第八十五話 人除けの罠
大輝の目の前には廃坑の高さ目一杯である3メートル程の半透明の扉があった。その扉は数百年の時を経ても浸食はおろか汚れすらみられないことから大輝の慣れ親しんだ金属でないことは間違いなかった。だが大輝にとって今最も重要なことはその扉に施されている装飾であった。
「うん。やっぱり何回見ても魔法陣だよな、コレ。」
認めたくない思いによって時間の無い中3度も確認に費やしてしまう大輝。だが何度見ても現実は変わらない。諦めてこの魔法陣の意味を解読しようと試みる。
「明らかにデザインだと誤認させようとしている円形の中に表意文字が8つ・・・で、この最後の文字が発動効果を現しているはず・・・」
しばらく扉に刻まれた魔法陣と睨み合いつつ独り言を呟き続けた大輝が5分後に結論を出した。
「まったく、ま~ったくわからん!」
当然のことだった。大輝はわずか3週間程アース魔道具店に通っただけの人間である。いくらこの世界の人間よりも魔道具の深遠に近づいたといっても、その道の第一人者となり数百年間誰一人として及ばない『魔職の匠』の刻んだ魔法陣を初見で理解するなど不可能なのだ。大輝には8つの表意文字がどの属性を表しているのか、その効果は何なのかといったことはもちろん、推測すら出来なかった。だからこそ発想の転換に至った。
「魔法陣ってことは魔力を流さなければ発動しないんじゃないか?」
慌てて扉を調べ始める大輝。調べている内容はこの扉に刻まれた魔法陣が現在発動しているか否かである。現存する技術ではないが永久機関という可能性もあるので念入りに調べる。事実、現在も大輝を襲っている威圧感は数百年間に渡って機能が生きている証拠なのだ。
「よし・・・発動している気配はないな。あとは仕掛けがあって扉に触れたら発動する場合か・・・となると魔石とか魔力の詰まったのもがセットされてないかも調べないと。」
刻一刻と残り時間が少なくなっていくことに焦りを覚えながらも再度扉のチェックを行う大輝。扉のデザインに紛れて魔石が埋め込まれていた場合はほぼ確実にトラップがある証拠である。だが、それらしい痕跡は見つけられなかった。
「・・・・・・。」
大輝は気付いてしまった。確かに大輝のわかる範囲では扉にトラップらしきものはない。だが致命的な問題があった。
「オレ・・・触れないじゃん。」
現在の大輝は強烈な威圧感に対抗するために全身に全力で魔力を纏わせている。つまりこの状態の大輝が魔道具と化している扉に触れれば間違いなく魔法陣が発動するのだ。
「だぁぁぁっ!!」
大輝が雄叫びを上げた。手詰まりの状況に大声を上げて一旦思考をリセットしようとしたのだ。だが、この世界に降り立って初めて己の身を守る為に全力全開の魔力放出を続けたことで気分が異様に高揚しており冷静な思考を取り戻すことはなかった。だからいつもの大輝ではありえない行動に出る。
ガシッ
無策のまま高さ3メートルはある魔道具たる扉の把手を掴んだのだ。そして大輝の魔力に反応して魔法陣が起動し始めたところで大輝がスッと冷静になる。
「あっ」
やっちまった、という表情を浮かべる大輝。監視者たちから姿を消す際に利用した魔獣の襲撃の際にも、『山崩し』で統率者たちと戦った時にも感じなかった強烈な威圧感に我を失っていたことに気付く。直前までは比較的冷静に魔道具となっている扉を調査していたはずだが、突破の光が消えた瞬間に一時的に思考停止に陥ってしまい、威圧感に後押しされる形で安易に把手を掴んでしまったのだ。
カシャッ
手を離さなくてはと思い立った瞬間に把手付近から微かな金属音が聞こえた。まるで鍵が開錠されたかのような。
「え?うわっ!」
開錠音に続いて扉に異変が起こる。慌てて把手を握っていた手を離して数歩後退りする大輝。巨大な扉の全体が微細な振動を発したかと思うと今度は唐突に振動が止まって音もなくゆっくりと外開きに開き始めたのだ。
「な、なんだ?あの魔法陣は巨大な扉を開ける為だけのものだったのか?」
