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ご挨拶するのが早すぎませんか?

「おーい、コージンー。休憩上がったぞぉー、お前もそろそろ取れよー。おーい?」


 突如響く、野太い男性の声。足音が近づいてくる。私を見つめていた菱川さんが反応したところでやっと私も我に返った。そう言えばここは店内。しかも入口付近……。


「あ、ああああああの、菱川さん! 手、手っ」


 菱川さんは不思議そうにしながらも手を離した。


「手を握るのが早かったかな。……でも僕がそうしたかったんだよ。ごめんね?」

「い、いえ、嫌というわけでは……!」


 私は慌てて首を振った。でも……と思わず口にしてしまう。でも? ここまで言ったら理由を問われるに違いない。だから羞恥心と戦いながら続ける。


「人の目があるし……恥ずかしいじゃないですか」


 そして菱川さんの反応を待つ。

 菱川さんは口元を押さえて、別の手で無言のまま私の頭を撫でた。なぜ。


「おおっ、コージン、こんなところにって……。あれま」


 棚の間からにょきっとでかい男性が現れた。そしてすぐさまにやにや。


「仕事中にナンパはよくないぞー。ごめんなー、そこの店員は調子のいいことしか並べたてるのが得意でさー」


 私は思わず菱川さんを見上げた。ぽろっと涙が出てきた。ぽろぽろとどんどこ零れていく。

 家族が死んだ時も流せなかった涙が、今になってどうして。思った以上に打ちのめされている私がいて、しゃくりあげる寸前のように口元が震えた。


――そうだよね、そんな虫のいい話なんて早々ない。全部冗談だった、という方が普通だよね。バイトのことといい、言葉をそのまま真に受けて。本当に学習しないなぁ……。


――でもいやだな。


 視線をそらして、目をこすった。惨めなほどに目元から水がこぼれていた。

 恥ずかしくて、情けなかった。


「梢さん」


 そうか。会ったばかりだけれど、私はこの人に救われたからだ。大事な人になってしまったからだ。もう亡くしたくないと思って、泣くんだ。


「菱川さん……すみません、私、勝手に勘違いしていたようですね。……ご迷惑をおかけしました」


 言いたくはなかったけれど、私もずうずうしく居座れるほど厚顔ではなかった。気分が上向いたところで真っ逆さまに落とされて、心の中はぐちゃぐちゃに散らかっている。この次、自分からどんな言葉が出てくるか想像できない。


 踵を返そうとした私だが、その腕をすかさず掴まれる。


「大丈夫だから。『勘違い』なんて何もしていないよ」


 菱川さんは優しかった。取り出したハンカチで私の眦や頬の涙を拭ってくれる。きっと今、化粧はぜんぶ流れてしまっている。薄化粧だったけど、大層ブサイクになっているに違いない。


「ナンパしているように見えるかもしれない……いや、実際はナンパみたいなものかもね。でも僕は梢さん以外には言わないよ。山田はちょっと口が可哀想なやつだから許してやって」

「口が可哀想っておい……」


 近寄ってきた男性はアメフト選手のようにがっちりとした身体をしていた。菱川さんと同じエプロンをしていたものの、顔立ちも日焼けしていてごつければ、二の腕も丸太のように太い。たとえこちらを気遣うような顔で覗き込まれても委縮してしまう。


「俺……もしかして、空気読めない発言してた?」

「していたね」

「ゴメン」

「僕じゃなくて、梢さんに謝って。ショック受けてたのわかるだろう?」


 山田さんと呼ばれていたアメフトマッチョはしゅんと身体を縮こまらせながらも、しっかりと頭を下げた。


「傷つけるつもりはなかった。ごめんなさい」

「い、いえ……」

「コージンはしばらく休憩でいいよな。じゃあ……」


 アメフトマッチョは去っていった。店内に消えていく背中に哀愁が漂っている。


「山田は同僚だけど、友人なんだ」


 ややあってから菱川さんがそう言った。


「根は悪いやつじゃない。許してやって。それと……僕のことも。僕は真剣だったけれど、梢さんにとっては僕という人間はまだまだ怪しいことに違いない。これから少しでも安心してもらえるように努めるから」

「……はい」


 ほっと菱川さんが息をつく。


 それを見て、私も安心する。

 今菱川さんが言ったこと。それは菱川さんにとっての私にも当てはまることのはずだ。それでもこの人は恐れずに私に踏み込んできてくれた。だったら。


「私も……菱川さんに安心してもらえるように、頑張ります」



 同じだけ菱川さんを信じていたい。それでは……ダメなのかな。


 言葉にするのは簡単。でも行動に移していきたい。私なりの決意表明だ。


 しっかりと目を見て話せば、菱川さんはくしゃりと笑み崩れた。……この人のことでもう一つわかった。きっと、笑顔の大盤振る舞いが好きな人だ。


「そっか。嬉しいな。じゃあ、さっそく一つ頼んでもいい?」

「わ、私にできることなら」

「うん、十分できる。……手を繋いでもいいかな」

「……どうぞ」


 そろそろと手を出してみる。しっかり握られてしまった。


 そのままずんずんと細い通路を通っていく。ちらほら見えるお客さんも全部スルー……というよりあまり構って欲しくなさそうだ。しらっとした顔をしている。……有田焼の皿を舐めるように見つめているお坊さんが妙にシュールだった。


