第九十話 潜入調査
大輝はマーヤたちの意志に沿うことを約束した上で自重を促した。糾弾の場には必ず同席させるから勝手な行動をしないように、と釘を差したのだ。マルセルたちは安心した表情となりそれに同意し感謝を表した。マーヤに至っては大輝に飛びついて「だからお兄ちゃんは好き(ハート)」とキスの嵐を見舞った。とはいえまだ糾弾の場がどこになるかは未定であり、大輝はより安全な場を設定するべく忙しく動き出すことになった。
(できれば『魔職の匠』の秘密工房に戻って倉庫に眠ってる魔道具の動作確認とか色々やりたかったけど・・・)
ギーセンの街へと向かいながら大輝は未練をこぼしていた。もっとも本気で秘密工房に行きたかったわけではない。いずれ時間を作って秘密工房に籠もろうとは思っていたが、まず目を通すべき日記や実験記録等の書物だけではなく今回の嫌疑払拭作戦に仕えそうな魔道具は虚空に入れてあるし、今はやるべきことが山積みなのだ。中には大輝にしか出来ない仕事もあり、場合によっては数日間掛かる可能性もあるのだ。
大輝のやろうとしていることはベルナー家の屋敷への潜入である。といっても証拠品の奪取が目的ではない。そちらはベルナー家側に奉公しているレオニーの友人たちの情報と手引きによって裏ギルドと呼ばれる義賊組織に属する裏稼業の人間たちがフォルカー湿原解放作戦で警備部門が手薄になったタイミングで行う手筈であった。
では大輝の目的が何かと言われればホーグ・ベルナー名誉子爵の人となりをこの目で確かめる為であり、嫌疑払拭作戦の保険を掛ける為であり、より詳細な情報を得る為であった。
「さすがに大きいな・・・」
夕闇に紛れて上流階級層の住む街の中心にやってきた大輝の視界には1ブロックを全て覆っている石垣がある。城壁に囲まれた環境でなければ魔獣の脅威のあるこの世界でこれだけの広さを占有しているのは王族か大貴族くらいであるのが常識である。なぜなら城壁を築くのにも時間とお金と労働力が必要であり、城壁を強化するための魔法を行使できる魔法士の数も限られている。つまり人間が居住する空間に余剰はないのだ。少なくともそれなりの地位にいる者でなけでば非難の声が上がって当然なのだ。にもかかわらず一代限りの名誉子爵がこれだけのスペースを占有出来ているということはこの街でのベルナー家の権勢を示す証拠だった。
「とりあえず行くか・・・」
大輝は人通りがないことを確認してまずは手近な木に登って警備の人間の動きを確認する。
(やっぱり厳重に警戒してるよな・・・)
大輝は時間を掛けて目視と魔力による気配察知で巡回している警備の位置を確認して気を引き締める。時間を掛けた理由は相手に気配を悟らせないためだ。気配察知が魔力を拡散してその反応を探るソナーなようなものであることから、大輝が急激に魔力を発すれば相手に悟られる可能性があるのだ。そのため、極微量の魔力をゆっくりと拡散させていく。生物であれば基本的に魔力を持っているし、僅かながら魔力スポットではなくとも大気中に魔力も存在するので、それに紛れ込ませるようにして自らの存在を隠しつつ探っていく大輝。
(ふぅ・・・どうやら気付かれてないみたいだな。)
たっぷりと15分掛けてベルナー家の敷地内全てを気配察知の探知圏内に収めた大輝が息を吐く。安堵の表情を浮かべる大輝だったが、その大輝自身がまずこの段階で気付かれるとは思っていない。理由はハルガダ帝国の迎賓館にいた頃から頻繁に使って来た大輝の気配察知スキルが逆探知されたことがないからだ。しかも今回は探知されないように繊細な注意を払っており、拡散させた魔力量も抑えた上で時間も掛けたのだ。この世界で超一流と呼ばれるスキルレベルに達している大輝ですら違和感を感じるかどうかのレベルまで制御されており余程のことがない限り逆探知の心配はない。それでも安堵したのはこの先自身が敷地内に乗り込むからだ。
(少しでも違和感を感じられたらこの先危険だからな。)
