫でも併発すれば話は別ですが・・・、ただ俺はあの国で非常勤の宮中医で、皇帝陛下に直接対話出来るのは俺だけだったから、形だけ主治医をしていたに過ぎません。実際の治療も、神崎先生や長岡先生が主だって行っていましたからね。
だから貴方方に殿下の治療を委託することが出来て、心底ほっとしているんです。やはり今更お会いしたところで、俺に出来ることは何も有りませんよ・・・」
柴田は遠き国で行っていたAIDS治療の詳細について語る。HIVを専門に扱える医師が居なかったリチアンドブルクでは、抗HIV薬の選定や日和見感染症のチェックなど、AIDS治療の為に重要なプロセスを、資料の検索や本国の医療機関との連絡を通じて行っていた。
柴田の話を聞いていた郷堂は、少し間を開けると再び口を開く。
「君は患者を良く見ていたよ。君が帰国した時に渡された診療記録を見れば分かる、専門でもないのにねえ・・・良く書けていた。それに主治医という存在は、患者にとってはやっぱり大きいんだ。支えなんだよ・・・例え形だけでもね。
聞けば、呼び出しが掛かる度に、それが何時であれ皇宮に足を運んだそうじゃないか。そう言う所も患者からの信頼を得る為の重要なファクターなんだよ」
「っ・・・」
先輩医師の含蓄のある言葉に、柴田は思わず口を紡ぐ。彼の心の動きを察した郷堂は、クリアファイルに包まれた一枚の紙を手渡す。
「顔をお見せしてやれ、喜ばれるよ・・・。これが検査結果だ、君の口からお伝えしてやれば良いよ・・・」
「・・・」
柴田は渡された書類を無言で受け取る。中身を見れば、血液検査の結果が記されていた。
同日 夕方6時
通常業務が終了した医療センターの周りには、人知れず普段の2〜3倍の人数の警備員が展開していた。といっても警備員の数など気にするはずもない付近の住民たちは、変化に気付くことは無い。
現在ここに入院している“特別患者”の身分が身分なだけに、万が一の事態を避ける為の国による措置だった。
感染症内科 病室
既に日が落ち、電気の光に照らされた病室に3人の人影がある。テラルスの民である病床の皇女に、柴田医師が検査結果を示しながら、病状の説明を行っていた。
「CD4値は511、HIV-RNAは8,021コピー/ml・・・治療開始時期と比較すると、かなりの改善が見られます。極めて良い傾向ですね。このまま服薬を継続すれば・・・」
テオファは真剣な眼差しで柴田の話を聞いていた。その視線から目を背けるかのように、柴田は両目を検査結果の数字から動かすことはない。
(何故、この人を見ていると、ここまで心がざわつくのだろう・・・)
いまいち説明に集中出来ていない。柴田はそんな感覚を覚えていた。
「吐き気などの症状はありますか?」
柴田は副作用の有無を問う。テオファは首を横に振って答えた。その後、いくつかの質問を経て問診を行ったが、特に問題がある様子は無いようだった。
「お変わり無い様で何よりです。では、失礼しますね・・・」
郷堂から頼まれた仕事を全て済ませた彼は、皇女とその侍女に一礼する。振り返り、その場を立ち去ろうとしたその時、背を向ける彼を引き留めようと、テオファは柴田の白衣を掴んだ。
「あの・・・!」
「!?」
皇女の行動に柴田は驚く。直後、テオファは我を取り戻したかのごとく、はっとした表情を浮かべて、白衣を掴んでいた右手を離した。
「・・・」
一時の沈黙が続く。窓の外で道路を行き交う車の音が空しく響き、空気の音さえうるさく感じる。そんな不思議な沈黙を破ったのは皇女の消え入りそうな声だった。
「トモカズ先生・・・この戦いが終わったら・・・、また帝都へ戻って来て頂けませんか?」
「!」
皇女が示した申し出に、柴田は驚く。大きく心が揺れるのを感じながら、彼はビジネスライクの表情を崩すことなく、冷静に返した。
「・・・私より若くて優秀な医師は大勢居ますよ。それに、私は殿下の病を専門に扱える医師ではありません。殿下の病は我が国でも難病とされる物、お側に置くなら、より高度な知識を持つ医師の方が相応しいと思われますが」
柴田が述べたのはこの上無い模範解答である。彼の様な脳外科医であれば、外科治療の分野はある程度カバー出来ても、長期的な服薬を主な治療法とする感染症の内科的治療は専門外だ。特にHIVや抗HIV薬の知識を必要とするAIDSの治療には役には立たないだろう。
「あんな事があった後で、私の国に戻りたくはないと思います・・・。けど、私は貴方に宮中医を続けて欲しい・・・!」
皇女の懇願に柴田は益々困惑する。テオファはどうやら、戻りたく無いが為に、柴田が理由を付けて断ろうとしていると勘違いしている様であった。
「何故、私なのですか?」
自分に明らかな拘りを見せる皇女の言動に対して、柴田はその理由を問いかける。彼の質問にテオファは顔を俯け、ゆっくりとその胸中を語り出した。
「・・・あ、貴方が居ると、落ち着くから・・・! お父上様もジェティス兄様も亡くしてしまった・・・、だから・・・駄目なんです!」
(・・・!)