 店内を抜けた。目立たないところにある扉を開くと階段があって、そこを二階、三階、と上っていく。途中で、


「あ。エレベーターを使えばよかったかな」


 と菱川さんが呟く。すでに五階に至るところだった。目的地は六階だという。

 廊下の一番奥、白いプレートに明朝体で「社長室」と書かれた扉をおざなりにノックしてから入った。


「親父」


 中にいたのは見事なバーコード……どこの、とは言わないけれど。失礼すぎる。

 でもそれ以外はスーツをきっちりきた、いかにも「社長」然とした人だ。アンティーク調の家具に、やたらやわらかい絨毯に囲まれていたので、なるほど、と納得する。


 ただ妙に気になったのは社長の大きな机の隅に座っているビスクドール……。確かに美少女ではあるけれども、どうしてここに。でも店前に能面を飾るほどの会社だから今更かも。


「公人か。何の用だ。仕事中じゃなかったか」


 社長は机の上の書類を読むのから顔を上げて、値踏みするような視線を私に向ける。

 緊張した。社長ではあるけれども菱川さんのお父さんでもあるのだ。


「いえ、遅いお昼休みですよ。午前中に出張から帰ってきたばかりで。たまたま店番を手伝っていただけ。本来は休みでした」

「そうか。まあいい。……で、こんなところにどこかのお嬢さんを連れてきてどうしたんだ?」

「この人をぜひとも紹介しようと思って」


 菱川産興の社長は静かに書類を置き、立ち上がった。机の前に回り込んで、応接用のソファーに腰かけ、


「まあ、座りなさい」


 対面する位置にあるソファーを指差した。言われるままに私と菱川さんが座る。

 相手が先に口火を切った。


「公人がお嬢さんを連れてきた、ということはこのお嬢さんと結婚するつもりか」

「はい」


 菱川さんは即答した。ものすごく早かった。びっくりした。


「これからゆっくりと仲を深めていこうと考えています。いずれ嫁に来てくれるはずですので、先に親父に話をつけておこうと思って。それと、ここにいる梢さんに僕の気持ちを知っていてもらいたくて」

「そうか」


 菱川さんのお父さんはしばらく腕を組んでじっと考えていた。やがて、こちらを見る。


「少し、君について尋ねてもいいかね」

「は、はい」


 ソファーに座っても繋がれた手が、握りこまれた。菱川さんが安心して、と言ってくれているようだ。

 私もちょっと笑ってみせると、菱川さんのお父さんに向き直る。


 名前は。年齢は。そんな質問から始まって。大学は。住所は。趣味は。色々と聞かれた。正直に答えていく。そして、やはりあの質問がふられた。


「ご家族は何をしてみえるの」


 比較的動いていた口が閉じ、一拍してから。


「両親は私の高校時代に事故で他界しました。親戚は実家近くに住んでいて、私自身はこちらで一人暮らしをしています。他に家族はいません」


 一瞬だけしん、と静まり返った社長室。私の手はもう一度きゅっと握りこまれ、菱川さんのお父さんは眉根をぐっと寄せる。


「ご両親もさぞや無念だっただろう。娘が結婚する晴れ姿を見られずに……。こういうことを聞くと、本当にやりきれない。君も、頑張ったね」

「いえ……」


 特別に頑張ってきたわけではないと思う。ただ流されて来たら、ここまで来てしまっただけ。

 でもそれを口にすれば、気の毒そうな顔をされてしまった。


「もしよかったらだが、私のことはお父さん、と呼んでくれてもいい」

「お父さん?」


 呼んでみたら、真剣な表情で頷かれる。気にいられなかったわけではないだろうけれど、これは一体どういう評価なのだろう。


 お父さん、かぁ……。私にとってはお父さんはたった一人だけだ。でも久しぶりに口にするとどこか懐かしい気持ちになる。それと同時に、自分に確かな支えができたような気がした。誰かと繋がっていられる心地よさというものかも。泣きたいほど嬉しい。


「ありがとうございます」


 それと、お父さん、と小さく付け加えてみる。嬉しいけれど、やっぱり恥ずかしさもある。これはもうしょーがない。


「公人……。ビンゴだ」

「ビンゴでした」


 その一方で、うんうんと頷きながら見ているお父さんと、軽く頭を下げた菱川さんがいた。ビンゴ……。褒め言葉なのだろうことはわかるけれど。それ言うなら「当たり」じゃないかしら。


 どうやらお父さんはなかなかにずれた言葉を使う人らしい。



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