かき氷係に転職しました?
私に許されたのはシャワーと着付けのための時間だけだった。浴衣の着付けなんて私にはできないので、圭子おばさんにお願いする。おばさんは私が昔着ていた浴衣を着付けながら、やっぱり女の子は華やいでいいわねぇ、なんて言いながらどことなく生き生きとしている。
紫の地に暖色系の大きな花が散った柄の浴衣は、元々母も若いころに着ていたものだ。絞り染めの帯を後ろでぎゅっと締められると背筋が伸びる心地がする。
昔、この浴衣が好きじゃなかった。だって、自分で選んだものでなかったし、何度見ても可愛いと思えなかった。ショッピングセンターとかで眺めた浴衣はどれも華やかで可愛くて、ものすごく欲しかったけれども、お母さんは新しい浴衣を買ってくれなかった。今あるもので十分だからって。でも私はずっと新しい浴衣に憧れていたと思う。浴衣の後ろの大きな蝶々結びや周りの女の子たちが着ている浴衣が羨ましくて仕方がなかった。……それも、中学、高校と進むうちに忘れてしまったんだけれどね。自分でそういう「可愛い」浴衣が似合わないと思うようになってしまっていたから。浴衣自体も着ることもなくなった。
今、姿見に映っているのは、数年ぶりに浴衣を着た私だ。こうしてみると、自分の浴衣姿をふてくされた顔で眺めていたあの頃とは少し違う気持ちになっている。相変わらず浴衣に着せられている感は否めないけれど、この浴衣の良さがわかってきたからだろうか。この柄も、大人っぽくてモダンだと思うようになり、ショッピングセンターで売っている量産型の浴衣よりも、実はこの浴衣の方が高価だったということを知った。今ならあんなに駄々こねる必要はなかったのになあ、と思う。
おじさんはさっさと会場に行ってしまったらしく、私は手早く髪を後ろで一つに結い上げて、下駄をカラコロと鳴らしながら一人で会場の自治会館前広場に向かった。おばさんも一緒に行こうとしたところ、電話が鳴ったので、先に行きなさいと言われてしまった。……知り合いがほとんどいない中に、一人で飛び込めってことですね。
広場にはすでに提灯やら櫓が組みあがり、軽食を配るテントも設置され、近所の人が集まりつつあった。
なんだか懐かしい気持ちになる。昔、盆踊り大会と言えば、ここでの催しのことだった。お父さんとおじさんはだいぶ年が離れていたけれどとても仲のいい兄弟で、こういう時にかこつけて毎年遊びに来ていたのだ。まあ、基本的に二人ともビールをタダでもらえることを特に目当てにしていたような節はあったけれど。
おじさんは頭にタオル、よれよれの半ズボン姿でつっかけを履いたまま、フランクフルトを焼いていた。完全にくたびれた田舎のおっさん……うん、間違ってない。
「ほぉ、おまはん、うまく化けたものやないけ」
おじさんの頬はほんのり赤い。すでに二缶分は胃の中に入っているものと思われる。
「ほれ、そこの机にかき氷マシーンがあるやろ、その前に座って、適当に機械回して、渡しとけ。シロップは『せるふさあびす』でもなんでも構わん。あ、暇だったら踊っとけ。その時に輪ゴム渡されるやろ? あれで後からお菓子の詰め合わせもらえるからな。昔来とったからそのあたりはわかっとるやろ。まあ、そんな感じで頼むわ」
テントの周囲はおじさんやおじいさんたちで一杯だ。たむろっている感じだけど……なんだか随分暇そうに見えた。これ、本当に私は必要なのかしら。
何はともあれ、頼まれたものは仕方がないので、私は机にスタンバイした。すぐに浴衣を着た女の子がやってきたので、かき氷を作り始める。かき氷マシーンはもちろん手動だ。ホームセンターで売っているやすそうなやつ。そのハンドルをゴリゴリと回して、使い捨てのカップに削れた氷を入れていく。女の子はうわあ、とかき氷が出来ていく様子を歓声とともに見守った。その後ろで母親が、きれいだねえ、なんて言っているのが微笑ましい。
「はい、どうぞ」
注文通りイチゴのシロップをかけて渡すと、
「ありがとー」
と、舌足らずな声でお礼を言われた。なんだか嬉しいな。
それからもぽつぽつやってくる「お客さん」に対応していく。久々の接客だ。ここの飲食物は無料だから、気軽に来る人も多かった。
「えー、お集りの皆さん、わたくしは自治会長の……」
しばらくたって、自治会長の口上が始まる。
「今日は毎年恒例の盆踊り大会でして、えー……、そういうことでして、えー……」
開会挨拶に関係なく、お客さんはやってくる。孫二人を連れたおじいさんがこの時にも私に声をかけてくる。
「お、かき氷二つやってもらえるか? その青いやつと黄色いやつかけてな。あ、ハーフアンドハーフでな」
ハーフアンドハーフ……。ピザの注文みたい。色が混ざって緑色になりそう。間違ってもメロン味には変わりそうにないけれどね。
「あ、わかりましたー」
氷を機械で削ってから、シロップを少量ずつかける。色が混ざらないようにと気をつけたけれど、微妙に緑色の部分ができてしまった。うーん、こういうものなのかな?