そう思いながら自身の服装を確認する。身だしなみを整える訳ではなくあくまでも装備の確認だ。大輝が着ているのは上級魔法士が好んで身に纏う衣服であり、『山崩し』で共に遊撃隊として行動したリルが着ていたローブ等と同じ素材が使われている。魔力抵抗の高い魔獣の皮や鉱物が織り込まれた魔法士ご用達品である。一般の魔法士たちはこれら魔力抵抗の高い装備を自らが魔法を行使する際に大気中に魔力が漏れる事を阻止するために着ている。魔力操作技術が未熟なこの世界の魔法士たちは魔法行使の際の魔力変換効率が異常に悪いためだ。だが、大輝は別の用途でこの装備を身に着けている。簡単にいえばステルス装備として活用するつもりなのだ。
(足元まで覆うローブと口元を布で覆って頭部にはターバン風のこの格好・・・怪しいよなぁ。)
鏡がなくとも今の自分が不審者であることは重々承知の大輝は苦笑を禁じ得ない。だが、このステルス装備は使えるのだ。実験と称してマーヤにこの衣装の裾を5重に折り曲げて着せてかくれんぼをしたところ、超一流の域にあるはずの大輝の気配察知でもすぐには見つけられなかったのだ。現在進行形で拡散させている魔力量で見つけるのはまず困難であり、普段使っている気配察知レベルの魔力拡散でも気を抜けば見落とすレベル、最大警戒レベルまで魔力拡散を行えば一発でわかる、というレベルのステルス性を持っているのだ。もっとも、大輝レベルの気配察知に対してこのステルス性なので今ベルナー家を警備している者たちのレベルであればほぼ完全なステルス性を持っているかもしれない。だが、それでも気を抜かないのが大輝だった。
(よし・・・身体強化に回す魔力を身体の内部だけに切り替えて、体外への魔力放出を可能な限りカット。)
大輝の保有魔力量は一般人に比べてかなり多い。一切の魔力制御を行わない場合にその存在感は非常に大きく、下手をすれば意図せず威圧しているように感じられてしまう。だから魔力操作技術を活かしてマーヤのような小さな子供並にまでその放出量を落としたのだ。
(これで警備側の気配察知はかなり誤魔化せるはず・・・あとは目視での発見に気を付けよう。)
大輝は準備が完了したのを確認し終え、巡回の警備たちの間隙を縫ってベルナー家の敷地へと侵入を開始した。
1ブロック、1辺100メートルを超えるベルナー家の敷地には3棟の建物があった。明らかに見劣りがする建物は使用人や警備の者たちが使うのだろうと無視して残りの2棟を見比べる大輝。片方には灯が煌々と焚かれており、もう片方は真っ暗だ。
(暗い方が来客用で明るい方が本宅かな。)
気配察知でも本宅と思われる建物は重点的に巡回が回っているのを確認した大輝は足音を忍ばせて近づいていく。この世界では一部の上流階級の屋敷にしかないと言われる板張りの床が大輝の移動と共に小さな音を立てる。板張りの床が少ないのは下足文化がなく、石床に比べて劣化が激しいのが理由だ。
(っく・・・風魔法で音を遮断したいけど・・・)
ギシギシと音を立てる床に怨嗟の篭った眼差しを向ける大輝。だが今魔法を行使することはできない。もし気配察知を展開している者がいれば魔力の高まりを感知され、確実に大輝の所在がバレるからだ。
(遮音出来る魔道具を作れるように、もしくは買っておけばよかった。)
魔道具といえども魔法陣を起動するには魔力を流す必要があるのだが、魔力操作技術のある大輝ならば周囲に気取られることなく魔法陣に魔力を流すことくらいは出来るのだ。準備不足を嘆く大輝だったが、住居侵入など初体験の大輝にそこまでの発想はなかったのだ。
(とにかく今見つかるわけには行かない。)
数日後には裏ギルドのメンバーが嫌疑払拭に必要な証拠奪取に動く予定であり、今侵入者の存在が明らかになれば警備はより厳重になってしまうだろう。それだけは避けたい大輝は焦る気持ちを抑えてゆっくりと移動を続けた。
大輝が危険を冒してまでこのタイミングでベルナー家の屋敷に潜入したのには訳がある。大輝が気になると発言したギーセンの街の魔道具ギルドの長であるギルバート監視班とベルナー家奉公人の双方から両者を含めた数人の会食が行われるとの連絡を受けたからだ。
