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お探しなのは「愉快な旦那さん」ですか?


 疲れた、もうやだ。

 

 ぷっつんと前触れもなく切れたのはバイト先の帰り道、午前一時のコンビニ前。


 街灯がぽつりぽつりと道を照らす通りの最中、まるでお帰りなさいとばかりにコンビニの明々とした照明が目に飛び込んできた。


 一人暮らしには眩しすぎた。家族団らんの明かりじゃないけど、一瞬だけ昔の幻想を見てしまいそうになる。ただいまと言って、おかえりと返ってくる声。


 こずえ、ともう二度と聞くことのない声が私の耳に蘇った気がした。母が私を呼んでいる。空耳だとわかっていても、時々振り返ってしまう自分がいた。


 私は両親を亡くしている。車の交通事故だった。

 当時は私も受験生。自分の進路どころか、これからの生活をも不安だったが、幸いにも両親の保険金で大学進学を果たした。今は大学三年生になる。


それなりに時間は経って、色々と平気になってきたけれど。時折、寂しい。


 家族三人揃って食べることにしていた朝食と夕食。父親の趣味だったギター。母親の趣味だった刺繍。どっちもずっとへったくそのままだった。なのに、その光景が頭を過ぎり、その生活音や匂いまでも思い出されてどうしようもなくなる。


 誰かと一緒にいれば平気だろうと考えて、友達ともたくさん遊んだし、彼氏だって作ってみた。でもいつも空元気になってしまって、逆に疲れてしまった。


――三木さん、最近そっけないんじゃない?


 距離を取れば、相手もそれに気づく。静かにフェードアウトしていく彼らを引き止めなかった。


 人間関係がだんだん粗雑になっていくが、もういいやと開き直る。


 両親が死んだ時だって泣けなかった。何もかもどうだってよかった。


 代わりにバイトに打ち込むことにした。サークルという手もあったが、お金を稼げるという点でバイトの圧勝だったのだ。でも、入ったのはブラックバイト上等の某飲食店チェーン。


 怒鳴られ、けなされ、悪口言われ。


 なんだか自分って駄目なやつだったんだなぁ、と。諸経費という名目でさっぴかれた給与明細を受け取りながらぼんやりする毎月十五日。


 やめたいと思うことがそもそもの間違いなのだ。それは自分の心の甘えで、楽したいという怠惰の表れだとさえ思っていた。


 そうやって、ずっと我慢してきた。いや、我慢しているとも思っていなかった。

 だって、自分ができないのは要領の悪い自分のせいだから、と。


 知らぬ間に色んなものが積みあがっていたのかもしれない。

 唐突に爆発して、自覚してしまった。


 一日十時間労働したって、寂しいものは寂しい。何一つ満たされてなんかない。


 時間だけ取られて、お金もたまらない。何の甲斐もなくて、擦り切れて消耗していく自分。


 欲しかったのは、自分を暖かく迎えてくれる家族だった。

 いつのまにこんなに遠くまで来てしまったのだろう。

 私は一人ぼっち。世界中で、一人きり。



 悲しいはずなのに、涙が出てこなかった。





 最終的に、弁護士さんに相談した。

 こんな大学生相手に無料で相談とか乗ってくれるんだね。おかげでバイトもやめられました。


 ありがとうございました、と形ばかり頭を下げて、もう二度と来ないだろうバイト先を後にする。


 最後に塩をまかれた気がするけど、気にしちゃ駄目だよね。睨まれたってどうしようもないよね。


 角を曲がって、ふと立ち止まってみた。


 歩道には人が、車道には車がいる。常にどれも移動を続けていて、途切れない。


 血管の中の赤血球の動きもこんな感じだろうか。心臓というポンプがある限り、身体のあらゆる細胞に酸素を送る。


 現実で道を行きかう人も、何か活動するためにここにいる。

 けれど、今。立ち止まっているのは私だけ。

 私が立ち尽くしたところで、誰も気に留めない。


 じわじわと胸にくるものがある。

 ぽつんと一人きりの食卓に座るのが、嫌だ。

 コンビニ弁当は嫌だ。

 お母さんの手料理とお弁当が食べたい。


 どうしてお金だけ残して消えちゃったの、お父さん。

 あんなに大きかったお父さんが小さなお骨に収まるだなんて、知りたくなかった。


――私はずっと一人なのかな……。



 考え込む間にも家路をとぼとぼと歩き続けていたらしい。


 気づけばなんでも取り扱っているという変わった評判の店の前に立っていた。

 鄙びた感じの灰色の五階建てビルディングの一階に掲げられた看板には「菱川産興」の文字。

 内部は新品も中古も構わず大きな棚に並べられ、通路は店の面積と比べ、まるで針の糸のように細い。

 大まかなジャンルでわけられているようだが、基本的に乱雑な印象がある。

 そういえば元友人が言っていたっけ。


――ここで彼氏が欲しいって言った子がいて、店員さんに冗談のつもりで尋ねたらしいんだけど。すると、その店員さん、懇切丁寧にその子の好みのタイプを聞き出してから、それに近い人を紹介したんだって。で、その子は今もその恋人と付き合ってるの。すごくない?


