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プロレスのゴングは要りますか?

 

 夏のアスファルトは鉄板のごとく。

 都会のヒートアイランド現象は着実に私の身体を蝕んでいる。大学構内は意外に緑も多いから多少マシだった方だ。土が恋しい。ご存じでしょうか、農学部には畑がつきもので、この大学の四分の一面積は地元の山を彷彿とさせる緑に覆われていることを。目には優しいよね。たまに散歩したくなります。夏じゃなければ。

 

 ふっ、と世をひねたような笑みも浮かべたくなるもの。所詮県境を一つ越えただけでは、毎年襲い掛かるじっとりとした暑さからは逃れられないのだ。なんで気温は同じでも湿気が違うだけでこんなに蒸し暑くなるんだろう?


「暑い暑い暑い暑い暑い……」


 道を歩きながら思わず小声で口にするほど参っていた。でも陰鬱な口調とは裏腹に、少し駆け足気味になっている。ますます暑い!


 私は、今熱烈に涼を求めている。……言葉からして矛盾している気もするけれど、これでも必死なんです。



 という言い訳をつけて。

 私はあの店の前までやってきた。


 毎回のことだけど、ここに入るのは緊張する。中に入って目的の人と話してしまえば、どうにかなるのだけれど、うん。


 そっと中を覗けばいつもよりお客さんがいるのがわかる。週末だものね。

 しかしここの客層もよくわからない。とどのつまり、独特の雰囲気を持った人が多いのだ。

 芸能人みたいにおしゃれなおじさんもいれば、いかにも学者肌といったおじいさんもいる。キャラ立ちしている、といえばわかるだろうか。他は……年齢層は少し高めかな?


 自動ドアが開かないギリギリのラインに立ち止まっていると、肩をとんとん、と叩かれた。

 振り返ってどきりとする。


「こんにちは」


 菱川さんだった。エプロンもネクタイもしていない。青っぽいワイシャツのボタンが一つ開けられていて、袖もまくっている。暑いね、と言いながら手首の辺りで顔の汗をぬぐうところとか、そこはかとなく色気が漂っている。その際に眼鏡も少し外していて……どれだけ私の好みのど真ん中を突くのだろうか。ときめきゲージが振りきれそうです。


 私、熱中症で倒れないかな……。


「こ、こんにちは、菱川さん」

「ちょうどよかった。梢さんが来る頃だと思って、アイス買ってきたんだ。食べていって」


 菱川さんが持っていたのはコンビニアイスの袋だった……。中身は某高級メーカーのアイス。一個で三百円弱するから、なかなか手を出さないやつだ。ストロベリー、ラムレーズン、バニラ、レモンに抹茶。なんということでしょう。コンビニ袋の中にオアシスが。


「先に一つ選んで。残りはスタッフに差し入れするから」


 私はレモンを選んだ。この時期は無性にジェラート系が食べたくなるよね。

 入り口の能面が涼し気な顔で門番を務めている中、二人で店内に入った。

 ああ、暑さでささくれだった心が慰められるよ……。業務用エアコン万歳!


「おお、戻ったか」


 

 あ、アメフトマッチョ山田。私はさりげなく菱川さんの影に隠れた。

 しかし彼は気にしない。菱川さんにきさくに話しかけ、手に持った袋のすけ具合から中身を察したらしい。


「アイス買ってきたんだなぁ! 差し入れ?」

「そうだけど」


 梢さんの分も入ってるからね。

 続く菱川さんの声をアメフトマッチョは半分聞いていなかったらしい。


「俺レモンのアイス好きなんだよなぁー。買ってきてある? って、マジでか。あるじゃん! さすがコージン、抜け目ねーな!」


 何のためらいもなくレモンアイスのカップを取り出して、山田は豪快に笑っている。


 私は顔をひきつらせた。


 おのれ山田ー! そのアイスを誰のものだとこころえているのだ。イッツマイン!

 ああああああああぁっ、そんなことを言っている間にもしっかり握られたいかにも暑苦しそうな手がカップを包んで! 溶けた! 絶対に溶けちゃったよ!


