第九十四話 ゲオルク隊対巨大蛇
「慌てるな!こっちは150人いるんだ。十分対処できるはずだ!」
ゲオルクは慌てる部下や冒険者たちの動揺を鎮めるべく大声を張り上げた。そして素早く状況を確認して部隊を3つに分ける。
「手負いの巨大蛇は前衛職30人で削り切れ。まずは右手に現れた新手に遠距離攻撃をかますぞ!魔法士は詠唱準備に入れ!」
ゲオルクの目の前に最初に現れた巨大蛇はすでにかなりの傷を負っており、現状は50名がまるで車懸かりのごとく連続攻撃を仕掛けていたが人数を減らしても十分に対処可能であると判断した。そして比較的近くまで接近されている右から現れた巨大蛇の対処が急務であるとみて即座に魔法と弓での攻撃を決断した。
「まだ半身が水中にあるが構わずに撃て!」
右手の巨大蛇は人間が歩けば底なし沼のように感じるであろう泥の中を進んできていた。そのために直径1メートルを超える胴体は半分以上泥に埋まってしまっており、狙い打てる面積は半減していた。だがそれでも的としては十分大きい。
ドドーン バッシャ~ン
何人かの魔法士は動揺が鎮まっておらず狙いを外して大きな水しぶきを上げていた。それでもダメージを与えられたのか、灯の魔道具や火魔法によって照らされた泥水に巨大蛇の血の色が混ざっているのが確認できた。
「左手から接近中なのは巨大蛇で間違いありません。距離80メートル。ただしこちらは小川を這っているようで背中部分しか狙えません。」
ゲオルクが右手の巨大蛇のダメージを確認していると左手を警戒していた副官から声が掛かった。左手の巨大蛇はほんの僅かに水面に背中を晒している状態でこちらに向かっているようだ。おそらく魔法攻撃や弓矢で有効なダメージを与えるのは難しい。それならばとゲオルクは再度右手の巨大蛇に魔法攻撃を命じた。
「右手の奴にもう1発お見舞いしてやれ!」
「「「 っしゃ! 」」」
ゲオルクの注文に応えて魔法士と弓術士が再度攻撃を叩きこむ。すでに最初の攻撃で火傷を負い、切創が出来ていた表皮は2回目の攻撃でさらなる傷を負った。巨大蛇にも痛覚があるのか苦悶を表すかのように巨体をクネクネと揺らしている。
「よしっ!前衛職30人は前に出ろ。ただし奴が完全に陸地に上がってから攻撃を開始するんだぞ!」
いまだに半身が泥水に埋まっている状態の巨大蛇に突撃を敢行するのはリスクが大きい。今回の戦場が湿原であることから金属鎧を身に着けているような愚か者はいないが、それでも人間が巨大蛇ののたうち回る泥水に入れば大幅に敏捷性が損なわれるし、場合によっては動けなくなる可能性もあるのだ。
「わかってますぜゲオルクの旦那。」
第9小隊の隊長を任されている前衛職の男が応える。Cランク冒険者だけあって状況判断は出来る男だった。それを思い出したゲオルクは右手の巨大蛇の相手をこの男に託して無傷の左手の小川から接近する巨大蛇へと注意を向ける。
「半分潜航したまま来る気か・・・」
ゲオルクは決めかねた。セオリーなら巨大蛇と戦うのは陸上、それも足元のしっかりした乾いた大地の上で戦うべきだ。だが、その乾いた大地の面積が狭いのだ。予定していた野営ポイントであれば3体を同時に相手にしていてもそれほど戦う場所に困る事はなかったはずだが、行軍が遅れたために予定ポイントよりも乾いた大地の面積が少ないこの場所を選ばざるを得なかったのだ。
「最初の1体をもっと手早く倒すべきだったか。」