いつもの落ち着いた様子から一変、少し取り乱す様子を見せるテオファの姿を見て、柴田の目が彼女の心を動きを診る目に変わる。
彼女の身の上は、専属侍女であるラヴェンナから度々聞くことがあった。実母である第三皇妃がAIDSで早世した為、碌な後ろ盾が無かった彼女は、末の皇女ということもあり、他の妃や兄弟から、まるで非嫡出子であるかの様な扱いを受けていたらしく、孤独と疎外感に満ちた幼少期を送っていた様だ。
そんな中でも、実父であるファスタ3世と腹違いの長男であるジェティスだけは、彼女を気に掛けていた様で、親代わりとしてラヴェンナ=リサッカライドを彼女専属の侍女に置いたのだが、周りからは一皇族が1人の使用人と親しくしすぎるなと釘を刺されていた事もあり、テオファが心の底を外に晒すことは無かったという。
それでも尚、父と長男のことは信頼していたらしく、父親である皇帝の紹介で皇宮に参上した、異国人医師である柴田や神崎のことは最初から信用していたし、例の事件の後、睡眠時に寝言で2人のことを愛おしそうに呼ぶ姿が何度か確認されていた。
(今、彼女が抱いている感情は・・・“親への思慕”、それを向ける代わりの存在を探しているのだろうか・・・。確かに初めて顔を会わせて以降、ほぼ毎日のペースで俺はこの人と会っていた。ラヴェンナさんが母親代わりなら、俺は父親代わりということか・・・いや)
皇女の心の揺れ動きを、柴田は冷静に考察する。しかし考えれば考えるほど、自分自身の心の中に異様な感情が膨らんで行くような感覚を、彼は抱いていた。
「・・・考えさせて下さい、・・・!」
突き放す訳でも、受け入れる訳でも無い。そんな曖昧な答えを柴田は返す。同時に彼は、自分の口から出て来たその言葉に驚いていた。
「・・・!」
柴田の答えに、テオファはやや悲しげな表情を浮かべて彼の顔を見上げた。その後、彼女は視線をベッドの上に戻すと、その胸中に抱いていたもう1つの思いを語り出す。
「父が・・・間違っていたのでしょうか・・・」
「・・・?」
皇女の口から発せられた新たな発言に、その真意を分かりかねていた柴田は疑問符を頭上に浮かべる。
テオファが抱いていたもう1つの感情、それは此度の戦争の原因が、彼女にとっての叔父に当たる皇太弟ではなく、父親たる前皇帝にあったのではないかという懐疑心だった。首を傾げる柴田に対して、皇女は続ける。
「かつて・・・私の故郷が『クロスネル王国』と呼ばれていた頃、我々の祖先たちは、アラバンヌ帝国に攻められて風前の灯火だったロバンスの街と『教皇庁』を救い、今の『神聖ロバンス教皇国』の原型を作ったと言われています。
以来、クロスネル王国とその後身であるクロスネルヤード帝国は、教皇国の盾として、彼の国とは深い関係を結んでいました。
その関係を壊そうとした父上様が、叔父上との関係を拗らせ、さらには帝都の貴族たちから疎まれるようになったのは、必然かも知れません・・・」
「・・・」
ジュペリア大陸に纏わる古き歴史を語る皇女の表情は、これ以上ない程の哀愁に満ちている様に見えた。彼女の言葉に、柴田は何も言い返すことは出来ない。それは部屋の隅に座っていたラヴェンナも同様だった。
その後、程なくして柴田は部屋を退出する。院内の廊下を歩く彼の心は、何とも言えない様な感情が巣くっている様であった。しかし彼は先程の会話の中で、その感情の正体を正確に理解するに至っていた。
(フッ・・・依存していたのは、俺か・・・。あの心のざわつき、どこかでああ言われるのを期待していたのかも知れない。それはやはり・・・)
自嘲気味にニヒルな笑いを浮かべながら、彼は歩みを進める。かつての恋人の生き写しであるテオファ皇女に、心のどこかで依存していたことを自覚するに至った彼は、ある1つの決心を固めていた。
・・・
首相官邸 9大臣会合
国を束ねる9人の大臣が集まっている。1つの大きな戦いを終え、次なる手を考える為、彼らは言葉を交わしていた。
「今回の戦いで撃破した戦力は、艦800隻弱、竜騎250騎強、敵軍の犠牲者は14万から16万に上ると見られています。
すなわち、グレンキア半島沖海戦だけで日ア戦争前のアルティーア帝国総兵力の3分の1を超える死者を出しております。特に、2度目の侵攻を行ったリザーニア王国海軍とリーファント公国海軍は、当面の間、再起不能となる程の損害を受けたと言って良いでしょう。