完全に魔道具たる扉が開ききってから大輝が呟くが、その言葉通りであるとは全く思っていない。もし扉を開ける為だけの機能が欲しければもっと簡単な魔法陣を刻めばいいはずなのだ。今の大輝であっても数日間あれば試作品を作れるくらいの知識はあるのだ。『魔職の匠』ほどの者が敢えて複雑化した魔法陣をそんなことのために刻むとは思えなかった。
「それならオレが扉を開けるのに躊躇したように、相手を警戒させるためか?」
何某かのトラップを警戒させるためではないかと推測するがすぐにその考えも否定する。例えば好奇心旺盛な者だったり不注意な者などが扉に触れてしまえば意味がないし、この強烈な威圧感に堪えられることが必須条件だが契約魔法によって縛られた奴隷に強制させるという手もある。つまり足止め程度にしかならないのだ。
「じゃあ、なんのために?」
疑問を口に出した瞬間に思い当たることがあって大輝は急いで虚空から認証プレートを出す。半透明の20×10センチのプレートと開ききった扉を交互に見つめる大輝。大きさこそ段違いだが見た目はそっくりであった。
「もしかして・・・認証?」
大輝の推測は当たっていた。最初の強烈な威圧感は人払いのため、そしてこの扉は対象の種族判別のためだった。つまり異世界人にしか開けられない扉なのだ。
「そうか・・・それなら納得だ。」
異世界人にしか開けられない扉があるなら魔除けの魔道具より強烈な人払いなど不要なのではないかと思ったが、それは間違いだ。もし、秘密工房を狙った者たちが扉が開かないことに気付いたらどうするか。扉が開かないなら壁に穴を開けようとするだろう。剣や斧などを装備した冒険者であれば時間を掛ければ身体強化もあって突破は難しくない。なによりもこの世界には魔法がある。大輝のように土魔法に熟練した者であればなおさらである。だが、大輝ほどの者でさえ50メートル歩くのに10分以上掛かるような環境であればどうか。
「とてもじゃないが壁に穴を開けようなんて思わないな。どうせ城壁のように強化されてるだろうし。」
そこまで考えて大輝は思考を放棄する。もう時間がないのだ。一旦撤退するという手もあるがここまで来たら扉の中を覗かないという選択肢はないのだ。
「よしっ!」
意を決して開ききった扉に近づく大輝。そして悪態を吐く。
「性格わるっ!」
扉の中はここまでの坑道とは違ってきちんと整地されており、床だけではなく壁や天井も滑らかであった。その空間の広さは目測で10畳程。家具や装飾品といった物は一切置かれておらず、ただ何もない空間であった。正面に見える奥の部屋へと続く扉と床一面に描かれた魔法陣を除いて。
床に刻まれた巨大な魔法陣を見て大輝は悩んだ。大きさだけを見れば大輝たちが召喚された召喚魔術に使われた魔法陣に匹敵する。だが、刻まれた文様はその時とは違う。それでも巨大魔法陣に足を踏み入れるのはかなりの勇気が必要だった。なにしろ世界を渡る経験をしているのだから。
「・・・とりあえず調査だな。」
自分の知識量では『魔職の匠』の刻んだ魔法陣をこの場で解読できるとは思っていなかったが、やらないよりはマシと考えて各表意文字を部屋の外から観察する。およそ5分でわかった。
「無理だな。やっぱり。」
すでに予定の時間まで2分を切っている。一旦戻るにしても次のためにヒントだけでも持ち帰りたい大輝は足元に転がっていた小石を手に取って魔法陣の描かれている部屋にそっと投げ入れる。
コンッコンコン
「・・・・・・。」
小石が部屋の中を転がり、しばらくして停止したが何も異変は起こらなかった。
「だよね。」
小声で呟いた言葉が虚しかった。気にしなければならないのは魔法陣なのだから微量なりとも魔力を持っている生物でなければ反応しないのは当然だった。だがこれで大輝に出来る事は1つに絞られた。
「魔道具たる扉が本当に認証機能を持っているならば、この場所に入るのは異世界人を想定しているはず。それなら致死性の高い罠なんか仕掛けないよな。」
大輝にしては珍しくなんの根拠もない推測だ。自分でもそれをわかっているからこそ奮い立たせるために敢えて口に出しているのだ。『魔職の匠』がこの世界に召喚された頃、『救国の魔女』を始めとして幾人かの異世界人が居たことは知っている。つまり大輝と同じだ。そしてその大輝は白き世界の記憶とアメイジアの大地に降り立ってからすぐに共に召喚された者たちの言動を見て見限っている。信用していないのだ。だから自分が隠れ家を作るとしたら異世界人だけには適用されない工作だけで済ますつもりはない。だが、大輝はその考えを無理やり隅に追いやって行動に移る。