魔法士の魔力を温存するために1回の一斉攻撃で接近戦に移行したことを少し後悔していた。2回、もしくは3回遠距離攻撃を実施していれば今頃は最初に1体を撃破していたはずなのだ。そうすればなんとか2体を乾いた大地に誘導して戦うことが出来たはずだった。しかし、今さらそんなことを言っても仕方がない。
「3体目のこいつは水際で迎え撃つ!水で威力は落ちるだろうが遠距離攻撃を開始してくれ!」
ゲオルクは指示を飛ばした。1体目の手負いの巨大蛇はあと10分もあれば仕留められるはずであり、2体目の方は多少窮屈ではあるが足場のしっかりした場所に誘導出来ているようだ。
「いいか?絶対に水中に足を踏み入れるなよ?オレたちは手傷を負わせるよりも時間を稼ぐ方を優先するんだ!」
水中では巨大蛇に絶対に勝てないことを知っているゲオルクの意図は明確だった。威力は落ちるものの魔法や弓の攻撃で相手の速度を落とし、水際で剣と盾で応戦することで時間を稼ぐのだ。その間に1体目の巨大蛇を仕留めてその巨体を水中にでも落として戦闘スペースを確保し、その場所に3体目を誘導するつもりなのだ。
「魔法士は3班に分かれて発動タイミングをずらして支援してくれ!」
大輝のように無詠唱で使える魔法を持っている魔法士などこの世界にはいない。せいぜいが魔力操作技術に長けた者がすでに顕現している属性を操る程度だ。そして詠唱を途中で中断したり、最後のキー詠唱だけのスタンバイ状態を保てる時間も限られている。つまり水中から顔を出した瞬間を狙い打つのは非常に困難なのだ。そのため、ゲオルクは集結している魔法士が断続的に魔法を放てるように班分けをしたのだ。幸いなことに1体目、2体目の巨大蛇は前衛職各30人が相手をしており、全魔法士が3体目と対峙している。小隊ごとの連携は崩してしまったが魔法士の数は十分なのだ。
「来るぞ!」
水際10メートルを切ったところで巨大蛇は顔を上げてゲオルクたちを睨んだように見えた。実際は唇付近にあるピット器官で自分の獲物となるはずの人間たちを確認したのだ。巨大蛇の目となるピット器官は水中では感度が落ちる為だ。
「撃てっ!」
魔法士と弓術士に攻撃を指示するゲオルク。それに従って第一陣が巨大蛇の顔面目掛けて魔法と矢を撃ち込む。しかし矢はともかく魔法はタイムラグが大きくすぐに水中へと顔を戻した巨大蛇に傷を与えることはできなかった。そして矢も硬い表皮に阻まれてほとんどが跳ね返されていた。
「ちっ!こいつはやけに警戒心が高いな。」
ゲオルクの舌打ちとタイミングを同じくして小川から大量の水が押し寄せる。巨大蛇が小川の中で一気に身体を捻って水を大波のようにゲオルクたちに打ち出したのだ。たかが小川の小波と思うゲオルクだったが、Cランク魔獣が何某かの攻撃を行ったと思った部下や冒険者たちの多くは一瞬膝まで到達しようかという波を避けようと後ろに飛び去ってしまう。
「馬鹿野郎!持ち場を離れるな!」
シュルルッ
ゲオルクの罵声とともに注意が押し寄せる水に向かった間隙を突いて水際の草を高速で通り過ぎる音が聞こえた。
「「 ぐわっ! 」」
水際に残っていた数人が数メートル横っ飛びに吹き飛ばされる姿があった。1体目、2体目よりも一回り長い全長を活かして尾を横薙ぎに振ったのだ。どうやら奇襲用に尾の先を水中深くに忍ばせてゲオルクたちに気付かれないようにしていたらしい。
「くそっ!警戒心が強いだけじゃない。知能までもってやがる!」
蛇とは元々水中や草木に身を潜めて獲物を狩る習性がある。それは知能というよりも本能に属するモノであるがゲオルクたちにとっては関係ない。ただ脅威であるという点では同じだからだ。