しかしながら、クロスネルヤード帝国の兵力はその大多数が未だ健在ですし、イルラ教全体の兵力から比較すれば、恐らく1割に達するか否かの損失だと思われます」
資料を片手に持ちながら、防衛大臣の安中洋介が戦果の概要について説明する。
「ふーん・・・」
内閣官房長官の春日善雄は、眉間にしわを寄せながら、ため息混じりの鼻息をついた。
「1割程度か・・・。ずるずる続けていては、長期化の恐れがありますね。あまり犠牲者を出すとクロスネルヤード国内の労働人口や若年層が減少してしまう。戦費の問題もありますし、このままでは我が国も彼の国も、経済的に大きな負担を抱えてしてしまうでしょう」
経済産業大臣の宮島龍雄が懸念を提示する。今回の様に出てくる敵を叩き潰すことを続けるだけでは、いずれ敵側にも、そして自分たちにも限界が来てしまうことは目に見えていた。
「その上、2年後は(衆議院解散が無ければ)この世界に来て初めての衆参同時選挙です。戦時状態の長期化は選挙の進行に支障を来す。なんとか2年・・・いや、1年半で終息させられないものですか・・・」
総務大臣の高岡正則が更なる懸念を示す。
「確かに・・・戦争の長期化は、必要以上の軍備強化や軍国主義路線を主張している極右政党の更なる台頭を許しかねない。左も困るが、右に行き過ぎても困る。政治と戦争はバランスが大事だということを、極右も極左も分かっちゃいないな。まあ国民もだが・・・」
財務大臣兼副首相である浅野太吉は、転移前に行われた衆議院選挙のことを思い出していた。
かつて転移前の2023年に行われた衆議院議員は、2022年に勃発した東亜戦争の最中で行われた為、第2次世界大戦後初の戦時下での選挙となった。
選挙は荒れに荒れた。有力な革新政党への過剰なバッシング、左右両派の市民団体の激突・・・、特に極右と呼ばれる派閥の過激な言動が顕著となった。実際に人民解放軍の攻撃による民間人犠牲者が出ていたこともあり、世論の間にも“親中派”や言葉による交渉と自衛戦力の放棄を謳う“反戦派”といった肩書きを持つ人物や団体に対するアレルギーが生じていた為、それらを律すべきという論調も通らず、結果は現在の与党である自由国民党の圧勝、またそれまでは弱小政党に過ぎなかったいくつかの極右政党が支持を集め、議席を獲得することになった。
「まず第一に・・・掛けられた嫌疑を晴らすことが重要です。現在の予定では、時期を見計らって第四皇女・テオファ=レー=アングレム殿下の生存を明らかにし、殿下ご自身のお言葉と共に、現皇帝の虚言と我々の潔白を全世界に向けて発信することになっています。
先日、我々外務省は『極東海洋諸国連合』の最高理事であるロバーニア王国アメキハ=カナコクア王に接触し、我々がこの発表を行った際には、これを事実として支持するという確約を頂きました。また同様の事前交渉を、エルムスタシア帝国でも行う予定となっています」
外務大臣の峰岸孝介は、外務省が水面下で行っている行動について説明を始める。
「また、クロスネルヤード帝国ベギンテリア辺境伯領、及びジットルト辺境伯領に設置されている公使館に駐在し、未だ現地に滞在している公使からの連絡によれば、この2地方とフーリック辺境伯領は、現皇帝から離反し、戦争への不参加を表明しているそうです。
よって各公使館の駐在公使には、その地方を治める長に接触を計る様に指示を出しています。同じく殿下の生存発表を支持するという確約を頂く為に」
峰岸は説明を続ける。
「ただ1つ懸念があります。何より写真や映像が無い世界ですからねえ・・・。現皇帝とその一派は、外の目に触れたことのない皇女殿下を、本物だとはまず認めないでしょう。
事前交渉を行っている第三国も、言ってしまえば皇女殿下を本物だと証明することは出来ない・・・しかし、第三国の支持を集める他、状況証拠としての信憑性を高める具体的な方法はありません。クロスネルの政府はともかく、国民感情を揺らがせることは、多少は出来るはずです」
懸念と希望的観測を口にしたところで、峰岸は一度説明を終える。
「可能ならば列強国の1つが証人となって、皇女殿下の生存を支持してくれると良いのだが・・・」
官房長官の春日がつぶやく。