――そりゃすごい。


 私はなんの気なしに入口から中を覗く。

 噂通り押し迫ってくるような商品の存在感だ。

 ちなみに入口横に飾ってあったのは小面こおもて――女の能面だ。……「彼女」は一体何を見ているのだろうか。


 まあ、いいや。

 この際、どんなところか冷やかして帰ってやろう。

 礼儀として「彼女」に一礼してから一歩中に入る。

 ひやっとした空気が汗ばんだ皮膚を冷やした。うん、これだけでも入った甲斐があった。


「いらっしゃいませ」



 入ったすぐ横に黒髪メガネのお兄さんがいた。ワイシャツ、ネクタイにエプロン姿。社員さん? 育ちがよさそうな立ち姿だったのだけれど、いきなり話しかけられたことにびっくり。


 確か、ここは二階部分までが店舗だった気がするけれど、エプロンつけているなら、接客の人ってことでいいんだよね?


「何かお探しですか?」


 こんな小娘にも礼儀正しい対応で、訊いてくるお兄さん。いい人そうで、あまり困らせたくなかったのだけれど、私は首を振った。


「い、いえ、何か欲しいってわけじゃ……」

「そうですか」


 お兄さんはにこやかな微笑みをたたえたままだった。男だけど聖母マリアみたいな笑みだと思った。先日たまたま受けた美術史の授業で散々拝んでいたからかもしれない。


「で、でも、えっと……」


 ふいに落ちた沈黙に耐えられなくなった私の口は勝手にお兄さんを呼び止めていた。待って自分、何の用もないでしょ!


「え、えーと……」

「ゆっくりで構いませんよ」


 そう言われると根が真面目と言われる私はなおさら焦った。

 何か言わなくちゃいけない。それも早急に!


――ここで彼氏が欲しいって言った子がいて。


 頭の中によぎったが、あかんあかんと首を振る。

 あんなバカバカしい話があるなんて思えない。

 それに、彼氏なんて欲しくない。欲しいのは、彼氏よりもずっと、ずっと傍にいてくれる人の方が……。

 もっと贅沢をいうなら、ずっと私を笑わせてくれて、一緒にいると楽しいような……。


「旦那さんが、欲しい、です……」


 ぽつりと、呟いた。恥ずかしかったけれど、これが私の本心だった。


 一緒に食卓を囲んでくれる人で、ずっと傍にいてくれる人。支え合える人、家族になってくれる人。恋人よりもずっと重くて、確かなものが欲しかった。


 お兄さんは笑わなかった。


「どんな旦那様をお望みですか」

「え、えっと……。愉快な、旦那さん?」


 先程から要領の得ない返事ばかりで、自分の子どもっぽさに呆れてくる。

 二十歳超えてるくせに。


「愉快な旦那様ですか……」


 お兄さんは何事か考えているご様子。いや、そんな真剣にならずともいいんです。戯言です。馬鹿なんです! 一体、愉快な旦那様ってどんな旦那様よ!?


「そうですね。わかりました」


 え、何が? なぜそんなににこやかなの、さっきから! と聞き返したくなる私。

 明らかな動揺を見せる私にもお兄さんは動じません。


「ちょうどいい人がいるので、ここでご紹介しますよ」

「は、はぁ……。えっと、どうぞ」


 意味がわかりません。まさか、ここの店員さんとかですか。

 きょろきょろと周囲を見回してみる。……誰もいない感じですよ。


「僕です」


 視線を逸らしたところで言われたから、一瞬何が何だかわからなくなった。

 なにが、「僕」なのでしょうか。

 お兄さんに視線を戻して、首をかしげました。

 お兄さんは自分に向かって指さしていました。


「僕ですよ」


 意味がわかりません。


「ごめんなさい。今なんのお話をしていたのでしたっけ」


 何か聞き逃したところがあったのかも。

 しっかり聞く態勢を取った私に、お兄さんは噛み砕くようにして親切に教えてくれた。


「僕が、お客様のお探しの『愉快な旦那さん』です」


 ちょっと信じられなかった。思わずすっとぼけた反応をしてしまう。


「私、お金ありませんが……」

「大丈夫です。代金……対価は僕のお嫁さんということで」

「そうですか」

「そうですよ。お買い得です。ちなみにお買い上げいただけなければ、御蔵入りになってしまいます」


 なるほど、確かに愉快な旦那さんだった。

 冗談……でもこんなこと言わないよね?

 お兄さんの顔は何を考えているのかわからなかったけれど、まあたぶん本気なんだろうと暫定的に結論づけた。


「まずはお名前を聞かないといけませんよね。私、三木梢みきこずえといいます」


 するするっと出てきた対応はブラックバイトで培われたなけなしの対人スキルの賜物だった。動揺していても機械のように次にいうべき言葉がプログラミングされている。


 お辞儀をして挨拶した私と同じように、お兄さんもちょっと笑って頭を下げる。美しいという言葉がぴたりとはまる礼の仕方だった。惚れ惚れと眺めている間に、お兄さんは自分の名前を教えてくれた。


「僕は、菱川公人ひしかわきみひとです」




 というわけでして。私に「愉快な旦那さん」ができました。





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