第八十三話 ゲオルクの本音
怒号や悲鳴と共に皿やカップ、椅子までが宙を舞っていた。
乱戦開始時に喫茶店内にいたのは全部で37人。大輝を追うようにしてゲオルクたちが入店したために一気に人口密度が上がっていた。そのうちゲオルク側17人と大輝の計18人がこの乱戦の当事者であった。最初に大輝に絡んだ5人の冒険者たちは大輝を恐れて乱戦には加わらなかったが。
大輝を罵倒して前を塞いでいた男の言葉が引き金となって外から乱入してきた冒険者が一瞬の躊躇もなく大輝に拳を振るったことで始まったこの乱戦は、店の唯一の出入口で始まったために一般客16人と店の従業員3人は外に避難することが出来なかった。
(っち!こんなに血の気が多いとは思わなかった。)
大輝は殴り掛かって来た男の拳を後方に飛び去って回避しながら後悔する。仮にも名誉子爵の息子率いる者たちが店内で狼藉を働くほど分別がないとは思わなかったことと、相手が殺気を発しておらず勧誘のための話し合いを望んでいると思ったことで店内で襲われるとは考えていなかったのだ。だが、これは襲われたことに焦りを感じていたためではなく、店に迷惑を掛ける事を後悔していたところが常人とは違った。
(とりあえず出来るだけ店に損害を出さないように制圧するしかないな。)
大輝は即座に行動指針を策定し行動に移る。
「ちょこまかと逃げるんじゃねぇ!」
大輝が比較的一般人のいないエリアに誘っているとも知らずに追撃を加えようとする乱入者たち。さすがに街中の喫茶店内で剣を抜いたり魔法を使うという愚を犯さなかった男たちが大輝を囲み、正面に立った男2人が殴り掛かって来る。
(ここならいいかな。テーブル1つ分は諦める・・・もちろんゲオルクたちに弁償させるけど。)
瞬時に周囲の状況を確認して左右、後方と回避に徹していた大輝が反撃に出る。正面右の男が操り出した右の拳を左の掌を受け止め、一瞬遅れて右手で相手の右手首を掴んで捻り上げる大輝。
「ぐぎゃっ!」
本来ならこのまま右手首を捻り上げたまま背後に回って関節を極めるのだが、殴り掛かって来たのは2人であった。そこで仕方なく捻挫程度のダメージを与えたことを確認してすぐに解放し次の攻撃に備える。正面左の男は右の男との時間差攻撃を意図しており、大きく振りかぶって拳を振るい始めていた。
ッバキッズダーン!
男の身体が宙を舞って大輝の後方のテーブルの上へと叩きつけられる。木製のテーブルはその勢いに負けて真っ二つに裂けてしまい、その衝撃でケーキの盛られた皿や紅茶の入ったカップが宙を舞う。
「ぐわっ!」
「きゃあぁぁっ!」
テーブルに叩きつけられた男と壁際に避難していた女性客から悲鳴が上がる。彼女たちが悲鳴を上げるのも無理はない。殴り掛かられた側であるまだ未成年に見える少年が消えたかと思った瞬間に殴り掛かった側である190センチを超える屈強な冒険者が急に前宙して背中からテーブルに落ちて行ったように見えたのだから。
なんのことはない。大輝が板張りの床を踏み抜かない程度に両足に身体強化を掛けて踏み込み、大きく振りかぶった拳を振り下ろそうとした男の懐に入って背負い投げを掛けたのだ。そして床に叩きつけるのではなく2メートル程離れたテーブル席に放り投げたのだ。なぜわざわざテーブルに放り投げたのか?理由は簡単だった。周囲の注目をそちらに向けたかったからだ。その方が最終的に店に与える損害が少なくなることと時間的に早く制圧できるからというのが理由だ。
派手な音を上げて破壊されたテーブルや飛び散る食器類に店内の視線が集中している隙に大輝が身体強化を活かして障害物の多い店内を縦横無尽に動き回る。
「っぐぬ!」
「ぎゃっ!」
「べぎゃあ!」
「あぐっ!」
