バランスよく野菜を摂取するのは贅沢ですか?
デートです。菱川さんと、初デート。考えるだけでどきどきしてきちゃうな。
なにせ、不肖、私三木梢はデートなるものには行ったことがありません。以前付き合った人とは遠距離恋愛。連絡取るぐらいが関の山、純粋にデートする間もなく、バイトしていた。そりゃ、自然消滅するわな。彼には悪いことしたと今も思ってる。別段好きだったというわけでもなかったのに、交際を了承して、放置。なんて都合のいい付き合い方をしていたのか。最低すぎる。
だから菱川さんには以前の私を知られたくない。せめて、今の私を見ていてほしいと思うのだ。
私は自室のベッドの上で手帳を出して、今から約一週間後の日付に赤ペンでくるくると印をつけた。これがデートの日だ。
同時に気づく。……あれ、前日はちょうど期末テストがある。しかも資料持ち込み不可で苦手な論述テストもある。今期の授業の中でも、課題もテストも一番重いと(先輩たちに)噂されている授業の、だ。
……菱川さんとのデートを憂いなく楽しむためにも全力をつくさなくては。
決意を新たに赤ペンで上から「テスト」の文字をなぞった。
そして久方ぶりに座る勉強机に向かう。しばらくはノートを広げたりして集中していたのだが、途中でなんだか妙に机の上の物が気になりはじめた。積みあがった本とか、整理されていないプリント……横の本棚の隙間につもる埃とか。いや、埃が溜まっているのはここだけじゃなくて……。
ふと足元の絨毯に目をやると、大きなゴキ様がすばやく横切っていかれた。こんなところに招かれざるお客様が。
「いや、大丈夫」
そっと私は気づかないふりをした。今もっとも大事なのは期末に向けて発生するテストに、レポートだ。部屋に発生するゴキ様なんてここにはいないのよ。ワタシハナニモミテイナイノヨ。
ただ、手帳にはテストと同じ日に、「大掃除」とこれまた大きな赤文字で書き加えておいた。
ゴキ様にはとびっきりのお屋敷を用意してあげるのだ。二度と外出したくなくなるような、粘着力のあるやつを。
※
招かれざる客は続いた。
『おーい、梢ー。元気にしとるけー?』
おじさんだった。どうやらおじさんはこの間、「おまはんから電話してこい云々」と電話越しに怒りを発散しおわったので、しばらく気にしないことにしたようだ。忘れているのかもしれないけれど。時々、思いだしたように以前のことを持ちだすときがあるから油断はできない。特にお酒を飲んでいるとその沸点がどこにあるか一向にわからなくなるから要注意だ。今はもう、夕方……きっととっくに日本酒三杯は軽くいっているに違いない。ほら、今も上機嫌。
『米と一緒にトマトも送ったでなぁ。これで夏バテしなくなるぞぉ。水分補給は大事やもんなぁ』
トマトを送ることはいいにしても一人暮らしに送る量じゃない。通じないだろうと思いつつ口を挟む。
「おじさん。水分補給ぐらいは私もわかってるって。それよりもね、もう少しトマトを送る量を考えてほしいというか……他の野菜もバランスよく送ってもらったほうがありがたいというか……」
『ほんなら、きゅうりはどうや? うちいっぱい生ってるでな。おまはんも小さいころ、きゅうりの塩もみをよう食べとったやろ? なら今からでもきゅうりを……おーい、圭子ぉー!』
山盛りのきゅうりが送られてくる未来しか見えなかった。
「おじさーんっ!! ほら! 夏って一杯野菜ができるでしょ、ナスとか、オクラ、ゴーヤだって!! 確か全部育ててたよね、私、食費代とか少ない方が助かるし、適度な量を送ってもらえるほうがありがたいな、すごく! あ、そうだ! 私、圭子おばさんと話したい! ね、ちょっと代わってもらえるっ?」
おじさんの操縦方法のコツ、その二。おだてる。その三。おばさんを引っ張り出す。トマトの二の舞は嫌なので、コンボで使わせてもらった。これもたまに利く。
『そりゃ、ええけどなぁ。……なんや、おまはん、わしのトマトが気に入らんかったか?』
あ、めんどくさいことになったと直感した。おじさんの思考回路はよくわからないときがある。
「そんなことはないよ! えーと、ほ、ほら! ドライトマトにして皆に配ったし!」
『……大学の友達とかか?』
「そ、そう! ちょっと一人で食べきれるかどうか不安だったから、大学の友達とかに……」
ぽん、と菱川さんの顔が脳裏をよぎった。
「お、おすそ分けしたの! みんなおじさんのトマトは美味しいって言ってたよ!」
「みんな」というのに含まれるのは実際「私」だけど。社交辞令が必要な時ってあるよね。
電話中のおじさんは少し嬉しそうな声で、「そうか!」と言った。上機嫌に戻ったらしい。
「ほな、圭子に代わるでな」
おじさんの話はこれで終わりと思った。でも、ついでという感じに続けられる。
『あぁ、あと今年の夏休みはこっちに帰って来るやろ? 去年みたいにバイトが忙しいからっていうのはナシやでな。バイトぐらい休みはどうにでもなるやろ。なんだっけ、あの、それでだめなバイトっちゅうやつは、あれや、あれ。なんやっけなぁ』
「……ブラックバイト?」
『そうや! そのブラックバイトってやつや。そんなんやめたらええ』
身につまされるアドバイスありがとうございます。ただもう少し早く言ってくれたほうがよかったかも。
ほら、ブラックバイトって、感覚が麻痺してくると他人からそう言われなくちゃわからないこともあるからね。
「大丈夫だよ、おじさん。今私バイトやってないし」
墓参りぐらいしなくちゃとは思っていた。ずっと行かなかったから、お父さんもお母さんも怒ってるかも。
「たぶん、ちゃんと帰る」
おじさんたちとしても、心配はしているのだろう。
本当は、おじさんの家から大学まで通えなくはない距離だったのを、私の我儘で下宿させてもらったという経緯がある。肝心なところで頭が上がらないのだ。
おじさんはその言葉に安心したように、やっとおばさんと代わった。今欲しい野菜の量を伝え、ぽつぽつと世間話をしてから切る。
はあっ、と息をついた。やっぱりものすごく疲れた気がする。
……菱川さんに電話しようかな。
唐突に思い立つ。何をしゃべりたいとかじゃなくて、なんだろう……声を聞いて、安心したいのかな。
まったくの突発的な衝動だった。「自分から手を伸ばさなければ、手に入らない」。その言葉が頭の中でぐるぐるとめぐっていく。遊園地のコーヒーカップの回転よりもひどい。
しばらくは菱川さんの連絡先が表示されたスマホの画面とにらめっこした。
散々迷った。でも結局は、その画面を閉じた。
代わりに、トークアプリを立ち上げて。ほんの少しだけ勇気を出してみた。
とくに話したい用件もないけれど、ただ繋がっていると信じたくて。
『おやすみなさい』
デフォルメされた白ウサギがちょこんとお辞儀をするスタンプを付けて。
すぐに既読がついた。
『おやすみ』
デフォルメされたクマが布団に入っていびきをかくスタンプも付いてきた。
可愛らしいクマだと思った。