(さて、なにが出て来るか・・・)
7,8人程の纏まった気配を目指して大輝は進んでいた。途中で控室らしき場所を見つけた大輝はその部屋に入って天井を観察する。そして予想が的中したことに感謝した。
(どこの国でも考えることは一緒ってことだな。)
ハルガダ帝国の迎賓館にいた頃を思い出す大輝。あの時は天井裏から覗かれる側だったが、今度は逆に覗く側になるのだ。大輝はそっと天井板を外してその身を潜り込ませる。もちろん先客が天井裏にいないことは確認済である。おそらく身内の集まりということで屋敷の主であるホーグ・ベルナー名誉子爵も天井裏に部下を配置しなかったのだろう。もしくは密談を部下に聞かせたくなかったのかもしれないが。
「・・・・・・さす・・・・ホーグ様。」
「なにな・・・・貴殿の・・・・せんぞ。」
「・・いや・・・・見事な・・・・感謝し・・・・。」
大輝が物音を立てないように慎重に天井裏を進むにつれて会話が聞こえるようになってきていた。そして会食の真っ最中と思われる部屋の真上に到達したところでようやく全ての会話が大輝の耳に届くようになった。
「しかし、あれだけの魔道具を援助してもらうとなると流石にあとが怖いですな。」
「なにをおっしゃいます。フォルカー湿原解放はこの街にとって大きな利益になります。それに魔法剣を始めとした魔道具はあくまで貸与ですのでお気になさらず。」
どうやらホーグとギルバートの2人が腹の探り合いをしている様子だった。
(一枚岩ってわけじゃないんだな。)
急接近といってもいいギルバードの行動にホーグ・ベルナー名誉子爵も対処しあぐねているようだ。しばらくの間探り合いが続いていたがギルバートは一切の見返りを求めず、国の為、領民の為になるのであれば惜しみません、とひたすら善意を強調していた。ここで聞いているだけではギルバートは完全なる善意者であり、ホーグ・ベルナー名誉子爵もついに諦めて矛先を変える。
「ゲオルクよ。ギルバート殿からこれだけの援助を貰ったんだ。なんとしても湿原解放を成してベルナー家の威光を知らしめるのだ。」
「ギルバート様の援助は非常に有難いのですが、使いこなせるだけの技量を持つ者が少ないのが非常に残念です。」
ゲオルクは無念を滲ませつつ答える。実際に魔法剣を始めとした魔道具を実戦で使うにはある程度の熟練が必須である。マルセルたちが魔法を補助的に使う戦闘訓練を行っているように、訓練を積むことで始めて強力な武器となるのだ。しかし戦闘畑ではないホーグやギルバートにはその意味が伝わらない。単なる失敗した時の言い訳を吐いているようにしか思えなかったのだ。
「ゲオルクッ!貴様はベルナー家の男子としての誇りがないのかっ」
「しかし父上。集まった高ランク冒険者はBランクが2人、Cランクが12人だけです。Dランク以下は数だけは揃いましたが・・・」
数日後に控えたフォルカー湿原解放作戦に参加するのはベルナー商会の警備部門から50名、雇い入れた冒険者が100名の総勢150名の予定だった。ここに魔法剣等の魔道具が加わっても過去に敗戦を喫した騎士団の戦力を上回ることは出来ない。つまり成功率は低くて当然の状況だった。
「貴様は当家の置かれている状況がわかっているのか!この作戦が上手くいかなければっ」
ホーグ・ベルナー名誉子爵が途中まで叫んで慌てて口を噤む。この会食にはベルナー派ともいえる警備隊の隊長や名誉男爵に官僚も同席しているが、彼らは状況を知っている。だがつい最近接近してきたギルバートだけにはフュルト家追い落としの件は教えていないのだ。だがギルバートはにこやかに答える。
「ホーグ様。私もこのギーセンの街にある魔道具ギルドを任されている者です。全てとは申しませんが、ある程度の事情は知っております。」
ギルバートはタイミングを計っていたのだ。自らの目論見を達成するためには貴重な魔道具の数々を貸与することへの礼を言われたタイミングよりも適切な頃合いを探っていたのだ。ホーグ・ベルナー名誉子爵が付け入る隙を晒す瞬間を。