確かに、ある程度世界に対して力と影響力がある第三国が、彼女が本物の皇女であると認めてくれれば、その信憑性も上がるだろう。
峰岸は再び口を開き、説明を始める。
「我々外務省もそう考え、ショーテーリア=サン帝国に交渉を計ろうかと考えています。ただその前に、こちら側が勝利をすでに決めている状態であることを示さなければなりません。
時期としては敵側の戦力の半分程を滅した頃・・・、民衆の間に戦争を継続する事への不満が現れた頃に発表を行う予定です」
外務大臣が説明を終える。その直後、間髪入れず防衛大臣の安中が補足を加える。
「その後、ジュペリア大陸東海岸における最大の港街であるミケート・ティリスに揚陸戦を展開、帝都リチアンドブルク侵攻の為の足がかりとします。
帝都を占領し、現皇帝の身柄を確保した後は、一時的な措置として皇女殿下に皇位に就いて頂き、終戦を宣言して頂く・・・まあ、それで上手く行けばですがね・・・」
終戦までの計画を伝える安中の顔は、どことなく暗い表情を浮かべていた。
「神聖ロバンス教皇国の方はどうする?」
春日が1つの疑問を提示する。クロスネルヤードでの皇族一斉変死事件から、今回の対日宣戦まで、今まで起こった一連の出来事に、その国が裏から関与していることは、状況から確実だろう。何もお咎め無しというのはいかがなものかと、春日は尋ねているのだ。
「・・・とにかく、現皇帝と教皇国との間の繋がりを明らかにしなければなりません。実際の所、教皇が現皇帝を裏で操っている証拠など、何も無いのですから・・・」
春日の問いかけに安中が答える。程なくしてこの日の9大臣会合は終了し、各大臣たちは各々の本丸である省庁舎へと戻って行った。
・・・
夜22時頃 外務省 大臣執務室
官邸での会議を終えて、自らの本丸である外務省へと戻った外務大臣の峰岸は、疲れを癒す様に、椅子に深く腰掛けていた。その時、ドアをノックする音が聞こえた。入室許可を出すと、1人の男が扉の向こうから現れた。
「失礼します、大臣」
入って来たのは外務省事務次官である東鈴稲次であった。かつて全権特使として、開戦前に神聖ロバンス教皇国に派遣されていた人物である。
「どうした?」
峰岸は東鈴が執務室を訪ねて来た理由を問う。東鈴は少し間を開けると、とある国の大使館から通達された緊急の知らせについて語り始めた。
「大臣・・・、ショーテーリア=サン帝国大使セルウェス=ジェニキュレートス氏より、至急お伝えしたいことがあり、今からお会いしたいとのご連絡がありました」
「今から・・・?」
急な申し出に、峰岸は首を傾げる。もう夜も深まりつつあるこの時間に、何を急いで伝えなければならないというのか。
「また後日という風に連絡致しますか?」
日付を改めさせるかという東鈴の提案に、峰岸は少し考える素振りを見せるが、彼は首を横に振る。
「いや・・・今すぐお会い出来る、と伝えろ。ショーテーリア=サン帝国大使館に迎えを出せ」
「承知しました」
大臣の命令を受けた東鈴は一礼すると、早急に準備をする為にそそくさと執務室から退室して行った。
数時間後・・・
外務省の正面に止まった公用車から、ショーテーリア=サン帝国大使であるセルウェス=ジェニキュレートスが降りて来る。初めの内は見慣れない自走する荷車である“自動車”での移動に緊張していた彼も、今や慣れた様子で乗降を行っていた。
大臣執務室へと案内されたセルウェス、案内役の官僚が扉を開けると、そこにはセルウェスの到着を待つ外務大臣の峰岸があった。
「お待ちしていました。どうぞお掛けください」
峰岸は応接用のソファを指し示しながら、座る様に促す。セルウェスは促されるまま、ソファに腰を掛けた。桐で作られたテーブルを挟み、対面するようにして座った2人は、案内役の官僚が部屋の扉を閉めたことを確認すると、目つきを変え、互いに向き合う。
「さて・・・ご用件とは?」
峰岸は早速本題に切り込む。すでに日付は変わっており、会談を申し込むにしてはかなり礼儀を失しているにも関わらず、伝えなければならないこととは一体何なのだろうか。
問いかけを受けたセルウェスは一瞬視線を反らし、言葉を選びながら、本題について語り始める。
「昨日、本国よりとある連絡がございました。至急、貴国へ伝える様にと・・・」
「・・・?」
「実は」




