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小さな世界へ行こう。上

前後編。

ただ単にお出かけするだけの日常話です。

 はっ、と気づいたときには飛ぶように時間が過ぎている。研究室で本を読み、バイトをしているうちに春の足音はすぐそばに来ていた。


 長い長い春休みも三月に入ってしばらく経ち、新しい年度になるまでもう少し。

 この三月で卒業を迎える神坂さんからスマホにメッセージが届いた。


『唐突だけど、今度世界一周をしよう』


『カンガルーか、ワニか、ラクダか、バッファローか。梢ちゃんはどの肉を食べたい?』


 ……カンガルー、ワニ、ラクダ、バッファローの肉を、食べるとな。


 深夜のベッドから起き上がり、思わず二度見した。文字化けをしているわけでもないだろうけれど、本当に唐突でびっくり。何、世界一周って。何の肉を食べるって。


 私は慌てて返信する。それ、食べられるんですか、と。







 数日後。下宿から電車とバスで揺られてやってきたのは、なんてことはない、数時間で世界一周できてしまう『野外民族博物館』。日本語に直訳すると『小さな世界』。実にお手軽な世界旅行のお誘いだったというわけです。


「今は、肉のフェアをやっているんだってさー」


 窓口で二人分まとめて神坂さんはパンフレットのフェアメニューを私に見せてくれた。へえ、いろんな肉がありますね。……本当にバッファローやカンガルーもあるよ。しかもがつんと串焼きだった。


「神坂さんって、そんなに肉好きでしたっけ?」

「うーん、どうかなー? 発作的に食べたくなって焼肉店に行ったとしても、思ったよりは食べられないし……幸福を噛み締めながらちょっとずつ食べるのが好きなのかも」

「あー、それはちょっとわかります。もう少し食べたいな、ぐらいで納めておくのが一番いいですよね」

「……と、いうことは」

「ということは?」


 神坂さんはもったいぶったように一呼吸置き、


「きっと今日も肉目当てに来たのにあまり食べられずに終わると思うよ!」


 アグレッシブにフラグを立てていた。神坂さんもテーマパークに来たからはしゃいでいるんだなぁ……。そういえばここに来るのは初めてだと言っていたような……(私もだけれど)。


 それにしても不思議なことがある。なぜこの時期に私を誘ったのだろう?

 神坂さんと私は確かに仲がいいけれども、神坂さんは大学四年の卒業生。もう一年一緒の私よりも優先すべき交友関係だってあるはず。神坂さん自身は院に残るとはいえ、ほかの同級生はほとんど就職してしまうのだから。


 入場してすぐに右回りか左回り、どっちがいいかな、と呟きつつパンフレットに目を落とす神坂さんにそれとなく聞いてみた。神坂さんは一重の瞼をそっと持ち上げて、「聞きたい?」と言った。なぜだろう、聞いちゃいけない気がしてきた。


 しかし神坂さんも誰かに話したかったらしい。


「私の最近の口癖が『お金がない』だったんけれどね」

「お金、ないんですか……」


 進学するとなると、色々と物入りになるのだからおかしな話ではない。ないね、と神坂さんはきっぱり断言する。


「まあ、実際にこれから必要になってくる費用を考えたらついつい暗い気持ちになって『お金がない』と言ってしまっていたんだよね。そうしたら。友達との間で進んでいた卒業旅行の話が、気づけば私抜きで旅行会社に申し込まれていてさ」


 それはちょっと心えぐられる。あぁ、神坂さんの目が死んだ魚のように……。


「お金がないから、と気遣われていたとしても、それはせめてさ、事前に言っておいてほしかったんだよね……。求めすぎかな」


 神坂さんのため息は地を這うように実感のこもったものだった。い、いかん。せっかく楽しむために来たのに、こんなローテンションでは支障が出るよ。


「神坂さんは間違っていませんから! 不幸な行き違いがあったんですよ、きっと! 元気出しましょう。ほら、あそこに最初の肉メニューがありますよ。沖縄産の牛ですよ! 串焼きですよ!」


 沖縄の古民家の傍に立つ肉フェアののぼりを見付けた私が指さすと、神坂さんはそちらに向かって歩いていく。


「そうだね……せっかくだから食べるしかないか」


 化粧気のない神坂さんの顔に赤みが指していく。あ、よく見れば今日は眉毛の形が整っている。薄化粧しているのからだろうか、印象が少し変わって見えた。神坂さんも今日は気合が入っているのだろう。いうなれば、今日が神坂さんの卒業旅行のようなものなのだ。


 展示空間の沖縄の古民家の見学はそこそこに、神坂さんは肉の串にかぶりつく。


「あー、塩をつけるといいねー」


 私もかぶり。……春先の冷えも温まる美味しさだ。ただ惜しむらくは。


――パンフレットの写真よりもだいぶ串が小さかったこと。



 よく広告の写真でもあるやつだ。



 ~この写真はイメージで、実物と異なることがあります~



 つまりは私たちの想像力が豊か過ぎたということですね。理解しました。

 私は頭の中でイメージ修正をしていったけれども……それからも何度か「あれ?」と同じことを繰り返すことになる。







 南国の沖縄展示の次は、北海道の展示。アイヌの生活について紹介されている。

 パンフレットにあるマップを見ながら私は心の中でぼそりと呟く。


――どうして南国の次に北国へ一気に北上するんだろう。


 元々建っていた土地の気候がどうであれ、現実の気候は春初め。しかも山に近いからなおさら体感温度は低かった。沖縄の古民家は風通しが良すぎて寒いぐらいだったけれど、アイヌの家はまさに童話『三匹の子豚』に出てくるリアル『藁の家』みたいな外観で、内部は意外と風が通らず、外の音もこもりがちだ。


