私とおじさんの平行線は変わらない?
連続更新最終です
おじさんの話は至極単純なものだった。保護者からしたら尋ねたくなるのも当然の質問で、ただ質問だけで終わるのなら私だって普通に答えられただろう。と、いうことはつまり、私の心をえぐったのはそれ以外の部分というわけで……それこそが、私がおじさんを苦手に思っている最大の理由なのだ。
おじさんの話の切り出し方はいつも私を困惑させる。北陸新幹線開通の話が、なかなか帰ってこない私への非難となるのだから、いつぞやノーベル平和賞を取ったインドの女の子の話が私の進路の話にすり替わっていてもおかしくない。
「おまはんは、ようやっとる。一人暮らしで、大学に行って。よう頑張っとるわな」
とくとくとく、と音を立てて、透明なグラスの縁まで日本酒がそそがれる。ほとんどこぼれそうなグラスにこぼれないよう器用に口を付けてすするおじさんは、目がとろんとしていて、顔が赤い。
せっかく帰っているのだから両親の墓参りに行こうと思っていた矢先に、おじさんが私を手招きしてきた。案の定、台所への呼び出しだった。本当は嫌だったけれど、私が逆らえるはずもない。
「やけど、おまはんはこれからどうするんや? どこで働いて、どうやって暮らしていくんか? いつ結婚して、いつ子ども生むつもりなんや? ――大学卒業して、それから何をするつもりなんかなぁ?」
疑問符がつくたびに、私の視線はどんどん下に向く。しまいにはテーブルの木目しか見えなかった。
おじさんの声はあくまで穏やかなものだ。怒る時はものすごく怒るけれども、人に手をあげるようなことはしない。
「そ、れは、まだわからなくて……」
「地元就職するんやろ? 今日ニュースでもやっとったんやけどなあ、早い子はもう今からでも情報集めとるんやと。おまはん、それでええと思っとるんか? それでほんとに間に合うか?」
「……まだ、大丈夫だよ」
おじさんは私に地元就職を求めていた。たぶん、下宿先から引き揚げて、手元に置いておきたいのだろう。そもそもおじさん自身は中卒で働き始め、高校は夜間定時制で卒業、大学に行く意味に懐疑的だったものだから、卒業後は就職一択しか頭にないのだ。もしかしたら、私がおじさんの実の娘だったら、大学進学もしていなかったかもしれない。
でも、私は……。
頭の中で浮かんで来ようとした言葉は、すぐに泡みたいに消えた。今の私は、おじさんの前で縮こまっているだけの小娘に過ぎない。思考は常にしているけれど、舌はまるで回ってくれない。ダムにせきとめられているように、ぐるぐると文にもならない欠けた言葉が縦横無尽に飛び交っている。
私は無意識に唇をくいしばっていた。
「おまはん、わしに何か言うことあらへんか。何か言わなわからへんで。おまはんは昔からだんまりやで、こっちも困る。いつもおどおどびくびくしててなあ」
圭子おばさんは家にいない。回覧板ついでに近所に野菜のおすそ分けにいくと言っていたから、おおかたどこかで話しこんでいるのだろう。だから今の私には味方もいないし、私の気持ちを代わりに代弁してくれるような人もいない。
「……将来のこと、ちゃんと考えているよ。だからあんまり心配しないで」
……お父さんとお母さんは、口下手な私の言葉を掬いあげてくれたし、何か言い終わるまでちゃんと待っていてくれた。そのことが、どれだけありがたいことだったことか。
おじさんは悪い人じゃない。おじさんなりに姪っ子の将来を案じている。
だからしょっちゅうスマホに電話がかかってくるし、ことあるごとに地元から通うことを勧めてくる。ただ、互いに何重にも誤解を重ねていた一方通行な意志疎通を繰り返している。それが辛い。
