小さな世界へ行こう。下
フランスの売店に来たところで、神坂さんが「エスカルゴ食べよう」と提案した。肉フェアで取り上げる肉メニューは魚肉やエスカルゴの肉も含まれていた。
なんとなく興味を持ったので私もそれを注文する。ついでにフロマージュなんたらというアイスも頼んでみた。私はたまに『アイスを食べたい病』に侵されるのだ。
エスカルゴ二つに、フランスパン二切れのセット。今回は予想通りで拍子抜けする。
つまようじで中身を取り出して食べるらしいが、これがなかなか……。
「こ、梢ちゃん、手伝おうか、大丈夫?」
「へ、平気です……!」
こんなところで不器用さが発揮されるとは思わなかった。二度三度と爪楊枝をさしても、エスカルゴが内部へとにゅるっと逃げていく。待って、『彼』はもう調理済みなのに!
渦の巻きとは反対方向に動かして! とアドバイスされてから三度目の挑戦でやっと一個目のエスカルゴの中身がお目見え。液が黄緑色っぽいね。味は、ガーリックが結構効いていて、感覚は貝類を食べているのとほとんど同じ。
「かたつむり」というと受け付けない気がしているけれど、「エスカルゴ」と思って食べていると普通に食べられる。同じ生き物を指しているのに不思議な話だ。
「エスカルゴなんですねー……」
「エスカルゴだよー……」
お昼も過ぎるころ、ようやく春の日差しが見えてきた屋外の席で冷たいアイスを口直しに食べながらほっこりするひと時を過ごした。
※
そして付近にあったイタリアコーナーでまた肉メニューを食べる。パンフレットを見ると……ふむふむ。生ハムにラムのスライスとセージを巻いた料理らしい。こちらは思ったよりも小さい……いや、細い?
神坂さんは「動物の骨にこういう形のやつがありそうだよね」というよくわからない感想を述べていた。
一方の私は、使い捨ての先割れスプーンに刺して口に入れたのはいいものの、筋に当ったのかうまく噛み切れない。味の感想よりも先に「硬い」と呟く私がいた。
それからは思ったよりも時間がなかった。まだ一周するまでの距離はあっても、閉園時間は待ってくれない。リャマの飼育エリアをちら見しながら通り過ぎ、屋内で世界の民族的なテント展示のコーナーではモンゴルのゲルが一番過ごしやすそうだという結論に至り、南アフリカの定規を使わずに描いたカラフルな幾何学模様の家に感心し、西アフリカの泥でできた家は狭い出入り口に神坂さんが頭をぶつけて呻いた。
二人ともなぜか『第二夫人』の家に興味津々。現代日本ではまず見られない習慣だからか。
時間にますます追われてきた私たちはアフリカからアジアに突入した。ネパールの仏教寺院でマニ車を回し、ブータンのおみくじにも挑戦。結果は『半吉』。要約すると……「自分一人で決めるのはよせ、人に従った決断はいいけれど、焦るな」。ちょっと受け止め方がわからないね。
「そういえば忘れていたけれど、ここに来て衣裳を一回も着てなかったね。ここの目玉の一つなのに」
「神坂さん、ここに来る前ヨーロッパがいいよね、と言っていましたよね」
もう通り過ぎてたいぶ経ちましたけれど。
「梢ちゃんはどこがいいと言っていたっけ?」
「うーん、特にこだわりはないんですよね」
そういいつつパンフレットを見て、すぐ近くにあったある国の衣裳に目を付けた。
「あそこにしませんか?」
「トルコ? ……うん、いいんじゃない?」
神坂さんはにやっと笑う。
「記念写真を撮っておこう!」
そして十分後に出来上がったのが、てかてか光る宮廷衣装に身を包んだ私と神坂さんである。ちなみに色は私が青、神坂さんが緑だ。筒みたいな帽子にはじゃらじゃらと鳴りそうな小さな金属の鎖や、背中へ流れる薄布がある。衣裳そのものも裾が長いし、刺繍も多い。
トルコ人らしい係員のお姉さんの勧められるがままにトルコのお宅の階段下でぱしゃり。写真にはぎこちなく笑う私が映っていた。一段上には「どうよこれ!」とお大尽のごとく両手を広げている神坂さんの満面の笑みがあるというのに。神坂さん、めちゃくちゃはっちゃけているじゃないですか。
そしてさらにはイスラームの学院の授業風景を見学し、延々と同じ節で繰り返される謎の音楽らしきものに浸食されかける。よくわからないのに気づけば自分の体がリズムを取っていた。中毒性があるね、これ。
イスラーム書道の展示もある。アラビア文字には縁がないものの、文字の組み合わせの塊が何かの図形を形作っているのが面白い。あの美しさの源はどこにあるのだろう?
※
……本当に時間が無くなってきた。展示される国はさらに東へ。
タイの涼しげなおうち見学。水浴び場の無防備なつくりにびっくり。
韓国エリア。チマチョゴリ姿の女の子たちをたくさん見かける。
日本、山形の家。どちらが早くけん玉を成功させられるか競争。二回目にして私の勝利が確定した。
最後は本館の特別展示室を見学。こちらはアイヌに関する展示だった。
ここでアイヌ語クイズ再戦。門外漢二人は答えをかすりもしないで負けた。
「あ、見て。鹿の毛皮を触れるみたいだよー」
神坂さんが手招きするので、遠慮なく。おぉ、意外と剛毛なのね。滅多にないことだからと無言のままで撫でていたら、
「梢ちゃん、激しいね……」
神坂さんが苦笑いしている。え、と戸惑っていれば目に飛び込んできたのは「優しく撫でてあげてね」という一文。……私は無言で手を離した。
こうして小さな世界一周の旅は終了。
閉園ぎりぎりに出入り口のゲートをくぐり、バスに乗り込んだところで何か忘れているような気がして、もう一度だけパンフレットに目を通す。
……あ。カンガルーやらバッファローやらの肉を食べるのを忘れていた。
※
「こんにちはー」
「こんにちは、梢さん。この時間に店にくるのは珍しいね。あぁ、今日は友達と出かけていたんだよね、どうだった?」
私は店番をしていた公人さんにお土産のフランスチーズの詰め合わせを渡しながらちょっと考えて。
「バッファローやカンガルーの肉って美味しいのかなぁ、と」
一日中、「肉」というワードに振り回されていたような。それを食べたらどうなる、ということもないのに。食べなくても何の問題もなく、最後はまるっと忘れていたことからもきっとそう。……実は優先順位が低かったんだね、肉。
「バッファローはわからないけれど、カンガルーの肉は好きかな」
私の回答も大概だけれども。その返しこそ予想外です、公人さん。
そんなことを思う三月だった。




