うちのモモは癒やし犬?
三十日。予定通りに実家に帰る。
実家と同じ市内ではつい夏頃話題になった映画の舞台となったことで商店街などは盛り上げようとしているらしいけれど、私の実家はそうした街中ではなく、田畑や山がごくごく身近な鄙びたところだ。
相変わらずの木造駅舎から山の方角を見れば、えぐれた山の斜面が見える。ちょうどその地域の山からは良質な石灰石が採れていたらしく、今も山のふもとにはいくつもの工場が建ち並んでいるのだ。
おじさんの車はまだ見えない。私は待つついでにぼうっと景色を眺めていた。
生まれてから十八年間ずっと住んでいた町。以前の実家も今の実家もそう離れたところにはなかったので、両親が忙しいときにはおじさんのところに預けられたこともあった。
両親が亡くなるまではここを離れることは考えてもなかった。大学もできれば実家から通えるところを、なんて思っていたぐらいで。私は逃げるようにして地元を去った。ここには思い出が多すぎる。
でも……やっぱり、私のふるさとと言える場所はきっとここなのだ。
車があまり通らない山沿いの坂道を自転車で競争してみたり、神社の奥の林を探検してみたり、川遊びをして、あぜ道のつくしを取って、バッタやダンゴムシを捕まえようとしていた。
小学生の時は地域の史跡をあちこち回っていた。この辺りは宿場町にも近い。古くは遊女を多く抱えていた長者が住んでいたのだそうだ。古い謡曲の舞台にもなり、天下分け目の戦にも地元の地名が登場する。
同じ地面に立っていたはずなのに、たくさんの異なる時代の過去があった。
原点はここにあった。昔話が大好きで、両親にその絵本を読むようにせがんでいた子ども。
私が今の専攻を選んだわけは、これまでの私が積み重ねてきたことすべてで選び取っていた。
だからまだ捨てたくないのだと思った。まだ納得できていないから。それが進学を希望する理由。
ここでの私は「夢」を見ていたのだ。決して知ることのない過去に思いを馳せていた。実体験できないのだから、まさに「夢」。タイムスリップなんて現実に無理だから。
きっと今も夢を見続けているのかもしれない。私が両親を忘れられないのは自分の罪悪感だけでなく、私が手繰りたい過去に、両親が含まれているから。
時々……現実を生きていないような気がしている。それは私自身が内向的というか、人見知りが激しくて一人で悶々としているような子どもだったからかもしれないし、両親が亡くなってしまったことから逃避したいという気持ちもあったからかもしれない。
そういうのは、結構危ないことを自分でも薄々感づいていた。
誰かに助けて欲しかった。自分で立て直したかったけれど、方法がわからない。
これでももがいていた。バイトに必死になってみたり、誰かとつきあってみた。……どちらも散々なひどい結果に終わったけれど。
誰か私を止めて欲しかった。
私のこの先の人生、ずっと一人だったら? そんなことを考えるのがむなしくて。
一人で生きていけるほど強くないのはわかっていたけれどどうにもならなくて、楽な方に流れようとする自分を懸命に押しとどめて、普通の生活を送る。
菱川さんに会ったのはその時。
私は……もうとうに、菱川さんのさしのべた手に縋っていたのだ。それこそ初めから。
馬鹿みたいに運命だ、なんて浮かれていた。電話もメールも来るたびに心が躍る。手を繋がれた時には安心した。離されたら淋しい。
菱川さんのことは好き。大好きだ。……でもそこに一種の「依存」が入っていることも否定しない。
一度完全に寄りかかってしまえば離れられなくなるかもしれないのが恐い。そうなったとき、私は今と変わってしまわないか。変わってしまえば、菱川さんが好きだと言ってくれる「私」ではなくなってしまう。
まずい。
思い詰めているなぁ、なんて他人事のように思考を切り替えた。
これからちょっとした勝負の時間なのに、こんな弱気なばかりじゃ、呑まれてしまうに違いない。
かぶりを振っていれば、おじさんの車が駅の駐車場に止まる。
「こずえー、はよ乗れー」
「はーい」
私はキャリーバッグをごろごろと引っ張っていく。少し重たいキャリーバッグも、一度動き出すと割合簡単に動き続けていく。慣性の法則だっけ? うん、いい復習になった。
苦しい思考は、時折小石を跳ねるキャリーバッグからこぼれ落ちたのかも。
ほんの少し楽になったような気がした。
実家に来れば、外には我が愛犬モモが待ち構えていた。やや黒柴にしては大きすぎる体躯に、赤い首輪。部屋から繋がれているリードを目一杯引きながら「梢ちゃんお帰りー」と言っている……わけもなく。
もうそろそろ散歩の時間でしょー、誰でもいいから早く連れて行ってー。
……そんな感じ。餌と散歩の時間以外はかなりクールな子だから、今興奮しているのもそういうことなんだなぁ。うんわかった、連れて行こうか、散歩。
口を開けてはあはあさせながら、くりくりの茶色がかった瞳で見上げられたらそう言うしかないじゃないか。
でもその代わり。
「モモー!」
ぎゅうっと抱きついた。この腕にすっぽり収まる感覚が懐かしい。相変わらず可愛いねー。
お腹あったかーい。毛並みさらさらふわふわー。足袋をはいたような小さな足も健在のようで。
「ええ子にしとったかぁ? 元気やおね? なー、モモー?」
お腹の毛並みをわしゃわしゃと乱しつつ、真っ正面からモモの顔をのぞき込み。
こみ上げる気持ちをもう一度抱きしめることで表現してみた。
はぁ。
癒やされる。
――ねえ、モモ。ここに帰ってくるまでにも色々あったんだよ。聞きたい? 聞いてくれる?
「おぉ、おかえり、こずえちゃん」
すっかり油断していた私はその声に釣られるように見上げ。
「――誰?」
スキンヘッドの男性にそう問いかけたのだった。
もふもふ。