「ふぅ~。せいのっ!」
決心が鈍らないうちにと掛け声と共に大輝が両膝を折ってジャンプする。当然ながら目的地は魔法陣が刻まれた部屋の内部だ。全力で強烈な威圧感に抵抗している状態であり、身体能力も低下している大輝のジャンプは小さかった。心の中の警鐘に反応して身体が一気に部屋へと侵入することを拒んだのかもしれない。だが、それは正解だった。
「っぅ!うぐぁぁっ!」
宙を舞う大輝の全身に猛烈な痛みが襲ってきた。痛みには比較的強い方だと思っている大輝が全く耐えることが出来ずに悲鳴を上げずにはいられなかった程だ。そして着地した瞬間に床をのたうち回る大輝。
「うがががっ。」
翻訳機でもあれば「なんでだっ」と出ているところだが大輝はまともにしゃべる事すら出来なかった。襲って来る痛みは全身隈なく均等であり、頭、胴、手、足といった主要部位だけではなく、眼球、唇、股間といった全てに痛みを感じていた。そして一向にやむ気配がない。
(まずい・・・甘く見てた・・・このままじゃ死ぬ。)
猛烈な痛みの中でもなんとか意識を保っていた大輝だが、あと1分、いや30秒ですら思考を維持することは出来ないと感じていた。それでも痛む目を開いて現状を確認する大輝。その目にはまるでテレビの砂嵐が掛かっているかのようにしか映らなかったが、魔法陣が僅かながら光を帯びているのを捉えた。
(やはり魔法陣が発動したのか・・・)
次に目に入ったのは痛みに耐える自身の身体だ。今はうつ伏せの状態からなんとか膝立ちの態勢へと移ったところで、痛みによって胸を掻き毟っている両手が見えた。
(これだけの痛みで見た目に変化なし?)
猛烈な痛みに耐えるべく全身に力を籠めているために血管が浮き上がっているが、出血している箇所も無ければ打撲の痕もなかった。見た目的にはなんら損傷を受けた様子はなく、現在も襲い続けている猛烈な痛みが幻覚なのではないかと思ってしまう。
(仕掛けた相手が相手だから幻覚こともあるかもしれないけど・・・まずはこの部屋から脱出しないと。)
すでに大輝は複数のことを同時に処理できる能力はなかった。だから手足を動かすことだけに専念する。四つん這いになって地を這うようにして部屋の外を目指す。ほんの僅かな距離が大輝にはフルマラソンに匹敵するかのような途方もない距離に感じた。だが、最小のジャンプで部屋に侵入したことと、のたうち回っている間に奥へと進まなかったことが幸いした。
「すぅ~はぁ。すぅぅ~はぁ。」
魔法陣の部屋から這いずって脱出した大輝が大の字に寝転がって大きく息を吸い込む。痛みのあまり自律神経まで委縮していたのか呼吸がひどく緩慢になっており脳が酸素を欲していたのだ。たっぷり3分は経ってから大輝の思考はようやく復活する。といっても退却を決めただけだったが。
(死ぬかと思った。でも、今はとりあえず一時撤退が先だな。)
すでにこの強烈な威圧感に抵抗するために魔力を全身に纏わせてからとっくに予定の30分を経過している。大輝の体感でも魔力残量は4割あるかないかだ。いくら大輝が身体強化で身体の外に魔力を纏わせても霧散しにくい術を知っていても消費量が多いことには変わりない。それに、魔力が枯渇してしまえば身体強化すら出来ない一般人以下になってしまうのだ。そうなれば魔獣に襲われれば危険であるし、20キロ離れたギーセンの街に今日中に帰る事すらできなくなる。それを避ける為にも即時撤退の一択だった。
幸いなことに魔法陣の描かれた部屋に入ってから受けた痛みの後遺症はなかった。思い出すことで精神的にはきついのだが、外見的にはもちろんのこと身体を動かしても一切不具合を感じなかったのだ。それを不思議に思いながらも今の大輝には原因を考える事もあの魔法陣を攻略する方法を考える事も出来なかった。
「とりあえず街に帰ろう。」
大輝の沈んだ声が坑道内に響いていた。