「こいつをここで食い止めるぞ!」
ゲオルクの言葉に真っ先に反応したのは弓術士たちだった。対巨大蛇用に大型の弓を用意しており、表皮に弾かれて対してダメージを与えられなくとも牽制にはなるのだ。そう信じて各自が出来る限りの速射で陸上に現れた尾を狙っていく。次が班分けされた魔法士の第二陣の魔法攻撃だった。詠唱タイミングをずらしていた彼らは次々と魔法を撃ちこんでいく。
ここに奇妙な戦いが始まる。本来ゲオルクたちは足場の硬い大地の上で巨大蛇を迎え撃ちたいのだが、水際で侵攻を止めるという図式だ。すでに2体の巨大蛇と近接戦闘を行っている大地にはスペースはなく、このまま3体目を上陸させると乱戦となってしまう。下手をすればゲオルクたちが大地から追い出されて圧倒的不利な水中や泥沼を戦場としなければならなくなってしまう恐れがあるのだ。そうなれば過去に敗退した騎士団たちの二の舞である。
「盾持ちは前に出ろ!」
弓と魔法攻撃によって一旦水中に尾を戻した巨大蛇を見てゲオルクが立て直すべく指示を飛ばす。それに応えて騎士団の重装歩兵ほどではないが身体強化に優れた大柄な男たちが水際に並ぶ。そして今回の巨大蛇戦用に急遽取り付けた盾の下部のアンカーを大地に突き立てた。絶対阻止線の形成である。
「アンカー打ち込み完了!」
「盾で持ち堪える間に斬り落としてしまえ!」
再び振るわれた尾の攻撃をアンカーで固定された盾で堪える男たち。そこに盾の隙間から次々と魔法剣が振るわれた。
「っく!」
「っせい!」
ガツンッ ガシュッ!
盾と尾のぶつかる音に続いて剣と尾のぶつかる鈍い音が響く。胴体部分に比べてやや直径の小さい尾を切断するとまではいかなかったが、明らかに表皮の下の肉に刃先が到達していた。その感触を得て男たちの士気が上がる。
「態勢さえ整っていれば魔法剣で斬れるぞ!」
そう。魔法剣を使いこなしさえすれば巨大蛇の表皮を斬れるのだ。そして巨大蛇に対して有効なのが火魔法もしくは風魔法の効果を付与された魔法剣だ。火魔法は巨大蛇の苦手な属性であるし、風魔法は切れ味を上昇させる効果がある。これらを有効に使えば巨大蛇とも遣り合えるのだ。
では使いこなすというのはどういうことか。魔法剣とは魔道具の一種であり、魔石に直接魔法陣を描き込みそれを剣と一体化させたもので、魔石に魔力を流し込むことで効果を発揮する。これは剣に魔法効果を付与する場合も魔法そのものを詠唱不要で発動する場合も同じだが、魔力操作技術が重要になる。つまり魔石に魔力を流し込む必要があり、戦闘を行う際には身体強化を掛けるのが基本な前衛職の者たちは同時に2方向に魔力を費やすことになる。これが難しいのだ。1体目の巨大蛇と接近戦を演じることになった際にはどうしても身体強化の方に意識が集中してしまい上手く魔法剣を活用できなかったのだが、今回は盾持ちの後ろに待機した状態で剣を振るうことが出来たために魔法剣の方に意識が集中しやすく効果を発揮しやすい状態を作り出せたのだ。
「このやり方なら巨大蛇へダメージを与えられる!」
ゲオルクはすぐにそのことに気付いて陣形の維持を指示する。現状では魔法剣を完全に使いこなせているのは剣士であるBランク冒険者ただ1人だ。その彼は2体目の巨大蛇と対峙しておりこの場にはいない。であれば有効な武器となる魔法剣の効果を発揮しやすい陣形を維持するのは当然であった。
「魔法士と弓術士は奴が水中に戻る瞬間を狙え!魔法剣持ちは盾持ちの後で魔法剣に意識を集中!防御は盾持ちに任せるぞ!」