結局、「大丈夫だよ」「どこが?」 こんなやり取りを何度も繰り返す。そうしたのも、自分がこれ以上のはっきりとした答えができないこともあったけれど、第一に、明日お酒を抜けたおじさんは十中八九、今日の出来事もすっぽり抜けてしまうのだ。だから口先で「大丈夫だ」と誤魔化す。そのたびに自分が空っぽになっていくような気がした。
「大丈夫」? 本当に、「大丈夫」だなんて思えない。
ひたすら守りに入って嵐をやり過ごした私は、予定通り墓参りに赴いた。
山裾の墓地までは南へ徒歩二十五分。一人と一匹、砂利道を歩いていく。モモは珍しいお散歩コースに興味津々だ。前のめりになって、リードをぐいぐい引っ張っていく。つられて私も前のめり。
今日は幸いにも真夏日というわけでもなく、辺りにはトンボがたくさん飛んでいた。トンボと言えば秋のイメージだけれど、夏にもいる。昔は「この指とまれ」を実践してみたんだけれど、ちっとも上手くいかなかった。
ふとズボンのポケットに入れていたスマホが震えた。この夏、なんとなく登録しておいた就職サイトの更新メールが来ている。件名は『インターンシップ随時募集中! この夏こそ、ライバルに一歩先んじよう!』。溜息をしたくなる。
何気なく操作して、菱川さんの連絡先の画面を呼び出す。『菱川公人』。その文字列に目が引き寄せられる気がした。
ずっと胸にもやもやが溜まっていて、誰かに吐き出してしまいたかった。菱川さんなら聞いてくれるかもしれない。でも、今はきっと仕事中のはず。そんな時に、女子大生の甘えた泣き言を聞かされるなんて、迷惑に違いない。
「菱川さん……」
周囲に人の影がないことをいいことにそっと呟く。耳元に当てたスマホは、相手への呼び出し音を奏で……すぐに途切れた。
『梢さん?』
田畑と川が広がる風景の真ん中で、菱川さんの声が聞こえる。
「ひ……し、か……わさん。わ、わた、しは」
ダムが決壊した。口元が歪む。しゃくりあげる。涙が出る。鼻水をすする。押し殺したような泣き声が響くのを、どこか他人事のように見つめる私がいた。モモはさすがに歩みを止めている。
「どう……したらい、いいか……わからなくて。めいわく、だって思ったけど! すみ、ません……けっ、結局でんわを、かけてしまって……!」
電話向こうの沈黙が不気味なほど長かった。
『うん。僕の方はいいんだよ。ちょうど出先で休憩していたところだよ。全然、迷惑なんてことない。梢さんの話を聞く時間ぐらいはあるよ。何かあったんだよね。話してみて』
菱川さんの声は力強くて、私はちょっとだけ落ち着きを取り戻した。言葉が足りているかわからないけれど、懸命にこれまでのことを話した。相変わらずたどたどしい要領を得ない話し方だったと思うのに、菱川さんは、「こういうことだね」、と言外のことまで掬いあげるぐらい、熱心に話を聞いてくれた。
『人間関係って、難しいよね』
私の話を聞き終えた菱川さんは静かな調子で告げた。
『その中でも、家族や恋人関係は特に難しいよ。身近な相手に対する親しみや好意、甘えがあるけれど、それが正しく相手に伝わっているとは限らないわけだからね。言葉を尽くしたところでも、その何分の一ぐらいしか伝わらないことだってある。梢さんも、おじさんの気持ちをちゃんと理解しているんだよね。だから辛いんだよね』
「……はい」
『梢さんは、自分が悪いんだ、みたいな言い方をしたけれどね、こういうことって、どちらが悪いということはないと思うんだ。互いに冷静になって、歩み寄るのが一番いい。……ただ、そのおじさんには話の間はアルコールを抜いてもらったほうがよさそうだけれどね』
思わずくすりと笑ってしまった。
『あ、今笑った?』
「確かにその通りだなって、納得したんです」
『少しは平気になったみたいだね』
私はこの時、菱川さんはわざとこんな物言いをしたんだろうな、と直感した。私を慰めるために。