瞬く間に4人の乱入者が床に倒れる。大輝が首への手刀、腹への拳などであっという間に戦闘力を奪っていったのだ。彼らが床に倒れる音で異変に気付いたゲオルク配下の者たちだったがすでに遅かった。外から駆けつけた6人の冒険者たちは全員が床に伏しており、腰が抜けている最初の5人の冒険者と合わせて11人の仲間が戦闘不能であった。
「あ、あ、ああ。」
ゲオルク配下の者たちは目の前の状況が信じられない。大輝へ最初に絡んだ冒険者たちはともかく、外から入って来た6人の冒険者たちはそれなりの実力を持っていたはずなのだ。少なくともベルナー商会の商隊を魔獣や盗賊から守る為に鍛えられた自分たちと同等かそれ以上の戦闘力を持っていると判断したからこそ高い金を払って雇っているのだ。確かに街中であり、一般の店の中であることから得意の剣や魔法の使用を制限させていたが、それは相手も同じ条件である。それが一瞬で無力化されてしまったのだ。即座に現実を受け入れられなくても仕方がなかった。だが、このままでは自分たちもあっという間に床とキスをする羽目になるだろうことは明白だ。それを避ける為になにかを口にしなければならないのだが上手く声がでなかった。
「あ、う、い、いや、ちょっと待ってくれ。」
そんな中で最初に口を開いたのはゲオルク・ベルナーであった。彼が口を利く機会を得られたのは大輝が攻撃を中断したからだ。大輝にとって彼らを制圧することは造作もない。だが、単にぶちのめしただけでは今後に悪影響が残るかもしれない。ここは彼ら自身に非がある事を認めさせた上で店の弁償を約束させようと考えて時間を与えていたのだ。だから話に乗る。
「なにか申し開きがあるのか?」
大輝は威圧的、高圧的な態度で尋ねる。ゲオルクから言質を取る為の演技だ。
「コ、コホン!」
ゲオルクは滴る冷汗を拭いながら咳払いをする。大輝が対話に応じる姿勢を見せたことで頭をフル回転させてこの窮地を逃れる言い訳を考えている。ゲオルクは現在ギーセンの街でベルナー家がどういう評価をされているかを知っている。だからこそこれ以上の悪い噂を立てる訳には行かない。そしてそれ以上にフォルカー湿原解放作戦の要である自分がここで大怪我を負って不参加になることは許されないのだ。いくら回復薬や回復魔法があるとはいえ、単純骨折ならともかくそれ以上の怪我を負ってしまえば作戦開始日までに全回復する保証はないのだ。だからゲオルクは部下が大輝を攻撃するように発した言葉を制止しなかったことを悔やみながら口を開いた。
「大輝殿、部下たちが暴走して申し訳なかった。だが、誤解しないでもらいたい。我々に大輝殿を害するつもりはなかったのだ。噂に聞く『双剣の奇術士』の実力を知りたかったがための行動なのだ。」
ゲオルクは一旦言葉を区切って大輝の反応を見る。大輝は続けろとばかりに顎をしゃくって応える。
「ノルトの街を襲った『山崩し』については我々も噂程度ではあるが知ってる。その大規模な魔獣の侵攻において大輝殿が活躍したことも、王都で名高い魔獣キラーを余興試合とはいえ一蹴したこともだ。だが、オレは商会の生命線である商品を守る任に就き、商隊護衛という形で魔獣の蔓延る街の外を主戦場とする警備統括者だ。失敗の許されない仕事だ。だからこそ警備部門にスカウトする際は自分の目で相手を見極めるようにしている。今回も大輝殿の腕を確かめるためにしたことなんだ。」
ゲオルクはあくまで害意はないと主張する。商会の雇う冒険者が大輝に殴り掛かっておいて無理のある主張ではあるがゲオルクの主張は続く。ゲオルクもただの脳筋ではないのだ。領内随一の商会を率いるベルナー家本家次男として相応の教育を施されており、血筋と戦闘力だけで警備部門を率いているわけではないのだ。