この間にも自治会長の挨拶は続く。
「今年も例年のごとく、子ども会には提灯に絵をかいてもらっておりまして、今そこのフェンスにかかっておりましてー、えー……」
「……あの大森さんとこの社長さん、やたら話なげーなぁ。『えー』っていうのも長いし。あんたもそう思わへん? つまらんやろ?」
おじいさんはそう言いながら私が作ったかき氷を受け取った。できればこちらが返しにくい問いを投げないでいただけると助かります。私はただのボランティアなので、何かをいう立場にはないのです。……おおむね、私も話長いなあ、とは内心思っていたけれど。
とはいいつつも、こういう場合、相手に大した答えを求めていなかったりもする。私は曖昧に微笑んでやり過ごした。
※
盆踊りが始まって真っ先に踊りに行くのはある意味猛者だと思う。大勢の中の人として踊るのではないのだから、踊りそのものが不得意な私にはとてもじゃないけれど、無理。集まっている人も、音楽は鳴っていてもなかなか踊ろうという気にはならない。だから地域の民謡クラブのおばさま方がサクラとして最初から踊っていたりするのもその現われなんかじゃないかな。この年になって、盆踊りの裏側を見た気がする。
かき氷づくりがひと段落したところでおじさんからマスタードを塗られたフランクフルトが二本差し入れされたので、時折顔をしかめながらもぐもぐと食べる。マスタードがしっかり利きすぎていたのだ。
飲み物代わりに、自分の分のかき氷も作ってみた。シロップはイチゴとレモン。混ぜてみたら案の定、オレンジっぽくなりました。おぉ、案外これ楽しいかも。赤と青と黄というのは色の三原色そのものだものね。……全部混ぜたら、黒っぽくなるのか試したくなってきた。
近くに誰も知り合いがいない中、一人で勝手に浮かれていると、巾着に入っていたスマホが振動した。電話だ。……あ、菱川さんだ。
私はそそくさと席を離れた。人がまばらな道路の端っこに寄りながら電話に出る。もちろんその前には深呼吸も忘れずに。
「……もしもし? 菱川さん?」
『ああ、こんばんは、梢さん。急に電話してごめんね。今、時間ある?』
「はい、大丈夫ですよ。何かご用ですか?」
電話の向こうでは一瞬の沈黙があった。でもすぐに優しげな声が返ってくる。
『ん……いや。特に用はないんだけれどね。しばらく会えないと思ったら、電話したくなってしまって。やっぱり直接声を聞いた方がいいね。梢さんの声を聞くと安心するよ』
「え、えっと……」
こちらはなんと答えるべき? 菱川さんお得意の不意打ちに、平静な判断力がかき消えてしまった。
しかし、今の私はちょっと違うのだ。何せ、これは電話。対面時の破壊力よりははるかにマシ。私の防御力は日々進化している(はず)なのだ。よ、よし、深呼吸だ、深呼吸……。ほら、深呼吸して落ち着こうというのが思いつく辺り、私は冷静だ。
「私でよければ、いくらでも話します。何か……何の話がいいですか?」
『そうだなぁ。今は何をやっていたの? 盆踊りの音楽が聞こえてくるけれど』
「あ、まさに今盆踊り中なんです。地区の小さな催しの一環で。私もおじさんに言われて手伝っていたんですよ。かき氷係なんです、私」
『へぇ。すごく賑やかなんだろうね』
「いえ、そこまででは。田舎で、おじさんとおばさんと子供ぐらいしか来ない祭りです。私と同世代の人はほとんど来ていないと思いますよ」
『そっか』
菱川さんの声が心なしか安堵したようなものになる。
『梢さんも浴衣を着ているの?』
「え、それはまぁ……そう、ですよ」
何となく、浴衣を着ていることを肯定するのが恥ずかしい。おのずと視線が真っ黒な地面に向く。
『残念、僕も見たかったな、梢さんの浴衣姿。可愛いんだろうなぁ』
「そんなにハードルを上げないでください……」
菱川さんの中での私の浴衣姿がどうなっているのか気になる。
『写真は撮っていないの?』
「撮ってません……」
勘弁してください。
『これから撮るつもりはないかな? 折角だし、僕も見たいな』
「そ、それは困ります!」
『どうして?』
「は、恥ずかしいからですよ……」
これが私の浴衣姿です、バーン! と自慢げに写メを送れるほどの自信はないのです。躊躇なく送れる人にはどうしてそんなことができるのか、ぜひともお伺いしたい。
菱川さんは軽く笑い声を上げた。……明らかに楽しんでません?
『僕は気にしないけどな。誰にも見せるつもりはないしね。……だめかな』
正直言って、私は迷った。他ならない菱川さんが望んでいるんだから、私の羞恥心なんていくらでもかき捨てて——いや、でもやっぱり勇気が出にくいというか。髪とか思いっきり適当にひっつめてしまっているし、夏の夜は蒸し暑いからすでに汗が滲んでいるのだ。昨今のスマホの画質は恐ろしいほど高精度なのでごまかせない。どうせ送るなら、ちゃんと着飾りたいという乙女心が疼く。
「……保留でお願いできないでしょうか」
『うん、了解』
菱川さんはあっさり引き下がってくれた。
『考えてみれば、これからそういう機会はいくらでもあるよね。写真はまた次の機会にするよ』
あ、あはは。どうやら、次に浴衣を着た時、菱川さんによる写真撮影会が開催されることになりそうです。やばいな、気合入れなくちゃな。
そこへ、唐突に私の肩が叩かれた。




