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お嬢様、紅茶はいかがですか?

 ぼっち参加の講義終了後、とうとうやってきてしまった午後三時。

 横長のレトロな看板にはくっきりと「菱川産興」と書かれている。パッと外観だけだと中が魔の巣窟になっているようにはとても思えないほどすっきりとして、何もない。看板がなければただのオフィスかも、と思ったかもしれない。


 営業努力はどこかへ家出しちゃってるのかな。


 でもそれでいて、持ちビルを維持できるぐらいの儲けはある、と。考えれば考えるほど謎な店だなぁ。いまだに「何でも屋」という認識しかないというのもなんだかなー……。


 昨日は躊躇なく入れたはずのお店なのに、どことなく敷居が高い。

 そわそわとポーチから出した鏡で身だしなみを確認。少し汗ばんでいるかな? うーん、このスカートちょっと短すぎたかな、何だか気になる……。


 チャララ~、チャ、チャ、チャ、チャ~。


 あ、上様だ。そっか、忘れないようにアラームかけていたんだっけ。

 アラームを切る。

 ふとこちらを見る無言の能面と目が合った。彼女にも小さく頭を下げる。


 少しお邪魔します。悪いことはしないので呪わないでください。真夏の怪談話は布団被って聞こえないフリするぐらい苦手なんです。


「こ、こんにちはー……」


 消え入りそうな声をかけてから、そっと冷房の効いた店内に一歩進む。

 両側からの棚の圧迫感は昨日と同じ。なんだかよくわからないものが詰め込まれていて、どこかの倉庫みたい。


「いらっしゃいませ!」


 野太い声で挨拶してくる店員さんと目が合い、互いに固まる。あ、昨日のアメフトマッチョ。

 確か山田と呼ばれていたはずの彼が、まっすぐこちらにやってくる。のっしのっし。あなたはイノシシの亜種でしょうか。


「どうも」


 彼はとても気まずそうな顔でぶっきらぼうにそう言った。


「こんにちは」


 私もそっけなく返す。なんだろう、この人に大して気を遣おうと思えない。なにせ、初対面からやらかしてくれたアメフトマッチョなんだもの。いい印象を持つわけない。


「あー、なんだぁ。そのぅ……」


 彼は後頭部をガシガシとかきながら、店の奥を指差した。あの、文章で言ってくれなくちゃわかりませんよ、山田さんとやら。


「菱川が待ってるぞ」


 そうですか。


「ありがとうございます」


 ぺこり、と頭を下げる。菱川さんに会う前なのに妙に冷静になってしまった。

 言われるままに店の奥へと進むと、棚の影で脚立に乗った菱川さんが蛍光灯を取り替えていた。

 ちょっとびっくりしたけれど、なんだか安心した。菱川さんは私にとって聖母マリア様みたいな人だけど、同時に私にも手が届くような男の人なんだなぁって。変かな。


 菱川さんはすぐに私に気づいて、にっこりと微笑みを降り注ぐ。それはまるで寒さに震えていた旅人に太陽の光が降り注ぐがごとく。


「ちょっと待っててね、すぐに降りるから」


 キリよく終わったところらしく、使い終わった蛍光灯の箱や脚立をまとめて持つ。細身に見えるけれど、結構力持ちのようだ。

 ついてきて、と言われるままにその大きな背中の後ろを歩く。一旦レジ近くまで行って、荷物を全部置き、付けていたエプロンも脱いでしまった。さらに流れるような自然な動きで私と手を繋いでしまう。


「えっ?」


 びっくりしたような声を出したのは、素だった。かわいこちゃんぶっても、こんなにまじまじと出す「えっ?」はなかったと思う。


「ん? だめかな?」


 顔を覗き込まれると、どきんと心臓が高鳴った。

 いえ、大丈夫でした! 心の中で叫びながらも私は何も言えなかった。

 でも十分に顔に出ていたに違いない。くすっと笑われてしまった。


 二階分だけ階段を登って、応接間みたいなところに入った。

 大きな窓際には丸テーブルと椅子が二脚。デザインがどことなくアール・ヌーヴォー風……。輸入家具?


