1 始まり
どうしてあの時あんなことをしたのだろう。
どうしてあの時あんなことを思ったのだろう・・・。
後悔しか生まれない頭の中でお前のせいだという言葉だけが泡のように生まれては消えていく。
一時の感情のために私は見捨てたんだ。
私は自分の卑しさを知ってしまった。
私はなんて汚い人間なのだろう。
「クロエー。遊びに行きましょう!」
扉の外から私を呼ぶ声がした。私はそれに返事をして、外に出る。そこには陽の光に照らされてきらきらと輝く金髪と、透き通るような鮮やかな緑の瞳を持った少女と長い銀髪と赤い目をした少年が立っていた。
「おはよう!」
「おはよう、クロエ。」
少女は眩いような笑顔を向け、少年は微笑みながらそう言った。私はへへっと笑いながらおはようと返した。この少女の名前はシャリー、少年はリズレイだ。それはそれは美しく、村でも評判の二人だ。
「今日は湖に行くって言っていたでしょう?だから私お父さんに釣り竿借りてきたの!でも、私は釣りをしたことがないのだけれど・・・。クロエとリズレイはしたことある?」
「僕はやったことないなぁ・・・。」
「私はお父さんに連れられて一回だけやったことあるよ。まぁ、一回だけだけどね。ちょっと覚えているかも。」
「よかった!それじゃあ、クロエの監督のもとにじゃんじゃん釣り上げちゃいましょう!!」
シャリーは明るい笑顔をさらに輝かせた。今話題の勇者の話をしながら湖へ向かう。
湖も太陽の光を浴びて眩しいほどに美しかった。
「クロエが釣りをしたことがあるなんて意外だったよ。女の子が釣りをするなんて珍しいから。」
私が釣りの準備をしながらリズレイは言った。
「やだなぁ。うちのお父さん知ってるでしょう?女の子らしいことのほうがしたことないって。」
私は笑いながらそう言った。うちは早くに母が亡くなっていて、父子家庭だった。家族構成は父、兄、私。いくら助け合いで育ってきたとはいえ男家族だとどうしても・・・。男はよっぽどのことがない限り女の遊びなどに面白さなど見いだせない。すると、教えるのは自分の好きな遊び。概ね体を使う遊びばかりだ。
(女の子の遊びっていうのはもっとこう、お花のかんむりーとかお姫様ごっこーとか・・・。そういうふわふわしたような遊びでしょうが。何を間違って勇者ごっこだの魔物狩りだの・・・。)
思い出したらあまりにも女の子らしいことをしていない。
「ねぇねぇ、クロエ。釣りには生餌が必要なのでしょう?どこにいるの?」
「んっ。あぁ。落ち葉の下とかによくいるみたいだけど・・・。」
「もしかしてこれ?」
そういいながらシャリーが何気なく私の目の前にミミズを出してきた。私はびっくりして尻餅をついた。
「うわぁっ!?」
ドシンッ
「あらっ!?ごめんなさい!」
「もう、シャリーはいきなりなんだよね。大丈夫?クロエ?」
リズレイが私に手を貸す。恥ずかしい・・・。こんな失態を・・・。
「う、うん。大丈夫。ほんとにびっくりしちゃった。あはは。」
シャリーは怖いものなどないというような性格をしている。それをすごいと思う反面怖いとも思う。シャリーは例えばなんだか分からない不気味な液体を置いてあったら、まず飲んでみようというタイプなのだ。
「まぁ、でもシャリーのおかげで探す手間が省けたからね。よかったよ。さぁ、さっそくシャリーが取った生餌で釣ってみようよ!」
「やっとね!ずっとやってみたかったの!」
「釣れなくて、癇癪を起すとかやめてね。シャリーは本当に手が付けられないんだから。」
「も、もう!なによ!?」
和気藹々とした感じで釣りは始まった。
「あぁーーーん!結局釣れなかったわぁ!」
「やっぱり素人じゃ難しいんだよ。」
「うーん。やっぱりコツとかあるのかな。後でお父さんにもう一回聞いてみるよ。」
「そうねぇ、私も聞いてみるわ。」
夕暮れの中、帰路を急ぐ。大きな夕日が昼間とは違う顔をしている。これまた綺麗で釣れなかった悔しさなどどこへやらという感じだった。