「もちろんこれがベルナー商会警備部門のスカウトというのが目的であればこちらの勝手な主張だということはわかっている。だが、大輝殿をスカウトしたい目的は別にあるのだ。知っているかはわからないが、我々はフォルカー湿原に巣食う魔獣の一掃を計画している。フォルカー湿原に存在する魔獣たちはこのヘッセン侯爵領と王領、王都の行き来を阻害し、商隊や旅人に危険な森経由の移動を強いている。過去何度か騎士団が湿原解放に向かったが悉く失敗しているんだ。それをオレの指揮で商会警備部門と冒険者の共同作戦によって湿原を解放するつもりだ。大輝殿の実力の片鱗は今さっき見せてもらった。貴殿のような優秀な冒険者には是非とも協力を願いたい。」
ゲオルクは主張に大義名分を組み込む。私心のために腕試しを仕掛けたのではないことを宣言し、その勢いで大輝勧誘までを口にした。そして勧誘の口上が続けられる。
「湿原の解放はヘッセン侯爵領だけではなく王領、王都の人々にとっても非常に有益な事だ。考えてもみてくれ。今は湿原の魔獣のせいで森の中を通らねばならず毎年多くの者が魔獣や盗賊に襲われている。それがゼロになるとは言わないが安全性は飛躍的に高まるはずだ。それに商隊も護衛に掛かる費用が安くなるだけではなく旅程も短縮できるし流通量も増えるだろう。そうすれば商品の値段が下がって領民の多くが恩恵を受けられる。オレは、いや、ベルナー商会と父であるホーグ・ベルナーは領民のことを常に思って行動している。だからこそのフォルカー湿原解放作戦なんだ。どうか協力してくれ!」
ゲオルクの口上が終わり、大輝に頭を下げる。その姿は領内随一の商会の息子として立派な振る舞いにみえただろう。少なくとも配下の人間たちと一部の一般客は少し前までのベルナー商会の雇う冒険者たちの横暴な振る舞いを忘れたかのような尊敬の眼差しを向けていた。
(まあ、それなりに頭は回るみたいだけど・・・)
大輝は冷ややかな目でゲオルクを見ていた。もしかしたらゲオルク本人は本気でフォルカー湿原解放を領民のためにやろうとしているのかもしれない。指揮官として戦場に立つのであるから命の危険もあるし、熱く語っている様子からは真剣度もうかがえたために大輝はそう思った。だが、大輝から見れば多くの矛盾を孕んだ詭弁にしか思えなかった。
「ゲオルクさんだっけ?あんたの言い分はわかったよ。噂だけに惑わされずに自分の目で確認しようとする姿勢にはオレも共感出来るし、オレの実力を知りたかったというのも本当なんだろう。」
大輝の肯定的な発言にゲオルクは強張った表情を緩める。次の瞬間に再度緊張を強いられることになるとも知らずに。
「だけどさ。オレはあんたの率いる商会の警備部門に入りたいと希望したわけでもなければフォルカー湿原解放作戦に志願した覚えもないんだ。それをあんたの勝手な判断で巻き込もうとしたことに変わりはない。」
大輝が低い声で言う。
「そ、それは確かにそうだがフォルカー湿原の解放はヘッセン侯爵領だけではなくハンザ王国の為になり、ひいては領民のためなんだ。」
ゲオルクが必死の弁明を試みる。
「つまりあんたの言い分だとフォルカー湿原解放の為という大義名分があれば無関係な人間を傷つけてもいいってことだな?」
「そんなことはない!事実大輝殿は掠り傷一つ負ってないではないか。」
「そこに結果論を持ち出す時点でダメだよ、あんたは。自分の目で見たことしか信じないあんたがオレの実力を信じて嗾けたから問題ないとでも言い張るつもりかい?」
大輝は徐々にゲオルクを追い込んでいく。1つ1つの矛盾を明らかにすることで。
「さらに言えば、無関係の喫茶店内で暴れたこともフォルカー湿原解放の為なら許されるのか?全て見ていたあんたはわかってるだろうが、絡んできたのもそっち、殴り掛かって来たのもそっちだ。非は全てあんたたちにある。」
「んぐっ」
「店の中で暴れれば備品が壊れるのも当然だ。下手をすれば一般のお客さんに怪我を負わす可能性もある。領民の事を思ってるベルナー家はそこのところをどう考えてるのか言ってみろ。」