「どうぞ。座って」


 菱川さんが椅子をひいてくれ、どこかのお嬢様みたいに扱われながら椅子に座った。あ、窓から通りの様子が見える。

 テーブルにはいくつかのお菓子がお皿に乗って並べられていた。クッキーとかチョコレートといった一口で食べられるものが多い。

 ソーサーに乗ったカップにも高級感が漂う。うん、マイセンってこんな感じだった気がするよ。


 紅茶も菱川さんが全部淹れてくれた。ふわりといい匂いが鼻先をくすぐり、ほう、と思わず溜息をつきそうになる。


 何、この完璧な空間。こんな贅沢なおやつの時間ははじめてだ。


「このお菓子は昨日までの出張先からのお土産なんだ。どれも試食させてもらってから買ったんだけど、どれも美味しいんだ。梢さんの口にも合うといいのだけれど。食べてみて」

「い、いただきます……」


 芸術品みたいなチョコを摘まむ。舌先に触れただけでわかる。これ、いいやつだ。めっちゃ高いやつだ。

 そして自明のことながら、美味しい。この感動はとうてい文章じゃ伝えられないよ。


「美味しい?」


 こくこくと頷く。なんかもう……自分の言葉にするのさえ憚られるレベルでした。

 菱川さんも微笑みながら、口にして、うん、美味しいね、と確認するように呟いている。


「これ、どちらで買われたんですか?」

「チェコ」

「チェコっ?」


 ちょっと斜め上の回答だった。てっきりフランス、イタリア、ベルギー、スイスあたりかと。


「いやいや。どこの国でも美味しいものはあるからね。チェコビールも美味しかったよ? さすが一人当たりのビール消費量世界一、というところだね。物価もまだまだ安いし、街並みはおとぎ話に出てくるようだって、人気の国なんだよ」

「へー……」


 初めて知りました。今までチェコビールは黒っぽく、昔はチェコ=スロヴァキアという国だったことぐらいしか知らなかった。


「僕がしている仕事は、バイヤーなんだ。主に菱川産興で取り扱う商品を色々なところから買い付ける仕事。……基本的にうちは何でも屋だからね、売れると思えばどんなものでも買う。今回チェコに行ったのも、まとめて商品を買い付けるため。知り合いの伝手も頼るけど、基本は自分の足で市場を探すんだ。大変だけどやりがいはある。うちは規模が小さい分、かなり個人に裁量が任されているからね」


 菱川さんの、お仕事。

 まだ大学生の私にはわからないけれど、商談のこともそうだけど、言語の問題とかあるんじゃないのかな。


 あ。私英検三級……。


「でも他にもここで仕事もしているよ」


 紅茶をゆっくりと飲み干しながら菱川さんは大人の笑みを零した。


「例えば店舗部分での責任者は僕。肩書きも店長になっているんだ」


 ポケットから名刺入れが出され、どうぞ、一枚差し出される。

 確かに「店長」って書いてあった。あのアメフトマッチョよりも偉いってことだ。

 ほー、へー、と感心しながら両手に持った名刺を熱心に眺める。


「それでね、梢さん」


 はい、と返事しようと思って固まった。優しく名刺を取り上げられ、机の上に置かれた。

 気づけば座った私に、菱川さんが覆いかぶさるようにして両手を掴んだ。


「一応、僕の仕事についてはこんな感じ。昨日は親父のところで梢さんのことを色々知ったから、梢さんにも僕のことを知ってもらいたくて。それと、昨晩電話して、お菓子で釣ってまでここに来てもらったのは、昨日言い忘れたことがあったから」

「な、な、なんでしょうか……」




 僕と結婚を前提にお付き合いしてください。



 とても、真剣な表情だった。

 さすがの菱川さんでも顔が赤くなることもあるんだなぁ。

 動揺する私の中で、冷静な私がそう突っ込んだ。






 

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