 ……口には出さなかったけれど。


「そうだ、山田。一つ言っておくことがあるんだった」


 菱川さんは穏やかな声で言う。なぜだかこちらに向けた背中から不機嫌さが伝わってきた。


「山田の分のアイスはない」

「なんでだよ! スタッフの分だろ、俺の分だってあるはずだ! な、な?」

「ちゃんと聞いてたかな。梢さんの分も入ってるって。そもそもこれは梢さんのために買ってきたんだから、好きなものを選ぶ権利は梢さんにある。なんで山田が品定めしているの。スタッフのためだけだったとしても、山田が一番に選べるわけがないじゃないか。 譲り合いの精神なんだよ、こういうのって。山田はむしろ年下の梢さんにどうぞどうぞって勧める方の立場なんだからね。わかってる?」


 黒い聖母マリア様が降臨なされた。こういう理責めってけっこうくるんだよなぁ……。


「そ、それはそうだったな……。悪い悪い。でもなんでナシになるんだよ! 友達だろ!」


 しどろもどろになりながらも。

 山田、負けない。めげないなー、この人。私ならすぐにごめんなさいしちゃうよ。

 まったくの他人だったら気の毒に思ったかもしれないけれど、知らぬ仲でもなし、今回被害を受けている分だけブラック菱川さんを後ろから全力で応援しようと思います。頑張って、菱川さん! 声をかけた。心の中で。


「友達と書いて腐れ縁と読ませるのと間違えてないよね?」


 若侍菱川公衛門は無礼な振る舞いをした通りすがりの山田何某なにがしを切り捨ててしまった。なに、そのことば。切れ味抜群なんだけど。


「え、なに……お前怒ってる?」

「どうかな。そう見える? ……ま、でもそうかもね。自分の甘さに苛立ちはしたかな」


 ここでちらっと私を見て、菱川さんはごめんね、と申し訳なさそうにした。


「せっかく選んでもらったけれど、別のアイスでもいい? ……たぶん、もう溶け始めていると思うから」

「私の方は大丈夫です」


 と、いうしかないじゃないか。レモンアイスは確かに惜しいけれど、あんなに大きな手でべったりと触られていたら、今からほいと渡されても何か微妙な気持ちになるもの。

 それに菱川さんが私の代わりに色々言ってくれたから。それはそれで嬉しかったりするわけだ。


「抹茶も好きなんですよ、私」


 さりげなくリクエスト。菱川さんも、了解、抹茶ねって笑ってくれた。


「ごめんね、山田は察しが悪くて。……はい、お手をどうぞ。奥さん」


 ありがとうございます、旦那さん。

 そこまではまだ言えないけれど、心の中では遠慮なく。


 そのまま菱川さんに連れられ、棚の間をぎりぎりですれ違おうとすると、


「ちょ、待った!」

 

 山田、壁ドンならぬ棚ドンをしてきた。

 どうやらアメフトマッチョが再戦を申し込みたいらしい。戦いのゴングが鳴り響くようだ。

 ここはプロレス会場じゃないぞ、アメフトマッチョ山田。


「その子、この間の子だろ! コージンがナンパしてて、次の日も来た子! なんでまたここにいるんだよ!」

「何って……僕の奥さんだけど」


 菱川さんはごく普通に告げた。きゅんとした。


「この一週間の間に説明してなかったっけ。ここにいる三木梢さんと結婚を前提に交際しているって。何回も」

「いや、だって冗談だと思ってたんだよ! おかしーだろ、ぽっと出てきた子を付き合う段階をすっとばして、いきなり奥さんだとか結婚だとか言うんだぜ? 何かの冗談ってふつー思うじゃないかよ!」


 ……否定はできないかも。でもそれは本人たちの問題であって、他人にどうこう言われたくない。

 私は覚悟を決めて、アメフトマッチョの前に立った。ぺこりと頭を下げる。


「一応、はじめまして。三木梢と言います。……菱川さんとは真剣にお付き合いをさせてもらっています」


 山田は凍り付いたように動かなくなった。


 




 


 



 

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