大輝は自身がわざと背負い投げで冒険者の1人を投げ捨てたことによって壊れたテーブルや食器類の補償へと話題を誘導する。
「最初から店の補償はベルナー商会が必ず行うつもりだ。」
「おいおい。そんなの当たり前だろうが。それにその補償とやらにはあんたらが暴れたせいで暴力沙汰の起きた店と評判を立てられたこの店の看板代やら乱闘によって怖がらせてしまった一般客や従業員への慰謝料も入っているんだろうな?」
「うぅぅ。それも加えた補償を約束する。」
大輝はヤのつく職業ばりの脅迫によって補償の範囲を拡大させることに成功する。これで最低限の目標はクリアされたので次のステージへと移る。
「ま、当然だな。で、ゲオルクさんはさ、望んでもいないのに街中で襲うことで試すような相手を信用して指揮下に入ってくれると本気で思ってるの?領民のためといいながらその領民の営む店を破壊するような相手を慕ってくれると本当に思ってるの?湿原解放によって商品の値が下がって領民が恩恵を受けられるっていうけど、自分の商会以外に不当に税を掛けて商品価格を上げる要因を作っているくせにその言葉を信じてもらえると思ってるの?」
大輝が疑問形で言葉を重ねるときは大抵が詰問口調だ。今はゲオルクの言葉の矛盾を突く為にそれが発せられている。ゲオルクも相応の教育を受けて育っているため馬鹿ではない。だからこそ大輝への弁明で主題をフォルカー湿原解放という大義名分で誤魔化そうとしたのだ。盲信する配下の者たちや色よく聞こえるゲオルクの言葉に乗ってしまいそうな者もいるが大輝は違った。冒険者ということで戦闘力に目が行きがちだが大輝の本領はこういった言葉を武器とした戦いでこそ発揮されるのだ。そんな相手を論破するのは難しい。
「それは・・・無理だろうな。」
ゲオルクはうな垂れる。父はともかく自分や兄はベルナー商会が領民の生活を豊かにしているとの自負もあるし誇りもある。だから今回の手段は間違いであると自分でもわかっていた。父の強引な手段によってベルナー家は時間との戦いを余儀なくされ、挽回の手段として白羽の矢の立った自分が焦っていることも自覚している。正直に言えば父の野望は愚行と言い換えてもいいとさえ思っている。だが、それによってベルナー商会が潰れれば領民の生活は非常に苦しくなるし、湿原解放に成功すれば領民が多大な恩恵を受けるという2点を言い訳にしてゲオルクは湿原解放作戦のための戦力確保に奔走していたのだ。
「大輝殿の言う通りだと思う。」
大輝はこのままベルナー家の横暴を攻めたてようと思っていたのだが、ゲオルクの様子がおかしいことに気付いて追撃を一時猶予することにした。
「オレだってわかってるさ。」
必死に言い訳を熱弁していた時とも大輝の戦闘力を目の当たりにして顔を青くしていた時とも違う表情でゲオルクが言葉を紡ぐ。
「さっきのオレの言葉は嘘だらけだ。雇用の際の試験ならともかく問答無用で殴り掛かるなんざまともな組織のやることじゃない。それもこんな街中の喫茶店内でおっぱじめるなんざ正気の沙汰じゃねえ。店に迷惑は掛けるしなによりもエスカレートすれば人死にが出る可能性すらある。いや、その前に下っ端の冒険者を嗾けたことさえ間違いさっ。」
口調が段々と乱れていくゲオルク。
「だけどよぉ。そうでもしないと人が集まらないんだよ!親父が欲を掻いたせいでベルナー家の評判は地に落ちつつある。もう金を積むなり脅すなりしないとフォルカー湿原解放作戦に参加してくれる冒険者なんていねえんだ。でもな、確かにこの作戦には色々と思うところはあるが領民のためになるってことだけは間違いねぇんだっ!」
感情を爆発させたようなゲオルクに大輝も言葉を失う。そしてここから長い時間を掛けてゲオルクの話を聞くことになる。