「よかったよ、シャリーが癇癪を起さなくて。この前はひどかったからね。」
リズレイは微笑みながらシャリーをおちょくった。それに真っ赤な顔をしながらシャリーは膨れた。いつもの光景だった。
「あっ!そういえば!明日は用事があって、会えないの。残念だわ・・・。」
「えっ!そうなんだ・・・。」
明日は遊べないらしい。ずっと家にいるとなにかというと父に手伝いに駆り出される。
「えぇ・・・。本当に・・・。なんであんなこと・・・。」
「どうかした?」
リズレイが尋ねるとシャリーは言葉を濁して、
「う、ううん。なんでもないわ!じゃあ、また・・・。」
手を振りながら走って帰って行ってしまった。怪しいと思いながらも踏み込んでほしくないことなのだろうと思いとっさに口を閉ざした。
(二人になってしまった・・・。)
冷や汗が一粒背中を伝った。リズレイとは仲は良いとは思うのだが、少し壁を作ってしまう。どこか近づきづらいところがあるリズレイとはシャリーがいなければこんなに仲良くなどなっていなかっただろう。
(いや、これは仲が良いと言うのだろうか・・・。)
リズレイは親切で優しいが何を考えているのか分からない。
「仕方ないね・・・。クロエ。一緒に帰ろうか。」
「うっ、うん・・・。」
きつい・・・。さっきから当たり障りのない話をしているがすぐに途切れてしまう。気遣いを感じてしまうからなおさら・・・。そうこうしているうちにリズレイの家に着く。
「もう遅いから、送るよ。」
えっ。悪いがもうこの空気に耐えられそうにない。
「ううん。大丈夫。じゃあ。」
「そう、じゃあまたね。」
リズレイには毎度気を遣わせている。悪いなとは思いつつも夜になる前に早く帰ろうと家へ急ぐ。
帰ってくると兄が晩御飯の支度をしていた。
「ただいま。」
「んぁ。あぁ。遅いぞ。おかえり。」
家の中に入るとほわっと暖風が私を包んだ。今は秋。少し肌寒い季節だ。家のなかにはチーズの匂いが充満していて思わずよだれが出そうになる。
「おい。父さん呼んでこい。」
「ほいほい。」
出来上がったらしい。ご飯の用意はほとんど兄が担当している。昔、私もやるという話をしたら断わられたことがある。しばらくの間、兄が料理しているところを眺めているとどうやら料理が好きなようだった。何故なら聞こえるか聞こえないかで鼻歌も聞こえてくるのだ。ガタイが良い兄にはまったく似あわない。しかもそのせいで私はまったく料理ができない。というかしたことがない。
父はこの時間はいつも二階の自分の部屋にいる。父もガタイが良く、外で体を動かしながら仕事をするのが好きだった。だが、家に帰ってくるとそれもなりを潜め何故か本を読むことに没頭し始める。だからなかなかの知識量を持っているが、それをことあるごとに長々と話し始めるのはどうにかしてほしい。一度話し始めたら止まらないのだ。だからそういうときは捕まらないように早々に自分の部屋に逃げ込む。
こんこん
「父さん。ご飯だってよ。」
「ああ。」
軽い返事がきた。分かっているのか・・・?まぁ、いいや。あぁお腹減った。今日はシチューかな?
予想通り今夜はシチューだった。食べている途中に父が降りてきて、家族団欒の食事が始まった。私は今日釣りをしたことを話し、まったく釣れなかったことを話した。そのあとは仕事の話をしたり取り留めのない話をした。そのあとは風呂に入り、早々に布団の中に入る。でもまだ眠らない。蝋燭に火をつけ、その光の下で本を開く。昔、もらった本だ。遠い昔の文字で書かれた本は私には読めない。字は読めないがその本に描かれている挿絵を眺めるのが好きだった。細やかなタッチで描かれたその絵は仰々しい化け物の絵から可愛らしい少女の絵など何度見ても飽きることがない。
(私もいつかこんな絵を描けるようになりたいなぁ。)
眠くなってきたので蝋燭の火を消し、私は眠りにつくことにした。