 展示されている道具などを二人で眺め、展示のプレートにあったアイヌ語クイズに挑戦するも二人ともこてんぱんにやられる。


「そういえば共通語ってさ、明治以降に統一されていったものだよね。それまでは『お国言葉』がそれぞれあったし、書き言葉と話し言葉には決定的な乖離があったんだよ……」


 と、含蓄深いことをおっしゃったのは神坂さん。


「言文一致運動でしたっけ、それ」


 何期か前の授業で習いましたね。


「二葉亭四迷の『浮雲』は、まさに古典から近代文学へと橋渡しするターニングポイントの作品だったんだよね。読んだことないけど」

「授業で取り上げた部分を抜粋したプリントだけ読んで終わってしまいましたよね……」

「……ほら、私たちの専門は時代をもうちょっと遡るから」


 ですよね、と言い訳しあった私たちは、次の展示へ。


 


 台湾の展示ではすぽんと頭に収まる男の子を象った紙の被り物をかぶった神坂さんを激写し、もう一つあった女の子を象った紙の被り物をかぶらされた私も激写された。台湾のお屋敷訪問のあとは、道挟んで向こう側の店で、相談した末に肉フェアにもある唐揚げを一つ買う。実物は……思ったよりもでかかった。がつんと『肉!』という感じで、自分の手のひらよりも大きいサイズ。それを私と神坂さんとで分け合った。


「見て、梢ちゃん。油を吸った包み紙が変色しているよ」

「うわあ……」


 油の量におののきつつも、こちらもやっぱり美味しかった。



 さらに肉メニューは続く。

 ペルーのお屋敷の中庭にて。チョリソの入ったメキシコ版チーズフォンデュ。チーズが溶けていて、マイルドな味。こちらも気持ちよく完食したけれど、こちらは予想よりもサイズが小さかった。両手で輪が作れるぐらいの底の浅いカップに入っていた。


 外に椅子とテーブルが出されていたので、中庭の中央にある噴水を眺めつつそれぞれ食べる。ここには衣裳体験のコーナーもあるので、庭に出てきて記念撮影をしている客もちらほら。


 私の目に留まったのは大学生ぐらいの女の子二人組。白と赤のフラメンコ衣裳を着て、噴水前でパシャパシャと写真を撮っていた。小道具は赤い薔薇。手に持って構えたりしていて、ものすごくエンジョイしていた。私の目から見ても、似合っていると思う。……背中を見なければ。


 ふと横を見れば、神坂さんも同様のことを考えたらしく、静かに首を振っている。



――そう。脱げないように、彼女たちの背中を留めているもの……赤と白のフラメンコ衣裳に、燦然と輝く銀の目玉クリップがあったのだった。


 普通は横顔を写真に収めないだろうからこれで十分なんだろうなあ、と納得することにした。


 アメリカ大陸を南北に横断した後は、なぜかインドネシアのバリ島へ。こちらのおうちは壁がない。床を高くして、柱を立てて、屋根をつければいいらしい。壁はいらないそうです。


 雨季の時、斜めに雨が入ってくることはないのかな、と素朴な疑問を抱く。やはりそれ以上に、湿気をどうにかしたいのかもしれない。ちなみに壁はなくとも、さすがは貴族のお宅、立派な塀や祠もあれば、入り口にはこちらを威嚇するように爪を出した動物が彫られていました。


 この東南アジアでは肉メニューがあったのだけれど、台湾での唐揚げががっつりとお腹に来ていたのでパス。ミクロネシアやポリネシアのお宅訪問をしてから、ヨーロッパエリアへ。


 ドイツ、フランス、イタリアの展示ともなると、このテーマパークのメインに来たという感じがする。

 家の正面の壁をキャンパスにして絵を描いたところ、壁に貼り付けられてガラス越しの、ドイツ語で表記されたメニュー表を見るだけで雰囲気を味わえる。


「ドイツの展示はおもちゃを取り上げているんだねー」

「いいですねー」


 二人ともふらふらっとショーケースに吸い寄せられるように建物の内部へ。

 一階は売店、二階はおもちゃの博物館となっていた。

 何気なくたくさんあったぬいぐるみを眺めていたところ、見覚えのある耳のタグがある。


 以前菱川さんがくれたテディベアのメーカーのものだった。

 大体いくらぐらいかなー、と何気なく見た私は、自分の持っているテディベアよりも二回りも小さいものが数万円で売られているのを知る。どうしよう、だったらうちの『ボブ』くんは……。


 いや、もう何も考えるまい。


 私はそっと胸の奥にこの秘密を仕舞っておくことにした。



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