『僕から見て、梢さんは真面目に色々考えているよ。きっとおじさんから見てもそうなんじゃないかな。ほら、口出しするのは心配の裏返しだし、きっと姪が歯がゆいんだろうね。お酒が入ったらつい口が緩んでしまうんだよ。……でもさ、決める権利は、梢さんだけのものだよ。他の誰のものでもないんだ。前も言ったけれど、まだ悩む時間は残っているよ。梢さんなりのペースで答えを出せばいいんだよ』
お節介でアドバイスをするとしたら、と菱川さんは付け加えた。
『自分が何をしている時、楽しいか。または、したくないことを消去法で消してみるとか、色々考え方はあると思うよ。もしかしたら、梢さんはとっくに答えを見つけているかもしれないけれどね』
「え?」
『あと、言葉に詰まると思ったら、一旦文章にして、頭を整理するのもいいよ。僕も似たようなことをするし。おじさんを説得するときには、プレゼン発表する勢いで準備したら堂々と自分の意見を言えるようになるよ』
言葉に詰まったら文章を書くというのはいいかもしれない。これまでも何本ものレポートを提出してきたこともあって、話すことよりも書くことの方が訓練されている。
涙はいつの間にか止まっていた。濡れた目元を手で拭う。今日はすっぴんだったからお化けみたいな顔にはなっていないだろう。
「なんとかなりそうな気がしてきました。大丈夫そうです」
今度の「大丈夫」は空っぽの「大丈夫」じゃない。
『よかった。最初、本当は梢さんの実家に押しかけていきたいぐらいだったんけれど』
菱川さんはあの長い沈黙の間にそんなことを考えていたらしい。
『そうすると、さらに状況が複雑になりそうだったからね。おじさんからすれば、得体のしれない男が姪っ子を追いかけてきて家に来た時点で、お前誰だ、ということになってしまうわけだから』
「それは……確かに困ってしまいますね」
『またご挨拶はしかるべき時に行くことにするよ』
「そうですね……」
これは後々、菱川さんとちゃんと話し合って、タイミングを計らなくちゃいけない問題だ。
菱川さんVSおじさんの戦いが始まるのも案外近い……のかもしれない。一緒に頑張りましょう、菱川さん。
『そうだ。こっちには明日戻ってくるんだったんだよね? 何時ごろ?』
「夕方ぐらいに帰ろうかと……」
『僕も明日、その近辺を電車で通るから、待ち合わせて一緒に帰ろう。確か、梢さんの最寄りの駅から本線に合流する駅があったよね。そこで待ってるから』
「でもお仕事の時間は」
私が心配になって声を上げれば、そこに低い声が覆いかぶさった。
『……それぐらい合わせられるよ。会いたいんだ、僕が』
私の胸がきゅんとときめいた。菱川さんの本気がこもった言葉が嬉しい。
「よろしくお願いします……」
『うん、こちらこそよろしく』
それから菱川さんに手厚くお礼を言ってから、電話を切る。通話時間は一時間以上だった。おぅ……。
しばらく放置してしまったモモは、話している間に砂利道のど真ん中で伏せの態勢で待っていた。ごめん、モモ。
あまり帰りが遅くても心配されてしまうので、それから小走りで墓場に行き、掃除などを手早く済ませてから、両親の墓石に手を合わせた。
父さん、母さん。娘は今日も元気に生きています。いや、まあ、ちょっぴり涙出ちゃったけれど……ほ、ほら、だって、女の子なんだもん(白目)。
ごちゃごちゃと心の中で何度も横道にそれたけれども、つまりは、こういうことだ。
——父さん、母さん。私、大事な人ができました。
あれ、今更ながら菱川さんの前でぼろぼろになって泣いたことが恥ずかしくなってきた。明日気まずい。……ものすごく、会うのが気まずくなってきた。
——お父さま、お母さま。どうかこの不肖の娘が明日も平気な顔で菱川さんの前に出られますように。
柏手打ってお願いしておいた。もちろん墓場であって、神社でないのは重々承知しているのだが。