ゲオルクは優れた指揮官だった。幼い頃から名誉子爵家次男として教育を受けていたからなのか、警備部門の一員として商隊護衛経験が豊富だからか、はたまた彼本人の資質が優れていたからなのか、もしかしたらそれら全てが合わさった結果なのかもしれないが有能な指揮官であることは間違いなかった。事前の下調べも真面目に行っていたし、共に戦う人間の力量を見定めることにも注力していた。さらに魔法剣という高価な武器を貸与されても驕ることなく逆にその習熟度から危機感を抱く慎重さも持ち合わせている。そして戦場の状況を把握し的確な指示を出すことも出来る。これだけの男が父の暴走を止められなかったことが驚きなくらいであった。
幾度となく襲って来る水中の巨大蛇の攻撃を跳ね返すこと10数度。ようやく待ちに待った知らせがゲオルクに届く。
「ゲオルクの旦那!1体目を撃破。今場所を開ける為の作業をしてます!」
「2体目はまだ粘ってます。できれば援護を。」
ゲオルク自身が魔法剣への習熟度が高いこともあって最前線に立っており、1体目、2体目の巨大蛇との戦闘については部下に注視するよう指示していたのだ。そして報告を受けてすぐに新たな指示を出す。
「1体目の処理が終わったら2体目への援護に向かわせろ!オレたちは3体目を誘導する。」
「「 了解です! 」」
盾持ちがアンカーを打ち込んで巨大蛇の攻撃に耐え、受け止めた瞬間に魔法剣で反撃に出る戦法は確かに有効だったが、巨大蛇に致命傷を与えるものではなかった。あくまでカウンターでしかなく、巨大蛇も尾の部分を使った攻撃しかして来ず、安全圏である水中から全身を現すことはなかったのだ。それでも尾はすでに傷だらけで出血も見られており、それなりのダメージを与えている。このまま足場のしっかりした大地に誘導できれば討ち取るのは可能だと判断したのだ。
そしてそれは正解だった。
「「「 っしゃぁ!!! 」」」
一体目の巨大蛇が現れてから90分後。フォルカー湿原には男たちの歓声がこだましていた。
「「 やったぞぉ!! 」」
巨大蛇の生命力に時間こそ掛かったものの最終的には誰一人として命を落とさずに3体を討ち取る事に成功したのだ。もっとも無傷とはいかず、巨体に跳ね飛ばされた者のうち数人は骨折しており、派手な青痣を作っている者は10人ではきかない。それでも勝利を喜ぶ声は全員から上がっていた。
「皆よくやってくれた!オレも勝利が嬉しい。だが、まずは負傷者の手当てと奴らの後始末だ。」
ゲオルクがひとしきり喜びを分かち合った後でやるべきことを指示する。今回は大金を払って希少な回復魔法の使い手を3人連れてきている。打撲程度なら瞬時に治せる者も含まれているし、骨折も行軍が可能な程度までは癒せるはずだ。そして巨大蛇の処理をしなくてはならない。討伐の証拠となる魔石はもちろんだが、売り物となる皮を剥ぐ必要もある。なにしろ冒険者が100人もいるのだ。彼らが魔獣素材を放置するはずがない。
「負傷者の手当てが最優先だ。手の空いた冒険者諸君は巨大蛇の後始末を頼む。警備部門の人間は荒れた野営地の整備に入ってくれ。」
すでに真夜中といっていい時間帯だったが全員がキビキビと作業に入る。Cランクでありながらその生息エリアからBランク並の難敵とされる巨大蛇を討ち取って気分が高揚していて眠気や戦闘による疲れなど感じていなかったのだ。
彼らは夜中2時すぎまで働き、泥のように眠ることになる。来るべき最大個体との戦闘を意識しつつ・・・




